全手動軽文量産機

──A.L.M──

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第1話 「闇から始まり」


 意識の目覚めは唐突に、何の前触れも無く訪れる。

 目覚めた視界に飛び込んだのは、天井の黒。吊るされた音素灯の光が、いやに目に眩しい。片手を額にあてがい、俺は妙にしばしばする目を瞬かせながら、上体を起こす。

「……」

 ぽりぽりと頭を掻き、未だ上手く働かない頭に思考を促す。

 夢を見ていたような気がする。

 それもひどく歪で、どこか滑稽な夢だ。

 詳しい内容は思い出せないが、それでも胸の中に残された違和感が、この感覚を決して忘れるなと俺に訴えかける。何が気になるのか、それさえわからないのが、ひどく気に障る。

 ……そう言えば、以前も、こんな事があったような気がする。

 アクゼリュス崩落後の事だ。ユリアシティで告げられた自分の正体に、俺は感情の赴くままアッシュに向かって行った。あいつとの対決に勝ったはいいが、結局、俺はぶっ倒れちまった。そして、その後意識を取り戻すまでの間、〝何か〟を見ていたような気がする───

 いったい……俺は何を見ていたんだろうな?

 記憶を探るが、霞掛かった頭に浮かぶものは無い。自分の記憶力のポンコツ具合に、意図せずため息が漏れる。

 ……まあ、そのうち思い出すこともあるか。

 とりあえず現状を確認するのが先だろう。まとまらない思考に見切りを付け、俺は周囲に視線を巡らせる。

 小奇麗な部屋のあちこちに、なんだかややこしそうな機材が置かれている。壁には無数の標語らしきものが張られ、部屋の無機質な雰囲気を和らげている。『健康は買えません』『告知されてから取り乱しても遅い』『1万ガルドで一生健康』

 ……内容がかなりアレな標語もあるが、部屋の様子から判断するに、どうもここは医療施設っぽいな。

 ちなみに俺の居る場所はというと、部屋の中心にある診察台の脇に置かれた、簡易寝台の上にある。一応身体に毛布が掛けられていたりもするが、先程起き上がった拍子にめくれ上がって、今は半ば下にずり落ちた状態にある。

 部屋の様子を確認して行く内に、徐々に意識が覚醒するのがわかる。

 そして、俺はそれに気づく。

「……何だ?」

 毛布に不自然な盛り上がりがあった。

 そう言えば、さっきからその辺りにある俺の膝が圧迫感を感じていた。足が痺れて感覚が鈍くなってたせいか、今のいままで気づかなかった。

 俺は訝しく想いながら、軽い気持ちで毛布を払いのける。

 まず椅子が現れた。椅子の上に誰かが居る。誰かは寝台に向けて上体を寝かし付けている。誰かの姿を確認する。

 認識した瞬間、俺の全身は凍り付く。

 すぅすぅと可愛らしい寝息を立てるティアの姿が、そこにあった。

「───っ!?」

 俺は仰天した。のけぞった。口を開いた。

 声に出して叫ぶ寸前、彼女が寝てることに思い至り、俺は慌てて口に手を押し当て、声を押し殺す。

 ななな、何でこんなところに居ますか、ティアさん!?

 声には出さずに心で叫び、俺は必死に思考の糸を手繰り寄せる。だが、寝てる相手に配慮する余裕はある癖に、この状況の対する理解は一向に進まない。

 激しい動揺に思考が掻き乱され、さっきまで推測できてたような事柄まで、地平の彼方にぶっ飛んで行く。いったい何がどうなっているのかまるで理解できない俺を余所に、状況は動く。

 視界の端で扉が開く。隙間から黒い影が二つ、凄まじい速度で俺の方に走り寄る。

 って、うおっ!?

 生暖かいものが顔面に張りつき、視界を緑色と黄色の毛皮が覆い隠す。こ、呼吸が出来ん!

「ご主人様、気がついたのですの! よかったですの!!」
「ぐるぅうぅぅぅぅ!!」

 一瞬混乱するが、聞き覚えるのある鳴き声に、この毛玉がミュウとコライガの二匹だと気づく。顔面に張りついた二匹の背中をつかみ、引き剥がす。かつてない二匹の興奮度合いに、俺はどっと疲れるものを感じながら口を開く。

「あー……とりあえず、一旦離れてくれ」

 前にも同じような事があったよなぁと想いながら、未だ寝ているティアを起こさないように、二匹をそっと床に下ろす。

 とりあえず状況を確認するのが先だろうと、ミュウに顔を向ける。

「んで、いったい、何がどうなってんだ?」
「ご主人さま、ずっと倒れてましたの! すごく心配しましたの!」
「いや、それはわかってるんだが……」

 さらに詳しいことを問い掛けようとしたところで、再び部屋の扉が開かれる。

「おや、気がついたか」

 白衣を着た線の細い男が、俺に向けて笑いかけた。見知らぬ相手に少し警戒心を抱く。だが、ここが医療施設だとしたら、さして意味ない行動だよなと俺は思い直す。

「あの……ちょっと聞いてもいいですか?」
「なんだい? まだどこか痛むとか?」
「いえ、そうじゃなくて……そもそも、ここってどこなんでしょうか? あと、あなたは?」

 俺のぶしつけな問い掛けに、相手はポンと両手を叩く。

「ああ、そう言えば、君は意識を失っていたんだね」

 そうだったそうだったと軽く頷いた後で、改めて俺に向き直る。

「ここはベルケンドの第一音機関研究所にある医療施設だ。私はここの担当医を勤めるシュウというものだ」

 よろしく、と気さくに笑いかける医者のシュウさん。

 倒れる直前、ジェイドの言ってた言葉が俺の脳裏に蘇る。

 そう言えば倒れる直前、ベルケンドに向かおう、とかいう話が出てたっけな。

 つまり、ぶっ倒れた俺と負傷したガイを背負って、ここまで運び込んだってことか。

 皆に迷惑掛けちまったなぁと申し訳なく思うと同時、もう一人の負傷者の存在が気にかかる。見る限り、この部屋には居ないみたいだが、ガイの奴はいったいどうしてるんだろうな?

「あの、もう一人重傷っぽい奴が居たと思うんですけど?」
「ん? ああ、ガイ君の事か。勿論彼にも検査を受けて貰ったよ。でもついさっき意識が戻ってね。この施設内を出歩く分には問題ないから、今は休憩室に居ると思うよ」
「そうですか……」

 あんな重傷受けて、既に歩けるまでに回復してるのか。大した回復力だなと、俺は多少呆れ混じりの安堵を感じる。

「他の連れがどうしてるかわかりますか?」

 ついでとばかりに、俺は他の皆がどうしてるかシュウさんに尋ねる。少し遠くを見やりながら、シュウさんが記憶を探って頭を捻る。

「彼等は君の検査結果が出るまで、施設内を見学すると言ってたね。誰が何処にいるかまではわからないけど……確か、バルフォア博士はスピノザに何か話しがあると言ってたね」
「そうですか。……しかし、検査結果ですか? 俺の意識が目覚めるまでとかじゃなくて?」
「ああ、それに関してまだ言ってなかったか。君の状態はかなり珍しいものだったからね。意識を失ってる間で悪いけど、一通りの検査をさせてもらった。全部の結果が出るまでには、それなりの時間がかかるんだ」

 ゆったりした口調に誤魔化されそうになるが、この規模の施設であまり見たことないような状態だったってのは、かなりの大事じゃなかろうか? ……俺って、意外と重症だったんだろうかね? 背中に少し嫌な汗が滴るのを感じる。

 あのまま正気に戻れず突っ走ってたら、いったいどうなってたのやら……どう少なく見積もっても、ろくなことになってないのだけは確かだな。

 俺は静かに寝息を立てるティアに視線を落とす

 暴走状態に入ってた俺を正気に戻らせたのは譜歌だ。今まで聞いた覚えの無い旋律だったから、たぶんユリアシティでレイラとかいう人から貰った本から、新しい譜歌の象徴を理解したってことだろう。

 俺がこうしてられるのも、彼女のおかげか。

 俺の向ける視線に気づいてか、シュウさんが表情を和らげる。

「彼女はずっと君の事を看ていたからね。溜まっていた疲れが一気に出たんだろう」

 膝の上で寝息を立てるティア。

 この熟睡具合を見る限り、相当気を張り詰めていたことがわかる。

 ……マジでティアには迷惑掛けてばっかりだよな。

 いったいこれで何度目だ? もう本気で彼女には頭が上がらない。

 参ったもんだ。俺は自分のへたれ具合に、ため息をつく。

「………ん……」

 不意に、ティアが身動ぎする。閉じられていた瞼が開かれた。上体がゆっくりと持ち上がり、ぼんやりと周囲を見回し始める。

 寝起きの潤んだ瞳が、焦点を俺に合わせて停止する。

「ルーク……?」

 何だかとてつもなく気まずい。

 いや、俺の一方的な思い込みに過ぎないかもしれないが、それでもどうにも声をかけにくい。だが、このまま何も反応しない訳にもいかないだろう。俺は片手を上げて、とりあえず挨拶する。

「……お、おはよう、ティア」

 ボーッと俺の顔を見つめていたかと思えば、ティアが目を見開いて、勢い良く立ち上がる。

「ルーク、気がついたのね!」
「お、おう」
「よかった……私、あなたがもう……」

 ティアが安堵に胸を押さえ、顔を俯ける。

 前髪に隠されて、その表情は見えない。

「あーうーあー…………」

 口が開け閉めされるが、一向に意味ある言葉は出てこない。こ、こういうときに何も良い台詞が思い浮かばない自分のヘタレ具合に、本気でへこむ。

 と、ともかく、この沈黙はマズイ。

 何か言うべき言葉を考えないといけない訳だが……

 正直、どう話しかけたら良いのかわからない。

 ティアは倒れた俺を心配して、ずっと付き添ってくれた訳だ。だが、結局の所、俺がぶっ倒れたのも、自分の無茶な行動が原因だ。彼女には何の落ち度も無い。

 次第に頭から熱が冷め行き、思考に冷静さが戻る。

 彼女に返すべき言葉があるとしたら……やっぱ、一つしかないか。

 未だ顔を俯けている彼女に向き直り、俺は覚悟を決める。

「ティア……ごめん。俺の無茶な行動で、心配掛けちまたったよな。本当に、ごめんな」

 自分の真剣な想いを込めて、頭を下げた。

 ティアは俺の言葉に耳を傾けたあとで、ゆっくりと首を左右に振る。

「……バカね。あなたが謝る必要はないわ。顔を上げて、ルーク」

 ティアはあくまで俺を気遣うように、優しく言い諭す。そんな彼女の姿を見るうちに、俺はようやく気づく。

「……そっか。この場合謝るのは、むしろ失礼だよな」
「ルーク?」

 自分の伝えたい言葉はこれじゃない。

 戸惑う相手の顔を正面から見据え、俺は改めて告げる。

「心配してくれて、ありがとな、ティア」

 一瞬、驚いたように目を見開いた後で、彼女は今度こそ微笑んでくれた。

 こうして、どうにか気まずい空気は無くなった訳だ。

 しかし、どうにもそれに代わって、別の何かが周囲を漂い始めたような気がしてならない。嫌なものは感じないんだが……どうにも背中の辺りがムズ痒くて仕方がなくなる。いったい何だ、この空気は……?

「……んっ、んん!」

 わざとらしい咳払いが部屋に響く。

 ああ、そう言えばこの人も居たっけか。俺はシュウさんの存在を思い出す。

「そろそろ説明、再開してもいいかな?」

 相手の言葉で、まだ説明の途中だった事を思い出す。

「す、すまねぇ」
「ご、ごめんなさい」

 俺達は慌てて謝罪する。

「いやいや、なるべく手短に済ませるから安心していいよ、二人とも」

 相手から注がれる視線に、なんだか生暖かいものが含まれているような気がする。

 にやにやという形容が似合う笑みを浮かべながら、シュウさんが続ける。

「先程も言った通り、他の人たちは施設の見学に出てるよ。検査結果が出るにはもう少し時間が掛かるだろうから、体調的には今のところ問題無いようだし、君も施設内を見学したいなら、自由にしていいよ」

 付添人も居るようだしね、と最後にからかうような笑みを浮かべた。

 付け足された言葉に、ティアと俺は思わず顔を見合せる。

「…………」
「…………」

 シュウさんは既に書類に向き直り、もう話は終わりといった様子で仕事に取りかかっている。

 しばらくの間、何とも言えない沈黙が続いた後で、俺は辛うじて言葉を絞り出す。

「こ、ここに居ても仕方ねぇし、ちょっと見て回ろうぜ?」
「そ、そうね。行きましょう」

 何故か互いにどもりながら、俺たちは頷き合い、そそくさと席を立つ。

 い、いったい何なんだろうな、この空気は……?

 俺達は動揺しまくりの状態で、施設内の散策に出かけるのだった。




             * * *




 その後もグダグダの会話が続いたが、しばらく経つと、自然にいつもの調子を取り戻すことができた。

 他愛もない会話を交わしながら通路を進んでいる内に、休憩室とやらに行き当たる。

 部屋の中に、ガイとナタリアの姿が見えた。だが、どうにも二人の様子がおかしい。怪訝に思いながら近づいていくと、ナタリアの言葉が耳に入る。

「まったく信じられませんわ! あのような無茶な行動を取るなんて……あなたがルークの盾となるべく、攻撃の注意を引こうとしたのはわかります。ですが、それであなたが死んでしまっては何も意味はないのですよ。わかっておりますの、ガイ!!」
「す、すまん。ナタリア。で、でもな、それでもあのときは仕方……」
「仕方ないと諦めていては何も変わりません。昔からあなたはそうです。きっと私が使用人としての心構えを説いてた頃から、適当な返事をしてこの場を乗り切ればそれで済むと考えていましたのね!」
「いや、そんなこと考えてないって!」
「いいえ、こうなったら徹底的に言い聞かせるまでですわ!」
「そ、そんな……!?」

 ガイが声無き悲鳴を上げ、ナタリアが両手を腰に当てて、延々と説教を続けている。

「…………」
「…………」

 俺とティアは無言のまま顔を見合せ、二人から直ぐさま距離を取る。

 触らぬ神に祟り無し。厄介事には極力関わらないことに限るのだ。

「おお、お前さん達も来たのか」
「こっちに来て少し話をしていかない?」

 休憩室の隅に陣取るヘンケンとキャシーが俺たちに小さく手招きをしていた。俺たちは招きに応じて、こそこそと二人の側に腰掛けた。

「……あれって、どうなってんだ?」

 小さく問いかける俺に、ヘンケンが遠くを見据える。

「いやな。さっき意識を取り戻したばかりのガイが、研究所内を一人歩いとるのをナタリア殿下が目撃してな。いったい何を考えていると、たいそう御立腹らしい」
「検査した限り、異常は何も見つからなかったんだけどねぇ」

 しみじみと語る二人の言葉に、俺の額を嫌な汗が流れ落ちるのを感じる。……俺もナタリアに見つかってたら、説教の仲間入りしかねないってことかね? 気を付けよう……。

「しかしルーク、お主も随分と無茶したらしいと聞いたが?」
「うっ……そ、それに関しては、俺も反省してるんだ。あんまり突っ込まないでくれ」
「……本当にわかってるのかしら?」

 ティアから向けられる懐疑的な視線に、俺は冷や汗をダラダラかきながら返す言葉を探す。

「で、でもよ……俺もどうしてあんな事になったのか、本当にわからねぇんだよなぁ……」

 これまでもパッセージリングの操作なんかでケイオスハートは使っていたんだ。時折変な鼓動が聞こえることはあったが、それでもぶっ倒れるような事態は一度も起こらなかった。何が原因になって倒れたのか、俺にも良くわからない。

「……ワシらは実際の現場を見てないから何とも言えんのだが、そんなに凄かったのか?」
「ええ。六神将を相手に、完全に押していたわ」
「それほどのもんか……」

 顎先に手を添え、ヘンケンが何とも難しい顔になる。

 皆で一頻り唸った後で、ティアが話題を切り換える。

「そう言えば触媒武器に関して、大佐がこの研究所に分析を依頼したと聞きましたが……?」
「うむ。今はまだデータ取りをしている最中だ。分析結果そのものが出るには、まだまだ時間が掛かるだろうな」
「ええ。私らは詳しく見てないけど、何だか随分と偏った音素の波を感じたねぇ」

 偏った音素の波、か。

「……まあ、何にせよ俺がぶっ倒れたのはあの杖が原因なんだろうなぁ」

 見た目からして呪われた武器っぽかったし、納得といえば納得だけどな。

 デロデロな闇を吹き出していた、ディストが使った時の光景を思い出す。

「現時点で、何かわかった事はあるのでしょうか?」

 ティアのもっともな質問に、技師二人は腕を組み、渋面になる。

「今の段階では何とも言えないが……どうも、集合意識体を使役する響奏器とは異なる性質を備えているようだ」
「まあ、惑星譜術の触媒って言うぐらいだしな」

 俺達も知っている事実だったので、おざなりに応えると、ヘンケンが否定を返す。

「いや、違うぞルーク。それ以前の問題だ。あの触媒武器は、通常の奏器とは全く異質なものだ」

 言葉に込められた強い意味に、俺たちの間に緊張が走る。

「……いったい、どういうことだ?」
「通常の奏器は音素溜まりである音符帯と交信することで、集合意識体の力を外部から引き出し使役する。だが、あの触媒武器は内に取り込んだ莫大な音素を引き出すことで、力を行使している」
「本来なら外から取り込むはずの力を内側から引き出している……そういうことですか?」
「うむ。そう言ってもいいだろうな」

 内側から……か。

 確かに地殻でも、外側から力が流れ込むってよりは、杖自体から何かが流れ込んで来るのを感じた。

「……やつらがパッセージリングに触媒武器を突き刺して、地殻に干渉してるのと何か関係があるのかね?」

 スピノザの渡してくれた資料から、記憶粒子関連の何かを引き出しているんだろうと考えていた訳だが、それもどうやら怪しくなってきたな。

 場が煮詰まってきたのを感じてか、ヘンケンが話題を変える。

「地殻と言えば、お前さんたちが振動中和作戦時に、地殻でローレライと邂逅したと聞いて驚いたぞ。学会の定説がひっくり返るな」
「ん、何だその定説って?」
「ローレライ……つまり第七音素集合意識体とは、もともと自然界に存在していた音素ではない。故に、集合意識体が存在するにしても、明確な自我は存在せず、ひどく希薄なものだろうと考えられていたのだ」
「……ふーん」

 学会の定説ねぇ。まあ、地殻であれだけはっきりした声で呼びかけてきたんだ。自我があるのは確かだろうな。

「……少し話がズレたか。
 ともかく、第一奏器に関しては、分析中としか今は言えんな。気になるなら実験室に行ってみるといい。確か導師イオンも其処にいたと思うぞ」
「そうだな。ちょっと行ってみるか」
「そうね。ヘンケンさん、キャシーさん、ありがとうございました」
「おう、またいつでも来るといい」
「待ってるわぁ」

 二人に別れを告げ、俺たちは席を立つ。

 休憩所の中央では、未だガイがナタリアに説教されていたりするが、俺に声を掛ける勇気はありません。

 俺の分まで頑張ってくれよ、ガイ!

 心の中で親友に無責任な声援を送り、俺達は足早に休憩室を後にするのだった。




              * * *




 実験室はまるで戦場のようだ。

 据えつけられた機材に幾つもの波形が浮かび上がり、何人もの研究員が行ったり来たりを繰り返す。部屋を漂う緊張感に、何とも自分たちの場違い加減を思い知らされる。

 肩身の狭い想いをしながら、行き交う技師たちの邪魔にならないよう、隅っこを進んでいると、部屋の端にぽつんと一人佇むイオンの姿が見えてきた。

「よっ、イオンじゃないか」
「ルーク、気がついたのですね。それにティアも」

 とりあず俺たちはイオンの隣に並ぶ。最初にティアが口を開く。

「触媒武器のデータが、ここで採取されていると聞きましたが……?」
「はい。ですが、データ自体は既に取り終えたので、先程ジェイドが触媒武器を回収して行ってしまいました」
「大佐が……では、今はデータの解析作業中ですね?」
「ええ。皆さんとても忙しそうに動いてます」

 動き回る技師たちを見据え、イオンが微笑む。だが、その笑みもどこか力ないものだった。

 何となく声を掛けにくいものを感じながら、俺は改めて施設に視線を巡らせる。

「……しかし、随分と大仰な施設だよな」
「そうですね。これだけ大規模な施設は、大陸でも稀なものでしょう」

 せわしなく動き回る技師たちが指示を出し合う言葉だけが、室内に響く。

 そう言えば、イオンとこうして顔つき合わせて話するのも、随分と久しぶりな気がする。

 思い出すのは、地殻で対峙したシンクの吐き捨てた言葉。

 ───ゴミなんだよ。代用品にもならないレプリカなんてさ。

「……」

 改めて思い返して見ると、確かにイオンの行動には不審な部分が目についた。これまでは導師という地位に比べて、若すぎるイオンの年齢から、未だ教団を掌握しきれていないせいだろうと単純に考えていた訳だが……実際は、そうじゃなかったんだよな。

 導師イオンのレプリカ……か。

「イオンは……自分のオリジナルついて、どう思う?」

 気づけば、俺はそう問い掛けていた。

 ティアが僅かに緊張を顔に走らせ、イオンが突然の質問に困ったように首を傾ける。

 言った後でやっちまったと思ったが、今更取り消せるはずも無く、俺は慌てて言い繕う。

「いや、俺と同じような奴がどう思ってるのか、ちょっと気になったっていうか……えーと……」

 しどろもどろになって、自分でもよく分からない言葉を重ねる俺に、イオンがゆっくりと天井を仰ぐ。

「そうですね……僕にとってオリジナルは、遠い人、です」

 予想しなかった言葉の響きに、俺は自分の口を閉じて、イオンに視線を戻す。

「遠い人……か」
「ええ。アッシュと違い、オリジナルイオンは既に故人です。僕たちが知り得た彼に関する知識は、すべて人伝てに聞かされた、断片的なものでしかありませんでしたから」

 病死したと言われるオリジナルイオン。彼の代用品として作られたレプリカ達。

「何人も居たレプリカ達の中から、僕が導師の代わりとして選ばれたのは、音素を扱う能力がもっともオリジナルに近かったからです。そして選ばれた僕に期待されたのはオリジナルのように……いえ、オリジナル以上に導師らしくあることでした」

 周囲からの期待に応えるまま、導師としての振る舞いを身につけた。

「オリジナルの代わりに教団をまとめる……求められる価値、か」

 俺の確認に、イオンがわずかに目線を下げる。

「……ええ。でも、僕はそれでもいいと思っています。たとえ自分が幾らでも取り替えの効く存在であったとしても、教団にとって《導師》という存在は絶対に必要です。ならば、僕は導師として在ろうと……」

 静かに胸の前に腕を組み、イオンは目を閉じる。

 イオンの言葉は、どこか俺自身にも通じるものがあった。

 複製品ってことは、オリジナルの情報さえあれば、幾らでも似たような存在が作れるってことを意味しているんじゃないか? 誰か、自分が確かに自分であることを認めてくれ──そう考えることを、決して止められない。

 造られた存在にとって、それは当然の思考の流れだった。

 それでも俺とイオンのそれぞれが出した答えは、若干異なるものだった。

「するべきことが、いつしか自分のしたいことに重なってしまうこともある……か」

 かつて月明かりの下交わした会話が蘇る。

「あんまり教団のことばっか考えてないでさ。少しは自分の事を考えても良いんじゃねぇの? イオンは十分によくやってる……そう、俺なんかは思うんだけどな」

 俺は軽い口調で、イオンの頭をポンポン撫でる。

 実際、イオンはよくやっている。やりすぎている程に。自分がレプリカであるという負い目が、こいつを仕事に駆り立てているんじゃないかと……俺は少し心配になる。

「ありがとうございます、ルーク」

 イオンは嬉しそうに顔をほころばせた後で、しかし静かに否定を返す。

「ですが、僕は導師です。たとえ他に選択肢が無かったのだとしても、導師であること選んだのは、他の誰でもない……僕自身の意志です。教団のことを、そう簡単に投げ出す訳にも行きません。そんなに心配そうな顔をしなくても、僕は大丈夫ですよ、ルーク」

 微笑みながら、力強く言い切るイオンの顔には悲壮感などカケラも見当たらない。本心から言ってることが、俺にも伝わった。

「本当……意外と強情だよな、イオンはさ」
「すみません、ルーク」

 互いの視線を合わせ、俺たちは苦笑を浮かべあった。

 こうして俺達が言葉を交わしている間、ティアは一歩引いた位置で静かに佇み、俺達の会話に耳を傾けていた。

 おそらく、俺達の会話の邪魔にならないように、意図的に黙っていたのだろう。

 ……そこまで気を使う必要はないんだけどな。

 俺は自然と苦笑が深まるのを感じる。とりあえず、彼女も話しに参加させようと口を開いたところで、柱の影に隠れているアニスの存在に気づく。

「そんなところで何してんだ、アニス?」
「はぅぁ!」

 俺の呼びかけに、しまったとアニスが呻く。慌ててこちらに背を向け、走り去ろうとした彼女に、イオンが顔を向ける。

「アニス?」
「あぅ……イオン様」

 さすがにこのまま逃げ去る訳にも行かないと思い直したのか、アニスがおずおずとこちらに歩み寄る。

 気まずそうに顔を背けるアニスに、イオンが正面に立つ。

「アニス、僕はオリジナルイオンではありません。それでも……僕についてきてくれますか?」
「そんな……そんなの、当たり前ですよ、イオン様!」
「ありがとう、アニス」

 二人の遣り取りに、俺たちの間にも自然と笑みが浮かぶ。

 しかし、アニスの表情に落ちる蔭には、誰も気づくことは無かった。




             * * *




 イオン達と別れ、俺たちは更に先へと通路を進む。

 なんでもイオンの話によると、この先でジェイドとスピノザの二人が障気に関して話しているらしい。

 俺たちは二人の居る研究室を目指して、通路を進む

 それほど進まぬ内に、スピノザの姿を発見する。

 向こうも俺たちに気づき、嬉しそうに声を上げる。

「おお、お前さんたちか。タルタロスを沈めるのには成功したそうだな」
「まあ、かなり危うかったけどな」

 肩を落として応える俺にスピノザが苦笑を浮かべた。

 部屋の奥からジェイドが姿を見せ、少し驚いたように眉を上げる。

「おや二人とも、おそろいの様ですね。いったいどうしました?」
「障気に関して二人が話してるって聞いたから、ちょっと気になってさ」

 俺の返した言葉に、ジェイドが顎先を押さえ、押し黙る。

 ……俺、何か変なことを言ったか?

