全手動軽文量産機

──A.L.M──

書庫へ戻る |  日記過去ログ |  アビス総合目次 |  ジャンク作品目次 |  お勧め一次創作 |  お勧め二次創作 |  掲示板 |  注意書き |

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

第1話 「蠢く策謀」



 一方的な言葉が、淡々と呟かれて行く。

「………もはや一刻の猶予もない」
「…………」

「あやつに協力し、時間を稼ぐのだ。それがどのような行動であろうともな」
「…………」

「だが、わかっているな? お前にこれといった、積極的な行動を求めている訳ではない」
「…………」

 聞き手から返る言葉はない。

 そんな聞き手の無反応に苛立つでもなく、語り手は一端口を閉じた。

 そして、何気ない事柄を口にするような態度で、決定的な言葉を付け足す。

「二人の世話なら、心配するな」

 微笑すら伴い告げられた言葉に、聞き手が一瞬、身体を強張らせた。

 長い沈黙が続いた後で、聞き手はようやく口を開く。

「………………わかりました」

 返された承諾に、語り手は静かに頷き返した。

「全ては世界が続いて行くために……我等が存在する意味は、それ以外にありはしない」
「…………」

 応える声はない。

 そこで、会話は打ち切られた。

 これは、さして意味のない会話。

 誰が気に掛けるでも無い、他愛もない会話の断片に過ぎない。

 今は、まだ。



                 【1】



 弱々しく降り注ぐ日の光を全身に浴びながら、俺はボケーっと庭のベンチに腰掛ける。久々に戻った実家の庭先には、俺と同じように日向ぼっこに興じる小動物二匹の姿もあった。

 コライガはゴロリと横になって、石畳の冷たさを堪能して目を細めている。ミュウは空を見上げながら時折そよぐ風を感じてか、ピクピクと気持ち良さそうに両耳を動かす。

 何とも和まされる平和な光景だ。見ているだけで気分が落ち着くと言ってもいいだろう。

 しかし、である。

「……退屈が過ぎるってのも、問題だよな」

 俺はベンチに背中を預け、盛大に溜め息をもらした。

 薄く障気に覆われ、微妙に快晴とは言い難い空を見上げる。流れ行く雲が尾を引き、轍のような軌跡を残す。

 気分は急いてるってのに、俺を取り巻く状況は動かない。とりあえず一端落ち着けと待ったを掛ける。これまでの性急すぎる展開を考えれば、こうした穏やか時間を持つことが無意味だとは思わない。

 何しろあんな事があった後だ。

 少し安静にしてろと言ってきた皆の気持ちも理解できる。

 理解はできるのだが……それでもぼやかずにはいられなかった。

「なんだってこの一大事に、俺一人が屋敷で静養してなきゃならんのかねぇ…………」

 バチカルに一人里帰りして、屋敷で待機することになった経緯を思い返し、俺はもはや日課となった溜め息をつくのだった。


                  * * *


 地上に戻ってきた俺は、セントビナーで戦闘後にぶっ倒れた。

 気がつくと、俺はどこか見覚えのある天井を見上げていた。

 セントビナーでのことは夢で、俺はついに地殻でくたばったのか? 訝しみながら、身体を起こして周囲を見渡す。視界に入るのは壁に掛けられた無数の怪しい標語と、多数の医療機器だ。

 ……ああ、ベルケンドの医療施設か。

 見覚えがあるはずだ。納得しながら、俺は簡易寝台から立ち上がる。しばらくの間、何をするでもなく、ぼーっと壁を見据える。何を考えるでもなく、ただ視線を据え続ける。

 地殻にいる間の記憶は霞の中につつまれたように定まらない。何故地上に戻れてのかも想像がつかない。何が起きているかもわからない。

 だが、俺は生きている。

 ──絶対に生きて帰ろう

 あの約束を守ることができた。

 それだけは、確かなことだった。

「──よおぅっ! 随分と寝過ごしたようだな、ルーク」

 突然、馴れ馴れしい呼びかけが耳に届いた。扉の開け放たれる音が室内に響き、騒がしい音を立てながら誰かが入室してくる。いったい誰だと怪訝に思いながら顔を上げると、そこには懐かしい顔が在った。

「って、アダンテのおっさん……!?」

 驚愕に目を向いた後で、不意に意識を失う直前見た景色が蘇る。

「……いや、そういえば確かセントビナーにも居たか」
「ん、セントビナーでの記憶もあるのか。そりゃ話が早い。意識もだいぶはっきりしてるようだな」
「…………」

 困惑するしかない俺にかまうことなく、アダンテのおっさんは俺の状態をこなれた様子で確認していく。そして全ての確認を終えると、おっさんはようやく俺と視線を合わせた。

「しかし、久しぶりだな。あの日以来だから……二年ぶりってところか」

 向けられた視線に、俺は動揺した。脳裏に蘇る幾つもの事象。かつて別れた際に起こった事件。処刑される彼の姿。誰に告げることもなく街を去った、目の前にいる男。

「……おっさんは、やっぱ教団に戻ってたんだな」

 注がれる視線から目を逸らすようにして、羽織られたオラクルの外套に視線を向ける俺に、おっさんはさして気にした風もなく応える。

「ああ。セントビナーに居たのも、導師イオンの方針の下、お前の仲間と動いていた結果だ。しかし、ゲートでの顛末は聞いていたから、心配したが……なんとも無駄に元気そうでなによりだな」

 まったく呆れ返るとでも言いたげに肩を竦めてみせるおっさん。変わらないな、この人は。俺は思わず苦笑を浮かべていた。

「しかし、どうなってんだ? 状況が、まるで理解できないんだが……?」
「ふむ……そいつが先か。まあ、色々あった訳だが、簡単に説明してくぞ」

 問いかける俺に、飄々とした態度で頷くと、おっさんは説明を始めた。

 なんでも外郭大地の降下自体は成功したらしいが、代りに障気が空を覆っちまったそうだ。俺がゲートでヴァンに敗北した後、皆はおっさんの居たオラクルの基地に飛ばされたらしい。

 障気の拡大に関してはよくわからんままだが、ヴァンがローレライの消滅を狙ってるらしいことは確実だ。ならあいつの計画を阻止する為にも、新たにローレライと契約を結ぶんでしまえとおっさんが提案し、皆がそれに合意した。

 準備を整えるために色々あった後、セントビナーで契約を結ぶ段階になった所で、ディストのやつが襲撃をしかけてきた。危うい所でティアが大譜歌の詠唱を終え、ついに契約が結ばれローレライが姿を表すかってな場所に──何故か、俺が登場してしまったらしい。

「で、ディストのやつを倒したは良いがぶっ倒れちまったお前を、僕らがベルケンドまで運んで、検査してたって訳だ。ちなみに、ぶっ倒れたと最初に言ったが、正確には盛大にイビキかいて爆睡してたってのが正しいけどな」
「ぶっ……い、イビキ!? ……な、なんとも締まらねぇ再会だな」
「まったくだ」

 やれやれと首を振るおっさんに、俺も頭が痛いと額を押さえた。

「……でも、まあ、しかしアレだよな」

 少し咳払いして調子を整えた後で、おっさんから聞いた話で疑問に思った部分を尋ねる。

「聞いた限りだと、おっさんって教団でもけっこう上の方にいたりするのか?」

 ある程度人を使えるような立場にでもいない限り、作戦を提唱した所で動きようがないはずだ。そう問いかける俺に、おっさんはあっさりと頷く。

「ああ、それで合ってるぞ。それに、これでも僕は改革派の中じゃ重鎮の方だからな」
「重鎮……?」

 疑わしそうに眉根を寄せる俺に、おっさんはわざとらしい仕種でオラクル式の敬礼を取る。

「第六師団師団長アダンテ・カンタビレ、ってのが今の僕の肩書だ」
「師団長!? に、似合わなすぎるにも程がある。おっさんみたいな不良神官を改革派の幹部に据えるなんて、イオンのやつよく我慢できたな」
「……ほっとけ」

 憮然と返すおっさん。そんな些細な会話一つ一つから、かつてバチカルで共に過ごしていた瞬間が思い起こされ、俺は気付けば声を上げて吹き出していた。

「だぁっ笑うなっ!!」
「はははっ! す、すまねぇ」

 ひどく他愛もない会話一つ一つが、ひどく懐かしい。
 二年にも及ぶ空白が、急激に埋まって行くのを感じて、俺の顔は自然とほころんでいった。

「しかし、俺がベルケンドに居る理由は納得したけどよ。おっさんはここで何してたんだ?」

 医療機器が所狭しと押し込められた部屋だ。皆の姿も見えない以上、面会だとも思えない。

「ああ、そりゃ簡単な話しだ。僕はこれでも第七音素関連の専門家だからな。お前の身体を大佐と一緒に調べてたって訳だ」
「おっさんと大佐が……? うっげっ……最悪の人選だな」

 俺の脳裏に、いい笑顔でメスを握る鬼畜メガネと、にやにや笑って合いの手を打つ不良神官の姿が浮かんだ。

「随分な言いぐさだよな、おい。……まあ、カーティス大佐と一緒にするのは、さすがの僕もやめて欲しいと思うけどな」

 互いにげんなりと顔を合わせた。

「おや、ルークは気付いたようですね」

「「うおっ!?」」

 突然何の気配もなしに後ろから響いた声に、俺たちはぶったまげましたよ。

 部屋の入り口部分、開け放たれた扉から、マルクトの軍服を着込んだ長髪メガネが顔を出してやがる。それが誰かなんて今更言うまでもないだろ。

「じぇ、ジェイド」
「いつのまに……?!」

 戦慄する俺たちに構う様子もなく、ジェイドは涼やかな笑みを浮かべると俺に視線を合わせる。

「ええ、お久しぶりですねぇ、ルーク」
「お、おう、久しぶり」

 動揺しまくりのまま応える俺に、ジェイドはメガネを押し上げ表情を隠す。

「最悪な人選ということですが……何なら今から改造でもしてあげましょうか?」
「お、俺が悪かった! 頼むから勘弁してくれ……っ!!」

 悲痛な叫びを上げる俺に、そうですか、とジェイドはしごく残念そうに肩を竦めてみせた。

「ところでカンタビレ、ルークにはどこまで話しました?」
「あ、ああ、ここに来るまでの経緯はだいたい話しといたぜ」
「そうですか……では、ルークがこれまでどうしていたのかについては、まだ聞いていないということですね」
「……ああ、そうなるな」

 ん? 俺がどうしていたのかだって? どうも俺の話題が出ているようだ。

「ジェイド、何のことだよ?」
「……いえ、ゲートで別れて以降、あなたが何をしていたのか気になりましてね。私たちがローレライと新たに契約を結ぼうとしていたのは、カンタビレから聞いていますね?」
「大雑把にはな」
「ならわかるでしょう。あなたがこれまでどういった状態にあったのか、話を聞くことで契約の場に突然あなたが現れた理由が何なのか、わかるかもしれないと考えた訳ですよ」
「ああ、そういうことね」