 少し不安になってきたところで、ジェイドがスピノザに顔を向ける。

「ちょうどいい機会ですし、二人にも説明して置きましょうかね」
「うむ。そうじゃな。お前さんたちにも伝えておいた方がいいだろう」

 よく話を掴めない俺たち二人の前に立ち、ジェイドが眼鏡を押し上げる。

「とりあえず、障気中和──いえ、隔離案とでも言うべきものが、出来上がりました」
「え、マジか?」
「……隔離案、ですか?」

 驚く俺たち二人に、スピノザが説明を引き継ぐ。

「うむ。中和では無く、大地の下に障気を押し込める隔離案じゃ。だが、かなり現実実のある話だぞ。わかりやすく説明すると……」

 研究室に置かれたホワイトボードに二つの円が重ねて描かれる。円の中心には地殻、内側の円が描く線をさして魔界、さらに外側の円をさして外郭大地。地殻から円の外側に向けて伸びる無数の線をさして障気と記す。

「この図にある様に、現在大地は魔界と外郭大地の二つに別れておる。地殻から吐き出される障気から逃れる為に、先人たちが大地を引き離した為じゃが、このまま単純に外郭大地の降下がなされたならば、降下後、大地をかつてのように障気が覆い尽くすじゃろうな」

 最初の図の隣に似たような図を描き、単純な降下後の状況と記す。新たな図の円は一つだけで、円の線をさして降下後の大地、円の中心から吹き出る線を障気と記し、円の外側を黒く塗りつぶすことで、障気が蔓延した状態を表す。

「つまり、これでは何の対策にもならんという訳じゃ」

 図の上に大きくバッテンを描く。

「では、どうすればいいか? そう考えた場合に、外郭大地と魔界の間に存在する力場──ディバイディングラインにワシ等は注目した」

 最初の図に戻る。二つの円の隙間を指して、ディバイディングラインと付け加える。

「これはセフィロトツリーによる浮力の発生地帯でな、この浮力が星の引力との均衡を生み、外郭大地は浮いておるんじゃ。現在お主らが進めているように、大地の降下時期をすべての大陸で同期させることで、降下がはじまると同時に、このディバイディングラインから下方向に強力な圧力が生まれる。ワシら考えた案とは、この圧力をもって……」

 外側の円から内に向けて伸びる無数の線を付け足し、圧力と記す。この圧力が、円の中心から伸びる障気の線を包み込むように描かれる。

「このように、一斉降下で発生する圧力を膜として、障気を覆い尽くし、大地の下──つまり地殻に押し戻すことで、障気を隔離させるというものじゃ」

 ホワイトボードをポンと叩き、スピノザが俺たちに向き直る。

 うーむ……まあ、どんな案なのか大まかにイメージで捉えることはできたかね。

 だが、そうすると少し気になる部分が出てくる。

「これって、障気が消えた訳じゃないんだよな?」
「うむ。隔離というぐらいじゃからな」
「確か……プラネットストームとか言うのは、地殻から音素を組み上げて惑星燃料にしてるんだよな? なら、そこから障気がまた出てきたりしないのか?」

 地殻に押し戻すって言うぐらいだから、そういうこともあるんじゃないのか? そうした俺の懸念に、ジェイドが眼鏡を押し上げる。

「このまま何もしなければルークの言う通りになりますね。ですが、それに関しても一応対策は考えています」
「あ、やっぱ考えてたか」
「ええ。そもそも魔界を溢れている障気も、セフィロトから発生したものです。どちらにせよ、何らかの対策を講じる必要がありましたからね。
 私たちは外郭の降下後に、パッセージリングを全停止して、セフィロトそのものを閉じることを考えています」
「地殻の振動は停止しているから、液状化している大地は固まり始めている。だから、セフィロトを停止しても大陸は呑み込まれない……そういうことでしょうか?」
「ええ。おおむねティアの言う通りですね」

 ジェイドが肩を竦め、俺たちに説明が終わったことを示す。

 俺は説明を改めて思い返しながら、頭の中で整理する。しばらく考えた後で、何となく理解できたような気がした。

「ようするに、臭いものにはフタをしろってことか」

 うむうむ。そう考えれば納得だ。俺の漏らした正直な感想に、皆の顔が一斉に引きつる。

「あ、ある意味その通りかもしれないけど……」
「……少し率直に過ぎる物言いじゃのう」
「まあ、ルークらしい理解の仕方ですけどねぇ」

 やれやれと、気を取り直すようにジェイドが眼鏡を押さえる。

「セフィロトを閉じることで、障気が地上に溢れることも無くなります。ただ付け加えておくと、譜術と譜業の力は極端に落ち込んでしまうでしょうね」
「……それって結構大事じゃねぇか?」
「ですが、贅沢は言ってられません。今は生き残ることを優先すべきでしょうね」

 まあ、確かに生きるか死ぬかの瀬戸際で、そんなこと言ってられねぇか。

 現実味をおびてきた障気対策に感心していると、突然、部屋に設置された内線が音を立てる。

 スピノザが受話器を取る。二三言葉を交わしたかと思えば、すぐに受話器を置いて、俺たちに顔を向ける。

「どうやらルークの検査結果が出たらしい。そろそろ戻って来いという話だ」
「ああ、そういえばそんなものあったっけな」

 正直まったく忘れていた話しだった。でもまあ、さすがにこのまま戻らないわけにはいかないだろう。

 眼鏡を押し上げ、ジェイドが俺たちに促す。

「わかりました。では、一旦医務室に戻りましょう」
「そうですね。行きましょう、ルーク」
「了解、んじゃ、またな、スピノザ」
「うむ、またな、ルーク」

 俺たちはスピノザに別れを告げ、再び医務室に戻るのだった。



              * * *




「──あなたの血中音素は不安定化しています」

 医務室に集う六人を前に、シュウさんが暗い面持ちで検査結果を告げた。

「血中音素の不安定化……ですか」

 つぶやきが、無言の室内によく響く。

 どこか重苦しい沈黙の降りた室内で、肝心の俺自身は、告げられた症状がどんなものか、まるで理解できていなかった。

「……それって何かまずいのか?」

 よく状況が掴めずに首をひねる俺に、シュウさんが落ちついて聞いて下さい、と前置きする。

「そもそも音素を扱う譜術や技などは、そうじて体内のフォンスロットに一時的に音素を取り込むことで、何がしかの力を行使します。あなたの場合、そうして取り込まれた音素が汚染されていて、上手く体外に放出できていないようなのです」

 取り込まれた音素が外に出せてない……か。それに関しては、何となくイメージできる。だが、

「音素が汚染されてるってのは、どういうことですか?」
「いま、全世界で噴出している毒素──障気でしたか? とにかく、それと結合しているようです」
「障気に汚染された音素を取り込んでいるということでしょうか?」

 驚きに目を見開くナタリアに、シュウさんが深刻な表情で頷き返す。

「汚染された音素を取り込んでいる……か」

 ……思い当たる節があるとしたら、やっぱ一つしかないだろうな。

「やっぱ、触媒武器を使ったせいかね?」
「……まあ、そう考えるのが一番自然でしょうね」

 あれ以外に、俺のぶっ倒れる要因になりそうなものは、見当たらない。

「しかし、そうすると今後のパッセージリングの操作が厄介だよなぁ」

 パッセージリングの起動にも触媒武器は不可欠だ。

「って、そういえばティアは大丈夫なのか?」

 よくよく思い出して見れば、起動時にかなりの回数ティアに持ってて貰ったような気がする。急激に不安が沸き上がる俺に向けて、ジェイドが静かに否定を返す。

「いえ、おそらくそれに関しては大丈夫でしょう」
「へ……どういうことだ?」
「これまでも私たちはパッセージリングの起動時に、触媒武器を用いてきました。しかし、これまで異変は起きていなかった。地殻での直接的な力の行使が原因だろうと考えられます」

 ああ、なるほど。まあ、確かに地殻で使った力は、ちょっと尋常じゃないもんがあったからな。何が起きても不思議じゃねぇか。

「すみません。いったい、何の話しを……? 何か心辺りがあるのでしょうか?」

 怪訝そうに尋ねるシュウさんに、俺たちは触媒武器を使用してパッセージリングを起動させてきた事、地殻で触媒武器を使用した直後に俺が倒れたってことを説明する。

「なるほど……そんな事が」

 話を聞き終えたシュウさんが、重々しく首を頷かせる。

「おそらく、その触媒武器の使用が原因でしょう。創世歴時代の音機関は大量の第七音素を含んでいますから、パッセージリングの起動時に触媒武器へ汚染された音素が流れ込んだ事が考えられます。地殻で戦闘に触媒武器を使用した直後、あなたが倒れたのも、蓄積された第七音素が一度に、大量にあなたの身体に流入したことで、拒絶反応が出たからでしょうね」

 なるほど、そんな事が起こってたのか。シュウさんの分析に納得しかけたところで、説明の一部に違和感を覚える。

「ん? 第七音素?」
「ええ。そうですが……どうしかしました?」
「いや、何と言ったらいいのか……」

 口ごもる俺に代わって、ジェイドが俺の疑問を口に出す。

「地殻でルークが触媒武器を使用した際、引き出されたのは闇属性の第一音素を用いた力でした。そこが気になっているのでしょうね」
「……確かに妙ですね。実際、ルークさんの身体から検出されたのは、汚染された第七音素でした。ん、いや……だが……確かに属性に偏りがあるようにも……」

 首を傾げる俺たちを余所に、シュウさんがぶつぶつと何やらつぶやき始める。

「触媒武器の分析結果が出れば話は早いのですが……ま、今は待つしかないでしょうね」
「それもそうですね」

 ジェイドの言葉に頷き、シュウさんは俺に改めて顔を向ける。

「ともかく、ルークさん。現時点ではまだ取り込まれた音素は微量なものなので、明確な自覚症状もないでしょう。しかし、このまま使用を続けた場合……命の保証はしかねます。今後の使用は絶対に控えて下さい」

 医師としての矜持を強く前に出し警告するシュウさんに、自然と俺も姿勢を正して首を頷かせるのだった。

 こうして診断結果を受け取った俺たちは、シュウさんに別れを告げ、診察室を後にする。

「それで、とりあえずこの後はどうする?」

 部屋の外に出たところで、俺は閉口一番、今後の行動方針を尋ねる。

「そうですね……この時間を無駄にするのも勿体ない。触媒武器の分析結果が出るまでに、近場のパッセージリングを操作してしまうのが一番効率がいいでしょう。幸いデータの採取段階は終わっているので、触媒武器自体は既に返却されていることですしね」

 確かに、いつパッセージリングの限界が来るとも知れない現状で、このまま時間を無駄にするのも勿体ないか。

「それじゃ、とりあえず次のパッセージリングに向かうんでいいんだな?」
「ええ。一先ずはそうした方針でお願いします」

 俺とジェイドが合意に達した瞬間、皆が次々と声を上げる。

「ルーク、待って。これからのことも重要だけど、あなたの身体は本当に何ともないの?」
「ああ、無理してるとかは無しだぜ?」
「そうですわ。障気による汚染……決して、軽く見てはいけないと思いますわ」

 皆の顔に浮かぶ不安は、おそらくアクゼリュスで目にした人々を思い出してのものだろう。

「いや、全然大丈夫だって。そりゃ心配しすぎだよ」
「……実際の所、どうなのですか?」

 真剣な表情になって、俺の表情を伺うジェイド。俺は正面から見返し、強く頷き返す。

「ああ、嘘じゃない。大丈夫だ」
「そうですか……なら、私から言うことは何もありません」

 どこか冷たく響いたジェイドの返しに、ガイが声を張り上げる。

「ジェイド、お前な! このバカは直ぐに無理するんだ。そんな直ぐに認めて嘘だったら、どうするっ!」
「……ですが、本人が大丈夫と言っているのです。これ以上どうしろと?」

 何だか場に不穏な空気が漂い始めたのを感じて、俺は慌てて口を開く。

「いや、落ち着けって! 取り込まれた汚染音素はまだ微量だって、シュウさんも言ってただろ? それにパッセージリングの起動は関係ないだろうって話しになったんだ。そこまで深刻に考える必要はないだろが」

 実際、ここまでパッセージリングの起動には使ってきたのに何も起こらなかった。それにジェイドだけでなく、医師であるシュウさんの見解も一致したんだからな。

「……あなた自身も、本当に、自分の体調におかしな所は感じていないのね?」
「ああ。体調は万全だ。ピンピンしてるぜ」

 ほれほれと、俺は自分の健康さをアピールすべく、屈伸運動を繰り返す。

 だが、突然の動きについていけなくなった筋肉がビキビキ音を立てる。

 って、イテテテテッ! あ、足、吊ったっ!!

 カカトの腱を押さえながら、地面の上を悶絶する俺に、場の緊張感が一気に霧散する。

「……まあ、確かにこうして見る限り大丈夫そうだな」
「そうですわね」
「むしろいつもより元気そうだよね」
「ここから近い場所にあるパッセージリングというと……イオン様、どの辺りになりますか?」
「確か……メジオラ高原にセフィロトが存在したはずです」
「シェリダンの南西ですね。行きましょう」

 ぞろぞろと、一斉に皆が歩き出す。

 ま、待ってくれ、皆ぁ…………

 侘しい木枯らしが、俺の身体に吹きつける。

 ううっ……これなら心配されてる方が、まだましだったような気が……

 なんだか受けを狙って外した芸人のような気分になって、俺は激しく落ち込んだ。



              * * *




 暗く重苦しい地底の坑道を進む。メジオラ高原のセフィトの道程は、はさして妨害が入ることも無く順調に進み、遂にパッセージリングに行き当たる。意外と今回は呆気ないもんだ。

 俺はいつものように操作をしようとした所で、ジェイドが待ったをかける。

「パッセージリングの起動時にどんな反応があるのか、測定してみましょう」

 確かにその通りだな。納得して、俺はジェイドの渡した計測器を杖に取り付ける。

 パッセージリングが起動すると同時、杖に何かが流れ込むような感覚。

「……これは、障気が杖に流れ込んでいますね」
「やっぱ、そうなのか」

 少しの間様子を伺うと、ジェイドが顔を上げる。

「ですが安心して下さい。人体に流れ込んでいる様子はありません。パッセージリングの起動時には、やはり問題はなさそうですね」

 ジェイドの保証に、今後の行動には影響が無さそうだと俺は安堵する。

「……これまであまり気にしてなかったけど、そもそもどうして、触媒武器でパッセージリングを起動できるのかしら?」
「言われてみればそうだな。第七音素が流れ込んでくるのと何か関係があるのか?」
「そうですわね。六神将達もパッセージリングに干渉しているようですし、何らかの原因があるのでしょうけど……」
「うーん。六神将がパッセージリングに何してるかも、よくわかんないしね」

 これまでの疑問を口にするが、答えは出てこない。

 一人話しに参加しなかったジェイドが、眉間に皺を寄せ難しそうに考え込んでいるのが見える。

「何か気になることがあったのか?」
「……とりあえず、降下準備を終えてしまいましょう」

 詳しいことはベルケンドに戻ったら話します、と一方的に告げると、ジェイドは話を打ち切った。

 また話を逸らされたと思わないでもないが、まあ、そのうち話すとは言ってるんだ。仕方がないか。

 多少の諦めを感じながら、俺はパッセージリングに向けて超振動を放つのだった。



              * * *




 パッセージリングの操作を終えた俺たちは、再びベルケンドに戻った。

 研究所の前まで来たところで、中から走り出てきたスピノザが俺たちに駆け寄ってくる。

「おお、戻ったか。パッセージリングの操作は成功したようだな」

 どこか気もそぞろな様子で言い募るスピノザに、俺は首を傾げる。

「どうしたんだ、そんな慌てて……?」
「うむ……ワシらもまだよくわかっていない事柄なのじゃが、なるべく早くお前さんたちに伝えておいた方がいいと思ってな」
「何があったのです?」 

 視線も鋭く問いかけるジェイドに、スピノザが顔を曇らせる。

「外郭大地における障気の拡大が、当初の予想を遥かに上回る勢いで進んでいるようなのじゃ。このままでは崩落を待つまでもなく、外郭大地全てが障気に覆われるのも、そう遠い先の話しではないじゃろうな」
「外郭大地全てをって……」

 そんなに障気の拡大は速いのかよ? 思った以上に悪い外郭大地の状況に、俺たちの間にも緊張が走る。

「……ですが、予想を上回ると言っても、まだ対策を講じるだけの猶予はあります。あなたの焦りようを見る限り、何か想定すらしていなかったようなイレギュラーが他に発生しているのでは……?」

 眼鏡を押し上げ冷静に分析するジェイドに、スピノザが苦しげに頷く。

「ジェイドの言う通りじゃ。こちらに関しては、全てが不明のままなのじゃが……同時に、世界中における第七音素の総量が急激な減少を始めているようなんじゃよ」
「第七音素の総量が急激な減少ですか……。では、プラネットストームの活発化は……?」
「うむ。その懸念はワシらも最初に考えた。すぐに確認してみたのじゃが、今のところそのような兆候は掴めておらん」

 二人によると、地殻から組み上げられた記憶粒子から第七音素は生み出され、常に一定量の音素が世界に満ちているという。第七音素が一時的に減少した場合も、失われた分を取り戻そうと、プラネットストームの動きが活性化して、通常は不足分が補充されるのだそうだ。

 だが、スピノザ達が観測する限り、そうした動きは見えないらしい。

「障気の拡大とほぼ時を同じくして起きた、第七音素の減少……。二つの間に何か関連があるのではないか……あなた達は、それを疑っているのですね?」
「うむ。偶然同時期に起きたと考えるには、どちらもあまりに特異な現象だったからの。嫌でもそれを考えてしまう。それに障気と第七音素……どちらもヴァン様が気に掛けて居られた事柄じゃ」

 触媒武器によるパッセージリングへの干渉。それに伴う外郭大地の崩落。やつらの語った、第七音素集合意識体、ローレライの消滅……。

 新たな問題の登場に、沈黙がその場を満たす。

「──ま、あまり考え込みすぎても仕方ありません。触媒武器の計測結果はありますか?」

 ジェイドの問い掛けに、スピノザが我に帰り、脇に抱えていたファイルを持ち上げる。

「おお、そうだった。一応、ここに分析結果をまとめていおいたぞ」
「なるほど、かなり細かい分析結果ですね……」

 受け取ったファイルをジェイドが凄まじい速度でめくり、確認を始める。

「ただ……こちらもやはり、不可解な部分が多いのぅ」

 基本的に創世歴時代の遺物はオーバーテクノロジー。既に失われた技術によって作られている。そうしたものを完全に解析することは、やはり難しいのだろう。

「構成音素の分析過程で、とてつもなく莫大な量の音素が、この武器の内部に蓄積されておるところまでは判明した。しかし、どうにもおかしいんじゃよ……」

 眉をしかめながら、スピノザが俺達に確認する。

「お前達がディストからこの杖を奪った際、闇属性の力を用いた攻撃を受けたそうじゃな?」
「ああ、とんでもない威力の攻撃だったから、今でもよく覚えてるぜ。ジェイドが言うには、物質化するまでに高められた第一音素の攻撃とか言ったっけ?」
「ええ。譜歌の障壁で、最初の攻撃を防いだのよね……」
「あのときは参ったよ。通常攻撃がほとんど効いてなかったのが、一番印象に残ってるな」
「だよね~。あれがディストじゃなかったら、本気であぶなかったよね」

 俺たちの脳裏に、セントビナーで対峙した、闇の衣をまとった譜業兵器の姿が蘇る。

「うむ……」

 だが、そんな俺達の会話に、スピノザが難しい顔になり、ついで突拍子もない言葉を告げる。

「第一音素は検出されなかったんじゃ」

 奇妙な間が、場に降りる。

「は?」

 まるで相手の言ってる言葉が理解できない。呆気に取られる俺達に、スピノザが気まずそうに、もう一度繰り返す。

「だから、あの触媒武器から、第一音素は一切検出されなかったのじゃよ」

 数秒遅れで、完全に理解が追いつく。

 なるほど、第一音素は検出されなかったと。

「って、なんだそりゃ!? 地殻で俺が使用した際も、全部闇属性の力引き出してたんだぜ!? なのに第一音素が一切ないって、おかしすぎだろ!?」
「うむ。そこなんじゃよ。ワシラとしてもどう考えたものか困ってしまってなぁ」

 悩ましげにため息をつくスピノザに、俺たちは顔を見合わせる。

「どうして、そのような結論に……?」
「うむ。その触媒武器に、闇属性の性質をもった音素が蓄積されていることは確かじゃ。通常なら、これで第一音素であると断言できる。じゃが……どうにも第一音素にしては、検出される反応がおかしい。むしろ、あの反応は……」

「第七音素に近い」

 スピノザに渡された資料を確認していたジェイドが、顔を上げる。

「少しも考えなかった訳ではないですが……それでも驚きの結果ですね。ディストの玩具と対峙した際も、あまりに強い闇属性の反応に、第一音素を収束させていると判断したのですが……どうやら私が間違っていたようだ」

 一人納得したように頷くジェイドに、ガイが困惑を顔に出す。

「……よくわからないな。ディストやルークが放っていた力は闇属性のもんだったが、集束された音素の種類は、第一音素じみた第七音素だった。そこまでは理解した。しかし、そもそも、どうして第七音素が第一音素まがいの反応してるんだ?」

 有り得ないだろ、とガイが肩を竦める。

「ええ。確かに異常な結果です。しかし、決して有り得ないとは言い切れません。そもそも第七音素とは、地殻から吹き出した記憶粒子が、六層からなる音符体を通過する過程で、新たな特性をもった音素。その特質として、確たる属性を持たないというものがあることですしね」
「……限りなく第一音素に近い特性を備えた第七音素があったとしても、おかしくないということですか?」
「ええ。この反応の違いにしても、資料から読み取る限り、測定器を用いた精密な計測作業によって、初めてわかるような程度の差異でしかありませんから」

 ティアの確認に肯定を返した後で、ジェイドが眼鏡を押し上げる。

「もっとも、音素の種類を特定する際、この違いは決して無視できませんがね」
「ここまで偏った属性を備えた第七音素というものは、ワシらも初めて目にしたからのう」

 スピノザの言葉に、休憩室でヘンケンとキャシーが言っていた言葉が思い出される。

 あまりに偏った音素の波形、か。

「ともあれ、色々と助かりました、スピノザ。引き続き、状況の監視をお願いします」
「うむ、任せておけ。お主らも、十分、気を付けるのじゃぞ」
「ああ、またな、スピノザ」

 スピノザと別れ、ベルケンドの街を歩きながら、今後の予定に話を移す。

「ところで、残りのセフィロトって、どこにあるんだ?」
「アブソーブゲートとラジエートゲートを抜かせば、イスパニア半島のタタル渓谷か、ケテルブルク近郊にあるロニール雪山のどちらかです」

 なるほど……そろそろ最後が見えてきたな。

「次はどちらに行きましょうか?」
「ロニール雪山はかつて六神将が任務で赴いた際、魔物に襲われて怪我をしたと聞いたことがあります。できれば最後に回した方がいいと思うのですが……」
「……そうですね。地元の住民でも、あの山には滅多に近づきません」
「そんじゃ、まずはタタル渓谷に向かおうぜ」

 特に反対意見が出るでもなく、次の目的地はタタル渓谷に決まった。


 皆が言葉を交わすのを横目に、俺は新たに知った事柄に思考を飛ばす。

 今回ベルケンドを訪れた事で、かなりの情報が集まった。

 障気の急激な拡大。第七音素総量の減少。触媒武器を使用する事で、身体を蝕む汚染された音素の存在。そして、触媒武器の内に存在する……あまりに偏った性質を備えた、莫大な量に登る第七音素。

 こうした情報を踏まえた上で、改めてヴァンの目的を考えたとき、六神将側が触媒武器を使ってパッセージリングで何をしているのか……突拍子もない一つの推測が浮かび上がる。

 ジェイドは未だ何も言って来ないが、俺程度が考えついた事だ。あいつが気づいていないなんて事は有り得ない。皆に説明しないのは、単に俺の考えが間違ってるだけか、もしくは、この推測が確信に至るまでには、まだ欠けたものが存在するか……このどちらかだろう。

「ローレライの消滅……か」

 触媒武器に関する俺の推測が当たっているとしたら、確かにそれも可能かもしれない。

 同時に、まだ俺達にも、打つべき手があるとも言えるだろう。

 だが、俺の中で、乾いた声が囁く。

 お前は何かを見落としていると。

 拭い去れぬ不安に、俺はため息をつき、気分を紛らせるべく、ベルケンドの空を見上げる。

 澄みきった蒼空の向こう、崩落の発生した地平から、紫色の何か──障気が立ち上る光景が目に入る。

 ここまで障気の拡大は酷いのか。そう顔をしかめた瞬間──無数のイメージが脳裏を過る。


 真っ白な部屋。
 時計が秒針を刻む。
 顔のない誰かが、俺に視線を向ける。
 時計が秒針を刻む。
 俺はそれに反応して口を開き───…………


「────ご主人様、大丈夫ですの?」
「……ん?」

 心配そうにミュウが俺の顔を見上げていた。

 何故か寝起き後のように、ぼっとした頭を押さえる。しばらく立ち尽くした後で、俺は苦笑を浮かべながら、ミュウの頭をなでる。

「なんでもねぇよ。大丈夫だ」
「どうしたの、ルーク?」

 立ち止まった俺たちに気づいてか、ティアが訝しげに振り返る。

「いや、何かちょっと立ちくらみがしたみたいなんだが、そんだけだよ」
「本当に大丈夫なの? あなたの身体には微量とは言っても、障気が浸透してるのよ。少しでも異常を感じたら無理は……」
「いや、だから本当に一瞬くらっと来ただけだって。全然問題ない。大丈夫」
「……なら、いいけど」
「心配ですの……」

 尚も心配そうに見やるティアと小動物に、俺は遠ざかりつつある皆の背中を示す。

「大丈夫だって。皆が行っちまうから、俺達も早く動こうぜ」
「そうね。でも……無理はしないでね」
「ああ、わかってるよ」

 俺はティアに苦笑混じりの笑みを返し、皆の後を追いかけるのだった。





 カチリ、時計が秒針を刻むと同時。

 壁にかけられたおびただしい数の時計が、一斉に鐘を打ち鳴らす。

 すべての時計の長針と短針は、十の数字を指し示した位置で互いに重なりあっている。

 時計を見据える部屋の主は声を上げて笑う。


 ──解放の刻は近い。


 ひどく楽しげな声が、どこまでも虚ろに響く。



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  1. 2005/06/30(木) 00:40:51|
  2. 【家族ジャングル】  第六章
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第2話 「地を伝い、風に揺らぐ」


 谷間を吹き抜ける風に草原がさざめく。
 日の光に照らされた渓谷は、かつて訪れた夜の景観とまったく異なる顔を見せていた。

「……ここで、全てが始まったんだよな」

 谷の向こうに広がる海が蒼く澄んだ色を見せる。寄せては返す波が、蒼に白い線を走らせる。

「そう言えば、あのとき不審な第七音素による超振動が検出されたのは、この辺りでしたか」
「確か、親書が届くのを待っていた頃の事ですね」
「あのときはイオン様を見失って大変でしたわ~」

 三人の言葉につられるようにして、ミュウがぴょんぴょん草原を跳ね回る。

「ボクの故郷もこの近くですの~」
「なるほどな。ここらがルークの飛ばされた先だったってことか」
「まあ。話しには聞いていましたけど、かなり遠くまで飛ばされましたのね」

 皆が思い思いの言葉を交わす中で、俺は少し離れた位置に一人立つ。

 渓谷を見やりながら、何ともせわしなく過ぎ去ったここ数カ月に思いを馳せていると、脇に立ったティアが声を掛けてくる。

「……懐かしい?」
「ん……どっちかって言うと、感慨深い、の方が近いかね」

 セレニアの花が風に揺らぐ。

 俺は渓谷から空に視線を転じ、ぼそぼそと口元で言葉を作る。

「あのときはバチカルに戻れば、全て終わりだと思ってたからな。それが、全く違う状況の中で、こうしてまた俺はここに立ってる訳だ……そう思うと、どうしても考えさせられるものがあってな」
「私の事情に巻き込んでしまった形だった……あのときは、本当に申し訳ないと思ったわ」

 未だ申し訳なさそうに告げるティアに向けて、俺はからかうように笑いかける。

「あのときのティアはどうにも義務感でガチガチに固まってたからな。正直、あんまりにも堅物過ぎて、苦手意識とか抱いてたんだぜ?」
「そうなの? でも、思い出してみれば、私があなたに最初抱いた印象も、あまり良いとは言えないものだったわね」
「ん、そうなのか?」
「だって、あなたの言動は貴族とは思えない程、乱暴だったから」
「うっ……そりゃ、そうかもな」

 ティアの思わぬ返しに、さすがの俺も一瞬言葉につまる。

「まあ……お互いさまだったってところかね」
「ええ、それもそうね」

 互いが抱いた相手に対するあんまり良いとは言えない第一印象に、俺たちは顔を見合わせ、クスクスと笑い合うのだった。

「しかし、随分と昔の事みたいに感じるよな……」

 俺は再び空に視線を戻して、これまでの旅路に思いを馳せる。

 過ぎ去った日々。

 これから迎えようとする日々。

 当時は、変わらない明日が訪れるのが、当然だって考えていた。

「結局……俺は、変われたのかな?」

 思わず漏れ出た問い掛けに、彼女は即答することを避ける。

「他人の評価が意味するものが、全てではないわ」

 一旦言葉を切った後で、ティアが少し視線を外す。

「けれど、あなたの覚悟は本気だった。……少なくとも、私はそう思うわ」

 どこか素っ気なく放たれた言葉だったが、そこに込められた思いは彼女の正直な感想だろう。俺は自然と苦笑が浮かぶのを感じながら、口を開く。

「まだまだ、だけどな」
「そうね……まだまだ、だけどね」

 渓谷を吹きすさぶ風に身をゆだね、瞼を閉じる。

 しばらくそうして何をするでもなく佇んでいると、渓谷の探索に出かけていた、ガイの言葉が届く。

「おーい、向こうに流れる小川の方に、セフィロトがあるって話だ」

 ガイの呼び声に従い、思い思いに周囲を探索していた皆が動き始める。

「……行きましょう」
「ああ、そうだな」

 最後にもう一度だけこの景色を目に焼き付け、俺たちはすべての始まりの地に、背を向けた。




              * * *




 タタル渓谷のセフィロトには、妙な仕掛けが至る所に仕掛けられていた。これは進むのに苦労するかと、ある程度気を引き締めて望んだ俺たちだったが、直ぐに肩すかしを食らうことになる。

 セフィロト内部に施された仕掛けは、そのほとんどが、既に解除されていた。

 俺たちはさして先へと進むのに苦労することなく、あっさりとパッセージリングに続く部屋の前まで辿り着く。

「……仕掛けが解除されてるってことは、また六神将の連中か?」
「またぁ? はっきり言って、六神将の持ってる武器、反則だよねぇ」
「そうですわね。今のところ向こう側が退いたのを除いて、負け続きですし……」

 戦闘の予感に、俺たちの間で否応なしに緊張感が高まる。

 実際問題、俺たちは負け続きだ。

 こうして生き残っているのも、悔しい話だが、相手が偶然引いてくれた結果に過ぎない。

 地殻での戦闘は少し毛色が違ってくるが、完全に制御もできないような力に安易に頼ろうなんて気にもなれない。それに使う度毎に、身体が障気に蝕まれるだなんて最悪のオマケまで付いてやがるしな。

 まあ、それでもよっぽど追い詰められた場合は、其の限りじゃないだろうけどな……

「──とりあえず六神将と対峙した際に気を付けるべき点を、整理しておきましょう」

 ジェイドの発言に、皆の視線が集まる。

「……大佐さんよ、それは何か策があるってことか?」
「策、と言う程のものではありません。本当に、簡単なものですからね。これまでの六神将との戦闘と、地殻においてルークが触媒武器を使用した際の行動から、わかったことがあります」
「六神将だけじゃなくて、俺の行動からもなのか?」
「ええ。地殻での触媒武器を使用した際、あなたは情緒面においてかなり不安定になっていました。さらにガイが突撃を仕掛けた際に、リグレットとシンクの交わした会話。ザオ遺跡の戦闘で、あまりに戦闘に固執するラルゴ……」

 メガネを押し上げ、ジェイドは勿体ぶった言葉を告げる。

「そうした事柄から判断するに、触媒武器の使用者は多かれ少なかれ、情緒面において不安定化する兆候が伺えると言えるでしょうね。そして、それは注意力が緩慢になる事に繋がる。
 ……おそらく、そこに何がしかの付け入る隙が生じるでしょう」

 感情が不安定になる……か。まあ、確かにその通りかもしれない。俺が地殻で使った際も、無意味なまでの昂揚する気分と、溢れ出す力の波に飲まれて、状況判断とかがかなり甘くなってたような気がする。

「故に、正面から挑むのは極力避けることが重要です。特に前衛に対して言える事ですが、決して一カ所に止まらず、常に多方面から攻撃を仕掛けるように心がけて下さい」
「わかったぜ。しかし、多方面って言われてもなぁ……」
「お前は苦手そうだよな。まあ、俺がルークに合わせて動くから、お前は好きに動いてくれ」
「そうか? 助かるぜ」

 互いの特性から考えても、動きの素早いガイが俺に合わせてくれるのはありがたい話だったので、俺も素直に頷いておく。

「後衛組に関しては、攻性譜術に拘らず、基本は前衛組を援護するような行動を取って下さい。特に、ティア。あなたの譜歌がおそらく、今後の戦闘においては要になるでしょう。発動のタイミングには十分に気を付けて下さい」
「わかりました、大佐」
「私も基本は治癒術の発動に専念しますわ」
「ん~。トクナガは細かい動きが苦手だし、私は後ろに回って攻性譜術で、ちまちま前衛を援護するって感じかなぁ」

 こうして、俺たちは一通りの作戦を確認し合った。

「しかし、よくよく考えてみると、どれも凄く当たり前の事だって気がしてきたんだが……本気で大丈夫かよ?」

 ジェイドの披露した策は、俺たちにとってさして意外性のあるものではなかった。そのため、思ったよりも気分が盛り上がらない。むしろ、そんな単純なもので大丈夫なのかと心配になってくる程だ。

「ま、それは実際に対峙してみないことにはわかりません。とりあえず今は……」
「今は……?」
「気を付けて先に進むしかないでしょうねぇ」

 ジェイドがばっさりと俺の不安を切り捨て、さっさと前に歩き出す。

 ……確かに、言ってることは正しいんだが、作戦を提案した当の本人の口から聞かされると、むしろ不安が増すのを感じるよなぁ。

 何とも言いようの無い空気に包まれながら、俺たちは歩みを再開する。

 巨大な送風機のようなものが設置された部屋に行き着いたところで、さして離れていない場所から、何者かか言い争うような声に混じって、剣劇の交わされる音が響く。

 俺たちは一瞬顔を見合わせた後で、陣形を整える。

 慎重に気配を押し殺しながら、先に続く通路に足を踏み入れる。

「──ヴァンはどこに居る! 答えろっ!!」

 真紅の長髪が流れる。

 踏み込みと同時、突き出された切っ先が空を切る。

 黒の教団服をまとった男──アッシュは舌打ちを漏らし、視線を部屋の中央に飛ばす。

「質問に答えろ、シンク!」

「──まったく、うるさいね」

 セフィロトから立ち上る音素の光を背後に立ち、仮面を付けた男──シンクが鬱陶しそうに吐き捨てる。

「いずれわかることだって言ってるだろ? 僕は忙しいんだ。あんたの相手をしてるような暇はない……ん?」

 言葉の途中で、シンクの視線が俺達を捉える。

「……あんた達か」

 シンクの言葉に、アッシュが獲物を構えたまま、一瞬だけ俺たちの方に視線を向ける。

「ちっ……能無しか」

 こんなときまで憎まれ口を叩かなくてもいいだろうに……まったくよ。

 俺は多少呆れ混じりに、アッシュに呼びかける。

「手を貸そうか、アッシュ?」
「……お前たちは退がってろ。俺はこいつに聞くことがある」

 きっと睨み付けるアッシュに、シンクが僅かに考え込むように顎先を押さえる。

「ふん……まあ、どっちも揃ってるならいいか」

 話が掴めない俺たちを余所に、シンクが口を開く。

「ヴァンから伝言だ。一度しか言わないから良く聞きな」

 ヴァンからの伝言だって……?

 何の事かと俺達が問い質すよりも先に、シンクが一方的に告げる。

「『我が下に降るか、それとも敵対するか。いずれにせよ彼の地で、お前達の答えを聞き届けよう。──アブソーブゲートで待つ』……伝言は、そこまでだよ」

 シンクは肩を竦めて、そこで話は終わりだと示して見せた。

「……アブソーブゲートって、確かプラネットストームの一つか?」
「ああ、セフィロトの収束孔だな」

 なぜ、そんなところを指定したのかわからないが、これでヴァンの居場所は把握できた。

 だが、求めていた答えを得たというのに、アッシュが尚も不審そうにシンクに問いかける。

「どういうつもりだ? ……なぜ、今になって奴の居場所を明かす?」
「あんたもかなり耄碌してるんじゃないの? ヴァンの計画に超振動が必要不可欠だってのは、前から知ってたはずだ。必要な駒を誘導するために、わざわざ教えてやったに決まってるじゃないか」

 俺たちの存在を駒と言い切る相手に、アッシュが眉間に皺を寄せる。

「ともかく、伝言はそこまでだ。僕は帰らせて貰うよ」
「待てっ!」
「……何だい?」

 面倒そうに振り返った相手に、アッシュが剣を突き付ける。

「貴様をここで見逃す道理は何もない。──ここで、討ち取らせて貰おうか」

 腰を落とし宣言するアッシュに対して、返されたのは嘲笑だった。

「はははっ! 結局、ヴァンの良いように動かされるしかなかったあんたが、僕を倒す?」

 笑い声が途絶えると同時、異様な空気がシンクを中心に渦巻き始める。

「随分と笑わせる話しだけど……少し、不愉快だね」

 シンクの腰に吊るされた長剣が、不気味な鼓動を刻んでいた。刀身に当たる部分が羽のような形状をした、どこか神聖な雰囲気を感じさせる長剣だ。

 そして、俺たちはあの剣に見覚えが合った。

 あれは地殻でシンクに奪われた触媒武器の一つ──聖剣、ロストセレスティ。

 俺たちの視線に気づいてか、シンクが不敵に口端をつり上げる。

「この前は第一奏器に遅れを取ったけど、今度はそうはいかないよ」

 セフィロトから立ち上る音素の光が明滅し、巨大な力の顕現を前に大気が鳴動する。

「ちょうどいい肩慣らしだ。ここで──死んでいきな」

 片手で抜き放たれた長剣が、俺たちに突きつけられた。


 暴風が、大気を掻き乱す。


 収束する膨大な音素の流れに空間が歪み、シンクの手に握られた剣から生じた旋風は、一瞬にしてセフィロトの天井に届かんばかりの嵐へと成長する。

「第三奏器──《風刃》ロストセレスティの力……その身に刻むんだね」

 轟と音を立て逆巻く深緑の風の中心に立ち、六神将──烈風のシンクは告げた。

 くっ……また触媒武器が相手か!

 とっさに陣形を整え、相手の出方を伺いながら俺は小声で囁く。

「アッシュ、もうこうなったら一蓮托生だ。グダグダ言ってねぇで、俺たちに協力しろよ」
「ちっ……仕方ないか」

 尚も嫌そうに頷くアッシュに、俺は呆れ混じりの言葉を返す。

「ったく、お前はとことん単独行動に拘るよな」
「ふん……言ってろ、能無し」

 俺と罵り合った後で、アッシュがジェイドに視線を飛ばす。

「メガネ、聞け。奴らは触媒武器を使って、特定属性の音素を無尽蔵に行使する。だが、一度に放出できる音素の量は、使い手の状態に見合ったものでしかない。この意味がわかるな?」
「……なるほど、そういうことでしたか。納得です」

 他の皆もアッシュの解説に対してしきりに頷いてる。が、どうも俺にはよくわからんままだった。

「あー結局、どういう意味だ?」

 正直に問いかけた俺に、アッシュがバカにしたような視線を向ける。

「な、何だよ」
「ふん……結論から言えば、奴らも負傷を与えて行けば、身体の方が引き出した力に耐えられなくなるって話しだよ。だが、テメェには言うだけ無駄か」

 最後に鼻を鳴らすと、アッシュがシンクに向けて切り込んで行った。

 って、いきなりかよ! 俺がアレな質問したのは確かだけどさ、それでもちょっとくらいはこっちとの連携とか考えてもいいだろうによぉ…………。

 俺は頭が痛くなるのを感じながら、先を行くアッシュの背中を見据えた。そんな俺に、ジェイドが苦笑を漏らす。

「まあ、とりあえずアッシュに合わせる形で、ガイとルークも動いて下さい。基本は先程話した通りの方針で、お願いします」
「ま、それが妥当な所だろうな」
「アッシュが主体かよ……まあ、あいつとの連携は始めてだから、ある意味、仕方ねぇか」

 俺とガイも覚悟を決め、それぞれ別方向から、荒れ狂う暴風に立ち向かう。


 ──ここに三度目となる、響奏行使者との戦闘の幕が上がった。




               * * *




 風は其処にある。

 大気を満ちる流れ、偏差より生じる揺らぎ。

 世界に存在するありとあらゆるものが、風の中で生きている。

 風は乱れない。

 風は掴めない。

 風は穿てない。

 故に、風は四属性において──最強足り得る。

 第三奏器──《風刃》ロストセレスティ。


 烈風のシンクが駆る武器の名が、それだった。




              * * *




 速い。

 思考を占める単語は、ただ一言に埋めつくされる。

 自らの認識を超えた速度で、深緑が視界の端を揺らぐ。

 揺らぎを認識した瞬間──俺は本能に突き動かされるまま剣を突き出す。しかし、絡み付く風が俺の身体の動きを阻害する。頭の命じた行動から、一泊遅れで突き出された剣先は虚空を射抜く。

 外した。そう理解するよりも先に、本能が俺に告げる。

 ──来るっ!

 吹きつける風が勢いを増す中、絡み付く風を強引に振り切って、俺は身体の位置をずらす。

 視界の端に映る仮面。唯一さらけ出された口元が笑みに歪み、逆手に握られた刀身が降り下ろされた。

 大気を切り裂く烈風。

 生じた真空の刃が地面を穿つ。俺の身体が一瞬前まであった場所に、あまりにも鋭利な切り口が刻まれる。生じた余波によって、俺の身体にも無数の裂傷が刻まれたが、この程度の傷に意識を割いているような余裕は存在しない。

 傾けた身体の勢いもそのままに、俺はその場から全力で横に飛ぶ。

「遅いね」

 吹きつける風が勢いを増し、俺の動きを阻害するように足元に絡み付く。だが、ここに居るのは俺だけじゃねぇっ!

「くたばれっ!」

 動きの止まったシンクに向けて、アッシュが剣を薙ぎ払う。

 って、その技は、ヤバ……っ!? 俺は激しく動揺しながら、慌ててさらに間合いを離す。

 俺が地面を蹴るのとほぼ同時に、アッシュの技が完成する。

《──烈震!》

 突き出された剣先が大地を穿ち、放たれた衝撃波が虚空を駆ける。

《────天衝!!》

 刀身に収束された音素が広範囲に衝撃波をまき散らし、シンクに突き進む。

「ふん……この程度!」

 シンクが《風刃》を握った片手を前方に突き上げる。刀身から発生した真空波が、地を這う衝撃波とぶつかり合って、一瞬で相殺される。

「まだまだ遅いね」
「──テメェがなっ!」

 衝撃波によって巻き上げられた粉塵に紛れ、アッシュが渾身の刺突を放つ。迫る剣先が相手に触れたかと思われた瞬間──再びシンクの姿が掻き消える。

「ほら、やっぱり遅い」

 アッシュの背後で、烈風が囁く。

「っ!? ────ちっ!!」

 振り返りざまに切り上げられた斬撃は、やはり何者も捉えることはできなかった。

「やれやれ、手応えが無さ過ぎだよ」

 相手の姿を見失った俺たちに向けて、嘲りの声が届く。

 いつのまにか、最初の立ち位置に戻っていたシンクが、馬鹿にしたように肩を竦めて見せた。

 明らかな挑発を前に、しかし俺たちの口から反論がなされることはない。

 なぜなら、戦闘が始まって以来、これが初めて、俺たちが敵の姿をまともに視界に捉えた瞬間だったからだ。

 ラルゴの操る焔は全てを燃やし尽くす──圧倒的なまで火力だった。

 リグレットの操る氷は一点に研ぎ澄まされた──正確無比な氷弾だった。

 しかし、シンクの操る風は、そのどちらとも異なる性質を備えていた。

 腕の振り上げ、足の踏み出し、地を蹴る重心の乱れ──あらゆる動作に、シンクの全身を覆う風が僅かな後押しを加える。これまで他の六神将が振るっていた力と比べると、あまりに些細な力に思えるかもしれないが、結果として、シンクは絶対的な《速さ》を手に入れた。

 言葉にすると地味に聞こえるかもしれないが、これは単純な攻撃能力よりも厄介だ。攻撃が届くなら、まだやりようがある。だが、誰も追いつけない速さを前には、いかなる攻撃も意味を無さない。

 その上、吹き荒れる風は敵対者にも絡みつき、細かい動作を阻害する。それは力を込めればたやすく振り払える程度の拘束だったが、それでも相手の速さに対応するには、致命的な動作の遅れを生んだ。

 何人も追いつくことさえ許されない──人間の限界を超えた速さ。

 それこそが、第三奏器がシンクに与えた力だった。

「いや、僕が強くなり過ぎたのかな? どっちにせよ無様な事だね。はははっ!」

 逆手に握った深緑に染まるロストセレスティの刀身を掲げ上げ、シンクが口元をつり上げ笑う。その様子に、ジェイドが言っていた触媒武器の使用者は、精神が不安定になるという推測が思い出された。

 そして、昂揚する精神が、確かに無視できない類の隙を生じさせた。

「一人で笑ってるんだな」

 シンクの背後で声は響く。気配を殺し移動を続けていたガイの姿が、そこにはあった。

「───秋沙雨っ!」

 突き出された刀身が霞むと同時──収束された音素によって、視認不可能な領域にまで引き上げられた無数の突きが放たれる。

 だが、その切っ先も、虚空を射抜く。

「残念だったね」

 一瞬にしてガイの背後に回り込んだ烈風が拳を放つ。無防備な背中に突き当てられた拳を起点に、暴力的なまでに高まった突風が、ガイの身体を空へと吹き飛ばす。盛大に空中を舞ったガイの身体が、地面に落ち───

「まだだ───裂空斬っ!」

 地面に叩きつけられる寸前で、ガイが身体をひねり足先から着地、そのまま地面を蹴って、一足飛びにシンクとの間合いを詰め、回転の勢いもそのままに刀を振り下ろす。

 この行動は予想外だったのか、初めてシンクが回避ではなく、刀身で受けることを選択する。

 金属同士が擦り合う、耳障りな高音が周囲に響く。

「へぇ……なかなか速いじゃないか」
「そいつは光栄だな。だが、俺はまだまだ本気じゃないぞ?」

 交錯する刀身越しに放たれた明らかなガイの挑発に、シンクが興味深そうに口元をつり上げる。

「面白い。──なら、どこまで着いて来られるか見て上げるよ」

 押し合う刀身から力を抜くと同時、シンクの姿が掻き消える。

 逆巻く風がガイを中心に荒れ狂う。視認不可能な速度で、ガイの四方から無数の斬撃が放たれる。弧を描くようにして放たれ行く神速の連撃を前に、ガイが吼える。

「まだまだ遅いなっ!」

 挑発混じりの宣言と同時に、凄まじい速度でガイの剣先が翻り、放たれる斬撃を次々と弾き返す。加速度的な勢いで、ガイの全身に無数の裂傷が刻まれていくが、それでも急所への一撃は確実に防いでいるのがわかる。

 だが、防戦一方に回っていることに変わりはない。このままでは、限界もそう遠くないはずだ。

 援護に向かおうと駆け出した俺を、しかしガイは呼び止める。

「俺に構うな! 任せたぞっ!」 

 俺が時間を稼ぐ間に、策を練れ。力強く語る瞳に押されて、俺も自らの足を止める。

 冷静になれ。ガイの言葉は正しい。ただ闇雲に向かったところで、このままでは勝機を見出せない。ならこの場で最善の行動とは──勝機を作り出すことだ。

 俺はこの場で誰よりも冷静に戦況を把握しているだろう相手に向けて、歩み寄る。

「……どうする、ジェイド?」

 厳しい表情でガイとシンクの高速戦闘を見据えるジェイドに、俺は硬い声で問いかける。それにジェイドが自分の考えを喋りながらまとめるように、ゆっくりと口を開く。

「……これまでの相手のように、圧倒的なまでの量の音素に頼った、純粋な力押しの攻撃なら、まだ付け入る隙がありました。しかし、ただ速いということが、これ程までに厄介とはね……」

 ジェイドの発言を受けて、他の皆が次々と自身の状態を申し出る。

「譜術で狙いつけても、放った後で、かわされちゃうなんて、ちょっと反則すぎるよ!」
「矢は風に阻まれ、そもそも攻撃を放つ事さえ不可能ですわ」
「……後衛が、完全に無力化されているわね」

 そう、後衛からの攻撃はシンクに届かない。何ともデタラメな話だが、攻撃が放たれたのを目で見て確認した後で、シンクは軽々と攻撃の軌道から身を引き、悠然と回避する。

 しかし解せないことに、もはや無力化された後衛に向けて、シンクの方から攻撃を仕掛けてくるような気配は無い。

「……私たちに狙いを付けないのは、相手にまだ慢心がある証拠」

 つまり、いつでも潰せる相手よりも、今は自分の動きに着いて行けるガイとの戦闘に御執心ってことか。

「最悪だな……完全に嘗められてるってことか」
「ええ、でもそこに付け入る隙があるかもしれない」

 確かにな。その余裕があるからこそ、俺たちはこうして策を練る事ができているんだ。なら、今はありがたく受け取って、その過信を覆す方策を考えさせてもらうまでだ。

「とりあえず相手の足を止めない事には、後衛はどうしようもないって俺は思うんだが……何か策はあるか、ジェイド?」

 ずっと無言のまま皆の言葉を聞いていたジェイドが、初めて顔を上げる。引き結んだ口を開き、顔の前で指を一本立てて告げる。

「一瞬です。一瞬でいいので、相手の動きを止めて下さい。その後なら、私が何とかして見せます」
「わかった。任せろ」

 即答した俺に、ジェイドが僅かに表情を崩して、お願いします、ともう一度繰り返した。ジェイドにしては珍しい行動だったが、それだけ要求された事柄の困難さが伺える。

 視線の先では、逆巻く風と同化するように凄まじい速度で戦場を駆け巡る烈風の姿があった。今はガイに合わせて動いているため、辛うじて目で追う事も可能だったが、本気を出したとき、俺は相手の動きを視認することすら出来なくなる。

 そんな相手の動きを止める。

 あまりにも、困難な要求だった。

 だが、絶対に達成不可能な事を、ジェイドは要求しない。その難しさを知った上で、ジェイドが俺に求めた指示だ。

 なら、俺は覚悟を決めて、要求に答えるまでだ。

「……話は、まとまったのか?」

 静かに佇んでいたアッシュが、俺に声を掛ける。

「ああ。とりあえず、相手の動きを止めるのを目指すことになった」
「ふん……策とも言えんような方針だが、無いよりマシか」

 アッシュが吐き捨てると同時、今にも突進せんばかりの勢いで構えを取る。

「って、だから、一人で突っ込むなって! まだ説明の途中だ、アッシュ」
「ちっ……何だ?」

 忌ま忌ましげに俺を睨み付け、アッシュが不承不承ながらも動きを止める。

「ただバラバラに向かって行くだけだと、さっきみたいに個別に潰されて終わりだと思うんだよ」

 おそらく今のシンクの反応速度をもってすれば、如何に多数で襲いかかられようとも、連携がなってない個の集まりでは、幾ら人数が居ても、常に一対一で戦っているのとさして変わらないはずだ。

「……確かにな。続けろ」

 偉そうに促す相手にムカツキを覚えるが、今はこいつの協力も必要だ。

「だから、俺なりに考えてみた。俺もガイの隙を補う形で前に出て、相手の意識を分散させる。二人係で何とか相手に隙を作るから、アッシュ。お前は相手に隙が出来る──その瞬間を見計らって、相手の動きを拘束するような地属の大業を放ってくれ」

 アッシュがピクリと片眉を上げ、俺の本気を伺うように目を覗き込む。

「能無し……テメェ、本気か?」

 アッシュの瞳には明らかな疑念が浮かんでいた。

 だが、それも当然だろう。

 ラルゴと違い、シンクの操る風は一撃一撃の攻撃の威力はそう高くはないようだが、その分身体能力の向上が凄まじい。一歩一歩の移動にも身にまとう風が後押しを放ち、神掛かった起動を可能にしている。

 そんな相手の動きを止めるには、かなり綱渡り的な行動を取る必要が合った。

 まずそれなりに連携の出来る何人かで前に出て、相手の意識を引きつけその動きを限定する。続いて、中距離に控え攻撃の推移を見据えていた者が、隙が出来るであろう瞬間を見計らって──予測による攻撃を、事前に放つ。

 予測が失敗すれば、シンクの気を引いていた者達にも、攻撃は命中する。

 よほど信頼できるような相手にしか任せたくないのが正直な所だ。アッシュ自身、そんな重要な役を普段から目茶苦茶言ってる相手に任せる俺の言葉が信じられないのだろう。

 しかし、今は好き嫌いを言ってられるような状況じゃない。

「後衛があの高速戦闘に合わせのは無理な話しだろ? なら、俺たちのどっちかが音素収束させて、大業を放つしかない。そして俺とお前じゃ、ガイとの連携に慣れてるのは俺の方だ。消去法で、後はお前しか残ってない。なら、任せるしかないだろ?」

 淡々と事実のみを告げる答えに、一瞬黙り込んだ後で、アッシュが俺に視線を合わせる。

「てめぇの指図は受けん……と言いたい所だが、そうも言ってられないか。
 能無し、シンクの動きを止めたと確信した瞬間、心の中でいい。俺に向けて叫べ」

 不可解な要求に、俺は首を捻る。確かに単純な合図があるだけで、成功率が上がるのは確かだが、声を掛け合うような暇はないはずだ。それに、心の中だって?

「声に出さなくてもいいのか?」
「ああ。それで十分だ。あとは、できる限りシンクに視線を据え続けろ。俺がテメェに要求するのは、それだけだ」
「まあ、よくわからん指示だが、努力するよ」

 奇妙な指示に困惑しながら、とりあえず同意を返す。俺が頷いたのを見やると、アッシュがいつもの調子で憎まれ口を叩き始める。

「俺の足だけは引っ張るなよ、能無し」
「はっ! そっちこそしくじるなよ、このデコッパゲ」
「で、デコ……!? ちっ……くたばれ、クズがっ!」

 動揺するアッシュに多少満足感を覚えながら、俺はガイの下に駆ける。

 視線の先で、ガイとシンクの二人は互いに剣戟を交わしている。生来の素早さをもって次々と放たれるガイの連撃を、しかしシンクは軽々と捌く。

「遅い、遅い、遅すぎるね。そんなんじゃ、一生僕を捉えることすらできないよ?」

 口元をつり上げ、シンクが余裕そのものと言った感じで嘲り笑う。

 はっ、その慢心が、どこまで続くか見せてもらおうかっ!

「──こいつはどうだっ!」

 剣を打ち合わせる二人の間に正面から突進する。意表をつかれたように僅かに身体を退く相手を追って、剣先を下方に逸らしながら、刀身に収束させた音素を広範囲に解き放つ。

 ───魔王絶炎煌

 刀身から放射状に放たれた焔が、周囲の空間を焼き尽くす。

 猛り狂う焔が相手を飲み込んだ──そう思った瞬間、相手の姿が掻き消える。

 ついで響いた声は、俺の背後から響いた。

「受けてみな」

 足元に、展開された譜陣が視界の端に移る。これは、マズっ、避け───

「───昴龍礫破!」

 引き出された音素が、爆発的な勢いで荒れ狂う。解き放たれた力は暴風となり、背後から突き出された拳を伝って、俺の脇腹を穿つ。

「くっ!!」

 辛うじて引き寄せた刀身を中心に、衝撃が突き抜ける。生じた突風に切り刻まれながら、俺は苦悶の声を漏らし、少しでも技の威力を殺そうと後方に飛ぶ。

 しかし、俺の一撃も無駄にはならなかったようだ。

 技を放つ際、空中に僅かに飛び上がったシンクの背後。剣を振り上げるガイの姿があった。

「───虎牙破斬っ!!」

 切り上げが相手の刀身に防がれる。だが同時にたたき込まれた蹴りに体勢が崩され、切り下ろしが命中する。

 その一撃はシンクの周囲を渦巻く風の障壁に弾かれ届かなかった。だが、とりあえず今は効くかどうかは関係ない。僅かに硬直したように身体をのけぞらせた相手を見すえ、俺は覚悟を決める。

 この相手の動きを──今こそ止める!