 確かに、ゲートで消息不明になってたやつが、ローレライと契約を結ぶなんていうとんでもなく大事な局面で、すべてを台無しにして現れたんだ。そりゃ気にもなるだろう。

「……けどよ、俺もあんまはっきりとした記憶が残ってる訳じゃねぇが、それでもいいのか?」
「かまいません」

 躊躇いがちに付け足した言葉に、返されたのは即答だった。

 相手の真剣な顔を見る限り、こりゃ話さない訳にはいかないか。

「……わかったよ」

 俺はため息をついた後で、自分の記憶を探る。ゲートで皆が飛ばされた後で、いったい何があったのか、まとめながら口を開く。

「実際の所さ。ヴァンにやられた後は意識が朦朧としてたせいで、そもそも断片的な記憶しか残ってねぇんだ。それでも覚えてることって言えば……ヴァンのやつが、俺を地殻に投げ落とした瞬間の記憶、ぐらいか」
「地殻に投げ落した……ですか?」
「ああ。理由はよくわからんけど、あいつは俺を地殻に投げ落とした。そのとき何か言ってたような気がするんだが……確か……完全同位体たる役目を果たせ、だったかな?」

「完全同位体たる役目を果たせ……」

 特に思い入れもなく語った俺とは対照的に、ジェイドがひどく強張った顔になった。俺はそれに気付くことなく、記憶を探りながら言葉を続けていく。

「後は完全に記憶が飛んでるな。気付いたら、セントビナーに居て、どう見ても敵対してるっぽいディストの譜業兵器が目に入ったから、とりあえず撃退したところでぶっ倒れた訳だ」

 それぐらいだなと両手を上げる俺。しかし話が終わったにも関わらず、ジェイドは頻りに何かを考え込んでいる様子だ。

 どうしたもんかね。手持ち無沙汰になった俺は頭を掻く。いつのまにか元の長さに伸びた髪が鬱陶しく揺れる。何故に髪の長さが戻ってるのかも謎だよな。

「そう言えば、検査とかしたって話だが、検査結果はどうだったんだ?」

 考え込んでいるジェイドに代わり、おっさんが応える。

「異常なしだ。完全な健康体だったな」

「健康体か。……ん?」

 返された言葉に俺は違和感を覚えた。それとほぼ同時に、不意に顔を上げたジェイドが付け足す。

「障気の汚染も完全に消失していました」
「…………」

 第一奏器の使用によって、俺の身体は障気に汚染されていた。その障気が、完全に消えているってことか。どういうことだ? 俺は眉間に皺を寄せて考え込む。

 俺とジェイドの様子に何か思うところがあったのか、アダンテのおっさんもまた黙り込んで、何やら考え込んでいるようだ。

「……僕も一つ聞いときたいことが出来たんだが、ちょっといいか?」
「ん、おっさんが?」

 顔を上げた俺の瞳を覗き込み、おっさんが尋ねる。

「地殻で何があったか……どれだけ微かな事でもいい。何か覚えてることはないか?」

 質問に促されるまま、俺は無意識のうちに記憶探っていた。

「……俺は……地殻で……───……ぐっ!!」

 腰に挿されたローレライの鍵が、微かに鼓動を刻んだような気がした瞬間──激しい痛みが俺の脳髄を締め付ける。

「がぁ、ああぁ、あ、ぁあぁ──っ!!」

 頭が痛む。激しい痛みとともに無数の光景が脳裏を過る。

 ───ローレライ。無数の戦場。ダアト。
 ───朽ち果てた街並み。アルバート。輝く鍵。
 ───創世歴時代。ユリア。世界を蹂躙する■■の姿。

「───ルーク! おい、大丈夫か?! 気をしっかり持て!! 飲み込まれるなっ!!」

「…………あ、……俺、いったい?」

「とりあえず深呼吸だ。いいか? 一定間隔で息を吸って、そのまま吐く!」

 声に促されるまま、身体が勝手に反応して動作を反復する。

「よし。もういいぞ!」

 強かに背中を叩かれたところで、俺はようやく朦朧としていた意識が戻るのを感じた。

「……すまねぇ。どうも取り乱しちまったみてぇだな」
「いや、こっちこそすまん。考えが足りなかったな。病み上がりだってのに、少し性急すぎたようだ」

 バツが悪そうに謝罪し合う俺とおっさんに、何が切っ掛けで俺が錯乱したのかわからないジェイドが怪訝そうに瞳を揺らしていた。

「いったいどうしました、ルーク?」
「あー……どうも、地殻に居た間のことを思い出そうとすると、頭が痛みまくって集中できなくなるみてぇなんだよ。いったい、どういうことだろうな……?」

「……地殻で、何がしかの干渉を受けた結果ということでしょうか?」
「……どうだろうな。だが、おそらくこのデータと関連した事だろう」

 ジェイドとおっさんがボソボソと何かのデータ表を前に言葉を交わす。

「……あのさ、何かわかってることがあんなら、最初に俺に言っといて欲しいんだがよ」

 なんか予想ついてたのに、無駄に痛い思いをさせられたのなら、洒落にならんね。

「それもそうですね。とりあえず、これをどうぞ」

 あっさりと差し出されたのは、どうも俺には到底理解出来そうもない数値が描かれた表だった。

「……訳わからん」

 頭を掻きむしる俺に、二人が苦笑を浮かべながら説明を口にする。

「右が一般的な成人男性の体音素の構成表で、左がお前の体音素の分析結果だ」
「数値が偏っているのがわかりますか? 障気の汚染は完全に消えたようなのですが、代りに無視出来ない範囲で、第七音素の数値が上昇しています」

「……あー、それでもあんまよく理解できないままなんだが」

 げんなりと額を押さえる俺に、ジェイドがゆっくりと告げる。

「つまりあなたの身体には、高密度の第七音素が取り込まれた状態にあるということですよ」
「高密度の第七音素……?」

 そうですと頷いたジェイドに続いて、おっさんがさらに説明を続ける。

「地殻には衰弱したローレライの意識体が在ったはずだ。それにこの分析結果と、ローレライとの契約の場にお前が現れたことを合わせて考えれば……導かれる結論は、一つしかないだろうな」
「なっ……まさか、嘘だろ?!」

 俺の頭にあまりに突拍子もない推測が浮かぶ。動揺のあまり声が上げる俺に、おっさんは額に手を当て口籠もった。その先を続けることを躊躇うおっさんに、このままでは埒があかないと考えてか、ジェイドが前に出る。

「おそらくあなたは第七音素集合意識体──ローレライを身体に取り込んだ状態にあると見て、まず間違いないでしょうね」

 ジェイドの告げた結論に、俺は身動き一つできぬまま、ただ愕然と目を見開くのだった。


                  * * *


「ルーク様、昼食の用意ができました。食堂まで入らしてください」
「ん、わかった。直ぐ行くよ」

 メイドの呼びかけに意識を現実に戻して、俺はよっこらせと重い腰を上げた。

 食堂に向かいながら、その後起こったことを思い出す。

 特に、皆と引き合わされた際は大変だった。

 俺がローレライを身体の中に取り込んだ状態にあると聞いて、誰もが驚愕した。ついでジェイドとアダンテのおっさんに詳しい話を聞かせろと詰め寄ったから、さあ大変だ。狭い医務室で一斉に何人もの人間が声を上げ、ジェイドに押しかける。そんな状況で質問にマトモに応えられるはずもなく、場は加速度的に混沌に満ちて行った。

 最終的に、混乱した状況は、ジェイドが水属性の譜術をぶちかますことで収まった。

 濡れ鼠のような状態で、ジェイドから細かい説明を受けるはめになったが、とりあえずその説明で俺の身体は今の所は問題ないと保証がついて、皆もようやく落ち着いた。

 しかし、俺がローレライを身体に取り込んだ、不安定な状態にあるって事実に変わりはない。

 とりあえず、しばらくの間は実家に帰って安静にしてろと送り返され、今に至るという訳だ。

 俺は溜め息をついて、退屈なここ二週間の日々を思い返しながら、食堂に向かう。

 食堂に向かう間、無数の視線を感じていた。おそらくすれ違った使用人達のものだろうが、どうにも鬱陶しいものが含まれているように感じられてしょうがない。

 単に俺の考えすぎに過ぎないかもしれないが……やれやれだな。

 俺がレプリカだという事実は、俺の生存が判明した時点で、既に王都に広まっていた。

 大方、公爵家に思うところがあるどっかの家が、社交界で広めたってのが事実だろう。まったく暇な奴も居たもんだと呆れるが、そいつらにそれ以上思うことはない。遅いか早いかの違いがあるだけで、いずれわかる事実に過ぎなかったからだ。

 だがそれでも、此処まで変わるものかと、正直思い知らされた気持ちだった。

 食堂に入ると、オヤジとおふくろが顔を上げた。

「来たか、ルーク」
「ああ。おはよう、オヤジ、おふくろ」

 だらしない仕種で答える俺に、オヤジが溜め息をつく。

「まったく、このバカ息子は……」

「ふふ……いいではないですか。ルークも久しぶりの帰郷なのですから」
「むぅ……」

 二人の力関係は変わらないようだ。

 いろいろあったが、それでも俺を家族として接してくれる二人には、言葉には出せないが……感謝してる。

「そうだ。お前に手紙が届いていたぞ」

 食事が終りかけた頃、不意にオヤジがそんなことを言ってきた。

「手紙?」
「ガイからと、もう一通来ているらしい。確か……」
「ティアさんですね」
「ティアからもなのか?」

 手紙なんか書きそうにない相手からの手紙に驚いて、俺は思わず声を上げてしまった。

「ふふ……私たちの若い頃を思い出しますね」

 お袋はどこか上気した頬に手を当て、小首を傾げた。流れた髪が肩に掛かり、艶っぽい緋色を更に際立たせる。

「思えば、あなたから恋文を受け取ったのを切っ掛けに私たちは……」
「……ゴホンゴホンっ!! て、手紙はラムダスが受け取っているはずだ」

 唐突に始まった二人の馴れ初め話に、オヤジが盛大に咳き込んだ。続けて顔を上げて俺の顔を睨み据え、無言のまま意志を伝達して来た。

 ……そういうことだから、とっと去れ、バカ息子!