「行くぜっ!!」

 地面に接触するまでに低く腰を落とす。剣を握った腕を限界ギリギリまで背中に引き絞り、地を駆ける。視線の先には未だ空中に浮かぶシンクの無防備な姿。

 ───飛燕!

 全身のバネを利用しながら、引き絞った刀身を虚空に浮かぶ相手に向けて放つ。甲高い音を立て刀身が弾かれるが、その勢いすら利用して独楽のように回転、続けざまに怒濤の連撃を叩きつける。

 ───瞬連斬!!

 一撃、ニ撃、三撃、四撃───

 流れるようにして放たれた無数の斬撃が、シンクの全身を虚空に縫い付けたまま切り刻む。相手にダメージは与えられていないようだが、それでも間断なく放たれる連撃を前に、シンクは停滞を余儀なくされる。

 最後に渾身の切り降ろしを叩き込みながら、俺は心の中で叫ぶ。

 ───隙を作ったぞっ、アッシュ!!

 最後の一撃の反動を利用して俺が間合いを離すと同時、後方からアッシュの裂声が轟く。

「上等だ、能無し! ──来やがれっ! 地の顎!」

 地面に突き刺された剣先を中心に、溢れ出す第二音素が地を駆ける。

《──魔王っ!》

 隆起した地面が牙となって、シンクの身体を捉える。

《────地顎陣!!》

 虚空より降り下ろされた斬撃が牙にとらわれたシンクに命中──仮面が音を立て爆ぜ割れた。

「がぁっ!?」

 短い苦悶の声が上がる中、地面から伸びるアギトは尚もシンクを拘束したまま離さない。

 シンクの動きはこの瞬間、完全に停止した。

「これを待っていた! 行きますよ、アニス!」
「了解、大佐!」

 ジェイドとアニスを中心に、爆発的な勢いで音素が収束する。複雑な詠唱を唱え始めるジェイドに先んじて、まずアニスの譜術が完成する。

「なんでもかんでも降りそそげ───ロックマウンテン!」

 虚空に収束した第二音素が巨大な岩石の鉄槌となって、シンクに降り注ぐ。次々と降り注ぐ落石の衝撃を前に、風の勢いがごっそりと削り取られ、一気に衰えて行く。

 そして、絶妙のタイミングで、ジェイドの譜術が完成する。

「この重力の中で悶え苦しむがいい───グラビティ!」

 空間が、歪む。

 超重力の軛が地を穿ち、降り注いだ落石の上に広がる領域は全てを押し潰す。円球状に広がる領域は、その内に存在するありとあらゆるものを捻じり、引き裂き、押しつぶして行く。

「ぐぁぁあぁぁぁぁぁっ────…………っ」

 蹂躙される空間の中心で、一際高い絶叫が上り──


 雷の閃光が、全てを覆す。


 超重力の楔が完全に崩壊し、現れたシンクを中心に、突風と放電が周囲を荒れ狂う。

「──いい加減、うざったいんだよっ!!」

 額から鮮血を滴り落としながら、素顔を露わにしたシンクが嵐の中心で叫ぶ。

「連撃、行くよ!!」

 逆手に握られた刀身は深緑に染め上げられ、荒ぶる乱流の息吹がシンクの両腕に収束する。

《──疾風!》

 収束する風に混じり放電する両腕が、わずかに後方に引き絞られる。

《────雷閃舞!!》

 両腕を起点に発生した雷と暴風の鉄槌が、無防備になった後衛に向けて、解き放たれた。




              * * *




 結論から言うと、シンクの攻撃は命中した。

 だが──それだけだった。

 暴風は絶妙のタイミングで出現した障壁に遮られ、届かなかった。

「なっ……!?」

 シンクが驚愕に目を見開く中、障壁の向こうから声が届く。

「………崩落の衝撃にすら耐えぬいたユリアの譜歌。
 さすがの触媒武器による一撃も、破る事はできなかったようですね」

 メガネを押し上げ、ジェイドがしてやったりと笑う。

「過信が過ぎましたね。たとえ触媒武器を用いた一撃だろうと、譜歌の障壁は敗れない。これは既にセントビナーにおける攻防でも、証明されていることですよ?」
「!? ディストの奴か!」

 ティアの奏でた譜歌による障壁が、触媒武器を用いた秘奥義級の一撃にも有効なことは、ディストの操る譜業兵器との戦闘において既に証明されていた事柄だ。展開のタイミングさえ掴めれば、防ぐことは可能だった。

「いや……でも、前衛まで障壁は届かなかったみたいだね」

 ジェイドの解説を聞くうちに、多少は冷静さを取り戻したのか、シンクが周囲を見やる。

 言葉通り、障壁の及ぶ範囲に居なかった前衛たる俺たちの間には、決して少なくない負傷が見える。

 俺やガイは放電の余波をモロに喰らってしまった。今は地面に剣を突き刺して、何とか身体を支えているような状態だ。アッシュなどはさらに酷い。ちょうど立ち位置が後衛の延長上に居たもんだから、脇腹を嵐に多少もっていかれている。

 そんな満身創痍の俺たちに向き直り、シンクが自身も負傷に呼吸を荒らげながら、ゆっくりと拳を構え直す。

「こいつらの息の根を止めるぐらいなら、それこそ一瞬で……」
「やれやれ。これまで何が起きたのか、わざわざあなたに説明していた理由が、わかりませんかね?」
「なんだって……?」

 肩を竦めて見せるジェイドの意味深な言葉に、シンクが思わず拳の動きを止めて聞き返す。

 そして、詠唱は此処に完成する。

「優しき癒しの風よ───ヒールウインド!」

 どこか温かい治癒の風が俺たちの間を吹き抜ける。ナタリアの放った治癒術によって、俺たちの負傷は急速に癒されていく。

「詠唱の時間を稼ぐ為に、決まっているじゃありませんか?」

 ニヤリと口端をつり上げ、ジェイドがこれまでの行動の真意を告げる。

 シンクが呆然と回復する俺たちを見据えた後で、我に帰って、大きく首を振りながら叫ぶ。

「でも、まだだ! 確かにこっちも負傷はしたけど、もう同じ手は喰わないよ。あんたらが僕の動きについて行けない事に変わりはないんだ。一撃離脱を繰り返して、確実に止めを……」

 言いながら一歩足を踏み出した所で、シンクが不可解そうに眉根を寄せる。全身を覆う風の流れが、先程までと比べて、明らかに停滞しているのが傍目にもわかった。

「風の動きが……鈍い? ───っ!? さっきの譜術か!」
「ええ、先程私の放った譜術の追加効果に、対象の移動速度を削るというものがあります。
 ──つまり、あなたの特性は既に死んだも同然と言うことですね」
「くっ……」

 ジェイドの畳みかけるような宣告に、ギリギリとシンクが歯を食いしばる。

「では皆さん、一気に行きますよ!」

 ジェイドが詠唱を始める。

 額から血を滴り落とすシンクに、俺たちも剣を構えて向き直る。

「くっ……嘗めるなっ!」

 シンクが逆手に握った剣を構えると同時、剣を中心に音素が収束する。荒れ狂う風が再び周囲に放たれる寸前、攻撃の気配を事前に感じ取ったガイが飛び出す。

「させるか──弧月閃っ!」

 一瞬で間合いが消失。抜き打ちを放たれると同時に、返しの刃が降り下ろされ、シンクの肩を穿つ。

 斬撃自体は身にまとう風に弾かれ届かなかったようだが、それでもシンクは攻撃が自らに命中した事実に対して、屈辱に打ち震える。

「ぐっ……! この程度の攻撃が、避けられないなんてね……」

 ガイの攻撃自体は認識していたようだが、身体がまるで反応に追いついていないようだ。

「異常なまでの速さが無くなったと言っても、風の障壁とか、馬鹿げた量の音素はまだまだ残ってるんだ。二人とも、油断するなよ!」

 ガイが忠告を飛ばしながら、シンクに張りつく形で、次々と攻撃を仕掛けて行く。だが未だ残る風の障壁が、斬撃をそう簡単には通さない。

「……さすがに硬いか」

 呟きながら構えを取るアッシュに、俺は思い付いた言葉を掛ける。

「アッシュ。とりあえず、俺も前に出るからさ。お前もさっきやったみたいに、機を見て地属の技で援護してくれよ」

 見た限り、かなり効いてるみたいだったしな、と言葉を続けようとした所で、アッシュが黙り込んで、俺を睨んでいることに気付く。

「あん? なんだよ?」
「……ふん。何も考えてないだけか。バカは気楽で結構だな」

 何やら俺の真意を確かめるように目を覗き込んだ後で、口元で小さく吐き捨てる。

 よくわからんが、バカにされたことだけは確かなようだ。ムッとする俺に向けて、アッシュが同意を返す。

「いいだろう。だが、テメェに手を貸すのは、これが最後だ。それを忘れるなよ」

 あくまで反発するアッシュに、俺は今度こそ苛立ちを通り越して呆れ果てた。

「お前さ、いつまで意地はってるつもりだよ。いい加減、俺に当たり散らすの止めてくれ。正直、お前の態度は俺には到底理解できねぇぜ」
「……テメェみたいな、お気楽野郎に、わかってたまるか」

 吐き捨てるアッシュに、俺は言葉を返そうとするが、それを遮って相手は一方的に告げる。

「援護はしてやる……行ってこい」

 いまだ釈然としないものが残ったが、その言葉を最後に会話を打ち切り、俺もガイに混じってシンクの追撃に加わる。

 俺とガイがシンクに張りつく形で動きを拘束し、機を見てアッシュが中距離から音素を載せた一撃を放つ。さらに移動速度が落ちたことで、後衛から放たれる譜術もシンクに命中するようになった。

 先程までと違って、俺たちの攻撃は確実に相手に届き、ダメージを蓄積させて行く。

 次々と繰り出される攻撃を前に、シンクは一方的に押され続け──遂に限界が訪れた。

「ば、バカな……この僕が、負ける?」

 積み重なった負傷と疲労感に、シンクがその場に膝を着く。

「ここまでだな」

 シンクの前に立ち、俺は剣を構える。

 顔を歪め、シンクが憎悪に燃える瞳で俺を睨み返す。

 ……未だに慣れない行為だが、それでも俺は覚悟を決める。

「これで……終わりだっ!」

 振り上げた剣がシンクの首を斬り飛ばそうとした、そのときだ。

 意外なところから、制止の声が届く。

「待ってください、ルーク!」

 進み出たイオンの言葉に、俺は困惑する。

 だが、相手の瞳に浮かぶ真剣な思いに、気付けば剣を引いていた。

「どういう、つもりだ……?」

 シンクが苦痛に顔を歪めながら、イオンに問いかける。

「シンク、僕らは同じ存在です。なら、あなたも僕たちと一緒に……」

 懸命に呼びかけるイオンに、シンクが顔を憎悪に歪める。

「──ありえないね」

 明確な拒絶が返された。

「それだけは、絶対に……無いよ」

 顔を俯け、拳を握りしめるシンクに、俺は思わず問いかけていた。

「……どうして、そこまでして、お前はヴァンに仕えるんだよ?」
「違うね。僕の望みとヴァンの目的が、たまたま同じ方向にあった。それだけだ」

 僕らは互いに利用しあっているに過ぎない。そう答えた後で、シンクが俺を見据え、悪意に満ちた笑みを浮かべる。

「レプリカルーク、僕は預言してやるよ。
 あんたはきっと、この世界に絶望する。
 この世界には端から救いなんか存在しないんだ。崩落を治める? 障気に対処する?
 全て、無駄だよ。笑っちゃうね。そんな小さい事に幾ら対処しようが、何も変わらない。
 だって、この世界はどうしょうもない程に──終わりきっているんだ。
 ヴァンなら、きっとやってくれるはずだ。この無意味な世界から、全てを解放してくれる」

 くくと声を漏らして、シンクが虚ろに笑う。

「どうせ……最後には、みんな消えるのさ」

 絶対的な断絶の言葉を前に、イオンが苦悩に顔を伏せる。

 このまま剣を降り下ろすことに躊躇いを感じていると、俺の肩に手が載せられた。

「……できないなら、退いてろ」

 乱暴に俺の身体を脇に押し退け、アッシュが前に進み出る。

「ここで、くたばれっ!」

 アッシュの突き出した剣がシンクに突き出された。

 刀身がシンクを射抜くかと思われた瞬間──シンクの足元を中心に一瞬で譜陣が展開され、閃光が視界を染め上げる。

『っ!?』

 降り下ろされた剣先が地面を弾く音が、セフィロトに虚しく響き渡る。

 視界が戻ったときには、シンクの姿はこの場から、消え失せていた。

「ちっ……逃がしたか」

 忌ま忌ましげに吐き捨てるアッシュに、俺はイオンを気にしながら口を開く。

「……まあ、殺すまでは行かなくても、あの傷だ。当分戦闘は無理だろうし、今はそれで良しとしようぜ?」

 俺の言葉に、アニスが場の空気を変えようと同意を返す。

「うんうん。アブソーブゲートで総長と対決する頃には、絶対間に合わないだろうしね」
「そうだな。向こうの戦力を削れただけでも、十分な結果だろう」

「ふん……つくづくテメェらは甘いな」

 苦々しそうに俺達を見据えた後で、アッシュは直ぐに遠くを見据える。

「しかし、アブソーブゲートか……残るセフィロトはロニール雪山と二つのゲートだったか?」
「ええ、そうですわ」

 頷く俺たちに、アッシュが何事か考えるように口を閉ざす。

「気付くのが遅すぎたな……こうなったら、奴の誘いに乗る以外にないか。忌ま忌ましい……」
「どういう意味です、アッシュ?」

 訝しげに問いかけるジェイドに、アッシュが俺たちに視線を戻す。

「シンクが風刃を手にしていたのはテメェらも目にしたな? これで遂に六属性の奏器が完成した。第一はお前らが押さえているが、それもさして意味があるとは思えない。地殻に干渉した時点で、おそらく触媒武器の使用目的は果たされているはずだからな」
「では、やはり地殻から触媒武器が吸い上げているのは……」
「ああ、バルフォア博士。あんたの考える通りだろうな。連中が基本的に、パッセージリングに干渉した後で、触媒武器を保持する事にさして拘らないのも、そうした理由からだろう。ただわからないのは、俺たちをどう利用するつもりかって部分だ」

 ……何だか、少し話しに付いて行けないのを感じて、思わず俺の口から言葉が漏れる。

「……さっきから、何の話しをしてんだ?」
「バカは黙ってろ」
「……」

 ったく、こいつはよぉ……! 俺は両腕をワナナカせ、怒りを堪える。

 そんな俺を無視して、アッシュは淡々と続ける。

「そしてアブソーブゲートには、かつてユリアがローレライと契約を交わす際に用いたと言われる譜陣が残されているらしい。奴があの場所を指定したのにも、何がしかの理由が存在するはずだ。安易に奴の誘いに乗るのは危険だが、もはやそうも言ってられなくなった。俺はお前らが残るパッセージリングを操作している間、そっち方面のことを、もう少し探って見るつもりだ」

 珍しい事に、今後自分がどう動くつもりなのか、アッシュが俺たちに教えて来た。

 だが直ぐに言うべきことは言い切ったと、アッシュはそのまま俺たちから離れる。

「待てよ、アッシュ」
「……何だ、能無し」

 苛立たしげに振り返った相手に、俺はアッシュの脇腹の傷を示す。

「その傷、かなりの重症だろ?」
「……」

 最初の秘奥義級の一撃が脇腹を抉ったのは確認している。戦闘中に放たれたナタリアの治癒術である程度は回復しているだろうが、それも一時的に傷口がふさがっているにすぎない。

「無理するな。治療ぐらい受けていけよ」
「いらん! ……俺に、構うな」
「どっちにしろ、外に出たらまた別行動になるんだ。なら、パッセージリングの操作してる間ぐらい、我慢しろ。……あんまり、心配掛けるもんじゃねぇぞ?」

 すぐさま否定しようとする相手に、俺はナタリアの方を示して、小声で引き止める。

 尚も抵抗しようとしたアッシュに、絶対に逃れられない一撃が放たれる。

「アッシュ……」

 ナタリアが不安そうに揺らめく瞳をアッシュに向け、小さくその名を呼んだ。

「くっ……わかった。付き合ってやるよ! だが、さっさと操作を済ませろよ、能無しっ!」

 乱暴に言い捨てるアッシュに、俺はざまぁ見ろと意地の悪い笑みを返す。

 ま、普段馬鹿にされまくってんだ。これぐらいの仕返しをしてもバチは当たらんだろ。

 アッシュに効果的な一撃を加えたことに、俺は多少気分が軽くなるのを感じながら、鼻唄まじりにパッセージリングの操作を開始するのだった。




              * * *




 外に出ると同時、遥か遠くに小さな点が見えた。

 土煙を舞上げ、近づく存在はどうやら馬車のようだ。

 その姿を認識した瞬間、既に俺たちの目の前に、馬車は到着していた。

 凄まじい音を立てて、馬車が急停車する。舞い上がる粉塵が視界を覆い隠し、馬車がかなりの速度から一気に止まったことを俺たちに理解させる。

 あまりに唐突な馬車の登場に、目を点にして見据える俺たちの前で、馬車の幌から顔が外に出る。飛び出した顔を目にした瞬間、俺は声を出して叫んでいた。

「って、お前ら漆黒の翼かよ!?」

 露出の高い服を着込んだ、確かノワールとかいう女頭目が、しなを作りながら首を傾げる。

「あらん。坊やたちじゃないの。でも今日は、あなたたちはお呼びじゃないわん。アッシュの坊やは居るかしらん?」

 ノワールの口からアッシュの名前が出た瞬間、ナタリアのまなじりがつり上がる。

 背中から冷たく突き刺さる視線を感じとってか、アッシュがどこか狼狽したように、早口になってノワールに応じる。

「な、何の用だ? 今回は、お前らを呼んだ覚えは無いが……?」

 いったいどんな関係だと、周囲から怪訝な視線が注がれる中、二人は会話を続ける。

「当然ねん。だって、呼ばれてないもの」
「なら、どういうことだ?」

 御者台から身を乗り出して、ウルシーが肝心の用件を告げる。

「アッシュの旦那、どうも各地にあるオラクル支部に動きがあったようでげす。あの人の予測だと、オラクルから離脱せずに潜伏してた過激派の連中だろうって話でして、万一の場合を考えると、やっぱり旦那の手も借りたいそうでげす」
「何……過激派が? わかった。案内しろ」

 即座に同意を返すアッシュに、ウルシーがへいと頷く。

 そんな三人の会話を聞いてるうちに、両者の関係を何となくだが理解した。

「アッシュ、お前、こんな奴らを仲間にしてんのか?」
「ふん。仲間じゃねぇ。こいつらは金さえ払っている内は、信用できる相手だからな。それに……」

 一瞬だけ言葉を切って、俺に視線を向ける。

「何だよ?」
「……何でもねぇよ」

 どこか釈然としないものを感じたが、確認を取る暇も無く、アッシュは続ける。

「パッセージリングの操作はテメェらに任せた。だが、気を付けろ。今回、お前らは正面から触媒武器を持った相手を倒したんだ。今度は連中も本気でかかってくるだろう」

 アッシュの忠告に、俺たちも気を引き締める。

 確かに、これまでは六神将の連中は俺たちを軽視していたように思えるが、触媒武器を持った相手を倒したんだ。これまでのようには行かないだろう。

「セフィロトを回ってる以上、次の目的地は連中にも知れていると考えるのが自然だ。
 ロニール雪山……決して、油断だけはするなよ」

 最後にそう忠告すると、アッシュはさっさと馬車に乗り込んだ。

 そのまま別れの言葉を掛ける間もなく馬車が走り出し、アッシュはこの場を去った。

「……行っちまったか」

 見る見るうちに小さくなっていく辻馬車を、少しの間見送った後で、俺は気を取り直すように声を上げる。

「次は、いよいよロニール雪山か」

 次なる目的地に話題を移し、俺たちは今後の行動方針を確認し合う。

「近くにあるケテルブルクには、確か触媒武器を研究してた奴が住んでたんだよな?」

 地殻に突入する前、ダアトで詠師の一人が言っていた言葉を思い出す。

「……そうですね。ケテルブルク知事に聞けば、何かわかるかもしれません」

 どこか反応の鈍いジェイドの様子に違和感を覚えるが、それを確認する前に、ガイが口を開く。

「ケテルブルクはカジノでも有名な街だ。俺としてはそっちも楽しみだね」
「ガイ、不謹慎ですわよ!」
「でもでも、カジノだよ! 一攫千金だよ! ぐふふふふ……」

 ちょっと怪しい目で遠くを見据え始めたアニスの様子に、正直、俺たちはかなり引きました。

「あんなに嬉しそうに笑うアニスの顔を見るのは、久しぶりです」
「……どっちかって言うと、欲望にまみれた顔だと思うぞ」

 このままではいつまで経っても収集が着かない事を悟ってか、やれやれとジェイドが口を開く。

「ま、息抜きも重要ですからね。雪山に行くにも色々と準備が必要になります。少しぐらいなら自由行動する時間もあるでしょうね」

 ジェイドの保証に、ガイとアニスが目を輝かせる。

「やったね!」
「ああ……腕が鳴るな」

 意気揚々と言葉を交わし合う二人を見据えながら、俺は首を捻る。

 カジノってのが何する場所かよくわからんのだが、そんなに楽しい場所なのかね?

「僕もカジノに興味あるですの!」
「まあ、あれだけ騒がれりゃあ、俺もさすがに気になってくるけどな」

 何となしに応じた俺の言葉に、ティアが胡乱な視線を向けてくる。

「……ルークがカジノをするのは、かなり不安ね」
「へ? そりゃまた、どういう意味だ?」
「あなた、絶対にのめり込みそうなタイプだから」
「のめり込むって……俺もよくは知らんが、所詮遊びだろ?」

 さすがに不安がられる程はまるとは思えんよなぁと楽観的な言葉を返す俺に、ティアが尚も問い掛ける。

「なら、一つ聞くけど……ルーク、あなた勝負は勝つまで止めないでしょ?」
「そりゃ当たり前だ。負けっぱなしのままで居られるかってんだ!」

 漢には、決して引けない時があるってもんだぜ!

「……やっぱりね」

 力強く宣言する俺に向けて、ティアは処置無しといった表情を浮かべると、肩を竦めて離れて行った。

 はて、結局どういうことだったんだろうな? 耳をピクピク動かす小動物二匹と顔を見合わせ、俺は一人首を傾げるのだった。





 後日、ケテルブルクのカジノにて、伝説のカモが誕生したとか、しなかったとか。


「あと一回! あと一回で、絶対勝てるんだっ! だからもう一勝負させてくれっ!」
「……ばか」


 ……流れる噂の真偽は定かではない。



  1. 2005/06/29(水) 01:48:25|
  2. 【家族ジャングル】  第六章
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第3話 「水に浸かり、火と踊る」


 鉛色に染まった曇天から、果てることなく雪は降り注ぐ。
 白一色に染まった大地の上に立ち、俺はおもむろに顔を上げ、

「ぶっえぇっ──っくしょっんっ!!」

 盛大にクシャミをかますのだった。

「だあーっ! さ…………寒すぎる…………っ!!」

 ってか、ぶっちゃけこの寒さは有り得ねぇーっ! 寒すぎるにも程があるだろがっ! バナナで釘が打てるからどうしたっ! どんな大自然の脅威だっつーのっ!!

 って、ううっ……寒さのあまり、思考が空転してやがる。愚痴でさえも意味わからんものしか出て来ない。その上、考える気力までもが無くなってくるぜ……

「やれやれ、皆さん軟弱ですねぇ」

 一人ピンピンしているジェイドが困ったものだと、肩を竦めて言い放ちやがった。

 いや、雪国育ちのジェイドは寒さに耐性あるんだろうが、俺はこんな雪国来るのは初めてなんだ。無理言うなと怒鳴り返したくなるね。…………まあ、口を開くだけで寒くなるからしねぇがな。

「とりあえず、知事邸に向かうとしますか」
「もう何でもいいから、とっとと室内に入りてぇぜ……」

 ひっきりなしに上下する歯を噛み鳴らし、俺はぶるぶる震える身体を両腕で抱え込む。

「まったくもう……そんな格好をしていれば当たり前でしょ?」
「うぅっ……面目ねぇ……」

 いつもいつもすまねぇな、ティアさんよ。俺は目尻を押さえ、漢泣きをするのだった。

 俺の反応にティアは呆れたようにため息をつくと、何かを思い出すように視線を上向かせた。

「……確か、あなたがお父様にもらったコートがあったわね。上から羽織ってみたら?」
「おおっ! ナイスだティア、そんなもんが確かにあったよな」

 うう、サブサブとつぶやきながら、俺は荷物から取り出した真紅のコートを身にまとった。このコートを初めてマトモに着たのがこんな理由だってのが、何とも浮かばれない話だがな。

「……まあ、腹筋だしてるいつもの服装がおかしいんだけどな」
「何度注意しても、ルークはあの服装を止めようとはしませんでしたものね」
「ぶっちゃけルークの服装センスって有り得ないよね~」

 着替える俺の脇で交わされた三人のボヤキは聞こえない。俺の革新的な感性を理解しない愚民共の言葉など、聞こえない。聞こえないったら聞こえないのだ。

「そうでしょうか? 僕はカッコいいと思いますけど……」


『え?』


 とりあえず、俺とイオン以外の全員が声を上げた、とだけ言っておく。




               * * *




 知事邸への訪問は思ったよりもスムーズに進んだ。何でも前回訪れたナタリア達が言うには、ジェイドの知り合いが知事の代行をしているらしい。

 だが単なる知り合いという訳でもないらしい。その証拠に、屋敷に仕える使用人たちはジェイドの姿を目にすると、すぐに目礼を返し、それが当然のように通りすぎていく。

 疑問に思った俺が詳しい話を聞き出す前に、執務室に辿り着く。

 軽いノックの後、扉が開かれた。

 部屋のほとんどの面積を占める執務机に腰掛け、金髪の女性が手にした書類から顔を上げた。メガネ越しに見える瞳が大きく見開かれ、開かれた口が言葉を紡ぐ。

「……お兄さん?」
「久しぶりです、ネフリー」

 どこかとぼけるように、ジェイドがメガネを押し上げた。そんな相手の態度に、彼女は僅かにまなじりを下げ、苦笑を浮かべる。

「来るなら事前に連絡してくれれば、港まで迎えに行ったのに」
「すみません。なにぶん、今は非常事態ですからねぇ」

 親しげな空気の中で、会話が重ねられて行く。そんな二人の様子を見据えながら、俺も彼女がジェイドとどんな関係なのか理解した。

「はぁ……あのジェイドに妹なんて居たのか……」

 心底感心して唸る俺の反応に、ジェイドが人を食ったような笑みを浮かべる。

「心外ですねぇ。一応私も人の子ですよ? 血縁者の一人ぐらい居ますよ」
「いや、一応って……」

 やれやれと肩を竦めるジェイドに、ガイが顔を引きつらせた。

 まあ、叫んでおいてアレだが、確かにジェイドの言う通りか。

 普通なら至極当然の事実を感慨深く納得する俺を余所に、ジェイドが肝心の用件を切り出す。

「ここに来たのは他でもない。ロニール雪山の状況を聞いておきたいと思ったからです。何かわかる事はありますか?」
「セフィロトの件ね。それなら陛下から聞いているわ。確か気象観測班の報告があったはず……あった。地震の影響で、雪崩が頻発しているみたい。でもここ一週間程天候は比較的安定しているわ。山に向かうなら、今が一番ちょうど良い時期かもしれないわね」
「なるほど。さすが仕事が早いですね」

 感心したようにジェイドが頷いた後で、口を閉じた。

 しばし沈黙が続くが、一向にもう一つの件を切り出そうとしない。

 なんか変だ。どうにも珍しい事だが、ジェイドの態度に煮え切れないものを感じる。このまま黙り込んでいても話が進まないので、とりあえず俺がネフリーさんに向き直る。

「あーと、ネフリー─さん。実はもう一つ尋ねたい事があるんですが」
「はい、なんでしょうか?」
「昔、オラクル騎士団の団員だった人がこの街に住んでたと思うんですけど、その人の事についてちょっと尋ねたいんですよ」
「オラクル騎士団の団員について……ですか?」

 意外な質問だったのか、一度こちらの質問を繰り返した後で、ネフリーさんは書類の山の一つに手を伸ばす。

「住民台帳を見ればわかると思いますけど……その人の名前は?」
「ゲルダ・ネビリムって人なんですけど……」

 その名前を聞いた瞬間、ネフリーさんの表情が劇的に変化する。目が見開かれ、僅かに開かれた唇は動揺に震える。

「ネビリム先生の……ことですか」
「まあ、ご存じですの?」

 相手の反応に驚くナタリアに、ネフリーさんは自身を落ち着けようとするかのように、胸の前に手を置いて、数度深呼吸繰り返す。

「……ネビリム先生は教団から還俗された後、この街で私塾を開いていたんです」

 やや躊躇った後で、ネフリーさんは先に続く言葉を告げた。

「私も……兄も先生の教え子です」
「ええー! 大佐知ってたんじゃないですか!?」

 どうして教えてくれなかったのかと訴えるアニスに、ジェイドは軽く肩を竦めて見せた。

「すみません……ピオニー陛下はともかく、ディストと机を並べたことは私の人生の汚点ですからねぇ」

 身も蓋もない返しに、誰もが呆れたように口を閉ざす。

「しかしディストはともかく、皇帝陛下も教え子だったのか? こりゃ驚いた」
「陛下は軟禁されていたお屋敷を抜け出して、勝手に授業に参加されていたのです」
「屋敷を抜け出してねぇ……どっかで聞いたような話だな」

 ガイから向けられる視線に、俺はあさっての方向を向いて顔を逸らした。どこで聞いた話しかは、言うまでもないだろう。

 そのとき顔を逸らした先で、ネフリーさんが僅かに表情を曇らせ、ジェイドを見据えていることに気づく。どこか相手を心配するような色合いと、それ以外の感情が絡み合った複雑な視線が、ジェイドに向けられる。

 浮かんだ感情の意味を俺が理解する前に、話しがズレてきたのを感じ取ったティアが、再度ネフリーさんに問いかける。

「それで、あの、ネベリムさんの遺品などは……?」

 感情は一瞬で消え去り、ネフリーさんは冷静に答える。

「ネビリム先生に関する資料は、随分昔にマルクト軍の情報部が引き上げて行ったと聞いています」
「マルクト軍が……!? ……なぜ、先生の資料を……?」

 ジェイドが動揺を瞳に浮かべ、小さく叫ぶ。

 軍部が直接動くなんて言うのは、どう少なく見積もっても真っ当な話ではないだろう。しかも相手は触媒武器の研究者でもあるのだ。……マルクト軍が研究対象として、目を付けたってことだろうか?