 ……了解、クソ親父。

 俺は無言のまま席を立つ。オヤジの態度にはムカツク所もあるが……誰だって親のノロケ話を聞きたいとは思わんだろう。俺はそそくさと足を動かし、お袋のノロケ話から撤退を決め込むのだった。

 食堂から出たところで、ちょうどよく待機していたラムダスを見かけた。

「おう、ラムダスちょうどよかったぜ」
「ぼっちゃま。どうしました?」

 何の脈絡もなく声をかけた俺に動じるでもなく、ラムダスはそつなく受け答えをする。

「俺宛に手紙が来てるって、オヤジから聞いたんだけどさ」
「……ああ、その件ですか。かしこまりました。こちらにありますので、どうぞお受け取りください」
「ん、あんがとよ」

 ラムダスから手紙を受け取った俺は、いそいそと部屋に戻って、早速手紙を開く。

『よっ、ルーク。外に出られないから退屈してるだろうが、もう少し安静にしとけよ。
 まだまだ万全な体調って訳じゃないんだからな。
 俺は今、大佐の部隊と王国軍の間で、連絡役のようなもんをやってるよ。
 たぶん、両国のわだかまりを踏まえた上で、俺が妥当だって選ばれたんだろうな。
 こっちとしては両方に睨まれて勘弁してくれって所だが、まあ、それでもやりがいのある仕事だよ』

 相変わらずだな。前向きなガイの姿勢に、俺は思わず顔がほころぶ。

『ここから本題だ。
 実は、そろそろ教団側で動きがありそうだ。
 近い内に、そっちにも連絡行くと思うから、そんときはお前もダアトに向かってくれると助かる』

 手紙を閉じて、記された内容に考えを巡らせる。

 ……ダアトから連絡って事は、やっと屋敷から出られるのか。何とも感慨深いもんを感じるね。自然と顔がにやけてくるのを感じながら、もう一通の手紙に手を伸ばす。

 さて、次はティアの手紙か。どれどれと俺は文字を追い出し、眉間に皺が寄っていくのを感じる。

『ルークヘ

 現在、教団はヴァンの動向を追跡中。
 平行して障気の対策を模索しているが、未だ判明せず。
 今後の方針としては、導師イオンが禁書の一般開放を提案。
 旧主流派の間に反発が広がっているが、大詠師モースは沈黙を保っている。
 私も大詠師の直属を解かれ、今は導師イオンの下で動いているため、大詠師派の考えは不明。
 あなたにも、導師イオンからダアトへ招聘がかかっている。
 あくまで個人的な誘いなので、この手紙を確認次第、至急ダアトへ向かう事』

 …………ってか、これじゃまるで手紙というか、単なる招集令状じゃねぇかよ?

 内心で突っ込みを入れた後で、二枚目があることに気付く。

『……その、手紙なんて書くの初めてだから、おかしかったら……ご、御免なさい』

 最初の方に書かれた文字に、あいつらしいなぁと何となく笑みが浮かぶ。

 そのまま手紙を読み進めて行く内に、堅い文章に混じって、普通の手紙らしい近況などが細々と記され始めた。そのまま最後まで行ったところで、こんなことが記されていた。

『ノームリデーク第四週、レムの日までノエルがアルビオールでバチカルに滞在するそうだから、可能なら彼女と合流してダアトに向かって欲しい』

 ふむふむ。ノームリデーク第四週のレムの日まで、ノエルがこっちに来てるのか。

 どれどれと、俺は壁に掛けられたカレンダーを確認する。

 今日は、ノームリデーク第四週の……レムの日か。

「──って、今日じゃねぇかよっ!!」

 俺は慌てて使用人を呼んで、旅立ちの準備を始めることになった、

 慌ただしく駆け回る使用人に囲まれながら、俺は申し訳なさを覚えて声を掛ける。

「すまねぇな、何か急に準備させちまって」
「い、いえ、お気遣いなく。ルーク様は、玄関でお待ちください」

「…………」

 どこかぎこちない受け答えをする使用人に促されるまま、とりあえず俺は部屋を出た。

 ……下らない話しだが、貴族社会ってのは醜聞ほどよく広まる。

 俺が記憶なくして帰って来たときも、別人じゃないかってよく噂されていたもんだ。今回の騒動で、それが事実だったことがわかったんだ。噂の広がり具合も、かつてとは比べ物にならないだろうな。

 一応、オヤジは俺を正式に公爵家の人間だと宣言してくれている。嫡男はアッシュになる訳だが、それでもあいつは一度も屋敷に寄ろうとはしない。

 基本的にバチカルからでられなかった俺は、他の貴族と違って、よく使用人の連中に話し相手になって貰ってた。使用人たちの態度がどこかぎこちないのも、まだ状況がよく理解ができず、困惑しているってのが正しいだろうな。

 そうした屋敷の連中の事情は、十分に理解してるつもりだ。つもりなんだが……

「……ふぅ」

 自然と溜め息が洩れるのは止められそうになかった。

「む、もう行くのか?」

 玄関口まで行ったところで、オヤジと出会った。どうやら使用人に遠出する準備を任せたのを見て、確認にきたようだ。

「ああ。手紙にイオンが呼んでるって書いてあったからな。しかもちょうどよくノエルがバチカルに来てるらしいし、この機会にダアトまで行ってくるぜ」

「そうか……導師イオンが。私は王都を離れる訳にはいかないが、くれぐれも失礼がないようにな」

「あーはいはい。わかってるよ」

 多少投げやりに応えた俺に、オヤジは本当に大丈夫かと疑わしい目になった後で、不意に視線を壁に転じる。そこには常に一本の刀がこれ見よがしに飾られていた。オヤジはその刀に手を伸ばすと、突然壁から取り外す。

「ん? なにしてんだオヤジ?」
「ガイにこれを返してやってくれ」

 差し出された刀に、俺は困惑しながら視線を落とす。簡素な造りながらも見るものに威厳を感じさせる直刀だ。だが、何故これをガイに? しかも返すってどういう意味だ?

「こいつは……?」
「かつてのホド戦争の折、ガイラルディア伯爵家を私が攻め込んだ際に得た戦利品だ。代々当主が受け継ぐものと決まっていたらしい。私の手から返却しようとも思ったが……お前の手から返してやってくれ」

「……伝言とかはいいのか?」
「……いい。戦争だったのだ。私は王国のために動き、伯爵家は帝国の防衛のために動いた。そこに個人的な感傷が働く余地はないが、それでも……私が成した行為に、変わりはないからな」

「……わかったよ、オヤジ」

 託された剣を腕に抱え、俺は少しの間、黙祷を捧げた。

「ルーク様、準備が整いました」

 使用人からの呼びかけに、俺はわかったと声を上げ、親父と向き直る。

「それじゃオヤジ、またな。お袋にもよろしく言っといてくれ」
「ああ。わかっている。行って来い、バカ息子」
「行ってくるぜ、くそオヤジ」

 いつもの如く乱暴に言葉を交わし合い、こうして俺たちは別れた。

 玄関に向かうと、そこには何人ものメイド達が見送りのために、左右に並んでいた。

「あー……皆もまたな。ちょっと行ってくるぜ」

 なんとなく居心地の悪い思いをしながら、使用人の皆に別れの言葉を告げる。

 だが、彼女たちは儀礼的に頭を下げたまま、顔を上げようとはしない。

 少し寂しい思いをしながら、それでも仕方ないかと思いなおし外に出ようとした瞬間。

 不意に、使用人の一人、執事長のラムダスが顔を上げた。

「ん、どうした?」
「…………私どもにとって、ルーク様は、ルーク様です」

 ラムダスの発言に続いて、屋敷のメイドや執事の連中が一斉に顔を上げる。

「「「「行ってらっしゃいませ、ルークさま!」」」

 誰もが微笑み、優しい表情で俺を見つめていた。

 一瞬、言葉が繋げなかった。
 急激に紅くなる表情を誤魔化すように、俺は少し顔を背けて、小さく呟く。

「……ありがとな、皆」

「いえ……使用人として、差し出がましい口を挟みました。皆さん、今月は減給ですよ」

「「「「はい!」」」」

 むしろ望むところだと言うかのように、威勢の良い返事が返った。

 使用人としての矜持を曲げてまで、言葉を掛けてくれた皆の想いに、俺が不覚にも涙ぐんでしまったのは、ここだけの秘密だ。

 そのまま振り返らずに、俺は威勢よく公爵邸を後にするのだった。




 天空滑車を乗り継ぎ、街の港付近まで来たところで、停泊するアルビオールの機影と、商店街を歩くノエルの姿が見えた。ちょうどアルビオールに買い込んだ物資を運んでいく最中らしい。

「ど、どうやらギリギリ間に合ったみてぇだな」
「ルークさん……?」

 ぜぇぜぇと息を切らせながら駆け寄った俺に、ノエルが驚いたように声を上げた。彼女の顔を見上げて、俺は再会の言葉を掛ける。

「久しぶりだな、ノエル」
「お久しぶりです。ルークさんもお元気そうで、安心しました」

 快活な仕種で挨拶を返すノエルに、俺は冗談めかした言葉を返す。

「へへっ……戻って最初に顔合わせたときは、幽霊扱いされちまったけどな」
「そ、それは……忘れて下さい」

 ノエルは恥ずかしそうに頬を染めると、顔を伏せた。

「ところで、これからどう動く予定になってんだ?」
「あ、はい。ちょうど物資の補給が終わった所なので、このままダアト港に向かうことになります。詳しい話に関しては、私は聞いていないので、港でティアさんと合流して下さい」
「わかった。またしばらくの間、よろしくな」
「はい!」

 こうしてノエルと合流した俺は、城下での準備を済ませ、アルビオールに乗り込んだ。

「──それでは、行きましょう!」

 ノエルの声を合図に、アルビオールの機影が王都の空へと飛び立った。



                 【2】



 大量の譜業機器に埋めつくされた鍾乳洞の中、黙々と作業に勤しむ兵の姿が在った。天井から時折滴り落ちる水滴の音だけが、静謐な洞窟内に響き渡る。

 ここはレプリカ精製に必要となるフォミニンの採掘場にして、今や教団から追放された元第二師団師団長、死神ディストの拠点の一つ──ワイヨン鏡窟だ。

 セントビナーの襲撃によって、正式に教団から除名されたディストは、今や教団兵、帝国軍の双方から追われる身だ。今回の派兵も、教団に残されていた資料からディストの拠点の一つとして、ワイヨン鏡窟の名が記されているものが発見されたのが切っ掛けだ。

 ディストの姿こそなかったもの、最近まで使用されていたのか、かなりの資料が残されていた。周囲を動き回る兵達も残された物資を頻りに見て廻っている

 ……何とも忙しないことだけどな。

 周囲を駆け回る兵とすれ違う度に、御苦労さんと声を掛けつつ、ガイは奥へと向かう。

 最奥に達したところで、目的の人物を発見した。件の人物は一台の演算器を前に、何やら考え込んでいる様子だ。なにやら珍しい表情だなとガイは思いつつ軽い口調で話し掛ける。

「何か変なところでも見つかったのか、大佐さん?」
「……ガイですか。いえ、少し気分が沈むのを感じていただけです」

 返された言葉のいつにない暗さに、ガイは驚きを覚えた。

「珍しいな。大佐が弱音を吐くなんて」
「まあ、私も人の子ということでしょうね。そういうときもありますよ」

 苦笑を浮かべると、大佐は直ぐに顔を引き締めた。

「それよりも、この設備を見てください」

 促されるまま、大佐の指し示す方角を見上げる。其処には天井に届かんばかりの巨大さを誇る譜業機械が在った。

「こいつは……えらいデカイ設備だな。ん……?」

 どうも記憶に引っ掛かりを覚えた。どこかで見覚えがあるような気がするが……?

 訝しむこちらの気配を察してか、大佐が頷きを返す。

「これはファブレ公爵の別荘に設置されていた装置と同じものです」

 告げられた言葉にはっとする。かつて誘拐されたルークが発見された、あの屋敷に設置されていたものと同じ装置だと?

「こいつも……レプリカ関連の施設だってことか?」
「ええ。あのバカは、この地で懲りずに複製体の研究を続けていたようです。実際、ここで実験に使われていたと思しきチーグルが発見されています」
「チーグルが実験に? そりゃまたヒドイな」
「……言い方は悪いですが、チーグルはもともと音素比率が安定した存在なので、実験に最適の種族ですからね。大多数のものはまだ実験に使用されていなかったようですが、運の悪い一匹が複製体を作られ、この先でオリジナルと飼育されていました。……既に一匹は死んでしまったようで、遺体も残っていませんがね」
「遺体も残ってない、か。……レプリカの方は、間に合わなかったってことか」

 レプリカが死んだとき、その死体は残らない。音素乖離によって、死体すら残さず音素に帰る。その事実に顔しかめるガイに、ジェイドはどこか苦い表情で否定を返す。

「いえ、死んでいたのはオリジナルの方です」
「ん? そりゃどういうことだ?」
「……まだわかりません。しかし、もしかするとディストは……」
「カーティス大佐!!」

 遠くから上がった呼び声に、大佐は一端口を閉じた。

「失礼……どうしました?」
「この計画書を……」

 どこか興奮した様子で言い募る部下に、大佐が怪訝そうに眉を寄せながら計画書を受け取る。

「これは……──」

 渡された書類を読み進めるうちに、みるみるジェイドの表情が強張っていく。

 おいおい。あの大佐が表情変えるとは、いったいどんな内容だ? 不安が胸を過るのを感じながら見据えていると、ついに大佐が顔を上げる。

「──至急、ダアトに戻る必要があるようです」

 強張った表情で告げられた言葉が、静謐な洞窟内にどこまでも響き渡った。



スポンサーサイト
  1. 2005/04/30(土) 18:06:11|
  2. 【家族ジャングル】  第八章
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

第2話 「輝く尖塔」



 前を行く男の後に続きながら、彼は彼女に言葉を掛ける。

「……大丈夫ですか?」
「…………」

「僕では……あなたの力になれませんか?」
「…………」

「……わかりました。ですが、安心してください」
「…………」

「あなたは、僕が守ります」
「…………」

 握りしめられた小さな拳が、軋んだ音を立てた。



                 【1】



 ダアト港に到着した所で、埠頭に佇む彼女に気付く。

 アルビオールから外に出た俺は彼女に近づき、笑いかける。

「久しぶりだな、ティア」
「ええ。久しぶりね、ルーク」

 二人の間に涼やかな風が吹く。
 しばらくの間、言葉も交わさぬまま、視線を交わせる。

 不意に、咳払いが届く。

「私はアルビオールの整備を進めておきますね」

 それでは、とそそくさと去っていくノエル。

 後に残された俺たちは顔を見合せ、何とも言えぬこっ恥ずかしい想いに晒され、顔を真っ赤に染め上げるのだった。

 足元では小動物二匹が、単純に久々に会えた仲間に対して嬉しそうに駆け回っていた。

 ……やっぱ、何とも締まらない再会だよな。

 俺達は顔を見合せ、どちらからともなく、苦笑を浮かべ合った。


                  * * *


 ダアトに向かう道すがら、教団の状況に関して言葉を交わす。

 何でも現在トリトハイムが事務方で中心となりつつあるようだ。軍部においても、まともな指揮官がアダンテのおっさんぐらいしかいなくなったことで、急速に改革派が実権を掌握しつつあるらしい。

 どうやらイオンの導師としての基盤も、ほぼ磐石なものとなりつつあるようだな。

 ユリアシティの連中も、緊急時である以上やむを得ないと、イオンの方針を受け入れつつあるそうだ。

 スコアがまるで当てにならなくなった状況だ。俺たちからすれば、当然の対応だろうがと怒鳴り返してやりたい気分になるがな。

「それにしても、ディストの奴はどうなった?」
「ええ。その件に関しても進展があったわ」

 セントビナーの襲撃を行ったことで、ディストは帝国と教団の双方から手配を受けている。ヴァンとの繋がりを持った唯一の情報源だったが、さすがのモースも今回の一件で庇いきれなくなったらしい。正式に教団からも除名され、ディストの執務室にも捜査の手が伸びた。

 そこから発見された資料を下に、ラーデシア大陸にディストの拠点が発見されたそうだ。今もジェイド率いる帝国軍とガイが教団兵と共に、その拠点──ワイヨン鏡窟に向かっているらしい。

 今回の呼び出しも、鏡窟の調査隊がそろそろ戻ってくる頃らしいので、それに関した報告を兼ねたものだという。

「なるほどね……。他の皆がどうしてるかわかるか?」
「イオン様とアニスは、まだナタリアと各国の慰問に出向いている最中だから、ダアトに帰還するには、もう少しかかるそうよ」

 アッシュの行方に関しては、また独自に動き出したらしく、教団側としても不明ということだった。

 だが連絡をとろうと思えば、アダンテのおっさんが取れるらしいので、さして心配はしていない。

 そのとき、港の方から汽笛が盛大に鳴らされた。

 顔を向けると、かなりデカイ軍艦が入港して来るのが見えた。

「もしかして、ジェイド達か?」
「あの船籍を見る限り、たぶんそうだと思うけど……変ね?」
「どうしたんだ?」
「予定だと、二人がダアトに戻るのは、まだ数日後のはずだったけど……?」

 不可解そうに首を傾げるティアの言葉に、俺も確かに変だと訝しむ。

「ん……まあ、どうせまだ大して離れてないんだ。港まで迎えに戻って、直接話を聞いちまおうか?」
「……そうね。戻りましょうか」

 俺たちは予定より早い帰還を疑問に思いながら、とりあえず港に引き返す。

 まあ、何があったにせよ、会って話しを聞けば、少なくとも何かはわかるだろう。

 思考を切り換え、港に戻ったところで、湾口を前に立つ二人の姿が目に入る。

「ジェイド、ガイ。二人とも、久しぶりだな」
「お久しぶりです、ルーク」
「ああ、随分と久しぶりに感じるよな、ルーク」

 和やかに再会の言葉を交わした後で、俺は当然の疑問を尋ねる。

「にしても、二人とも予定より早く帰還したみたいだけどよ、何かあったのか?」

「…………」
「…………」

 軽い調子で尋ねた疑問に返されたのは、重苦しい沈黙だった。

「な、なんだよ。そんな深刻な問題なのか?」

「……まず一つ、報告します」

 メガネを押し上げながら表情を隠して、ジェイドは淡々と告げる。

「ディストの拠点で、警戒すべき事柄が明らかになりました」
「確か……ワイヨン鏡窟とか言ったか?」
「ええ、そうです。色々なことがわかりましたが……結局ディストの行方は掴めませんでした。しかし、無視できない計画が同時に判明しました。あのバカは、どうも導師イオンの身柄を狙っているようなのです」

「導師イオンの……?」
「……身柄を狙ってるだって?」

 さすがに考えもしなかった事態に、俺たちは困惑に首を捻る。

 ダアト式封呪が解除された今、イオン狙う理由は存在しないはずだが……いったいどういうことだ?

 考え込んでいると、ガイが続ける。

「ともかく、イオンが危険に晒されていることに違いはないんだ。ひとまずイオンを教団に呼び戻してくれないか?」
「まあ、それが一番か。……ティア、大丈夫そうか?」
「え、ええ。今はナタリア達と各国の慰問に廻っているけど、さして緊急性のある用件ではないから、直ぐにでも帰還できると思うわ。けど……ディストは、本当にイオン様を?」

 戸惑うティアに、ジェイドはどこか切迫した空気をまといながら続ける。

「ええ。それにどうも嫌な予感がする。ディストが馬鹿げた行動を取るのは今更の話ですが、今回はいつもと何かが違うように感じられます。厄介な事態になる前に、導師にはダアトに帰還して頂き、万全な警護がついた状態で待機して貰いたい」
「……わかりました。トリトハイム様に伝えて、イオン様の慰安を一時中断、ダアトに帰還して頂きます」
「お願いします」

 話が決まったところで、俺たちは急ぎ教団本部に向かう。

 だが、教団内に足を踏み入れた所で、どうも違和感を覚える。

 教団員達の間に流れる空気が、どうにも慌ただしい様子なのだ。

「何かあったのかね?」
「……おかしいですね」

 不意に、慌ただしく歩く教団の人間の中に、トリトハイムの顔が視界に入った。

「詠師トリトハイム、少しよろしいでしょうか?」
「おお、カーティス大佐。それにグランツ響長、二人ともお戻りになりましたか」
「ええ。調査に関連した事柄で、イオン様に関して至急お伝えしたいことがあります」
「むぅ……導師イオンに関して伝えたいことがある、ですか……」

 何かを躊躇うように、言葉に詰まるトリトハイムに、ジェイドが更に前に出る。

「詠師トリトハイム。こちらも緊急の用件です。ワイヨン鏡窟の探索で、六神将のディストが、導師イオンの襲撃を企てていることが判明しました」

「何と、ディストが!? ……いや、だが確かにそう考えると……」

 なにやら考え込み始めたトリトハイムに、ジェイドも嫌な予感を感じてか、真剣な表情で再度問い詰める。

「いったい、何があったのです? 話して頂けるようなら、私たちが直ぐにでも動けますが?」

 教団兵では小回りが効かないでしょうと続けたジェイドの言葉に後押しされてか、トリトハイムが重い口を開く。

「……わかりました。全てをお話ししましょう。
 実は、先程入った情報なのですが……各国の慰安に廻っていた使節団が襲撃を受け、導師イオンが行方不明となりました」

「「「なっ」」」

 驚愕する俺たちを前に、トリトハイムは自身も焦りを露わにしながら、言葉を続ける。

 何でも各地域を慰問して廻っていた使節団だったが、街と街との間を移動する隙をつかれて、襲撃されたらしい。導師イオンはもとより、同行していたアニスの消息も不明。ナタリアと他の使節団の人間は、負傷した状態で倒れているのを周辺の街で発見されたそうだ。

 運び込まれた施療院で治療を施されていたらしいが、しかし直ぐにナタリアも姿を消したという。まだ不確定だが、黒の教団服を着込んだ赤毛の男が、ナタリアらしき人物と街を出るところを目撃したという情報もあるらしい。

「襲撃したのは、やっぱディストのやつなのかね? 目撃情報の方はアッシュか?」
「どちらにせよ、対応が後手に廻ったのは否めませんね……いささか油断していたようです」
「でも導師を誘拐して、今更どうするつもりなのかしら……?」

 トリトハイムから次々と告げられる驚愕の事実を前に、誰もが口を開き言葉を交わす。

 さらに詳しい状況を聞き出そうとしたそのとき、怪訝そうな声が掛かる。

「……どうも慌ただしいようだが、何があった?」

 教団の制服をまとった中年の男──大詠師モースが、こちらを見据えていた。

「詠師トリトハイム。詳しい状況をお教え願いたいものですな」

 一切俺たちと視線を合わせようとはせずに、モースはトリトハイムに話しかけた。

「大詠師モース、実は各国の慰安に廻っていた使節団が襲撃を受け、同行していた導師が行方不明になってしまったようなのです」
「導師イオンが行方不明に?」
「そうです。また、ワイヨン鏡窟の探索を行っていたカーティス大佐によると、六神将ディストが導師の襲撃を企てていたとも……」