「私にわかることはそれくらいです。詳しい話は、陛下に聞く以外にないでしょう」

 考え込む俺たちの気を取りなすように、ネフリーさんが話をまとめた。それを受けて、ジェイドも動揺を振り払うかのように、首を左右に降る。

「先帝時代の研究には、未だ正確に把握できていないような暗部が多数残っています。そうした現状を考えると……確かに、陛下に頼る以外になさそうですね。やれやれ、厄介なことだ」

「暗部ねぇ……いったい、どんなことやらせてたんだ?」
「戦時下というのは、どのような狂気も容認されてしまう場所ですからね」

 知らない方が良いでしょう、とジェイドはガイにやんわりと否定を返した。

 その後も幾つか雪山に関する注意事項を受け、そろそろ退室する流れになった。

「不慣れな雪山に向かうのです。出発にも準備が必要でしょう。ホテルの部屋をお取りしておきますので、いつでもお立ち寄り下さい」
「助かります」
「それではまた後で、ネフリー」

 ジェイドを先頭に、俺たちは順番に部屋から外に出る。

 最後尾の俺が部屋を出ようとしたところで、ネフリー─さんが小声で囁きかける。

「……すみませんが、お話がありますので、後ほどお一人でいらして下さい」

 へっ、一人で?

 正直、よくわからない誘いだった。

 どういう意味か尋ね返そうとしたところで、相手の顔に浮かぶ真剣な表情に気づく。

 ……何か理由があるってことだろうか?

 思い出すのは、触媒武器に研究者、ネビリムの話が出たとき見せたネフリーさんの反応だ。

 結局、俺は声に出さず、ネフリーさんに静かに頷き返していた。俺の同意に緊張を緩め、待っています、と最後に小声で付け足した。

 こうして、俺はよく意図のわからない約束を交わし、部屋を出る。ネフリーさんとの遣り取りで、少し皆に続くのが遅れたが、特に誰からも不審に思われることもないまま、俺たちは知事邸から外に出た。

 押し寄せる冷気が肌を撫でる中、ジェイドが真っ先に今後の予定を立てる。

「では、早速準備に取りかかりましょう。とりあえず、このリストにあるものを、手分けして揃えて下さい」

 差し出された紙切れには、雪山で必要そうな物資が書き出されていた。

「さすがに抜かりがありませんわね」
「何と言うか、こういう点は用意周到だよな」
「さすがですね、大佐♪」
「いえいえ、そんなに褒めないで下さい」

 どこか惚けた遣り取りをした後で、俺たちは広場でそれぞれ割り振られたものを揃えに、別れて行った。

 ……さて、行きますか。

 皆が去ったのを確認すると、俺はひとり知事邸に戻る。

 お待ちしておりました、と知事邸の扉が内側から開かれた。

 執事らしき人に案内されながら、いったい何の話しだろうかと考えながら、俺は執務室に再び足を踏み入れた。俺を招待したネフリーさんが、どこか恐縮したように頭を下げる。

「このような手間をおかけして、すみません。どうぞ、おかけになって下さい」

 ネフリーさんは俺の姿を認めると、執務机の脇に設置されたソファーを促し、自身も対面に腰を掛ける。

 俺は肝心の用件が何かわからなことに困惑を感じながらも、とりあえず腰を落ち着ける。

「それで、話しって……?」
「……あなたがレプリカだと聞いてから、どうしても兄のことを話して置かなければ、と思っていたんです」
「レプリカだと聞いて……ですか?」

 俺がレプリカだって事と、ジェイドの話しがどう繋がるんだろな?

「よく話しの筋が掴めませんが、いったいどんな話しを俺に……?」
「兄が何故、フォミクリーの技術を生み出したのか、です」

 ──フォミクリーの開発者、ジェイド・バルフォア博士。

 僅かに身を硬くする俺の前で、ネフリーさんは天井を仰ぎ、遠くを見据える。

「今でも覚えています。私が大切にしていた人形が壊れたとき、兄はそれを複製してくれたんです」
「人形……」

 あのジェイドにしては随分と似合わないことをする。最初に浮かんだのは、そんな感想だった。同時に、告げられた事実に僅かな引っ掛かりを覚える。

「……人形一つ複製する為に、フォミクリーなんて技術をわざわざ開発したんですか?」

 割に合わないような気がする。そんなことをするくらいなら、同じ人形を買い直した方が早いだろう。

 だが、事実は俺の予想を超えていた。

 いいえ、とネフリーさんはその顔に僅かに畏怖を浮かべながら、言葉を続ける。

「兄は壊れた人形を確認すると、その場で、壊れる前の人形のデータを抜き出して、同じものを《復元》したのです。兄はそのとき、九歳でした」
「し、信じられねぇ……」

 ジェイドの頭が良いのはこれまでの旅路でも思い知っていたが、あいつそこまでの天才だったのか。純粋な驚きを感じる俺の反応に、しかしネフリーさんは違うものを見たようだ。

「そうですよね。技術もですけど、普通なら同じ人形を買う。兄は複製を作った……その発想が普通じゃないと思いました」

 僅かに俯けられた顔に蔭が落ちる。俺は少し間を置いた後で、相手の言葉を繰り返す。

「普通じゃない……か」
「……今でこそ優しげにしていますが、子供の頃の兄は悪魔でしたわ。大人でも難しい譜術を使いこなし、害のない魔物たちまでも、残虐に殺して楽しんでいた……兄には生き物の死が理解できなかったんです」

 相手の顔に浮かぶのは……畏怖の感情だった。確かに肉親としての情を感じる一方で、彼女がジェイドにどんな感情を抱いているのか、他人である俺にも理解できた。

「そして、そんな兄を変えたのはネビリム先生です。先生は、第七音素を使える治癒士でした。兄は第七音素が使えないので、先生を尊敬していました。そして……悲劇は起こった」
「悲劇?」
「兄は第七音素を使おうとして、誤って制御不能の譜術を発動させたんです。兄の術はネビリム様を害し、家を焼いてしまいました」

 彼女の瞳に、焔に揺らぐ家が映し出される。

 白銀の世界。燃え盛る一軒の家屋。倒れ伏す女性にすがり付く子供と、冷静に観察する子供。

「……そして、事故の直後、今にも息絶えそうな先生を見て、兄は考えたのです」

 フォミクリーという技術の開発。天才的な頭脳。死を理解できない兄。

 導き出される推測は、一つしかなかった。

「まさか……」
「ええ。今ならまだ間に合う。レプリカが作れる。そうすればネビリム様は助かる。そう考え、兄はネビリム様の情報を抜き、レプリカを作製したのです。でも……誕生したレプリカは、ただの化け物でした」

 告げられた事実の重さに、俺は僅かに躊躇いながら問いかける。

「本物のネビリムさんは?」
「亡くなりました。その後、兄は才能を買われ、軍の名家であるカーティス家へ養子に迎えられました。たぶん、兄はより整った環境で、先生を生き返させるための勉強がしたかったんだと思います」

 思い出すのはセントビナーの城門前で、ディストの吐き捨てた言葉。

 ───私が何をしようが、あなたには関係がないでしょう。

 ───ネビリム先生を諦めた……あなたには。

 生体フォミクリーの使用は、現在では禁忌とされている。第一音機関研究所でそう耳にした事がある。他の誰でもなく、開発者にあたるバルフォア博士がそれを定めたと。

「でも今は……生体レプリカを作るのをジェイドは止めた」
「ええ。ピオニー様のおかげです。恐れ多いことですが、ピオニー様はあんな兄を、親友だと言ってくださっています」

 僅かに表情を緩めた後で、どこか躊躇うようにネフリーさんは続ける。

「でも、本当のところ……兄は今でも、ネビリム先生を復活させたいと思っているような気がするんです」

「……そんな事は無いって、俺は思いますよ」

「そう……ですね。私の杞憂かもしれない。それでも私は……あなたが兄の抑止力になってくれたら、と思っているんです」

 俺がジェイドの抑止力になる? 俺程度にそんな事ができるとは到底思えないんだがな。少し考え込んでいるうちに、彼女は時計に視線を送る。

「……少し長くなってしまいましたね」

 彼女は何かを振り切るように、小さく首を振る。

「話を聞いて下さって、本当に──ありがとうございました」

 俺の顔を正面から見据え、彼女は感謝の言葉を最後に告げるのだった。




               * * *




 知事邸から外に出た所で、まるで待ち構えていたかのように佇むジェイドの姿があった。

 向こうも俺の姿に気づき、その顔に苦笑が浮かぶ。

「ネフリー─から、話しを聞きましたね」
「……ワリィ、何か、俺だけに話したいみたいだったからな」

 俺は話を持ちかけられたことを言い出せなかった事実に後ろめたさ感じる。だがジェイドはそんな俺を特に咎めるでもなく、僅かに顔を逸らす。

「一応言っておきますが、私はもう先生の復活は望んでいませんよ」

 空を見上げたまま、遠くを見据え、ジェイドは言葉を続ける。

「私は……先生に許しを請いたいんです。自分が楽になるために」

 語られる言葉から、普段はまるで読み取れないジェイドの感情が、露わになって行く。

「そのために、随分と酷い事もしてきました。しかし、レプリカに過去の記憶は無い。結局どうしたところで、私の害した先生は、許してくれようがない。私はね、一生過去の罪に苛まれて生きるんですよ」

 どこか冗談めかした仕種で、ジェイドは肩を竦めて見せた。

 どこまでも深い後悔。

 面に出される仕種とは対照的に、言葉に込められた想いが伝わってくる。

「………罪って、ジェイドがネビリムさんを……殺しちまったことか?」

「そうですね……それもあります。ですが、すべての大本にあるのは、人が死ぬ事なんて大した事ではないと思っていた過去の自分、なのかもしれません」

 赤い瞳が細められた。過去を過去として認識しながら、ジェイドは未だ自らの犯した罪を見据え、決して忘れるなと自らに言い聞かせている。

「後悔に区切りはない……か」

 かつてのアクゼリュス崩落の折、錯乱したように叫ぶ俺に向けて、ジェイドが告げた言葉が蘇る。

「そうですね。あなたが一番よくわかっているでしょうが、過ちを隠すための言い訳などに力を入れてしまうと、人はどんどんそちらに流されてしまう」

 どう言い訳した所で、罪を犯した事実は何も変わらないというのに、誰もがそれを探してしまう。

「言葉にすれば単純な事ですが、結局の所、受け入れなければならない事は、きちんと受け入れなければならないのでしょうね」

 何度も言い聞かせたことをそらんじるかのように口にすると、ジェイドは顔を上向かせ、空を見上げた。向けられた瞳に映るものは、過ぎ去った日々の記憶だろうか。

 俺もジェイドにならって、降り止まぬ雪空に視線を移し、告げられた言葉に想いを馳せる。

「……すげぇ、難しい事だけどな」
「……ええ。一番簡単でありながら、同時に一番難しいことですね」

 深々と降り注ぐ粉雪が、風に吹かれ、ゆっくりと虚空を舞った。




               * * *




 シャリシャリと踏みしめた先が音を立て、雪の上に軌跡を残す。

 時折吹き抜ける冷たい風が、女の泣き叫ぶ声のように聞こえる。

 ロニール雪山は一年中絶えることなく雪が降り注ぐ場所だ。降り積もった雪も相当なものがあるんだろう。下手な街道以上に凝り固まった雪の大地の上を、俺たちは進む。

 ケテルブルクでの準備はかなり早い段階で整った。その後は皆が揃うまでの間、街を見学していたりしたのだが、暇を持て余した俺たちはとりあえずカジノとやらに向かった。そこで何があったかは……まあ、押して知るべし。

 ともあれ、俺たちは街を発ち、パッセージリングのあるロニール雪山を進む。

 セフィロトへ続く扉の位置もわかっている。これはイオンが六神将にさらわれて、各地にあるダアト式封呪を解除させられていた際、扉のある場所を記憶していたからだ。

 俺たちはイオンの案内の下、最短距離で雪山を突き進み、セフィロトの扉を潜る。

 円を描くような通路をひたすら進み、設置されたリフトを降りたところで、パッセージリングに到達する。

「さて、ルーク。早速すべてのセフィロトを、アブソーブとラジエイトの二つのゲートに連結させて下さい」
「ん、了解」

 いつものように超振動を発生させて、俺は残るセフィロトをゲートに連結させる。

 これまでひたすら続けてきた作業だ。もはや自分の超振動の制御にも、特に不安は抱かない。だが、これがゲートを除けば最後ということもあって、俺は慎重に作業に挑む。

 パッセージリングに浮かぶ円に超振動が干渉し、すべてのセフィロトがゲートに連結された。

「……ふぅ。終わったぜ」

 額に浮かぶ汗を拭って、俺は皆を振り返る。

 ──激しい振動が、セフィロトを襲う。

『なっ!?』

 俺たちは訳もわからぬまま、その場に足を踏みしめ、振動に耐える。

 振動そのものは直ぐに収まったが、操作直後に起きた事態だけに、激しい動揺が俺を貫く。

「……まさか、俺がしくじったのか?」

 俺の疑問には答えず、ジェイドが制御盤を慎重に確認する。

「これは……やってくれますね、ヴァン謡将」

 厳しい表情で面を上げるジェイドに、皆が不安に揺らぐ瞳を向ける。

「……どういうことだ?」
「アブソーブゲートのセフィロトから、記憶粒子が逆流しています。連結した全セフィロトの力を利用して、地殻を活性化させているのです」
「兄さんが……。でも、どうして……? 記憶粒子を逆転させたら、兄さんのいるアブソーブゲートのセフィロトツリーも逆転して、ゲートのあるツフト諸島ごと崩落するわ」
「いえ、今は私たちによって、各地のセフィロトの力がアブソーブゲートに流入しています。その余剰を使って、セフィロトを逆流させているのでしょう」

 一旦言葉を切った後で、ジェイドは最悪の予測を告げる。

「落ちるなら──アブソーブゲート以外の大陸だ」

 言葉を失う俺たちの中で、アニスが何かに気づいてか、蒼白になった顔で声を上げる。

「ねぇ! 地殻はタルタロスで振動を中和しているでしょ? 活性化なんてしたら……」
「……タルタロスが壊れますね」
「冗談じゃねぇぜっ……!」

 タルタロスが壊れたら、地殻の振動が復活する。そうなったら、俺たちがこれまでしてきた事は全て無駄に終わる。降下した先で、大地は地殻に飲まれ消えるだろう。

 ここに来て、こんな思い切った手を打って来るとはな。ヴァンの思い切りの良さに舌を巻く。……いや、或いは端からこうするつもりだったからこそ、奴は俺たちの行動にさして注意を払わなかったって事なのかもしれないけどな。

 いずれにしろ、アッシュの言葉じゃないが、これでヴァンの誘いに乗る以外になくなった。

「……アブソーブゲートで待つ、か」

 セフィロトから立ち上る音素の光が天上に行き着き、瞬き消えた。




               * * *




 もはや一瞬といえども時間が惜しい。俺たちはセフィロトを駆け戻り、外に飛び出す。

 頬に吹きつける冷気に一瞬息を止めた後で、雪原に足を一歩踏み出す。

 ──殺気が、背中を駆け抜ける。

 本能に任せるまま、その場を飛び退くと同時、飛来した銃弾が雪を弾く。

 弾丸の放たれた方向に視線を向ける。そこにはこちらの動きを牽制するように、硬い表情のまま譜銃を構えるリグレットの姿があった。

 彼女以外にも、六神将が二人存在する。

 銃を構えるリグレットの前方に槍を構えたラルゴが、そのさらに後方に不気味な人形を抱える少女──アリエッタの姿もあった。今回は魔物を連れてきては居ないようだ。

 雪原に布陣する六神将を前に、俺たちも陣形を整えながら、それぞれ武器を構える。

「……教官」
「ティア、最後の機会だ。私達の下に来なさい」

 手を差し出すリグレットに、ティアは僅かな迷いも見せず、毅然と否定を返す。

「兄の理念は、やはり私には理解できません。兄を止める事ができない自分も歯痒いけど……兄を止めようともしないあなたも……軽蔑します」
「……ならば、もはや私も容赦はすまい。シンクを退けた今、お前達は閣下の敵となり得る唯一の存在だ。見逃すことはできない」

 翼の如き形状をした譜銃が蒼く染まり上がる中、リグレットが冷徹な光を瞳に宿す。

「……そういうことだ。お姫さまはお城で大人しくしいればよかったものを、な」

 ラルゴの挑発に、ナタリアが視線を吊り上げる。

「私を侮辱しないで! 私には父の代りに、全てを見届ける義務があるのです!」
「……父、か。……相容れぬのであれば、力で粉砕するまでだな」

 ラルゴが真紅の槍を肩に担ぎ上げ、闘気を全身から吹き上げる。

「イオンさま……邪魔、しないで……」

 人形越しに、アリエッタが泣きそうな顔で訴える。

「どうして……どうして、イオン様が総長の邪魔をするの? 以前のイオンさまはそうじゃなかったのに……」

 たとえ真実を知らない故の言葉と言っても、あまりに残酷な言葉だった。イオンが苦しげに顔を上げ、アリエッタと視線を合わせる。

「アリエッタ、僕は……」
「イオンさま!」

 先に続く言葉を、アニスが強引に押し止める。

「アリエッタなんかにお話しする必要なんてないですよ!」

 一方的に捲くし立てながら、小声で囁く。知らなくてもいいこともある。そうアニスの口は小さく動いた。

 身を寄せ合い密かに言葉を交わす二人を前に、アリエッタがもう我慢ならないと声を張り上げる。

「アニスは黙ってて! 今はもう、導師守護役でもないのにっ! どうして、アニスなの!! どうして、アリエッタじゃないの!!」

 アリエッタの叫びに、アニスは唇を引き結んで答えない。以前なら罵り返して当然の遣り取りもなりを潜め、今は叩きつけられる言葉に顔を俯け、ひたすら耐える。

「……どちらにせよ同じことだろう。導師以外の者たちに、ここで死ぬ以外の道はないのだからな」

 ラルゴが僅かに顔を逸らし、首に掛けたペンダントを手に握る。

「その通りだ。閣下に仇なす者は──ここで殲滅する!」

 リグレットが宣告すると言葉に、六神将が動く。

「塵も残さぬ程、焼き尽くしてやろう!」

 ラルゴが突貫する。逆巻く火焔が槍の先端に収束、巨大な切っ先が形成され、俺に向けて降り下ろされる。

「冗談っ──!」

 こんな馬鹿力を正面から受けてたまるかよ!

 降り下ろされる切っ先をかいくぐり、俺は前方に踏み込む。前髪を掠め通り、地面を焔が穿つ。放たれる熱波を側に感じながら、俺は最小限の動きで回避する。攻撃がかわされた事実にラルゴが舌打ちを漏らし──ふと、僅かに視線を後方に流す。

「ルーク!」

 警告に身体が無意識のまま反応、ラルゴの見据える方向とは反対側に身体を動かす。

 飛来した無数の氷の弾丸が大地を穿つ。吹きつける凍気に、ラルゴの放った火焔の名残は一瞬で凍り付き、結晶となって砕け散った。

「雹雨に射抜かれ、散りなさいっ!」

 後方のリグレットが圧倒的な速度をもって次々と銃撃を放つ。氷雨の如く圧倒的な量の散弾が降り注ぐ中、俺はとっさに引き寄せた刀身に音素を収束。火焔をまとわせた斬撃をもって、降り注ぐ弾丸に対処する。

 ……くっ……こりゃ……切り、ねぇぞっ!

 氷の銃弾一発一発の威力はそれ程でも無く、俺でも防ぐことが可能だったが、一度に放たれる弾丸の量が尋常ではない。おそらく一発毎の威力を犠牲にする代わりに、氷の弾丸を形成する速度を上げているのだろう。

 荒れ狂う暴雪風ブリザードのごとき氷の銃弾は、怒濤の勢いで次々と押し寄せる。

 今は辛うじて防ぐ事に成功しているが、このままでは捌ききれなくなるのも時間の問題だった。なら避ければいいと思うかもしれないが、一度足を止めて受けに回ってしまった以上、そう簡単には行かない。機を見てこの場から動こうにも、俺を狙い打つ氷弾の勢いは一向に衰える様子を見せない。

「なら俺が……──っ!?」

 視界の端で、リグレットに斬りかかろうとしたガイが突然動きを止める。金属同士が噛み合わされる高音に混じって、ラルゴの声が届く。

「この先は通さん。この凍てついた地では、俺も全力を出すという訳には行かないからな。その分、壁としての役目は果たさせて貰おうか」
「くっ……邪魔をするなっ!」
「無理な相談だな」

 目まぐるしい勢いで刀身が翻り、ガイの斬撃が放たれる。だがラルゴは攻めに回ること止め、ただひたすら相手を拘束する事に意識を傾け、攻撃を受け流す。時折ガイの斬撃が相手の身体を掠めるが、それも相手の全身を覆う陽炎の如き焔に弾き返され、届かない。

 そして、敵の追撃は止まらない。一人詠唱を続けていたアリエッタが、俺を睨み据える。

「行きます! 魔狼の咆哮よ───ブラッディ・ハウリング!」

 死に物狂いで銃弾を弾く俺の足下に、譜陣が展開される。具現化された闇の牙が、俺を噛み砕かんと口を開く。って、これを受けるのはさすがにまずいっ! ちっ……ここはある程度の負傷を受けるのは仕方ないと割り切るしかねぇか。

 俺は一撃を受ける覚悟を決めて、その場から飛び退いた。

 背後で闇の牙が虚空を噛み砕く音が響き、回避に成功したことを伝える。しかし譜術の回避を代償に、体勢を崩した俺に向けて、リグレットの放った銃弾が無慈悲にも降り注ぐ。

 くっ……耐えられるか? 迫り来る銃弾が俺を射抜くかと思われた──そのときだ。

「させません! 怯まぬ魂への賛美──」

 ナタリアの両腕から生み出された白き焔が矢弦を伝って、鏃の先端に収束する。引き絞られた弦が限界を向かえ、ここに焔をまといし矢は放たれる。

《──ファランクス!》

 烈火の閃光が戦場を駆け抜ける。一撃が空間を駆け抜けた後、一瞬遅れで、リグレットの放った氷の散弾は悉く燃やし尽くされ、露となって虚空に消えた。

 ナタリアの援護によって作り出された隙を見逃さず、俺も一息に敵から間合いを離す。

 不発に終わった譜術にアリエッタが悔しそうに顔を歪め、リグレットが獲物を逃したことに僅かに眉を上げた。

 全ては一瞬の攻防だった。

 ラルゴが前衛で壁となって、獲物を分断。分断された相手に、リグレットが後方から銃弾を狙い撃つ事で動きを拘束し、致命的な隙が出来た所でアリエッタが譜術を放つ。

 まさに嵌まれば必中の布陣。あのまま抜け出せなければ、確実に殺られていた。

 背中を伝う汗が、いやに冷たく感じられる。

 その後も六神将の厄介な戦術を警戒するあまり、俺達前衛は積極的な行動に出られないまま戦局は進んだ。結果として、純粋な力に勝るラルゴの猛攻を前に、俺たちは防戦一方に回るしかなかった。

 どうもこれまでの相手の動きを見る限り、雪山ということもあってか、ラルゴは触媒武器から引き出す焔の力をセーブしているようだ。また、リグレットもタメの時間を必要とするような強力無比な一撃は、未だ放って来ていない。

 何ともお寒い話だが、相手にまだまだ余裕があるって言うのに、俺たちは押される一方だ。それでも今の所は、俺たちも辛うじて相手の攻勢をしのぐことができている。

 だが、それも全ては今の所は、という脆い前提の上に立っているに過ぎない。いつ相手が全力を出してもおかしくないのだ。このまま行けば、確実に押し切られるだろう。

 ───ルーク、聞こえますか───

 幾度目かの攻防の後、耳元で囁かれるようにして、ジェイドの声がいやにはっきりと耳に届いた。一瞬幻聴かと疑いを持つが、確かめるようにジェイドに視線を向けると、静かに頷き返してきた。