 トリトハイムの説明にモースが眉を寄せる。そこに不審な態度は見えないが、どうにも俺はこの相手の態度が気に掛かった。

 ……試してみるか。

「モース、あんたはディストの野郎と組んでたんだよな?」
「ふん。使っていたと言って欲しいものだがな」

 揶揄するような言葉を叩きつける俺に、バカバカしいとモースは鼻を鳴らした。相手の真意を伺うべく、俺はさらに強くモースを睨むが、相手は一向に気にした風もない。泰然とした態度で、ただこちらを見返している。

「情報源として利用していたのは認めるが、あやつはやりすぎた」

 モースの瞳は醒めきっていた。そこに一切の感情は感じらず、ただ当然の言葉を返すのみという態度が見える。

「教団にとって害となる人間を、いつまでも見過ごすほど愚かではない」
「………なるほどね。さすがは大詠師って所か」

 裏を返せば、それは教団にとって害となるような人間ならば、いつでも切り捨てる用意があるとも取れた。

「まあ、少し落ち着けよ、ルーク」

 滲み出る嫌悪感を隠そうともしない俺を押しとどめ、ガイがやんわりとモースに問いかける。

「しかし、あんたがディストと協力関係にあったのは事実だろ? 何か知らないのか?」
「ディストが導師イオンを誘拐した可能性か……」

 僅かに考え込むような間を空けた後で、そう言えば、とモースが顔を上げる。

「やつが以前、言っていたのを耳にしたことがあるな。レムの塔で最悪の場合は例の計画を実行するしかない、と……」
「レムの塔? 何処だそりゃ?」
「ふん。私の方が聞きたいぐらいだな」

 ……やっぱ、いちいちムカツク反応返すやつだよな、オイ。

 再度睨み合う俺とモース。だが、それも直ぐに終わりを告げた。その場所に心当たりがあると、ティアが声を上げたからだ。

「昔から魔界にある塔よ。何でも創世歴時代に、外郭大地計画が失敗した場合を想定して、別の星へ行くための塔だったと聞いたことがある。確か……キュビ半島にあったはず」
「創世歴時代の塔ですか?」
「ふむ、随分と突然の話だな」

 イオンの誘拐と関連がわからないと不可解そうに首を捻るジェイドとガイ。だが、ティアの説明を耳にした瞬間、トリトハイムが目を見開く。

「襲撃が行われた地点は南ルグニカ平野です! あそこは確か、キュビ半島近郊だったはず」

 新たに加わった情報との符合に、俺たちの間に緊張が走る。

「……とりあえず、他に情報がないんだ。行ってみようぜ」

 いつまでもイオンが無事だとは限らない。そうした意味を込めた呼びかけに、皆も同意する。

「だな。それ以外にないか」
「イオンさま達が無事だといいけど……」

 こうして、レムの塔に向かうという方針が定まった。

 トリトハイムが神妙な表情で俺たちに向き直る。

「導師をお願いします、皆さん。私もオラクルの者たちに出動を要請しておきます」
「お願いします、トリトハイムさま」

「それじゃ、行こうぜ」

 皆を促し、俺たちは早速塔に向けて動き出した。だがふと、一人動かないジェイドに気付く。ジェイドはどこか険しい表情で、一人モースに視線を据え続けている。

「どうしたよ、ジェイド? 何か気になることでもあったのか?」
「………いえ、何でもありません」

 被りを振ると、直ぐにジェイドも俺たちの後に続いた。怪訝に思わなかったといえば嘘になるが、このときはそれよりもイオンの方が気掛かりだったため、それ以上問い返そうとは思わなかった。

「…………今はイオンさまの救出を優先すべき、か」

 だから、最後に呟かれた言葉に込められた意味も、このときの俺にはわからなかった。



                 【2】



「すっげぇでかさだよなぁ……」

 見上げる限り続く塔。俺は間の抜けた顔で塔を見上げながら、その威容に思わず感嘆の息を漏らしていた。

 ダアトを発った俺たちはアルビオールでキュビ半島へと向かった。着いた先にはこの塔以外に目立った建造物など存在せず、直ぐにそれがレムの塔だとわかった。

 天に向けて延々と伸びるレムの塔は、平坦な大地の中で、あまりにも際立っていた。

「しかし、他の星に逃げるなんて、よくそんなとんでもないこと考えるよなぁ……」

 創世歴時代のとんでもない技術力には呆れ返ると、俺は被りを振った。それにガイが苦笑混じりに同意する。

「まあ、シェリダンでもロケットじいさんが宇宙関連の研究開発は行ってるらしいが、空もろくに飛べない時代だ。宇宙なんて夢のまた夢だよな」
「空に宇宙。どちらもまだ、人間の手の届かない領域ということでしょうね」
「お、ジェイド。戻ったのか」

 アルビオールから降りるや、ジェイドは一人先行して塔の偵察に向かっていた。ジェイドに御苦労さんと声を掛ける俺を押さえ、ティアがまっさきに質問を掛ける。

「カーティス大佐。何かわかりましたか?」
「見た限りこれといって不審な点は見当たりません。どうやら名付けられた通り、レムの音素が満ちた場所でもあるようですが……今はあまり関係ないことでしょう。むしろ、塔の外で発見がありましたね」
「塔の外?」
「こちらとは反対側に、アルビオールと似た型式の航空機が停泊していました。あれはおそらく、アルビオール三号機でしょうね」
「三号機……? アルビオールってそんなに数があったのか?」

 アルビオールの機体に寄っ掛かりながら首を傾げる俺に、機体の整備をしていたノエルがひょっこりと顔を出す。あまりに突然の登場に、正直俺はびびりました。

「アルビオール三号機はギンジ兄さんが操縦する機体です。今はアッシュさんに貸し出されているはずですよ」
「そ、そっか。ありがとな、ノエル」

 多少どもり気味に礼を言う俺に、ノエルは大したことではないと微笑むと、直ぐに顔を引っ込め機体の整備に戻った。疑問に答えてくれたのはありがたいが……ちょっと心臓に悪いな。

 俺は少し咳払いをして、動揺を押さえた後で、口を開く。

「しかし、ノエルの言う通りならアッシュのやつもここに来てるってことになるな」
「市街での目撃情報と合わせて考えれば、ナタリアも来ている可能性が高いでしょうね」

 ふむ、確かにナタリアのやつなら、自分の目の前でイオンがさらわれたりしたら、そのまま黙ってなんていられそうにないしな。

「二人がイオンの後を追ってるなら、やっぱここで正解ってことか」

 睨み付けるようにして塔を見上げる。自分でも視線がいつになく鋭くなるのがわかる。

「アニスのやつも一緒かね? 無事だと良いが」
「アニスなら余程のことがない限り、大丈夫でしょう」
「そうそう。きっと今頃立ちふさがる障害をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、犯人を追ってる頃だぜ」
「トクナガから怪光線ぐらいなら出しているかもしれませんねぇ」

「ず、随分とすごい想像だな」

 ふざけたこと言い合う俺とジェイドに、ガイが乾いた笑い声を上げた。その顔には単純に否定もできないなぁと書かれていたから、人のことは言えないと思うがな。

「もう……ふざけたことを行ってないで、先を急ぎましょう」

 馬鹿話を交わす俺たちを一喝すると、ティアは先立って歩いて行ってしまった。

 ……さすがにちょっとふざけすぎたか。

 バツが悪くなった俺たちは慌てて彼女の後に続く。

 塔の中は、パッセージリングのあるセフィロトと似たような雰囲気が漂う場所だった。建物を構成する物質も人工的で、どこかユリアシティにも似ているかもしれない。

 正面に、バチカルにある天空滑車を格段に進化させたような昇降機が設置されていた。

「先程確認してみたのですが、どうやらこの塔は建造途中で放棄されたもののようです。そのため、この昇降機では途中までしか上がれないようです」

 ジェイドが説明をしながら、まっさきに昇降機に乗り込む。

「って、途中までしか行けないのにいいいのか?」
「途中まででも行けるだけ僥倖ですよ。」

 外から見たならわかるでしょう、とジェイドが肩を竦めて見せた。

 思い浮かぶのは、雲を突き抜け伸び続ける塔の威容だ。

「……まあ、確かにあれを全部足で昇り切るのはキツイか」
「とりあえず、これで行ける所まで行ってみましょう。塔の外周に沿って階段があるので、途中からそちらに移ることになるでしょうけどね。アッシュ達が来てるなら、少なくとも無駄足にはならないでしょう」
「それもそうだな」

 ジェイドの言う通り、途中まで行けるだけマシってことか。

 俺たちは昇降機に乗り込み、扉を閉める。

 昇降機が起動し、グングンと上に登っていく。バチカルに置かれた天空滑車と異なり、移動する際に聞こえるはずの音もまるで聞こえない。やっぱとんでもない技術力だよな。

 感心していると、一分も経たないうちに昇降機が動きを止める。

「……ここまでのようですね」

 徐々に緊張感が高まって行く中、昇降機の扉が開かれる。

 扉の開かれた先に、三人組の男女の姿があった。どこか道化染みた衣装をまとった、怪しい人物だったが、今は負傷しているのか、苦しそうに床に座り込んでいる。

「って、お前ら漆黒の翼か?」
「あんたたちは……坊や達か!」

 向こうも俺たちの登場が予想外だったのか、驚きに目を見開いている。

「お前らどうしてここに? どういうことだ? もしかして、アッシュの奴と……?」
「今は答えてる時間がない。アッシュの坊や達なら塔の頂上に向かったよ。あの娘を止めてやってくれ!」

 叫び返すようにして、ノワールが告げた。あまりに余裕のない彼女の様子に、俺はそれ以上問いかける言葉を失う。

 この焦りようを見る限り、詳しい話を聞き出しているような余裕はないようだ。

「……わかった」

 だから、俺はせめて相手が安心できるように、静かに頷き返した。それに安心してか、ノワールは意識を失ったようだ。彼女の手当てをしていたウルシーが代わって顔を上げる。

「あっちに頂上に続く階段がある。急いで欲しい」
「俺たちじゃ力が足りねぇでゲス! アッシュの旦那をよろしく頼む!」
「ああ、任せとけ!」

 ウルシーとヨークの呼びかけに力強く答えると、俺たちは駆け足で階段に向かった。

 簡易的に造られたと思しき階段を進む。壁のあちこちにむき出しのまま放置された部分が目立つ。階段そのものもどこか崩れ、切り出されたブロックのまま放置された箇所さえある。

 直ぐに階段は終りを告げ、駆け上った先に扉が見えた。

「どうやら、頂上はこの先のようですね」
「準備はいいか? 漆黒の翼の様子を見る限り、居るのは相当物騒なやつだぞ」
「ええ。油断はしないでね、ルーク」
「わかってるさ。行くぜ」

 覚悟を決め、扉を開く。

 扉の先には、蒼空が広がっていた。

 障気は足元に広がっている。どうやらこの塔は、雲の上の層にまで達しているようだ。広がる絶景に一瞬息をのんだ後で、直ぐに気を引き締め周囲を伺う。

 塔の中央付近に、三人の男女の姿があった。何かの譜業装置のようなものを調節するディスト、床に描かれた譜陣の中央に立つイオン、そして何故か顔を俯けたまま動かないアニス。

 床には譜業兵器の残骸と思しきものが焔を上げながら大破しているのが見えた。だが、大破しながらも維持される障壁のようなものが、こちら側と向こうを隔絶していた。

 譜業兵器を間に挟み、三人と対峙するようにして、身構えるアッシュとナタリアの姿が見えた。アッシュは片膝をついた状態で、苦しげにうめいている。ナタリアはアッシュの側に立ち、必死に治癒術を掛けていた。

 治癒術を掛けながら、ナタリアは顔を上げて呼びかける。

「アニス! もはやあなたが頼みです! 導師を止めて下さい!」
「導師、お前も考え直せ!」
「…………」

 アニスは俯いたまま、応えない。

「どういう状況だ、アッシュ?」
「ちっ……テメェらも、あいつを止めろ!!」

 状況が理解できず動けない俺たちに、アッシュが苦々しげに顔を歪めた。

「はーっはっはっはっは! あまり殺気立たないで欲しいものですね。私は何も導師を害しようという訳ではありませんから」

 慇懃な仕種で断りを入れると、ディストは導師に向き直る。

「さあ、導師、この譜陣にあなたの力を注ぎ込んでください。ダアト式譜術は、導師にしか扱えませんからねぇ」
「やめろ導師! テメェの力がもたねぇぞっ!! クソガキ! テメェも止めろ!!」

 ディストが促しに、アッシュが必死の形相で声を上げた。だが、イオンはそれに微笑み返すと、俯いたままのアニスに小さく声を掛ける。

「……アニス、オリバー達のことはわかっています」

 はっとアニスが顔を上げた。イオンと初めて視線を合わせる。イオンの瞳は静謐なまま、動かない。

「僕の力が及ばなかったばかりに、すみません。ですが、もう安心して下さい。せめて、あなただけでも……」

 ディストに促されるまま、イオンが塔の床一面に描かれた譜陣に手を伸ばす、

「っ!! ───イオンさまぁダメェ────っ!」

 注ぎ込まれる力に譜陣が膨大な光を発し、塔の頂上は光の中に霞む。

「ふふふふふっ来た来た来たァァァ! 莫大なレムの音素が、この地に収束するのを感じますよぉっ!!」

 煌々と集う光の乱舞の中心で、ディストが歓喜も露わに哄笑を上げる。

「今こそ復活のときです、ネビリム先生ぇーーーーっ!!」

「ネビリム先生だと? ディスト、どういうことだっ!」

 ジェイドが殺気も露わに問い詰める。それにディストは余裕そのものといった様子で応じる。

「ふふふ。結局の所、ネビリム先生のレプリカ情報を握っているのは総長ですからね。彼等が教団を離脱した以上、モースが総長から情報を奪取することは期待できません。さらに言えばセントビナーの一件で、師団からも追われた私が、総長に繋がりを持つことは難しい。もはや新たに先生のレプリカを造ることは絶望的になったと言ってもいいでしょうねぇ」

 自らの目的が遠のいたと言いながら、そこにはまるで動揺が見えない。思わず俺は問いかけていた。

「どういうことだっ! なら、何が目的でお前は……」
「簡単な話ですよ。新たに作成することができないなら、既に存在するものに手を加え調整し、完成の域にまで届かせればいいとね」

 言いながら、譜陣に力を注ぎ続けるイオンに視線を向ける。

「ダアト式譜術の精密な制御能力! 人間の精神にすら干渉を可能とする調整能力! ケイオス・ハートから確保しておいた第一音素に、レムの塔に収束する第六音素を合わせ、この譜陣に注ぎ込む事で、封印は解かれるのですっ!!」

「……この譜陣……───っ! ……まさか……っ!?」

 息を飲むジェイドに、ディストは歓喜の声を上げる。

「ええ! そうです。改めて複製体を作成せずとも、あの日から、確かに先生は存在していた。
 あなたが最初に生み出した──レプリカとしてねぇっ!
 さぁ──我らが愛するゲルダ・ネビリム先生が、ここに復活するっ!」

 ディストは最後に叫ぶと同時に、何かの響律符を譜陣に投じた。響律符が譜陣に触れると同時、闇色の音素が顕現する。周囲から押し寄せるレムの音素と、響律符から溢れ出すシャドウの音素は煌々と燃え上がり、混ざり合った音素は紫紺の光を放ちながら世界を侵し───

 全てが消えた。

 一瞬遅れて、イオンの身体が、床に崩れ落ちる。

 倒れたイオンに、アニスが慌てて駆け寄り、彼の小さな身体を抱き寄せ、塔の端に避難する。

 他の誰も動かなかった。

 いや、動けなかった。

 圧倒的な存在感が、場に満ちていた。

 光の消え失せた譜陣の上空で、翼の翻る音が響く。

「まさか……」

 ジェイドが動揺の声を上げる。信じられないものを見たとでも言うように、限界まで見開かれた眼で、視線の先にあるものを見据え続ける。

 白磁の肌がきらめき、豪奢な金髪が風に揺らぐ。背中から覗く翼が、一定の間隔ではばたき、抜け落ちた羽が地面に届く寸前で、音素の光に変わる。

「ネビリム先生ーーーー!!」

 ディストが感極まった様子で、譜陣の上に現れた女に呼びかけた。

 女は声に気づき、僅かに表情を緩めると、鈴の鳴るような声で、ディストの名を呼ぶ。

「……──ごくろうさま、サフィール」
「ネビリム先生っ!! 先生にお話ししたいことがたくさん……」

 感動にもはや堪えきれないと詰め寄ろうとするディストに、女は優しく微笑みながら、すっと手を持ち上げる。光が灯り、持ち上げられた指先がディストに向けられる。

「──まずい! 伏せろっ!!」

 視界を貫く、一条の閃光。

 ディストのメガネが爆ぜ割れた。砕け散ったメガネの破片が地面に降り注ぎ、力ない声が洩れる。

「しぇんしぇい……───?」

 ディストの身体はグラリと傾き、地に伏せた。溢れ出した鮮血が床に広がっていく。ディストの身体はピクリとも動かない。

「ディスト!?」
「おかしいですの。なんだか怖い魔物がいるですの……」

 ブルブルと震えるミュウに、コライガも全身の毛を逆立てながら低く唸り声を上げる。

「ふふふ……失礼ね。私を魔物呼ばわりするなんて……──」

 先程の一撃など、まるで意に介した様子も見せず、女はひたすら優しく微笑んでいた。

 それが、なによりも畏ろしい。

 場を支配する圧倒的な存在感を前に、誰もが動けない。

 女の視線が動く。向けられた視線の先に、ジェイドの姿があった。女はジェイドに熱い視線を向けながら、まるで花咲くような可憐な笑みを浮かべると、嬉しそうに呼びかけた。

「──お久しぶりね、ジェイド」

 ゲルダ・ネビリムが、ここに復活を果たした。



  1. 2005/04/29(金) 00:30:00|
  2. 【家族ジャングル】  第八章
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

第3話 「廻る刻針」



 白銀の世界。燃え盛る一軒の家屋。

 倒れ伏す女性にすがり付く子供と、冷静に観察する子供の姿があった。


 ───ジェイド、先生が死んじゃうよ!

 ───ああ。ボクのせいだ。このままだと先生は助からない。だけどフォミクリーなら……

 ───そうか! 先生のレプリカを作るんだね! だけどここにフォミクリーの音機関は……

 ───僕の譜術でやる。ネフリーの人形で一度成功してるから、できる筈だ


 倒れ伏す女の前に近づき、冷静な子供が手をかざすと、譜術の光が女を包む。


 ───……う……ううぅ……

 ───凄い! ジェイドはやっぱり凄いや! 大成功だ!


 はしゃぎ廻る子供とは対照的に、もう一人は冷淡な視線のまま、うめき声を上げる相手を見据えていた。

 そこに、騒ぎを聞きつけた帝国兵が駆けつける。


 ───何の騒ぎだ!

 ───……っ───っ!


 誰何の声に、倒れ伏していた女が反応したと思った瞬間──鮮血の赤が、視界を染め上げる。


 ───ぐぁぁぁああぁぁあ───っ!!


 雪原の無地に広がる血の色は何よりも生々しく、首下から鮮血を吹き上げ、帝国兵は死に絶えた。

 駆けつけた兵を殺すと、起き上がったレプリカはフラフラと、そのまま何処へともなく去っていた。


 ───失敗か

 ───う……うわぁぁぁ──────っ!?


 冷淡につぶやく子供の後に続いて、はしゃいでいた子供の悲鳴が上がった。


 残されたのは二人の子供と死体が二つ。


 すべては、遠い昔の記憶。


 過ぎ去った過去の記憶にすぎない。



                 【1】



 塔の頂上は無形の威圧感に支配されていた。

 その場にいる誰もが、不可解な女の唐突な登場に、警戒心も露わに身構える。その中でもジェイドは最前に立ち、女と対峙していた。

 他の皆とはどこか意味合いの異なる視線を交わす二人の関係に、俺は思い当たるものがあった。

 かつてジェイドとディストが生み出した存在。
 二人の恩師を複製した最初の一体──ゲルダ・ネビリムのレプリカ。

「……どうしてお前が此処にいる?」
「ふふふ……昔はあんなに可愛らしかったのに、今は随分怖い顔をしているのね?」

 からかうように笑いかけるネビリムに、ジェイドの紅眼が燃え上がるような鮮烈な赤に染まる。

「どうしてここにいるかと聞いている。──答えろ」

 冷然とした態度とは対照的に、立ち上る怒気に周囲の空気が震え上がる。

 まあ怖いと、ネビリムは頬を片手で押さえながら口を開く。

「レムとシャドウの音素が欲しくて譜術士から音素を盗んでいたら、地殻に封印されてしまったのよ。ここに居るのは、サフィールが惑星譜陣で私の封印を解いたからでしょうね」

「譜術士から音素を盗んでいた……? 聞いたことがある……ケテルブルク南西付近で、一個中隊規模の部隊を壊滅させた譜術士とは、お前のことだったのか」

 忌ま忌ましげに顔を歪めるジェイドとは対照的に、ネビリムはまるで気にした様子もない。

「さぁ、詳しいことはわからないわ。でも、今はどうでも良いことでしょう?」

 無粋なことを言うのね。そう呟くと、拗ねたような視線でジェイドを見やった。

 放たれる威圧感とあまりにそぐわない態度に、誰もが戸惑うのがわかる。俺自身も先程ディストに一撃放ったときと、いま目の前に立つ相手の態度の違いに困惑していた。

「ねぇ、ジェイド」

 不意にネビリムは微笑むと、堅い表情のまま動かないジェイドに熱い視線を送る。

「あなたは私を捨てて、殺そうとしたわよね。私が不完全な失敗作だったから。
 でも、今の私は失敗作じゃないわ。今度こそ、私は完全な存在になったのよ。
 私はもう完全な存在──本物になれた。そうでしょう、ジェイド?」

「……それは…………」

 ───誕生したレプリカは、ただの化け物でした

 ネフリーさんがケテルブルクで、俺に伝えた言葉が蘇る。

 不完全な失敗作として、遺棄されたレプリカ。

 自らを完成品と胸を誇る彼女の姿に、俺は言いようのない感情が揺り動かされるのを感じていた。造り手に見捨てられながらも、一度求められた可能性は、そこまでレプリカの行動を縛るものなんだろうか。

 しばらくの間、沈黙が続いた後で、ジェイドは顔を上げた。

「……おまえが本物になることはなく、また、そうなる必要もない」

 その瞳に感情の色は浮かばず、ただ淡々と事実のみをジェイドは口にする。

「私はもう──ネビリム先生を求めていない」

 ジェイドの告げた言葉を、ネビリムは目を閉じて静かに聞いていた。

 じっくりと吟味するように、告げられた言葉を咀嚼した後で、ゆっくりと顔を上げる。

「そう……また、私を拒絶するのねぇ、ジェイド。私の創造主」

 静かな表情に動揺が浮かぶことはなく、ただどこまでも無垢な視線が、ジェイドを見据えていた。

「なら、私があなたを殺してあげる。そうすることで、私は初めて──〝私〟になれるのよ」

 婉然と流し目を作りながら、ネビリムの背で翼が大きく広がる。フォンスロットが開放され、周囲から急激な勢いで音素が取り込まれて行く。

「なんて、音素なの……!?」
「こいつは……相当ヤバイぞ」

 一斉に身構える俺たちに、ジェイドが自身も堅い表情で告げる。

「くっ……気を付けて下さい。かつてマクガヴァン元帥が派遣され、ようやく封印した存在。油断は即座に、こちらの死に繋がる」

 ジェイドの忠告を耳にしながら、俺は苦い感情を噛み締めていた。

 くそっ……本当に、戦うしかないのか?