 ───マーキングの応用で、鼓膜に直接振動を送り届け、声として認識させています。声は出さず、聞いて下さい───

 頷き返すと同時に、ジェイドの説明が始まる。

 ───こののままでは、押し切られるのも時間の問題です。そこで私は直接戦闘に参加するよりも、戦況を見据え、皆に指示を出すことに専念します。不可解に思えるものもあるでしょうが、これからは極力、私の出す指示に従って、動いてください───

 この行き詰まった状況を打開できるって言うんだ。なら、俺たちに否もない。

 ジェイドに指示された通り、俺たちは一旦後退して、陣形を整える。

 中心にジェイド、左右にナタリアとティア、前には俺、ガイ、アニスが並び立ち、柔軟な対処が可能な体勢に移行する。

「……陣形を変えたか」

 一斉に動いた俺たちを前に、リグレットが僅かに眉根を寄せた。

「ふん……幾ら小細工を弄しようが、無駄だっ!!」

 立ち上る闘気が光を放つ。ラルゴが自らに定めていた枷を僅かに緩め、槍から引きずり出した豪炎を全身にまとわせる。

 ───ルーク、右後方に移動、その後に反転して下さい───

 何をと思う間もなく、俺はジェイドの指示に従い動く。

「───火竜槍っ!!」

 迫り来る熱波が俺たちの肌を焼く。炎槍は轟音と共に突き出された。

 だが──

「何っ!?」

 槍の穂先は俺の身体を掠めもせずに、見当違いの方向を射抜く。攻撃が放たれるよりも先に身体を動かし、安全圏に逃れていた俺を見据え、ラルゴが驚愕に声を漏らす。

 相手は攻撃を繰り出した直後の硬直を見せ、まさに格好の的となった。しかし、俺はそんな相手に反撃するでもなく──ジェイドに指示に従い、そのまま相手に背を向け走り出す。

「なっ!? ──馬鹿にするなぁっ!!」

 挑発的な行動に、ラルゴが頭に血を登らせて吼える。引き上げられた槍が真紅に染まり上がり、膨大な量の焔が穂先の一点に収束する。

 そして、俺に攻撃を放つことに意識を取られ、全身にまとう焔の勢いを衰えさせたラルゴの背中で、拳が唸りを上げる。

 ───今です、アニス───

 ラルゴの背後に回り込んでいたアニスの譜業人形から、音素を集束された拳が放たれた。紫雷の閃光が荒れ狂い、ものの見事にラルゴの身体は吹き飛んだ。

「……ぐっ! ……おのれ、小癪なマネを……っ!!」

 リグレットの立ち位置まで飛ばされたラルゴが、槍を地面に突き立て怒りの声を上げた。意識的に触媒武器の力を押さえ込んでいた影響か、譜業人形による拳の一撃は確実にラルゴに届いたようだ。

 ……まあ、それでもまるでダメージを受けてる様子が見えないんだから、泣けてくる。本当に化け物が過ぎる相手だ。

 ───ガイは後衛、アリエッタに気配を殺して接近。ルーク達は彼の援護をお願いします───

 了解と声には出さず応じて、俺は正面のラルゴ、後方のリグレット、アリエッタ、全員の位置関係を把握。全員の動きを止め、ガイが接近する隙を作り出すべく行動に移る。

 雪原を駆ける。フォン・スロットを解放する。取り込んだ音素を刀身に音素を収束させる。

「貫け──閃光っ!!」

 刀身に収束された音素が膨大な光を放ち、一本の槍を形成、目標に降り下ろされる。

《──翔破!》

 振り降ろした一撃は戦場の中心、無人の雪原地帯・・・・・・・ を穿つ。

《────裂光閃!!》

 荒れ狂う衝撃波に大量の雪が舞い上がり、視界を覆い隠した。

 ラルゴとリグレットが舌打ちを漏らし、背中合わせに周囲を警戒する。

「え……?」

 突然、視界を奪われたアリエッタが一人、戸惑うような声を上げると同時。

 彼女の背後に降り立つ影は、優しく終わりを告げた。

「──すまないな」
「きゃっ!」

 アリエッタの背後に回り込んだガイの柄頭の一打が、アリエッタの意識を刈り取った。

「……やるな。だが、まだ甘い!」

 肩幅に両足を開き、リグレットが銃身に膨大な量の音素を収束させる。周囲を包む凍気がより一層激しさを増し、凍結した空気中の水分がダイアモンドダストの輝きを放つ。

「させない! 堅固たる守り手の調べ──」

 ──クロァ──リョ──ズェ──トゥエ──リョ──

「凍り尽くせ───」

 歌い上げられる譜歌に混じって、リグレットは無慈悲に宣告する。

「─────ブリジット・ソロゥ」

 凍気の弾丸が放たれた。掠め通る地面に氷柱が軌跡となって残り、通りすぎた後の大気が凍り尽く。何人にも防ぐことができない無形の弾丸は一直線に後衛に向けて突き進み───

 ──レィ──ネゥ──リョ──ズェ──

 間一髪でティアの譜歌が完成する。

 障壁にぶち当たった無形の弾丸は、内に秘めた凍気を周囲にまき散らす。絶対零度の空間が世界を白に染め上げ、障壁の輪郭を沿うようにして、無数の氷の柱が生み出された。刃の如き氷柱の先端はビキビキと音を立てながら成長し、障壁を破ろうと牙を伸ばす。

 だが、それでも譜歌による障壁は破れない。

 ───ルーク、ガイ、アニス。一旦後方に下がって下さい───

 ジェイドの指示に従い、俺たちも深追いは避けて、突出しすぎた分の間合いを戻す。

「ええいっ! ならば全力で打ち倒すのみだっ!!」

 もはや埒が開かぬと、ラルゴが力を抑えることを放棄した。冗談じみた量の音素が槍から引きずり出される。渦を巻く火焔がラルゴの全身を包み、より一層激しく燃え盛る。

「焔よっ唸れぃっ!」

 逆巻く火焔を全身にまとわせながら、紅蓮の焔に染まり上がりし槍を構え、ラルゴが突進する。一歩足を踏み出す度に、周囲を熱波が荒れ狂い、大気が悲鳴を上げる。

「待て、ラルゴ! この地形で、それ以上の力は───」

 燃え盛る焔の渦に阻まれ、リグレットの制止は届かない。圧倒的な熱量に空間は軋み、視界を水蒸気が立ち込める中、一撃は放たれた。

「烈火ぁ──衝閃っ!!」

 槍の先端に形成された灼熱の刃が、轟音を響かせながら大地を射抜く。

 手加減無しの一撃に、雪原が比喩など無しに震え上がった。

 だが、この一撃は俺たちに届かなかった。忌ま忌ましげに顔をしかめるラルゴの様子を見る限り、どうやら引き出した力を制御仕切れずに、狙いを外したようだ。その事実に安堵を覚えるよりも先に、状況は動く。

 不気味な地響き音が俺たちの耳を打つ。

 ───これは……まずい!───

「皆さん、セフィロトに退きますよっ!!」

 珍しいことに、焦燥を顔に浮かべたジェイドが肉声で叫ぶ。相手の有無を言わせぬ剣幕に、俺たちも大急ぎでセフィロトに踵を返す。

「行かせるかぁっ!!」

 俺たちに追撃をかけるべく、六神将は数歩足を踏み出したところで──その動きが止まる。

 大佐の指示の下、最初にセフィロトへと辿り着いたティアとナタリアが、六神将に向けてそれぞれナイフと矢を投げ放っていた。

「くっ……!!」「ちぃっ……!」

 直撃したところで奏器を操る六神将にとっては、まるで問題にならない程度の威力しかない攻撃だったが、リグレットとラルゴはその場に足を止め、反射的に飛来した一撃を弾く。

 この動作で、二人の追撃は一瞬の停滞を余儀なくされる。

 そして──この一瞬が命運を分けた。

 最後尾の俺がセフィロトに駆け込むと同時───


 押し寄せる雪崩が、全てを飲み込んだ。




               * * * 




「……間一髪だったな」

 かつての戦場を見下ろし、俺たちは目の前の光景に息を飲む。

 既にセフィロトへ続く扉は完全に雪の下に埋もれ、垣間見ることさえできそうにない。雪崩の行き着く先には、底の見えない断崖が暗い穴を覗かせている。

 あの後、辛くも雪崩から逃れた俺たちは、セフィロト内部から地上へ続く通路を探すはめになった。本来なら封呪で閉ざされた入り口以外に、外に通じる場所はないはずだったが、今回は少々事情が異なっていた。

 ロニール雪山のセフィロトは長年の地殻変動に掻き乱され、地上まで突き出した通路も、それなりの数存在したのだ。故に、俺達はセフィロト内部を歩き回り、何とかセフィロトから外に続く通路を見つけ出すことができた。

 わざわざこの場所まで確認に戻ったのは、相手の奇襲を警戒しての事だったが、この分なら確かめるまでもなかったかもしれない。

「みんな……死んじゃったのかな」
「あれだけの質量に飲まれたのです。さすがの六神将も、脱出は絶望的でしょうね」

 敵対していたとはいっても、俺たちの中には深い関わりをもった人間が何人も居る。

 特にイオンの落ち込みようは傍目にも酷いものがあった。結局、アリエッタに真実を打ち明けられなかったという事実が、相当応えているのだろう。

 降り積もる雪が、残酷な優しさもって、全てを覆い隠す。

 雪原を見据えていると、谷間に僅かに差し込んだ光が、落下物に反射して視界に届く。

 ん? 何か落っこちてるのか?

 怪訝に思いながら落下物に近づき、手を伸ばす。拾い上げた手に載るのは、平凡な造りをしたロケットタイプのペンダントだった。雪崩の衝撃でフレームが歪んだのか、中を見ることはできそうにない。

 ……いったい誰の持ち物だったんだろうな。

 ペンダントを眺めていると、不意にそんな疑問が頭を過る。だが、わかったところで、持ち主は今頃雪崩の下だ。

「ルーク、そろそろ行くぞ」
「……ああ、わかった」

 とりあえずペンダントをポケットに突っ込み、そのまま皆の後を追う。

 吹きつける風が悲鳴のような音を立てる。俺は足を動かしながら、僅かに顔を上向かせる。

 視線の先には、間断なく音素を吹き上げる最大セフィロトの一つ、決戦の地──アブソーブゲートがあった。

 かつての師との対決を前に、俺は胸元を押さえ、拳を僅かに握った。

 胸に沸き上がる複雑な感情を抑えるように、俺は一旦瞼を閉じて、空に視線を移す。

 天上から降り注ぐ雪は、一向に止む気配を見せない。

 尾を引く雲の隙間から僅かに覗く光が、弱々しく、地上を照らしていた。



  1. 2005/06/28(火) 01:33:15|
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第4話 「果てに降る光」 ─前編─



 すべては終わっていた。


 倒れ伏す赤毛の脇腹から流れ出た赤いものが、地面に広がる。血に濡れた長剣を片手に、詠師服の男は笑う。僅かに離れた位置に、呆然と立ち尽くす男女が五人。燕尾服の刀は腰に繋がれたまま動かず、弓矢を番えるべき王女の手は動揺に震える。人形を抱く教団の少女は目を見開き、長髪の軍人はただ唇を噛む。

 そして、彼女は手を伸ばす。

 倒れ伏す彼の名を呼びかけようと、口を開く。

 詠師服の男が、杖を掲げ上げた。


 ───光の柱が天から降り注ぐ。


 呼びかけは届かなかった。

 誰もが光の柱に射抜かれ、地に伏せる。


 このとき確かに、すべては終わっていた。


 例外は、一つだけ。







             ─────決戦前夜─────







 ────出撃には、もうしばらくの時間が必要です。

 ロニール雪山から戻った俺たちに、ノエルが申し訳なさそうに告げた。

 何でもアルビオールの浮力機関が凍りついて 復旧にはどう少なく見積もっても一晩かかるらしい。ノエルが機体の調整をしている間、俺たちは明日の準備をすることになった。

 だが解散する途中で、イオンの体力に限界が来た。疲労で今にも倒れそうになっているイオンを連れて、俺とアニスは知事邸に向かう。しかし玄関前まで来たところで、イオンが何事か囁くと、アニスが憮然とした顔になって、私はここで待機すると一方的に告げてきた。

 俺は困惑しつつ、とりあえず執事さんに案内されるまま邸宅に足を踏み入れ、客室の一つにエッチラオッチラとイオンを運び込む。持ち上げた身体を寝台の上に寝かしつけ、あんまりにも軽い体重の手応えに、ため息混じりに寝台の主を見やる。

「やっぱり、無理してたんだな」
「すみません……能力はオリジナルと変わらないのですが、体力が劣化していて……」
「……すまん。答えなくてもいいから、今は無理しないで寝てろよ」
「いいえ、言わせてください。おそらく、僕は明日の決戦について行くことはできないでしょうから」

 苦しげな顔を上げ、イオンが上体を起こす。

「僕は導師という地位にありました。しかし、知らされていないことが、あまりにも多すぎる。おそらく、今回のヴァンの行動にも、教団に秘匿されてきた〝何か〟が影響しているはずです」
「何か……」
「そうです。そしておそらく、ヴァンと協力して〝僕達〟を生み出したモースもまた、その何かを知っているはず。だから僕は、全てが終わったそのときには、教団に戻り、すべてを明らかにしたい。……こんなことをあなたに頼むのは、筋違いだということもわかっています。ですが、お願いします」

 俺を見上げるイオンの瞳に、強い意志の光が宿る。

「僕に協力してください、ルーク」
「わかった。俺に任せろ」

 あまりに早い返答に、イオンの瞳が困惑したように揺れる。

「頼みはそれだけか? なら、早く身体休めとけよ。ここで倒れたら意味ないだろ?」
「そ、そのルーク、そんなに早く決めてしまってもいいのですか? 僕の申し出を受けると言うことは……」
「俺にもわかってるって。話がそんなに単純じゃないことぐらいはさ」

 俺は苦笑を浮かべた。イオンが何を危惧しているかぐらいは、俺にもわかる。

 長年教団が秘匿してきたものを明らかにしたいとイオンは言っているのだ。それは確実に、現行教団勢力の反感を買うだろう。一歩間違えば、教団との決定的な対立を生みかねない。

「だけどな。それぐらい、大したことじゃねぇよ」
「しかし……」
「だぁかぁら、仲間だろ? そんなこと気にするなって」

 カラカラと笑い返す俺の顔を見据え、イオンは静かに目を閉じる。

「ありがとう……ルーク」

 最後に小さくつぶやくと、ようやくイオンは寝台に身体を横たえた。そして、少しも間を空けない内に、深い眠りに落ちる。

 あまりに小さい身体だった。

 この小さい身体に、教団の導師として、導師のレプリカとして、いったいどれほどの重責を背負い、苦悩をため込んでいたんだろうな。ここ最近になるまで、自分の在り方なんてものについて、大して悩んだこともなかったような俺には、まるで想像がつかなかった。

「……約束するよ。明日、すべての決着を付ける。だから、イオンは安心して待っててくれよ」

 眠りに落ちた相手に誓いを交わし、俺はイオンに背を向けた。




               * * *




 知事邸を出たところで、所在無さげに佇むアニスの姿があった。路地の隅で不気味な人形を胸に抱いて、何も映らない瞳で空を見上げている。俺とイオンが話すのに、わざわざ席を空けてくれたってことだろうか?

「話は終わったぜ、アニス」
「……なんだ、ルークか」

 こちらを確認すると、直ぐにアニスはつまらなそうに視線を外し、再び空を見上げた。普段ならカチンと来る反応だが、どうにもアニスの様子がおかしいように見える。

「俺で悪かったな。しかし……何してんだ? 空なんか見上げてよ」
「ん、ちょっとね」
「ちょっと……ね」

 どこか気のない返事をする相手から僅かに視線を外し、俺は小さくつぶやく。

「……俺には、落ち込んでるようにしか見えないけどな」

 一瞬驚いたように目を見開くと、アニスはどこか乾いた声で笑う。

「あはは……ばれちゃいましたか」
「普段が元気すぎるぐらいにはっちゃけてるからな」
「こんなに可憐なアニスちゃんに向かって、どうしてそんな事言うかな? でも、ルークも、随分鋭くなったもんだよね~。出会った当初の間抜けっぷりが、アニスちゃん的には懐かしいですわ」
「……ほっとけ」

 しばらく当たり障りのない言葉を交わした後で、アニスがおもむろにつぶやく。

「アリエッタ、結局イオン様のこと、何も知らずに死んじゃったんだなって思ったらさ」

 少し落ち込んじゃいましたよ。アニスは笑って言った。泣きそうな顔で笑ってみせた。

 考えてみれば、イオンとアリエッタの関係は俺とナタリアの関係に似ている。唯一違う点があるとすれば、それは一つだ。

 アッシュは生きているが、オリジナルイオンは死んでいる。

 もしアッシュが死んでいる状態で、自分がレプリカである事実に気づいていたとしたら、俺はナタリアに、自分の正体を告げることができただろうか? それも、自分自身の口で。

 考えたのは一瞬だったが、どれだけ考えたところで、結論は一つしか出そうになかった。

 言える訳がない。少なくとも………俺は言えそうにない。

「……イオンのこと考えて止めたんだろ? なら、そんなに落ち込む必要はねぇと俺は思うけどな」
「そんなんじゃないよ。私はただ、真実を知った後に、アリエッタがイオン様に何を言うか知るのが、怖かった。……それだけ。私は自分が怖かったから、アリエッタの気持ちも、イオン様の決断もぜんぶ無視して、止めたんだよ」

 自嘲するように笑い、アニスは人形を抱く腕に力をこめた。小さな腕に抱かれた人形が、軋んだ音を立てた。

「……結局、俺もイオンの側だからな。アリエッタに負い目はあるけど……仕方ないとしか言えねぇよ。どう言ったところで……結局アリエッタはこっち側には居ないんだからな」

 アリエッタとアニスを明確に区別した発言に、アニスがマジマジと俺の顔を伺う。

「随分はっきりと割り切るね。……結構ルークって、悪人?」
「ま、所詮、チンピラだからな」

 おどけるように手をヒラヒラ振った後で、続ける言葉を言うべきか、言わざるべきか迷う。少し間を空けた後で、結局俺は言っておくことにする。

「まあアニスがどう思ってるにしろ……俺は感謝してんだ。
 イオンが自分自身を否定するようなこと言い出すの止めてくれて、ありがとな、アニス」

 柄にもない言葉をかけた気恥ずかしさに、俺はアニスから視線を逸らす。

 アニスはそんな俺を黙ったまま見据えていたかと思えば、突然顔をくしゃりと歪める。こちら側に走り寄ると、俺の胸を弱々しく叩く。

「……バカだよね、ルークって……ホント、バカだよ……」
「へいへい。俺はバカですよ。だから、まあ……バカの前でぐらい、お前も肩から力抜いとけよ。まだまだ、子供なんだからさ」

 力ない拳を振るいながら、アニスは小さく声を漏らす。

 俺は低い位置にある頭をポンポン撫でて、耳に届く嗚咽は聞こえないふりをした。




               * * *




 アニスと別れて街を歩いていると、ジェイドの姿が視界に入る。腕を組み、どこか懐かしそうに目を細め、雪に彩られた街並みを見据えている。

 無言のまま隣に並び、ジェイドと同じ視点に立つ。雪国であろうとも、そこで生きる人々は変わらない。誰もが日々の生活を精力的に送っている。

「ジェイドでも……故郷って懐かしいとか思うのか?」
「……まあ、懐かしいことは否定しませんよ」

 それだけではありませんけどね、と肩を竦めて見せた。

 そっか、と言葉も短く応じた後で、しばらくの間、俺たちは無言のまま街に視線を据える。

 ロニール雪山に行く前、ネフリーさんから教えられたジェイドの過去。フォミクリーを開発した経緯。そして、初の生体フォミクリー被験者……ネビリムの最後。

 ジェイドにとって、故郷は複雑な場所なんだろうな。

「……出会った当初は、あまり好感が抱けそうにないと思ったのですがね」

 おもむろに口を開いたジェイドが、そんなことを言ってきた。

「どうにもあなたは、私の知人に似ているようだ」
「ジェイドの知り合いに……?」
「ええ。ただの考えなしなのかと思えば、ときに私では及びもつかないような行動に出る。
 理詰めだけでは人は動かない。そんな当たり前の事実を、嫌と言うほど私に認識させてくれる点が、ひどく似ています」

 どこか困った相手を語るように、ジェイドは苦笑を浮かべながら、知人を評してみせた。誰のことを言っているのかは、俺にはわからなかった。だが、それでもその相手がジェイドにとって、単なる知り合いではないことは、俺にも伝わった。

「その影響でしょうか。こうして旅を続けているうちに、あなたのこともそう悪くない……そう思えてきてしまいましたよ」
「へへっ。悪くない、か。ジェイドにそんなこと言われるなんて、光栄だぜ」
「おや? いったい私はどう思われていたのやら、少し複雑な心境ですねぇ」

 少し笑いあった後で、ジェイドが突然真面目な顔になって、メガネを押し上げる。

「……知っていますよ。あなたが、今でも夜中にうなされて目を覚ますこと。あなたにとって、アクゼリュスの崩落は、まだ過去のものではないのですね」

 表情を伺わせないジェイドは、そのまま言葉を続ける。

「それに、盗賊やオラクルを切った夜は、眠れずに震えている」
「……情けねぇ、話しだけどな」

 力なく答える俺に、ジェイドはゆっくりと首を振る。

「いいえ。あなたのそういうところは、私にはない資質です。私は……どうもいまだに人の死を実感できない」

 人の死を実感できない。

 ジェイドにとっての負い目。

「あなたと旅するうちに、私も学んでいました。いろいろなことを、ね」

 微かに口元に笑みを浮かべ、ジェイドは俺に自身の思いを告げた。

「……ジェイドには、俺も感謝してるんだ」

 自然と俺の口は動き出す。普段の自分なら、絶対言えないような言葉が紡ぎ出されて行く。

「ジェイドが居なかったら、俺、いろんな事を見過ごしてただろうからな」

 ジェイドは俺が判断に迷ったとき、いつも何らかの道を示してくれた。簡単に答えだけを提示するようなことはしなかったが、それでも俺にとっては随分助けになった。

「むしろ俺の方が、教わったことは大きいぜ。ある意味……そうだな。ジェイドも俺の師匠だな」
「おやおや、私は弟子を取らないんですよ? 人に教えるのは嫌いなので」

 おどけて見せる相手に、俺も笑って肩を竦めて応じる。

「いいんだよ、勝手に盗むんだからな」
「そうですか? ふふ……まあ、好きにしてください」

 どこかとぼけた遣り取りを交わし合い、俺とジェイドは笑いあった。




               * * *




 別れ際にガイの奴はカジノに顔を出すとか言っていた。何となく話がしたいと思ってカジノまで赴いてみたはいいが、どこにもガイの姿は見えない。いったいどこにいったんだと首を傾げながら外に出ると、建物の壁際に背を押し当て、何事か考えこんでいるガイの姿があった。

 向こうも俺に気づき、視線に力が戻る。

「あー……ルークか」
「どうしたんだこんな所で? カジノやるんじゃなかったのかよ?」
「どうも、そんな気分じゃなくなってね」

 カジノの喧騒が、壁越しに微かに届く。

「ヴァンと俺さ、幼なじみだったんだよ」
「……そういや、そんな事を言ってたっけな」
「ガキの頃の俺は怖がりでな。よく姉上に、男らしくないって叱られたよ。そんなとき、いつも庇ってくれたのはヴァンだった」

 ガキの頃……つまりホドで過ごした時代の事か。

 思えばホドが、すべての始まりの地なのかもしれない。フォミクリーの実験施設があった地。超振動研究が行われていた地。そして超振動実験の被験者として……あいつが滅ぼした故郷。

 少し暗くなった思考を切り換えるべく、俺は冗談めかした口調で相槌を打つ。

「ヴァンに子供時代があったってのが、そもそも俺には想像つかねぇな」
「馬鹿言えよ。誰だって子供の頃は……お前にだってあるよ。七歳なんて、まだ子供だぜ?」
「はぁ? 何言ってんだ?」

 訳がわからんと眉を寄せる俺に、ガイは笑って告げる。

「だってお前、いま七歳だろ?」
「うっ……そういうことか」
「成人まであと十三年ある。子供時代、満喫しとけ」

 ポンポン肩を叩くガイに、俺は苦笑を浮かべるしかない。だが、このまま言われっぱなしってのも芸がない。

「なら、もうしばらくの間だけ、ガキのお守りをお願いしとくよ」

 だから子供扱いされたお返しに、ならお前も子守よろしくな、と俺はふざえた指摘を返す。

 しかし、そんな俺の言葉に、ガイは人指し指を一本立てて、気障ったらしく左右に振りつつ否定する。

「それは違うだろ。俺はファブレ公爵の使用人としてじゃなく、お前自身についてきてるんだ。いったいどうして、俺がそんな割りに合わない事してるのか、お前ならわかるだろ?」
「うっ……それ、答えなきゃ駄目か?」
「そりゃ、答えてくれたら嬉しいねぇ」

 何とも意地の悪い話だが、どうしても、俺の方から言わせたいらしい。

 まあ、仕方ないか。俺は観念したと手を上げて、ガイに呼びかける。

「明日も頼んだぜ、親友」
「当然だろ、親友」

 俺とガイは手を伸ばし合い、ぱぁん、と互いの掌を叩き合わせた。




               * * *




 白い大地に、金髪が風にそよぐ。

 雪に包まれた広場に一人立ち、ナタリアは遠くセフィロトを見据えていた。

 彼女の横に並んで、俺もセフィロトを見やる。

「……いろいろな事がありましたわね」

 しばらく眺めていると、不意にナタリアが口を開いた。

「私もあたなも、この旅に出る前と後では、何もかも違いますわね」
「そうだな……」

 旅に出る前と旅に出た後。

 本当に……いろんなことがあったよな。

 城に居た頃もそうだったが、結局、旅に出た後も俺は助けられてばかりだった。

 不意に、シェリダンでの一件が脳裏に蘇り、罪悪感が沸き起こる。

「……ごめんな。ナタリア」
「まあ、どうしましたの?」

 優しく問いかけるナタリアに、俺は少し躊躇いながら、言葉を探す。

「一度、謝ったときたかったんだ。ナタリアには随分と迷惑掛けたからな。それこそ旅出る前も、旅に出た後もさ」

 そう言葉にしながらも、俺が本当に謝りたいのは、そこではなかった。

「それに……俺のせいで、色々と悩ませちまったしな」

 結果的に盗み聞くことになってしまったアッシュとの約束。

 どう言ったところで、あいつと彼女を引き離したのには、俺の存在が大きく影響している。俺があいつの居場所を奪ったなんて事は、もう考えない。俺が俺であることは誰にも否定させないと胸を張って宣言できる。

 だがそれでも、完全に負い目が消えた訳でもなかった。

「だから、ごめんな」

 自分でも何を謝りたいのか、直接的に言葉にして伝えられないもどかしさに歯痒さを覚えながら、俺はナタリアに頭を下げた。

「ルーク……面を上げてください」

 謝罪を終えた俺が顔を上げると、そこには俺の顔を下から覗き込むように見上げるナタリアの姿があった。

「うっ……な、何だ?」

 動揺する俺を見据え、彼女はどこか悪戯めいた微笑を浮かべると、一つの推測を告げる。

「シェリダンで、アッシュとの会話……聞いていましたでしょう?」
「げっ……ば、ばれてたのか?」
「まあ、やっぱりそうでしたのね」

 思わず漏らした呻き声に、ナタリアがクスクスとおかしそうに笑う。

 どうやら実際は気づいていたのではなく、単にカマをかけてみただけのようだ。

「ひでぇな……引っかけかよ」
「あなたは後ろめたいことがあると、直ぐに動揺が顔に出ますものね」

 しばらく笑い声を漏らした後で、彼女は真剣な顔になって俺に尋ねる。

「……言ってみて、下さいません?」

 何を言うのか。それは今更問いかけるまでもなかった。話の流れからすれば、当然プロポーズの言葉だろう。

 だが、ここで俺に言わせる理由がわからなかった。俺は困惑気味に、彼女の顔を見返す。

「どうして、俺に……?」
「それで……私、いろいろなことから決別できるような気がしますの」

 静かに瞳を閉じるナタリア。それ以上何かを言う様子はない。まあ……それほど深く考える必要もないか。彼女が俺に出来ることを頼んでくれたんだ。なら、俺もそれに答えるまでだ。