 俺には、二人が戦う理由がわからなかった。

 ジェイドはもはや目の前に立つ相手に拘っているような様子はない。だが、ネビリムはあくまでジェイドに拘り、拒絶されるや、其の命を奪おうとしている。

 作成された当時がどうだったかは知らないが、今目の前にいる相手は、どれだけの力を秘めていようが、ただの人間にしか見えない。今更、ジェイドにこだわり、命の奪い合いをしようとする理由が、俺にはわからなかった。

「……しかし大佐さんよ、ネビリムさんがレプリカってのは、一体……?」
「今回の事態が解決した際、陛下に報告しに行く時にでも、ご説明しますよ」
「……そうか」

 どこか誤魔化すような言葉だったが、特に食い下がるでもなく、ガイも納得した。

 目の前で高まる殺気に、言葉を飲み込んだという方が正解かもしれない。

 俺の葛藤など問題にすることなく、状況は最悪の方向に向けて動き出す。

「ふふふ……さあ、どんなふうに楽しませてくれるのかしら?」

 ネビリムの両手の先に煌々と音素の光が灯り、光の槍が形成される。

「来ます!!」

 そして、誰にとっても得るものなどない、戦闘の幕は上がる。


                  * * *


 両手の先に生み出された光槍が打ち合わされた。閃光と衝撃を撒き散らしながら、ネビリムは戦場を駆ける。迎え撃つ俺とガイは互いに連携して動き、道半ばでネビリムと激突する。

 無造作に振り回されるネビリムの両腕の先から生み出される光の槍は、怒濤の勢いで迫り来る。構えも踏み込みもなっていないデタラメな攻撃は、一見すると簡単に対処できそうなものだったが、それはとんだ思い違いだ。

 ちっ……反応速度が、異常なまでに高い。

 もとからの身体能力の高さが、あらゆる要素を些細な問題におとしめていた。其の攻撃はひたすらに苛烈。其の一撃一撃はあまりに重く、鋭いものだった。

 俺たちは常に後手に回り、受け流すので精一杯になる。攻めに回るような余裕なんざありはしない。少しでも隙を見せれば、俺たちを押し退け、無防備な後衛に光槍が降り注ぐだろう。

「ふふふ。まだまだね」

 俺とガイの二人を同時に相手取りながら、ネビリムは余裕そのものといった様子だ。

 突然、舞うような動作でネビリムが回転する。ふわりと僅かに浮かび上がる裾が翻り───ネビリムの姿が消え失せる。

 間合いは一瞬で消失、俺の側面から迫ったネビリムが光槍をふり降ろしていた。

「ちっ……!?」

 強引な踏み込みに集中が乱れる。俺は手にした剣を迎撃に切り換え、迫る光槍に叩きつけた。辛うじて切り返しが間に合った。そう思った瞬間、俺の鳩尾に回し蹴りが直撃していた。

「───っ!?」

 尋常でない衝撃が体内を駆け巡る。その場に止まれたのは一瞬、俺の身体は遥か後方まで吹き飛ばされていた。

「がはっ……ぐっ……」

 口元を拭うと、袖が紅に染まる。内蔵がやられたのか? 身体を起こそうとする度に、鈍い痛みが全身を貫く。だが、それでも、このまま寝て居られるような状況ではなかった。

「ルーク! まだ動かないで、今治癒するわ」
「すまねぇな……ティア」

 無理にでも起き上がろうとした俺を押しとどめ、駆け寄ったティアが治癒を開始する。柔らかい光が注ぎ、全身の痛みが和らぐ。

「よそ見をするような余裕があるのかしら?」

 俺が戦線を離脱したことで、両手を自由に使えるようになったネビリムのガイに対する攻撃が、さらに苛烈さを増して行く。

「やってくれるね。だが、アンタもいつまで、余裕でいられるかな?」
「威勢がいいわねぇ。でも、そうこなくちゃ──ね」

 無造作に振り回される左右の手が更に勢いを増す。踊るように優雅に動くネビリムを前に、次第にガイが押され始めた。次々と生み出される光槍は、あたかも神の槍のごとく、神々しいまでの威光を放ちながら次々とガイに押し寄せる。

「くっ───抜かせるかぁっ!」

 一瞬の間隙をついて、ガイが間合いを詰めた。疾走の勢いもそのままに、肩からネビリムに激突する。捨て身の体当たりに体重の差を悟ってか、ネビリムが衝撃に逆らわず、自ら後方に飛び退いた。

 両者の間合いが、ひらく。

 後方から響くジェイドの詠唱が届く。ネビリムが体勢を立て直す。あの相手なら、開いた間合いも、直ぐにでも詰めることが可能だろう。

 全ての状況を踏まえた上で、ガイは刹那の間に決断する。

「紫電の光よ」

 手にした刃が大地に突き立てられた。全身のフォンスロットから取り込まれた第三音素が、刀身に収束する。技の発動を妨害しようと、ネビリムが右の手に生み出した光槍を振り降ろす。

《獅子───》

 光槍が弾かれた。刀身は火花を散らし、爆発的に高まりし力が此処に解き放たれる。

《──爆雷陣っ!!》

 雷撃が周囲を荒れ狂い、視界を染め上げる雷光に戦場が霞む。

「ぅんっ───……」

 それはネビリムも例外ではない。閃光に視界をとられてか、彼女は一瞬目元を掌で覆った。

「雷雲よ、我が刃となりて敵を貫け」

 そこに狙い済ましたように、詠唱を続けていたジェイドの譜術が発動する。

「───サンダーブレード!!」

 雷撃の刃が地を穿った。大地を伝う放電の余波は空気を嘗め上げ、焦げ臭い臭いが鼻に届く。

 だが、俺たちは依然、構えを解くことなく陣形を整える。

「……もう、危ないわねぇ、ジェイド」

 服の裾を掴み上げながら、ネビリムがわざとらしい仕種で、哀しそうに焦げついた部分を示す。

「少し、服が汚れてしまったわ」

 考えようによっては、大した攻撃ではないと直接的に告げるよりも挑発じみた言葉だったが、それにジェイドは憤ることなく、冷静にメガネを押し上げる。

「……やはり、この程度の譜術では効果はありませんか」
「ふふふ。随分弱気な発言ねぇ。私を捕まえなくてもいいのかしら?」
「事実は事実ですからね。それに、生け捕りにする必要もありませんからね」
「まあ怖い」

 どこか戦場にそぐわぬ会話だったが、ジェイドは相手から一瞬足りとも視線を逸らさず、ネビリムが動くのを牽制していた。その間に体勢を立て直したガイが後方に下がり、回復した俺も改めて構えを取る。

 陣形を整える俺たちに向けて、ネビリムが注意を払うことはない。ただ一人ジェイドを見据えたまま、交わされる他愛もない会話を楽しんでいる伏しさえあった。

「もう準備は終わったぁ? なら、今度は私の番ね」

 ネビリムは自身の顔の前に掌を掲げた。白い腕が譜の力の高まりを前に音素の光に染まり、空間に譜陣が刻まれていく。

「面白いものを、見せてあげるわ」

 だが、このまま譜術の発動を待つ道理はない。俺とガイは一瞬視線を合わせ、一息に間合いを詰める。

 ネビリムは詠唱のため動けない。俺とガイは同時に左右から斬りかかる。

 理想的な体勢で斬撃は放たれ──次の瞬間、俺達は地に伏せ、空を仰いでいた。

「な……っ?」

 混乱に一瞬、状況が理解できなくなった。衝撃が全身を貫き、身体は動かない。

 何が起こった?

 痺れるような痛みを訴える上体を起こし、周囲に視線を巡らせる。俺と同様に、地面に転がり困惑するガイの姿が隣にあった。

「乱暴ねぇ」

 先程とまったく変わらぬ位置に立ち、ネビリムはうそぶいた。

 俺とガイは動揺を必死に打ち消しながら立ち上がり、即座に構えを取り直す。

 だが、何をされたのか理解できない以上、こちらからは迂闊に動けなかった。

 膠着した状況を見て取り、後衛のティアが牽制の譜術を放つ。

「聖なる槍よ、敵を貫け───ホーリーランス!」

 ネビリムの足元に譜陣が展開された。光放つ譜陣から、一瞬にして形成された無数の光槍が虚空に浮かび上がり、ネビリムに向けて振りそそ───

「ふふふ。怖いわね」
「───!?」

 ティアの頬に手を添え、ゆっくりと髪をすきながら、ネビリムは彼女の耳元に顔を寄せ囁いた。

 硬直するティアに代わり、とっさに反応したジェイドが反射的に槍を投じる。放たれた槍は風を切りながら突き進み──誰もいない空間を貫くと、そのまま地面に突き立った。

「どうしたの? そんなに驚いた顔をして?」

 遥か後方で、ネビリムは胸の前で優雅に腕を組みながら、ひたすら悠然と微笑んでいた。

 ───ゾッとする。

 何が起きているのか、まるで理解できない。理解できないまま、一方的な展開が続く。

「高速移動……か? いや、それにしては次の動作に移るまでの間に間隙がなさ過ぎる。幻術……? いや、それも実態を伴っていたことに説明がつかない……」

 ジェイドが候補に上げたものを次々と否定しながら、場の動揺を押さえようと暫定的な結論を告げる

「しかし、何らかの譜術であることは間違いありません」

「……どういうことだ、ジェイド?」

「あれが奇妙な動きを見せる瞬間、常に譜術の発動する際に放たれる音素の残光が見えました。おそらく、あの奇怪な動作も、何らかの譜術の効果でしょうね」

 相手の更なる行動を警戒しながら、言葉を交わす俺たちに、ネビリムがおかしそうに笑い声を上げる。

「ふふふ。さすがねぇ、ジェイド。それでこそ、私の創造主」

 本当に嬉しそうに、ネビリムはこちらの言葉を肯定してみせた。

「なら、次で見極めてね。見せて上げるわ──本当の力というものを」

 嗜虐的な快感への期待にうっすらと頬を染めながら、ネビリムの掲げられた手の先に音素の光が灯り、譜陣が空間に刻まれる。

 まるでコマを落したフィルムのように、あまりにも唐突に、ネビリムの譜術は完成する。

「───メテオスフォーム」

 灼熱の業火を伴う流星が、塔の頂上を貫いた。




 連続して降り注ぐ流星群を前に、陣形を保つ余裕があるはずもなく、俺たちはそれぞれがバラバラに回避行動に移り、死に物狂いで流星から身をかわす。それでも完全に攻撃を交わすことはできず、次々と負傷を重ねていった。