 ナアリアの碧眼を正面から見返し、俺は口を開く

「……いつか俺たちが大人になったら、この国を変えよう」

 交わした記憶も無い、けれど彼女にとって何よりも神聖な言葉を口にする。

「貴族以外の人間も、貧しい思いをしないように。戦争が起こらないように。死ぬまで一緒に居て、この国を変えよう」

 雪が舞い降りる広場に、僅かな間、沈黙が降りる。

「……ありがとう」

 胸を押さえていた彼女が瞳を開き、俺の顔を見据える。

「私、あなたが誰なのかなどと、もう迷いませんわ。王家の血を引かない事実を受け入れたように、あるがまま、あなたを受け入れます」

 心の底から、彼女は自然な笑顔を見せる。強い意志に燃える瞳が、俺を映す。

「あなたも私の幼なじみですわ。一緒に生き残って、キムラスカをよい国に致しましょう」
「そうだな。俺とナタリア、それともう一人でな」

 不思議そうに無防備な顔を返す彼女に、俺は笑って先を続ける。

「当然アッシュも一緒だろ? あんなやつでも、俺の兄弟なんだ。あいつは嫌がるかもしれないけどさ。全てが終わったら、引きずってでも、俺たちの家に連れ戻してやろうぜ?」

 言い切った後で、俺は急に照れくさくなってきて、彼女に背を向けた。

「ルーク………あなたの幼なじみであること。私、誇りに思いますわ」

 背中にかかる呼び声に、片手を上げて応えた。




               * * *




 アルビオールの機体が置かれた場所まで足を運ぶと、機体に取りついて整備を続けるノエルに混じって、小動物二匹がせわしなく雪原を飛び回っているのが見えた。何とも和まされる光景だが、ノエルの邪魔になってるようなら、さすがに考えないといけないよな。

「ノエル。こいつらが邪魔になってるようなら、一緒に引き上げるが……」
「いえ、大丈夫です。重要な部分には近づかないように、気を付けてくれていますから」

 機体から律儀に顔を出して、ノエルがこちらに視線を合わせて答えてくれた。

「そっか。しかし、修理ってやっぱり大変そうだな」
「ええ。ですが、明日には絶対、間に合わせてみせます!」

 力強く応えると、ノエルは再び修理に没頭し始めた。

 しばらく見学していると、何処かで見たような頭が街中から近づいてくる。鮮烈な印象を与える赤毛に黒の教団服を羽織った男。そんな目立つ格好をした人物は、俺の知る限り一人しか居ない。

「アッシュか?」
「……能無しか」

 一瞥だけすると、そのまま俺の横を通りすぎて、修理を続けるノエルに話しかける。

「アルビオールが故障したと聞いたが、大丈夫なのか?」
「アッシュさんですか? はい。ネフリーさんにもご協力頂いたので、明日までには絶対に仕上げてみせます」

 そうか、とアッシュは頷いた後で、俺に視線を向ける。

「修理が済み次第、直ぐにアブソーブゲートに向かうんだな?」
「そうだぜ」
「………」

 何事か考え込むように、アッシュが虚空を見上げた。こいつが独自に動いているのは知っているから、今更不審に思ったりはしないが、相変わらず唐突な奴だよな。

 とりあえず、俺も気になったことを相手に尋ねて置く。

「お前、シンクにやられた腹の傷はもう大丈夫なのかよ?」
「ちっ……テメェに心配されるいわれはないな」

 あからさまに苛立たしげに舌打ちを打つ相手に、俺はため息をつく。そんな俺の反応が気に入らないのか、アッシュは忌ま忌ましそうに俺を睨む。

「なんだ、言いたい事があるならはっきり言え」
「なら、言わせて貰うけどよ。明日、お前も一緒に行かないか?」
「断る」
「……少しは考える素振りぐらい見せろよ」

 呆れ顔でつぶやく俺に、アッシュは馬鹿にしたように鼻を鳴らして見せた。

「少しは考えろ、馬鹿が。この状況でヴァンの待ち受けるアブソーブゲートに向かったら、ラジエイトゲートに向かうには絶対的に時間が足らねぇはずだ。誰かがラジエイトゲートに向かって、何らかの仕掛けを施す必要があるだろう」
「……あっ! それもそっか。そういう所は、やっぱさすがだな」

 素直に感心する俺の反応に、アッシュも満更でもなさそうに鼻を鳴らす。

「メガネに伝えておけ。二つのゲートのパッセージリングを連動させて、起動させろとな。操作が複雑になるぶん必要となる力も増すだろうが……そこは俺が何とかする」
「あ、ああ、わかった。伝えとくぜ」

 応じながら、この相手が自分に助言を掛けた事実に驚きを覚える。アッシュの奴も、最初の頃と比べれば、随分と当たりが柔らかくなったかもしれないな。

 それでも口の悪さは変わらないが、俺とアッシュの関係を考えれば仕方ないと割り切れる部分が大きかったので、さしてムカツキもしない。

 まあ……それでも当然、いい気分もしないがな。

 一人ため息をついていると、ふとアッシュの顔色が普段よりも悪いことに気づく。大丈夫か尋ねようとした瞬間、アッシュが激しく咳き込みながら体勢を崩す。脇腹を押さえる掌からは、紅いものが滲み出ていた。

「お前、腹から血が……」
「くそっ! こんな身体でなければ、俺がアブソーブゲートに向かっているものを……」

 口惜しげに言い捨てた後で、アッシュが俺を睨み据える。

「お前がヴァンを討ち損じたときは、俺が這ってでも奴を殺す! 必ず……仕留めろよ」
「……わかってるさ」

 僅かに顔を逸らして応じる俺の様子に、アッシュは一度鼻を鳴らして後で、背中を向けた。




               * * *




 そして、彼女は其処にいた。

 他の場所よりも僅かに高い位置に作られた広場。街の外に繋がる門の近くに佇み、彼女は遠くゲートのある方向を見据えている。

 雪国の中で、流れるような長髪が銀に輝く。後ろから近づく気配に気づいてか、彼女が振り返る。

「ルーク……?」
「まだ宿に戻ってなかったんだな」

 俺の姿に気づき、ティアが僅かに表情を緩めた。

「少し、風に当たっていたかったから」

 冷たい風が頬を撫でる。

 確かに、火照った頭を冷やすにはちょうどいいかもしれない。

 彼女の隣に並んで、俺も彼女と同じ方向を見据える。

「……明日、なんだよな」
「ええ。あとは……兄さんだけね」

 硬い表情に戻って、ティアは唇を引き結ぶ。そんな彼女の顔を見据え、俺は以前から気になっていたことを問いかける。

「ティア、お前さ。本当に……兄貴と戦えるのか?」

 どう言ったところで、彼女とヴァンは血の繋がった肉親だ。

 今は袂をわかってしまったが、これまで過ごした日々が、それで無かったことになる訳ではない。

 それに……ヴァンの奴も、ティアの事だけは気に掛けていた様子だったしな。

 真剣な表情で問いかける俺の視線から、僅かに顔を逸らして、彼女は小さくつぶやく。

「……本当は……」

 僅かに言いよどんだ後で、言葉を紡ぐ。

「本当は……戦いたくない。兄さんはずっと、私の親代わりだったの。外郭大地に行ってしまってからも、私のところに顔を見せてくれたわ」
「……そっか」
「兄さんが大好きだった。だから、あんな馬鹿げたこと、絶対やめさせたかったのに……」

 ティアの兄貴で、俺にとっては剣の師匠。

 かつてあんなにも近い場所に居た相手が、今はひどく遠い場所に居る。

 俯けていた面を上げて、彼女は続ける。強い意志の宿った瞳が、俺を見返す。

「でも、私の言葉は届かなかった。なら、間違った兄を討つのは妹である私の役目」

 だから、私は戦える──……そう、彼女は決意の言葉を告げた。

「……強いな。ティアは、本当に強いぜ」
「そんなことないわ……私は……」
「前に、自分は強く在ろうとしているだけだって、ティアは言ってたよな。でもさ、自分の感情の手綱をキチンと握ることの難しさは、俺も少しはわかってるつもりだよ」

 これでも感情に振り回されないように、自分では気を付けてるつもりなんだが、なかなか上手く行かない。昔から比べれば多少は成長しているかもしれないが、それでも目指すべき場所は未だ遠く、遥か彼方に在った。

「だから、ティアも少しくらいは自分を誇って良い……そう、俺なんかは思うんだけどな」
「ルーク……」

 ティアは瞳を閉じて、俺の言葉を静かに聞き届けてくれた。

「……でも、私が強く在れたとしたら、それは私だけの力じゃないわ」

 俺の顔を正面から見返し、彼女は小さく微笑んだ。

「あなたとの約束が、私を強くしたのよ」

 思わぬ返しに、俺は急激に顔が熱を持つのを感じる。そ、そう来るか。辛うじて開いた口からは、動揺まみれの言葉しか出て来ない。

「そ、そっか。それはまた、えーと、どういたしましてというか……そのだな……」
「どうしたの急に……? ……あっ!」

 口にした後で、ティアもようやく自分の発言内容に気づいてか、みるみると頬が朱に染まり上がる。

「………」
「………」

 居心地が良いのか悪いのか、それすらよく判別がつかない類の沈黙が続く中で、俺は必死に彼女へ返すべき言葉を探す。

 不意に、シェリダンの崩落後、ユリアシティで交わした誓いが思い出される。

 思えば、ティアはあの日の約束を果たしたのかもれない。

 今もこうして、前を向いて歩いているように。

 ……なら、俺も約束に恥じない行動しないとな。

 動揺が自然と収まるのを感じながら、俺はいつもの如くどこか調子の良い笑みを浮かべ、口を開く。

「ヴァンが何を目指しているのかイマイチよくわからねぇままだけどさ。明日、ヴァンの奴に会ったら、あいつの目的聞き出した上で、ぶん殴ってでも止めてやろうぜ? それで全部が終わったら、笑い話にしてやるんだ」
「相変わらず……現実を見ていない意見ね」

 いつものごとくキツイ台詞がティアから返るが、その声音はどこか優しい。

「でも……そうなったら、いいでしょうね」

 小さく微笑む彼女と視線を合わせ、俺は言葉を掛ける。

「絶対、生きて帰ろうな」
「ええ、絶対、生きて帰りましょう」

 言いながら、何故か、彼女は指を突き出す。

「……って、なんだ?」
「え……? だって、約束するのよね?」

 小首を傾げるティアの反応と、突き出された小指に、俺は何となく事態を察する。

 つまり、彼女は指切りをしようと言ってるわけだ。

 差し出された指をまじまじと見据えながら、俺は口を開く。

「……ティア、お前さ。実はナタリアとアッシュの約束とか……羨ましかったりするのか?」
「そ、そんなことないわ!」
「いや、だがよ。ここで指切りを言い出すのはさすがに……」
「だ、だから違うわ! だって違うもの!」
「……」
「ほ、本当よ! べ、別に素敵だなぁなんて、全然思ってないんだから!」

 狼狽のあまり墓穴を掘るティアに、何だかなぁと俺は頭を掻く。

 ティアは怒ったように顔を真っ赤にさせると、強引に俺の腕を取る。

「もう! 別にいいでしょ! ほら、指を伸ばして」
「あ、ああ。わかった」

 何を怒ってるのかよくわからないまま、とりあえず俺は彼女に言われるまま指を差し出した。

 こうして、俺とティアは指を伸ばし、約束を交わす。

 絶対に生きて帰ろうと──……子供染みた、指切りに誓うのだった。



  1. 2005/06/27(月) 00:08:13|
  2. 【家族ジャングル】  第六章
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第4話 「果てに降る光」 ─後編─



 荒れ狂う音素の流れの収束点。すべての音素が地殻に帰る地──アブソーブゲート。

「私はここで、皆さんのご無事を祈っています」

 セフィロトから吹き上げる音素に掻き乱される大気の中、神業的操舵技術をもって着地を成し遂げたノエルが、俺たちにそう告げた。

 この先はゲート内部ということもあって魔物が配置されていたりする。無理についていったとしても、自分は足手まといになり兼ねない。そうした判断からの申し出だろう。

 確かに、ノエルにはここでアルビオールと待機してて貰うのが一番いいだろうな。

「わかった。アルビオールは頼んだぜ、ノエル」
「はい! お任せ下さい」

 早速機体の整備に乗り出す彼女に感謝しながら、俺たちも歩き出す。

 数歩進んだところで、俺はある事実に気づく。

「──って、ちょっと待て!」

 当然の如く、俺たちの後に続こうした小動物二匹に向けて、俺は盛大に待ったを掛けた。

「どうしたんですの、ご主人様?」
「……いや、どうしたもこうしたもねぇだろ」

 まるでわかってないのな、こいつらは。何だか頭が痛むのを感じながら、俺は額を押さえた。

「ともかく、お前らは今回留守番な。……ノエル、こいつらのこと頼めるか?」
「はい。でも……宜しいのですか?」

 頷いた後で、視線を俺の足元に移す。そこには憤慨する小動物が二匹。もの凄く憤慨してる。

「ご、ご主人様。僕達も一緒に行くですの!」
「ぐるぅぅぅっ!!」
「だぁ! 今回は駄目だ! 絶対ついてくんなよっ!」

 待機してろと言われた二匹が抗議の声を上げるが、それを一喝して俺は強引に納得させる。

「すまねぇが、こいつらのこと頼んだぜ、ノエル」
「わかりました。さあ、こっちに来て」
「みゅうぅぅ……ご主人様、頑張って下さいですの」
「ぅるぅぅぅ…………」

 心配そうにこちらを見上げる四対の瞳に、俺は苦笑が浮かべながら、安心しろと視線を返す。ついで二匹を抱き上げたノエルを見やり、一つ言い添えておくことにする。

「ノエルもヤバそうな空気になったら、離脱してくれて構わないからな」
「そうですね。そういうこともあるかもしれませんね」

 ノエルは微笑を浮かべると、どこか曖昧な言葉を返した。

「どうか、御武運を……」

 ノエルの祈るような言葉を背に受け、俺たちは彼女たちと別れるのだった。


 こうして、俺たちはアブソーブゲートを進む。


 最大セフィロトってこともあって、それなりに複雑な内部構造をしていたが、俺たちは特に迷うことも無く、一直線に突き進む。

 最下層に近い部分まで行き着いたところで、突然、ジェイドが俺たちに向き直る。

「おそらく、この先にパッセージリングがあるはずです。簡単な今後の流れを、皆に説明しておきましょう」

 心して聞いてください、と皆が話しに集中しているのを確かめ、ジェイドは続ける。

「アッシュも指摘していたことですが、ここからラジエイトゲートまで向かっている間に、おそらく、外郭大地は崩落する。そのため緊急的な措置ですが、二つのゲートへの命令を、アブソーブゲートで一括して済ませてしまいましょう」
「でも、どうやってラジエイトゲートを起動させずに外郭を降ろすのです?」

 ナタリアの疑問に、ジェイドが答える。それによると何でもラジエイトゲートへの命令をアブソーブゲートに変更すると書き込むことで操作が可能になるらしい。

「出力の不足に関しては、アッシュが何やら考えがあるようなことを言っていたそうですしね」
「そうなのか、ルーク?」
「ああ。そんなようなことを言ってたぜ」

 どこか頼りない俺の言葉に、本当に大丈夫かよと皆の視線が注がれる。

 うっ、何か言葉を返したいところだが、アッシュの考えとやらを聞いてない俺には何も言葉を返せない。

「まあ、どちらにせよ、これがかなり強引な方法であることに変わりはありません。不確定な部分があるのも、ここは仕方ないと割り切るしかないでしょうねぇ」

 ばっさり話題を打ち切ると、ついでジェイドは具体的な操作手順に関して言及を始める。

「その後は、アブソーブゲートのセフィロトに向けて、ルークの第七音素を照射して下さい。これが合図となって、降下が始まります」

 よろしくお願いしますね、とジェイドは何とも余裕を感じさせる仕種で言ってのけた。

「……何つぅーか、ホント余裕だよな、ジェイドはよ」
「今更緊張しても仕方がないですからね。結局、何時も通りの事を、何時も通りにするだけですよ」

 肩を竦めてみせながら、ジェイドはしごく気楽な言葉をもって、説明を締め括るのだった。

 まあ……何時も通りの事をやるだけか。確かに、それもその通りか。

「無駄に気を張ってたら、上手く行くもんも行かなくなるもんな」

 それぐらいの気構えで、むしろちょうどいいってことかね。

「そうですわね。この先に誰が待ち受けていようと、私たちは成すべき事をするだけですわ」
「だな。何時も通り、気楽に構えて行くとしますかね」

 ナタリアが至言といった感じで頷き、それに応えるようにガイが笑みを浮かべる。

「うんうん。総長なんかに負けてられないもんね」
「ええ、そうね。私たちの世界を守るために……行きましょう」

 腕を上げてえいやーと同意するアニスに、ティアが微笑ましげに顔をほころばせ、皆を促す。

「そうだな。いっちょ、あの石頭をぶん殴って、馬鹿げた考えを叩き潰してやろうぜ?」

 乱暴に言い放つ俺に、皆が苦笑を浮かべるのがわかる。しかし、何時も通りってことなら、やっぱりこれぐらいのノリで行くのが俺たちには丁度いい。

 こうして、俺たちは何とも緊張感とは無縁のまま、セフィロトに続く通路──ヴァンの待ち受けているであろう場所に向けて、その足を踏み出した。




               * * *




 譜業のパイプオルガンが荘厳な音を奏でる。

 天上に突き出した無数のパイプが連動して動き、奏でられる音は高らかに鳴り響く。

「………来たか」

 弾き手は腕を止めると、僅かに顔を上げる。

「ベルケンド以来の顔合わせとなるな──レプリカ・ルークよ」
「ああ……本当に、久しぶりだな──ヴァン・グランツ」

 言葉を交わす俺たち二人の間で、空気が急激な勢いで張り詰めていく。

「……プラネットストームを逆流させてまでして、俺達をここに来させた理由は何だ?」
「全ては世界の解放のためだ。聖なる焔の光の協力をもって、ローレライは消滅し、この世界は解放されるのだよ」

 既定のことを語りかけるような相手の反応に、俺は沸き上がる苛立ちを押し殺して、相手を睨む。

「なら残念だったな。アッシュはここに来ないぜ。俺の超振動を使う能力は劣化してるんだろ? 俺たちをどう利用するつもりなのかは知らねぇが、現状では、どうやったところで、ローレライの消滅は果たされないってことだな」

 挑発的に告げた言葉にも、相手はさして動揺も見せず、淡々と答える。

「ささいな問題だな。レプリカの能力が劣化すると言っても、今の衰えたローレライを消滅させるには、十分すぎる程の力が超振動にはある。……また、超振動のみが、お前たちの特性でも無い……」

 最後に小さくつぶやいた後で、ヴァンは俺の顔を見据える。

「私はお前の来訪を歓迎しよう、レプリカ・ルークよ」

 こちらを見据える相手の瞳に嘘は見えない。本気でアッシュではなく、俺が来たことを歓迎しているようだ。正直、訳がわからなかった。

 不可解な相手の反応に不信感が募るのを感じながら、俺は相手の狙いについて考える。

 そもそもヴァンの狙いは預言から人類を解放することのはずだ。それとどう繋がるのかは未だによくわからないが、奴はそのためにローレライを消滅させるとこれまで訴えていた。今もまた、衰えたローレライを消滅させるには、俺でも可能だと言ってきた。

 そうした言葉から考えるに、やはりローレライの消滅を狙ってるって言葉に嘘はないのだろう。

 しかし、衰えたローレライ、か。そう言えばスピノザも言っていたな。世界中の第七音素の総量が減少しているとか……

 ───何者かが私の力を吸い上げているのだ───

 不意に、地殻で交わしたローレライとの言葉が蘇る。 

 嫌な予感が、俺の胸を掻き乱す。

「ヴァン………あんた、触媒武器を使って、地殻に何をした・・・・?」

「答える前に、一つ尋ねようではないか。お前たちは触媒武器が地殻から抽出せし力を、いったい何と認識している?」

 こちらの反応を試すような質問が返された。俺は自分でも、もはや信じてない答えを返す。

「………記憶粒子か?」
「ふっ……それは正確ではないな。確かに記憶粒子だが、同時に全くの別物といえる力だ。奏器をパッセージリングに干渉させる毎に、お前は聞いていたはずだ」

 脳裏に過るのはアクゼリュス崩落の直前、パッセージリングに突き刺される響奏器。

「──奴の上げる悲鳴をな」

 光を放ち音素が吸い上げられると同時に、俺の脳髄に響く絶叫。

「……じゃあ、あの声は……やっぱり……っ!」

 予感が確信に変わる。顔を歪める俺を見据え、ヴァン・グランツは答える。

「そう。我等が地殻から抽出せしものとは、第七音素集合意識体──ローレライの意識そのものに他ならない」

『なっ!?』

 あまりの宣言に、仲間が動揺の声を上げる。

「……ベルケンドにおける触媒武器の分析結果から、私もその可能性は考えていました」

 ただ一人、ジェイドだけが苦い表情で、ヴァンを見据えていた。

 触媒武器の分析結果。内に秘められたあまりに偏った性質を備えた、莫大な量に上る第七音素。そして、地殻で邂逅したローレライの存在。

 そうした事実から、可能性としては考えていたとジェイドは告げる。

「ですが、何故です? どうして第七音素の集合意識体であるローレライを抽出することで、あれ程までに多様な属性の力を振るうことができたのです?」

 ジェイドが投げかけた当然の疑問に、ヴァン・グランツは口端をつり上げる。

「第七音素とは一説には、プラネットストームによって巻き上げられた記憶粒子が、六層からなる音符帯を通過する過程で突然変異を起こしたものだと言われている。それ故に、確たる属性を持たない音素であると。
 だが、それは同時に音応帯を通過する過程で、第一から第六までの音素と記憶粒子が結合した結果、生み出された音素とも言えるのではないか? そう──すべての属性に通じる音素であると」

「記憶粒子が各音素と結合……──っ!? そういうことか!」
「どういうことだ、ジェイド……?」
「ヴァン謡将の推測が事実なら、第七音素の集合意識体もまた、第一から第六までの各音素を含んでいる可能性が高いという事です。そして、それは事実だった」

 視線も鋭く言葉を放つジェイドに、ヴァンは悠然と肯定を返す。

「その通りだ、バルフォア博士。第七音素は六属の音素を全て兼ね備えし音素。そして、それは集合意識体たるローレライを構成する音素にも言える事。
 この事実を理解した我等は、一つの考えに思い至った。ローレライが七属の音素から構成されているならば、奴を構成する意識を属性ごとに分断することで、其の力を削ぐこともまた、可能ではないかと……」
「意識を分断する……」
「そうだ。だが、意識の断片とはいえども、一つの属性を統括する意識体を吸い上げ、保持し続けるためには、莫大な量の音素を蓄積し得る器が必要だった。そして度重なる実験の末、我等はそれが可能な触媒を見出したのだ」

 創生歴時代に開発された、惑星の力を解放すると言われし、六本の触媒武器。

「ローレライの意識分体を吸い上げた結果として、触媒武器は各属性の音素を無尽蔵に使役することが可能となったが……それは取るに足らぬ要素に過ぎない」

 ラルゴの炎槍。リグレットの氷銃。シンクの風刃。ディストの闇杖。あの出鱈目な威力の武器も、全ては副次的な産物だと目の前の男は語る。

「全ては奴に消滅を導く為の布石。自らの意識を分断された結果、奴の力は急激な衰えを見せている。もはや奴の存在は、自らの主属性たる記憶粒子から構成される意識によって、辛うじて保たれているに過ぎない。後はここに残る意識体を引き上げ、超振動をもって消滅させることで、世界は新たな地平を歩み出す」

 熱の籠った言葉を続けるヴァンに、ティアが声を飛ばす。

「どうして……!? どうしてそこまでローレライの消滅に拘るの、兄さん!? そんなことの為に兄さんはパッセージリングを壊して回ったの? セントビナーやエンゲーブを崩落させたと言うのっ!?」
「ベルケンドで既に応えたはずだ、メシュティアリカ。大地が幾ら崩落しようが、世界は何も変わらないと。パッセージリングの寿命はいずれ尽きた。私の干渉は、その限界を多少早めたに過ぎない。外郭大地はいずれにせよ、崩落したのだよ」

 ナタリアがヴァンの言葉に、顔をしかめる。

「……それを気づかせたあなたに、感謝しろとでも言うつもりですの?」
「ふっ……さすがに、そこまで言うつもりはない。ただ、この世界の無意味さを訴えているだけに過ぎない」

 ───ホドが消滅した。しかし見ろ、世界は何も変わらない。

 かつてベルケンドで聞いたヴァンの叫びが、脳裏に蘇る。

 暗い感情を瞳に宿らせ語るヴァンに、ガイが少しの躊躇いを挟んだ後で、問いかけを放つ。

「……復讐なのか、ヴァン?」
「復讐……か」

 意外な言葉を聞いたとでも言うかのように、ヴァンは目を細めた。

「ただ復讐に狂うことができれば、まだ私は救われただろうな。この世界には、憎しみすら呑み込むほどの絶望が存在している……お前も世界の真実の姿を知れば、私と同じ行動を取っただろう……」

 ぶつぶつと、まるで自身に言い聞かせるかのように、ヴァンは言葉をつぶやく。しばらく呟いた後で

「いや……もとより理解など求めていない。私が求めるのは世界の解放。それ以外の言葉は不要か」

 ヴァンは首を左右に振って、俺たちに向き直る。

「もう一度、お前に問いかけよう。複製体である事実など、私にはどうでも良いことだ。新たな世界の創生に、私はお前を必要としている」

 伸ばされた手が、俺に突き伸ばされる。

「私に協力しろ──聖なる焔の光ルーク よ」

 呼び声は強烈なカリスマをもって、俺を引き寄せようと耳に届く。

 だが、俺の返す答えもまた決まっていた。

「絶対に、御免だな」

 一片の迷いも、刹那の躊躇も無しに、俺は自らの答えを告げる。

「世界の解放なんざに興味はねぇよ。預言が気に入らないって言うなら、ちまちま影で動いてねぇで、面に立ってそう訴えやがれ。あんたが何に絶望してるか知らねぇが、俺から言えることは一つだけだ」

 引き抜いた剣の切っ先を突き付け、俺は目の前に立つ、自らの師を見据える。

「甘ったれてんじゃねぇ──バカ師匠がっ!!」

 叩きつけた啖呵に、空気がビリビリと震え上がる。ひたすら真っ直ぐに、何一つ誤魔化すことなく、俺は自らの答えを告げた。

 ヴァンはそんな俺の言葉に怒りを覚えるでもなく、面白いものを見たと言うかのように静かに目を細め、口元をほころばせている。

「ふふっ……本当に、お前らしい答えだな」

 かつて共に屋敷で過ごしていた時のように、ヴァンは笑った。
 だが其の笑みも直ぐに消え去り、ヴァンは壇上からこちらを見下ろしながら、剣を引き抜く。

「ならば私はお前の戦意を叩き潰し、その器を利用させて貰うまでだ」

 右手に握る剣を眼前に捧げ持ち、左手が腰に吊るした杖を一撫でする。

「アクゼリュスの崩落から、いったいどれほど腕を上げたのか見てやろう」

 ヴァンの周囲に生み出された燐光が虚空を舞い踊る。

「お前が自身を正しいと思うならば、この私を超えることで証明してみせよ、ルーク!」

 杖から溢れ出た聖光がヴァンの全身を包み──

 ──此処に決戦の幕は上がる。




               * * *




 渾身の力を込めて、俺は剣を一息に降り降ろす。一瞬にして間合いを詰めた俺の動作に、相手は僅かに片眉上げると、流れるような動作で刀身を掲げ上げた。

 互いの刀身に込められた音素が衝撃と閃光を撒き散らす。剣戟がぶつかり合う毎に、擦り合わされた金属がギリギリと耳障りな音を上げた。せめぎ合う音素が火花を散らす中、俺とヴァンの視線が交錯する。

「ふっ……かなり実力を上げたようだな。見違えたぞ?」
「へっ……そいつは──ありがとよっ!」

 強引に刀身を翻し、俺は下方から剣先をはね上げる。しかし相手は冷静に俺の攻撃を受け流し続け、こちらを観察するような視線を向ける。

 埒が開かない。更に数合打ち合ったところで、互いの剣先を叩き合わせ、一旦間合いを離す。その間も、相手にこれといった動きは見えない。余裕そのものといった風体で、追撃に移るでもなく、観察の視線をこちらに向けていた。

 いったい何を狙ってるんだ……?

 相手の意図が読めないことに不気味さを感じながら、再び切り込みを駆けようとしたところで、ジェイドが何やらナタリアに指示を与えている事に気づく。
 二人の交わす言葉を聞き取るよりも先に会話が終わる。ジェイドが何やら複雑な詠唱を紡ぎ始めた。

「……天光満つる処……我は在り……」

 その詠唱に意識を取られた俺の脇を駆け抜ける、一陣の風。

 前に飛び出したガイとアニスが、俺と入れ代わる形でヴァンに突撃をかけた。先を行くガイが裂声を上げ斬撃を放つ。疾風の如き連撃を受け流すヴァンの脇から、アニスの譜業人形が絶妙なタイミングでさらに追い打ちを放つ。

「ふむ。連携も中々によく練られているようだな」

 ヴァンは冷静に一連の攻撃に対処する。戦闘中だというのに、こちらを評するような言葉をわざわざ口にしてみせた。未だ腰に吊るす第六奏器を本格的に使う様子も見せない。

「ガイ、アニス!」

 短く二人の名を叫ぶナタリア。これに意図を読み取ったガイとアニスが、ヴァンから間合いを離す。

「砕けましてよ───」

 上空に跳び立ち矢を番えたナタリアが、ヴァンの立つ地面を狙う。限界まで引き絞られた弦を伝い、鏃を中心に収束された音素が解放された。

《───ストローク・クエイカー!》

 矢が着弾すると同時に、爆音が周囲に鳴り響く。まき散された衝撃に、激しく大地が揺れ動く。あまりの振動に、足を取られたヴァンが僅かに体勢を崩した。

「黄泉の門開く処に汝在り……──」

 ついで絶好の隙を見せた相手を前に、永遠と紡がれ続けていたジェイドの詠唱が──ここに完成する。

「出でよ、神の雷っ!」

 かっと見開かれた紅眼が天上を居抜くと同時、巨大な譜陣が頭上に展開された。構築された陣は三次元的な広がりを見せ行き、空が無いはずのセフィロトの天が割れ、雷雲が沸き起こる。編み出された光の粒子が譜陣の中央に収束し、帯電した空気が高音を鳴り響かせる。

《これで終わりです───》

 回転する塔の如き譜陣が動きを止めた。中心に束ねられし圧倒的なまでの力が解き放たれる。

《───インディグネイション!!》

 視界を貫く閃光に、世界が白に染まり上がった。轟く豪雷に、鼓膜が破れんばかりの衝撃が走る。神の逆鱗は此処に下され、神威の鉄槌が、ヴァンに振り降ろされた。

 まき散らされる放電の余波だけで、全身が衝撃に打ち震える。あまりに強大な譜術の終焉に、耳鳴りが続く。

「……素晴らしい威力だ」

 その声は、立ち込める粉塵の向こうから響いた。

「さすがはネクロマンサーと言った所か。だが……相手が悪かったな」

 粉塵が、揺れ動く大気の流れに取り払われる。

 目の前に、全くの無傷で佇むヴァン・グランツの姿があった。手にした剣は天に向け突き出され、踏みしめた両足で悠然と大地に立つ。ヴァンの周囲は雷撃に蹂躙され尽くしたのか、炭化を通りすぎて塵となり、カサカサと掠れた音を立てる。

 放電の名残に震える大気の中、全身から燐光を立ち上らせたヴァン・グランツは厳かに告げる。

「第六奏器が司る力は六属の至高たる光。本質的には風に分類される雷撃であろうとも、光を放つ事に変わりは無い」

 絶句する俺たちを前に、ヴァンはゆっくりと腰を落とし、切っ先をこちらに向ける。

 白い。白い光が切っ先に灯った。

 朧げな光点が幻想的な光を放つ中、ヴァンは俺に視線を向ける。

「耐えてみせよ……」

 ゾクリと背中を直接撫で上げられたかのような怖気が走った。身体が反応するよりも先に、腰だめに構えられたヴァンの剣先が突き出される。

「───光龍槍」

 切っ先に宿る光点が一瞬にして膨れ上がり、膨大な光の奔流が俺に押し寄せる。

「──ァッ──ァ───ッ──!?」

 言葉にならない激痛が全身を苛む。絶叫を噛み締めながら、光の槍に俺は全身を貫かれた。視界の端で、ガイとアニスが攻撃を中断させようと、ヴァンとの間合いを詰める。技を放つヴァンは動けない。

 だが───

「きゃっ!?」

 これに相手は生み出した光槍を、そのまま真横に薙ぎ払うことで対処した。
 右手から接近していたアニスが光槍に弾かれ、短く悲鳴を残す。

「くっ……刃よ、乱れ飛べ!」

 ヴァンの間近にまで踏み込んだガイが、鞘から刀身を抜き放つ。
 吹き荒れる風が刀身に収束し、粉塵を巻き上げながら旋風が天を貫く。

《龍爪──》

 神速の居合に真空の刃が付加され、大気を切り裂く。

 ヴァンが、僅かに立ち位置をずらした。

《──旋空破ッ!》

 振り抜かれた刀身の前方で旋風は荒れ狂い、切り裂かれた大地に深い切り込み刻む。

 だが、そこにヴァンの姿はない。

 数歩の踏み込み。たったそれだけの動作で、ヴァンはガイの攻撃をかわして見せた。ついで無防備な姿を見せるガイに、猛禽の如き鋭さをもって剣が襲いかかる。

「くっ……っ!?」

 振り降ろされたヴァンの剣が、辛うじて防御の構えをとったガイの刀身と激突する。火花を散らす衝撃は一瞬で過ぎ去るも、跳ね上がったヴァンの剣先は再度翻り、下方から流れるような斬撃が放たれた。

「───がっ!?」

 虚空に弾き飛ばされたガイの全身を、斬撃とともに押し寄せる圧倒的な量の音素を内包した光が貫く。

「喰らうがいい──」

 光に焼かれ虚空で喘ぐガイを冷徹な視線で射抜きながら、ヴァンは深く腰を落とす。

《襲爪───》

 全身のバネを用いた渾身の切り上げがガイを薙ぎ払う。斬撃の反動を利用し、虚空に大きく跳び上がったヴァンは、そのまま剣を頭上に持ち上げると、雷光まといし白刃をそのまま振り降ろす。

《────雷斬》

 紫電の一閃。稲光を届かせる雷撃が、悲鳴すら飲み込んで、ガイの全身を打ち据えた。

 声も漏らさず崩れ落ちるガイ。それを冷然と見下ろし、ヴァンはガイに向け剣を振り上げる。

 だが、不意に剣の軌道が変わった。

 斜め前方を切り払った剣閃。僅かに遅れる形で、二つに切り裂かれた矢が、地面に落ちた。

「小賢しい真似をするな……キムラスカの姫よ」
「お黙りなさい!」

 次々と打ち込まれる牽制の矢を、ヴァンは無造作に振った剣先で、たやすく斬り払いながら、ガイから間合いを離す。

「女神の慈悲たる癒しの旋律───」

 奏でられていたティアの譜歌が完成し、床に突き付けられた杖を中心に、譜陣が展開される。

「リザレクション!」

 広範囲に展開された譜陣から治癒の光が放たれ、倒れ伏す俺たちの全身を包み込む。回復した身体を起き上がらせる俺の耳に、間髪置かずにジェイドの詠唱が届く。

「煮え湯を飲むがいい───レイジングミスト!」

 膨れ上がる蒸気が大気を掻き乱し、爆発が世界を貫いた。

「皆さん、一度引いて下さい!」
 
 ジェイドの指示にしたがって、俺たちは立ち込める蒸気に紛れ、ヴァンとの間合いを離す。

 陣形を建て直す俺たちに向けて、蒸気の向こうからヴァンの声が届く。

「第四譜歌の力か……どうやら、大半の象徴を理解したようだな」

 ヴァン・グランツは冷静に状況を分析すると、僅かに思案するような間を開けた後で、つぶやく。

「第二譜歌の障壁もあることを考えれば、小手先の技では意味がない。それにネクロマンサーがそちら側についていることも考えれば、遊びを挟み込む余地があるのもここまで……か。
 そろそろ───全力で行かせて貰おう」

 ゾクリと、全身を怖気が襲う。

 膨大な量の音素が収束し、空間が光の中に歪む。中心に立つヴァン・グランツが剣先を僅かに下げる。音素が収束するのを見て取り、ティアが譜歌を唱え始める。

 ──クロァ──リョ──ズェ──トゥエ──

 ヴァンの腰に吊るした杖から膨大な量の音素が引きずり出され、手にした剣に収束して行く。

 ──リョ──レィ──ネゥ──リョ──ズェ──!

 先んじてティアの詠唱が完成し、譜歌による障壁が俺たちを包み込む。

 だが、展開される障壁など意に介した様子も見せず、ヴァンは剣先を地面に突き刺す。

「目障りだ……」

 地面に突き刺された切っ先を中心に、巨大な譜陣が一瞬にして展開された。戦場全てを覆い尽くす、おそろしく精密な譜陣の中心に立ち、ヴァンは小さく終わりを告げる。

《消えよ───ホーリーランス》

 鮮烈な白の輝きが視界を埋めつくす。床に広がる譜陣から生み出されたおびただしい数の光槍が世界を貫いた。

 そして、それは障壁の内側も例外ではない。

『───っ!?』

 障壁の下から生み出された光の槍は、密閉された空間に逃げ場をなくした俺たちをたやすく蹂躙する。放たれる光の槍が身体を貫く毎に、肉体のみでなく、より根源的な何かが削り取られるような感覚が俺たちを襲う。

 荒れ狂う光槍の乱舞の前に、ついに障壁が内側から自壊する。

「第二譜歌の過信が過ぎたな」

 倒れ伏す俺たちを見据え、ヴァンは無感動につぶやく。

「……お前はこの程度なのか、ルーク?」

 ヴァンが俺の名前を呼ぶ。だが、身体は動かない。

 光槍に貫かれた身体は激痛に打ち震え、霧に包まれるように意識が薄れ行く

 反応を見せない俺を見下ろし、ヴァンが失望の声を漏らす。

「私の見込み違いだったか……ならば、せめてもの手向けか。我が手で冥府に送ってやろう。
 まずはメシュティアリカ、お前から………」

 ───目を開く。

 今、俺は何を考えた?

 このまま無様に倒れ伏しているようなことが、いまの俺のやることか? 

 違う! くそったれっ! それは! それだけは絶対に違うだろっ!!

 自らの根性の無さを一喝。俺は歯を食いしばり、顔を引き上げる。

 このまま何もせずに終われるはずがなかった。

 地面を掻きむしるように爪を立て、手元に落ちた剣を引き寄せ、この手に握る。
 辛うじて握られた剣の切っ先を地面に突き刺し、強引に身体を引き擦り上げる。
 全身が引きつけを起こしたように痛みを訴えるが、今はまるで気にならない。

「待てよ…………勝手に、終わらせるんじゃ、ねぇよ……」

 構えた先に立つ相手を見据え、俺は辛うじて絞り出した声で呼び止める。

 立ち上がった俺を振り返り、ヴァンがどこか満足げな笑みを浮かべた。

「ふっ……確かに立ち上がりはしたようだな。だが、その状態で私と戦り合うつもりか?」
「………今更この程度、さしてハンデにもなりゃしねぇさ」

 この後に及んで減らず口を返す俺を愉快そうに見据えながら、ヴァンは首を横に降る。

「いいや、全ての抵抗は無意味だ。お前がこの地に足を踏み入れた時点で、全ては決していたのだよ」

 ヴァンはうっすらと笑みを浮かべ、告げる。

「もはや無意味となった、アクゼリュスの崩落を引き起こせし其の器。今度こそ、有効に使わせて貰うとしよう」

 そう言って、奴は笑ってみせた。

 アクゼリュスの崩落を、嘲りの笑みをもって、語りやがった。

「ヴァン・グランツ────っ!!」

 咆哮を上げ、斬撃を放つ。

 軽々と身を引いた相手に一撃をかわされはしたが、俺はそのまま相手に間合いを離すことを許さない。地面を穿った剣先を直ぐさま翻し、怒濤の勢いで連撃を叩き込む。

「ふっ……そうだ、憎悪を燃え上がらせろ。その感情こそが、唯一信ずるべきもの……」

 俺の猛攻をしのぎながら、ヴァンが何やら戯言をほざくが、今の俺に挑発の言葉は聞こえない。熱く煮えたぎる激情の波に突き動かされながらも、一方で思考はどこまでも冷徹に状況を見据え、俺は目の前の相手をただ──殺す術を手繰り寄せる。

「ぶっ潰れちまいなっ!」

 フォンスロットを全力で解放する。取り込んだ音素を限界を踏み越え刀身に収束する。

 集束された音素を踏み込んだ間合いの内に佇む相手に向けて──解き放つ。

《───烈震っ!》

 突き出された刺突の切っ先が、振動に打ち震えながら相手を捉える。

《────天象っ!!》

 ゼロ距離から解き放たれた一撃はものの見事にヴァン・グランツに叩き込まれた。放たれた衝撃の余波は俺の全身をも襲い、身体が軋みを上げるが、この程度は気にならねぇ。

 僅かに身体をよろめかせる相手に向けて、俺は獲物を引き寄せる反動を利用し、右手に音素を収束させる。

「そしてぇっ──砕け散れぇっ!」

 列声と共に、掌低を叩き込む。

《───絶破っ!》

 掌から広がる凍気は一瞬にして巨大な氷塊に成長する。

《────烈氷撃っ!!》

 砕け散った氷塊のカケラが掌低に押し出されるようにして相手の脇腹を穿ち、吹き飛ばした。

 身を切るような凍気が漂う中、俺は息を荒らげながら構えを取る。吹き飛んだ相手を見据え、俺は油断無く剣を引き寄せる。

 まだだ。

 俺の中で本能が告げる。激しく警鐘が打ち鳴らされる。

 ここまでやっても、まだ、この相手には───


「───さすがだな」


 そして、其の声は届く。

「ここまでアルバート流を使いこなすとは、私も思っていなかったぞ?
 だが、悲しいかな。絶対的に──地力が足らん」

 全くの無傷で、ヴァン・グランツは其処に立つ。

「くっ……」

 俺は苦い思いと共に、呻き声を漏らす。

 全身を微かに包む聖光が障壁となって、俺の攻撃は届かなかった。

 相手が、こちらの一撃のことごとくを躱わしていたため、思わず忘れそうになったが、これまで対峙した六神将がそうであったように、この敵は奏器を行使する者だ。

 今の俺では、届かない。

 頭の何処かで、乾いた声が端的に事実を告げた。

「…………」

 打開策を探すとは名ばかりの思考は空転し、頭の中を無数の問い掛けが駆け巡る。
 このまま座して終わるつもりか? このまま何一つ返すことなく膝をつくのか?

 このまま気絶した仲間が──なぶり殺しにされる様を見据えるつもりなのか?

「そんなことっ………認め、られるかっ……!」

 絶対的な力量の違いを目にしながら、俺は構えを取る。尚も敵対の意志を示す。

 一時の激情が去ったことで全身に痛みが戻るが、もはや関係ない。無意味な抵抗と言われようが、絶対に諦めるつもりはなかった。

 今の俺では届かない? ああ、確かにそれは認めよう。だが、それがどうしたと答えてやるよ。そんなものは諦める理由になりはしない。届かないと言うなら、届かせるまでだ。

 そのために、必要なら俺は───

 ───鼓動が、耳に届く。

 腰に吊るされた杖が、ほの暗い燐光を放っていた。

 まるで早く手に取れと急かしたてるかのように、杖から放たれる鼓動の感覚は早まって行く。

「………第一奏器か」

 音素の高まりを感じ取ってか、ヴァン・グランツが闇杖に視線を転じる。

「確かにそれを用いれば、私に抗することも可能となろう。無論、調律を受けぬ身で制御が可能か、意識を飲まれぬまま行使することが可能か……様々な問題が存在するが、全ては些細なことだ」

 ヴァンは俺の顔を見据え、一つの問い掛けを放つ。

「──お前に、覚悟はあるのか・・・・・・・ ?」
「…………」

 障気による汚染。

 奏器を手に取るならば、文字通り命を削る覚悟が必要だった。

「………俺に覚悟があるとは、言わねぇよ。俺はきっと……後悔するだろうからな」

 この選択を悔やむ日が来る事は、既に確定している。

 脳裏に蘇るのは、障気に汚染され、苦悶の声を上げるアクゼリュスの人々。身動きを取る事すら満足にままならぬまま、ただ床に伏せ、障気が全身に浸透していく中、命尽きる時を待つ。

 ………そんな事、絶対に御免のはずだったんだけどな。

 僅かに目を閉じた後で、俺は静かに吐息を漏らす。

「だがそれでも、絶対に退けないようなときがあるとしたら、それは───」

 目を開き、一瞬の躊躇いも無く、腰に吊るした杖を抜き放つ。

「──今が・・そのとき・・・・ だ」


 闇が、世界を犯す。


 歓喜に打ち震える闇杖から、溢れ出す闇が俺の全身を包む。流れ込む怨嗟の声が、俺の理性を溶かし、崩し、消し去ろうとする。

 だが、俺は意に介さない。誰が耳を貸してやるものか。

 俺は杖を睨み付け、ただ一言を告げる。

「黙れ」

 放たれた身も蓋もない命令に、杖から溢れ出る闇が、ピタリと、その動きを止めた。

 ほうとヴァンが感嘆の声を上げる。

「……俺は、二度と自分を見失わねぇ。絶対に我を忘れるような真似はしねぇ。だから、お前は少し、黙ってろ」

 戸惑うように闇を揺らす闇杖を目の前に掴み上げ、その中に存在するだろう意識に叫ぶ。

「それに少しは情けねぇとは思わねぇのか? 本体から切り離されたとは言っても、お前も元は第七音素の意識体だろうが。自分を無理やり切り離した奴らに良いように使われるままで、お前は本当に満足かよっ!?」

 どこか迷うように、闇杖が鼓動を繰り返す。けっ、優柔不断なやつめ。忌ま忌ましさに舌打ちを漏らした後で、俺は更に言葉を続ける。

「……なら、約束してやるよ。全てが終わったら、お前を本体に戻す。そう約束してやるよ。だから、お前も俺の邪魔をするなっ!」

 掴み上げた杖を睨み付け、俺は叫ぶ。

「俺に力を貸しやがれっ、ケイオスハートッ!!」

 刻まれる鼓動の音色が──此処に決定的な変化を遂げる。

 どこまでも力強い鼓動が打ち鳴らされ、杖から鳴り響く音色は高らかに奏でられて行く。

 圧倒的なまでの量の音素が引き出され、俺の全身を包むが、もう意識が掻き乱されるような事は無い。澄みきった意識の中で、俺はヴァンに視線を送る。

「──見事だ。此処にお前は、ようやく私と同じ舞台に立ったという訳か」

 闇杖の先端に収束する音素が刃を形成し、闇の衣が俺の全身を包む。だが、それでも杖から引き出される音素は止まらない。絶えることなく闇はその濃度を高め続ける。

「どうせ、これが最後の機会になるんだ。最後ぐらいは、派手に付き合って貰うぜ、ヴァン」

「ふっ……よかろう。私も全力でお前を迎え撃つとしよう、ルーク」

 剣を鞘に納めると、ヴァンは腰に吊るした杖を初めて其の手に握った。高まり行く闇杖の放つ闇に呼応するかのように、ヴァンの握る光杖から放たれる光もまたその力を増していく。

 踏み出した互いの足が、同時に地面を蹴る。

 光と闇、対立する音素の担い手が──ここに激突する。

「───────ッォッ!!」
「───────ッォッ!!」

 振り上げた闇の刃が絶望の声を上げながら世界を喰らう。
 迎え撃つ光の刀身が威光をもって世界を塗り潰す。
 剣戟が交される度、膨大な力が放たれる。
 荒れ狂う力の余波で、空間が軋みを上げる。

 しかし、人智を超えた超常のぶつかり合いの果てにも──勝者は一人。


 交錯した影が、二つに別れた。


 袈裟掛けに切り裂かれた身体から、鮮血が吹き上がり──俺はその場に膝をつく。

「……成長したな」

 光をまとう杖を地面に突き立て、ヴァンがどこか優しい声音で告げる。

「やはり、この力……お前こそが、前史に記されし、ローレライの力を継ぐ者……」

 言葉を続けるヴァンの全身から、仄かな光が、絶えること無く立ち上る。

 光は──音素の乖離する光だった。

 ヴァンは俺を見据え、言葉を続ける。

「だが、所詮この流れすらも……預言の内にある……それ故に、私は……」

 手にした杖をその場に突き刺し、倒れそうな身体を支え、ヴァンは顔を上げる。

「ふははははははっ!!」

 最後に哄笑を上げると──ヴァン・グランツの身体は、音素の光・・・・ となって、虚空に消えた。

 地面に突き刺された光杖が、鼓動の名残を残し、仄かな光を放つ。

 だが、その光も直ぐに失われた。

 俺は刀身を地面に突き立て、今にも崩れ落ちそうな身体を支える。

「……バカ師匠がっ……」

 最後の最後まで、相手の考えがわからなかった事実に、俺は歯を噛み締め、苦い呻きを漏らした。




               * * * 




「本当に大丈夫なの……ルーク?」
「ああ……何とか、な」

 込み上げる吐き気を堪えながら、俺はやせ我慢の限りを尽くした言葉を返す。

 戦闘が終了した後、気絶している皆を俺はぶっ倒れそうになりながら、起こして回った。

 直ぐに気づいたティアとナアリアが、二人係で慌てて俺の治癒を施してくれたため、ヴァンと切り合って出来た傷などは何とか癒えている。

 だが、闇杖を使ったことによる吐き気が凄まじい。もうとんでもないです。

 あの宣言のおかげで、杖の制御自体はできていたようだったが、障気による汚染を停めるのは無理だったようだ。使えばこうなることはわかっていたはずなんだが、それでもやっぱ辛いもんがある。

「ルークには大変申し訳ないのですが、今は時間が無い。パッセージリングの操作をしてしまいましょう」
「うっ……そうだな……わかったぜ」

 うぷっ、と込み上げる吐き気を押さえ、俺はパッセージリングに向き直る。いつものように起動したセフィロトに向けて音素を照射し、指示を書き込む。

 だが、俺の力が足りないのか、降下は一向に始まろうとしない。

 額から汗が滴り落ちる。俺の放つ力が限界を向かえようとしたそのとき。闇杖が鼓動を刻むと同時、脳裏に一つの映像が浮かび上がる。そこには俺と同じようにパッセージリングに向けて、音素を照射する男の姿があった。

「アッシュ……?」

 カチリと、何かが噛み合ったような音が響き、力が限界を超えて放たれる。ついでラジエイトゲートで第七音素を照射するアッシュの像が消え去り──激しい振動がセフィロトを襲う。

 げげっ……勘弁してくれ……

 突然の振動に、左右に揺れ動く身体を、俺は手にした杖で必死に支える。

 うえぇっ……マジで、吐きそう……は、早く降下しきってくれ。

 振動はしばらくの間続き、ようやく収まった。俺が吐き気に顔を蒼くしている横で、パッセージリングの表示を確認していたジェイドが顔を上げる。

「どうやら無事、降下は成功したようです。想定通り、障気もディバイディングラインに吸着し、地殻に押し戻されました」

 ジェイドの保証を皮切りに、皆が一斉に口を開く。

「はぁーやっと終わった! 早くイオン様に御報告しないとね~」
「そうですわね。これで全て終わりましたのね」
「まだ降下した大地が、これからどうなるかまでは、わかりませんけどねぇ」

 口々と言葉を交わす三人とは対照的に、ガイとティアはどこか複雑な表情を浮かべていた。

「……ルークの身体が心配だわ。ベルケンドに向かって、一度医療施設で診て貰いましょう」
「ああ。それが一番だろうな。ったく、こいつは一人で無理しやがって……」

 二人の言葉に、俺も返す言葉が無い。

 確かに、こうも顔色が変わってちゃ、心配するなって方が無理な話か。

 実際、少し動いただけでリバースしそうだ。しかし、このまま突っ立っていても仕方がない。

 気分を切り換えるべく、俺は大きく深呼吸をした後で、皆に向き直る。

「そうだな。ともかく、帰ろうぜ」

 言葉を紡ぐ俺の視界の端、地面に突き刺された杖が、消え失せる。

「俺たちの………」


 ──脇腹を貫く衝撃が、俺の言葉を止めた。


 一滴、一滴と、鮮血が滴り落ちる。

 滴り落ちる鮮血に混じって、脇腹からは、白刃がその切っ先を除かせていた。

 全身から燐光を立ち上らせ、無造作に剣を突き出す男──ヴァン・グランツの姿が、其処には在った。




 世界の終焉が、此処に導かれる──────







               * * *







 血に濡れた長剣を片手に、詠師服の男は口を開く。

「………前史において、栄光を掴む者はこの地で、ローレライの使者に敗れたという」

 苦痛に喘ぐ赤毛を見据えながら、詠師服の男は淡々と続ける。

「観測されし事象の流れを覆すためには、既存の流れを沿いながらも、僅かな違いを生み出してやる必要があった。故に、私は決戦の地として、ここ──アブソーブゲートを指定した」

 言葉が終わると同時、刃が引き抜かれた。

 脇腹から血潮を吹き上げながら、赤毛の男は血の海に沈む。

 流れ出た鮮血が地面に広がり、詠師服の男の足を濡らす。

「そして、お前は見事に私を破り、世界を救ってみせた。私は認めよう。ルーク、お前こそが現世における観測者となりうる者。そう──」

 血に濡れた長剣を片手に、詠師服の男は笑う。

「──ローレライの使者だ」

 僅かに離れた位置に、呆然と立ち尽くす男女が五人。燕尾服の刀は腰に繋がれたまま動かず、弓矢を番えるべき王女の手は動揺に震える。人形を抱く教団の少女は目を見開き、長髪の軍人はただ唇を噛む。

 そして、彼女は手を伸ばす。倒れ伏す彼の名を呼びかけようと、口を開く。

「だが、此処に前史の流れは覆され、停滞世界は終焉を迎える……」

 宣告は無慈悲に、響き渡る。

「滅びよ──」

 詠師服の男が、杖を掲げ上げた。

《───ジャッジメント!!》


 光の柱が天から降り注ぐ。


 呼びかけは届かなかった。

 誰もが地に伏せ、苦悶の声を上げる。

 このとき確かに、すべては終わっていた。


 例外は、一つだけ。


「───ルーク………!」


 小さく、けれど確かに、彼女は彼の名前を呼んだ。

 赤毛の男の指が、微かに動きを見せた。



  1. 2005/06/26(日) 00:00:58|
  2. 【家族ジャングル】  第六章
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