 降り注ぐ隕石がようやく止んだとき、そこには前衛も後衛もなく分断され、満身創痍で息を荒らげる俺たちの姿があった。

「……くっ……これほどの規模の譜術を詠唱もなしに終える、だと……?」

 ありえない。

 片膝を突きながら、視線も鋭くネビリムを睨み据えるジェイドに、相手は微笑み返す。

「あら、詠唱はきちんとしたわよ?」

 こちらの反応を楽しむように告げるネビリムの言葉に、ジェイドは眉を寄せる。

「高速移動でも、幻術でもない。お前の行動は変わらず、ただ私たちがそれを認識できなかっただけに過ぎない……?」 

 斬りかかると同時に、地面に叩き伏せられていた俺とガイ。攻撃の起動からあまりに唐突に姿を消すネビリム。そして、詠唱がされていたと言いながら、あまりに突然発動した大規模譜術。

 すべての行動からわかる事実は、ただ一つ。

 ある行動から、次の行動に移るまでの間が、ネビリムはあまりにも抜け落ちていた。

「まさか……」

 それが意味する所は、つまり───

 ジェイドは顔を強張らせ、相手の術の正体を告げる。

「お前は──時に干渉したとでも言うのか?」

「正解よ、ジェイド」

 あまりにもあっさりと、ネビリムは頷きを返した。

 術の正体を看破されたというのに、ネビリムに動揺は見えない。

 むしろその事実を嬉しがるように、ネビリムは微笑んでいた。

「でもね、それがわかったところで、なんの意味もないわ」

 かざした手の先で、時を操る譜陣が展開された。

 為す術もなく見やる俺たちの前で、一瞬にして譜陣は完成する。


「───タイム・ストップ」


 ───そして、時は凍り付く。


                   * * *


 あらゆる色彩の消え失せた空間。単調な白と黒のコントラストが目に焼きつく。

 あらゆる音色の途絶えた空間。その場に立つ者たちはすべて、凍り付いた彫像のように動きを停めていた。

 ただ一人、この空間を統べる女王は、ゆっくりと顔を上げ、周囲に首を巡らせる。

 停まった時の中で、動きを停めた自らの創造主に視線を向ける。やはり、まずは彼に挨拶を交わすべきだろう。どんな反応をするのか、胸を踊らせながら動き出そうとしたとき。

 リィィィン─────────………………

 不意に、涼やかな音色が響く。

 本来なら聞こえるはずのない、自ら以外の発した音色。

 耳を澄ますと、直ぐに音源に辿り着く。どこか音叉のような形状をした剣から、音色は響いていた。

 どういうことかしら……?

 不可解な現象に小首を傾げながら、剣の持ち主の顔を見据える。当然のことだが、相手に動きは見えない。

 不意に、胸がざわつく。

 一瞬、この相手と視線が合ったように感じた。

 そんなことが、あるはずない。ネビリムは自らに言い聞かせながら、停まった時の中を動き、彼に近づいて行く。

 彼の目の前に立ち、ネビリムはゆっくりと全身を見据える。しかし、やはり相手に動きはなく、こちらに反応するような気配も見えない。

 やはり気のせいだったのか。安堵に胸をなで下ろす。

 リィィィン─────────………………

 それがわかれば、やはり気になるのは、鈴音を響かせる剣の存在だ。剣の持ち主の存在は意識から消え失せ、ネビリムは涼やかな音色を響かせる剣に改めて視線を落とす。

 どういうことかわからないが、確かにこの剣から音色は響いている。

 このまま放っておくことはできない。本能が告げる警告に従い、ネビリムは音色を響かせる剣に手を伸ばす。刀身を掴み、そのまま取り上げてしまおうと力を込める。

 光が、停まった時の中を貫いた。

《────────────っ?!》

 剣から膨大な光が放たれる。伸ばした手の先から伝わる振動が全身を貫く。響き渡る音色に背合わせ、剣から溢れ出す光は、もはや目を開けておくこともままならぬ規模に達し───

 時の凍り付いた空間そのものが、高まり行く光の前に、消し飛ばされた。


 ───そして、時は動き出す。


                   * * *


 全身に自由が戻ると同時、俺は刹那の間に行動に移る。目の前に立つ相手に向けて剣を突き出し、全身のフォンスロットを開放、練り上げた力を鍵を通して一息に開放する。

「こいつでぇ───終わりだあぁっ!」

 剣先に収束する音素の波が一瞬で光の球体を作り上げ、ネビリムを包む。

《───レイディアント・ハウルっ!!》

 膨大な光を放つ超振動に飲まれ、ネビリムは呆気なく吹き飛ばされた。

 苦悶の声を上げながら大きく後退する相手を見届けると同時、膝から力が抜け落ちた。

「ぐっ……はぁはぁはぁ」

 俺はその場に片膝をついて、数度咳き込みながら、荒い呼吸を繰り返す。

 それと同時に、ようやく状況の変化に追い付いた皆が、一斉に声を上げる。

「って、時間を停めたネビリムが、逆に吹き飛ばされてる?」
「いったい、何が……?」

 動揺する皆の中で、ネビリムの様子を油断なく伺いながら、真っ先にジェイドが俺に問い掛ける。

「ルーク、何が起きたのか、説明できますか?」

 額にかかる髪を押し退け、俺は疑問の答えとして、自らの手にした鍵を掲げて見せる。

「……こいつのおかげで、どうやら停まった時間の中を認識できたみたいだ」
「ローレライの鍵……ですか。ではネビリムも?」

「……ああ。身体は動かせなかったが、向こうから近づいてきた所を、超振動で時間の停まった空間ごと消し飛ばしてやったよ」

 ああ、そうだ。俺は超振動で時の停まった空間を消し飛ばした。
 感覚的な認識に過ぎなかったものが、言葉にしたことで、確かに起こった事だと理解できた。

「超振動って、お前、大丈夫なのか?」
「戦闘で使用するには、まだ制御が……」

「大丈夫……何とか、な」

 心配する必要はないと笑いかける俺に、二人はいまだ心配そうながらも、一応の納得を見せた。

 どうも地殻から帰って来て以来、制御能力が向上しているみたいだ。限定的な使用なら、何の問題もなく制御できた。どうして制御能力が向上しているのかは、俺にもわからなかったが、何となく、手にした鍵に視線を落とす。こいつのおかげなのか? それとも、俺の身体の中に居るというローレライの影響か?

「──しかし、さすがにダメージは大きいようですが、まさか超振動の直撃に耐え切るとはね」

 ジェイドの僅かに緊張をはらんだ声が、いまだ終わってないと、俺の意識を現実に戻す。

 視線の先で、ネビリムが額を押さえ、掠れた声を上げていた。ボロボロに擦り切れた衣装の端々から除く肌に滲む汗が、次々と滴り落ちて地面を濡らす。

「……ぁ……私の、中で……音素が、乖離、す……ぁっ…………」

 何度も荒い呼吸を繰り返していたネビリムの身体が、ビクリッと大きく震え上がる。胸元を掻き抱きながら、ネビリムは限界まで身体を仰け反らせ、悲鳴を上げる。

「ぁあ、ああぁ、ぁああぁあ、あァ───っ!!!」

 開かれた口から途切れ途切れ悲鳴は溢れ、ネビリムの全身から──膨大な音素が放たれた。

 絶叫を上げながら、ネビリムは痛みから逃れようとするかのように、両手の先から次々と光槍を放つ。獣のような咆哮を上げながら、無差別に周囲を蹂躙し始める。

 理性をなくしたネビリムの進む先には、いまだ地面に片膝をつくガイの姿があった。

「なっ───?!」

 咄嗟に反応したガイが、辛うじて構えを取る。初撃は受け止めたが、理性をなくしたネビリムの猛攻は凄まじく、直ぐにガイの反応も追い付かなくなっていく。次々と放たれる光槍は其の密度を増し行き、加速度的に威力も跳ね上がって行く。

「くっ──────」

 ガイの握る刀身に、致命的なヒビが走るのが見えた。

 やばい、あのままじゃ刀身が保たない。俺は咄嗟に加勢に向かおうと足に力を込めるが、身体の反応はあまりにも鈍かった。

 ちっ……さっき超振動を使った影響か。

 舌打ちを漏らすが、身体から返る反応は変わらない。当分の間、俺の身体はマトモに動きそうにない。どう対応すれば良い。焦燥感が募る中、俺は必死に思考の糸を手繰り寄せて行く。

 ───ガイに返してやってくれ。

 不意に、脳裏に一つの言葉が浮かんだ。
 屋敷を出る際、オヤジに掛けられた言葉。
 ガイラルディア家に伝わりし宝刀──ガルディオス。

 間に合えと心で念じながら、俺は荷物から刀を取り出す。

 手にした刀を投げ渡そうと顔を上げた先で、ついに限界を向かえたガイの刀身が砕け散った。ネビリムの振り降ろす光槍がガイに迫る。俺は手にした刀を大きく後方に引き──投げ渡す。

「ガイっ! 受け取れぇ───っ!」

 投じられた刀が、ガイの手に受け止められた。ネビリムの振り降ろす光槍がガイに直撃する。

 光輝く刀身が、陽の光に美しく映える。

 刹那の間に抜き放たれた刀身が、ネビリムの光槍を間一髪で受け止めていた。

 ガイはそのまま砕け散った方の刀の柄を投げ放ち、相手が怯んだ隙に大きく後方に下がる。そこで初めて、自らの手にした刀に意識が向いたのか、ガイは驚いたように目を見開く。

「これは……ルーク、この刀を何処で?」

「オヤジがガイに、返してやってくれってさ」

「……そうか。ファブレ公爵が」

 一瞬だけ瞳を閉じると、ガイは手にした刀の鞘を腰に挿して身構える。

 その間も、理性をなくしたネビリムは周囲に向けて無差別に光の槍を放っていた。もはや、当初はあった意識はないに等しい。ジェイドは目の前のネビリムの姿から目を逸らすことなく、メガネに手を掛けると、そのまま外して懐に仕舞い込む。

 露わになった紅の双眼が、瞳に刻まれた譜陣を通じて、爆発的な音素を周囲から収束し始める。

「……ガイ、私がとどめをさします。詠唱が終わるまでの間、時間稼ぎをお願いします」
「ああ、任せろ」

 ジェイドが譜術の詠唱を始めるのと同時に、ガイは居合の型をとる。

「無限に連なる刃よ……」

 静謐な空気がガイを包む。低く低く腰を落しながら、ガイは一歩を踏み出した。

《閃覇───》

 鞘走りの音が、連続して響く。

 壱の太刀。
 弐の太刀。
 参の太刀───

 無数に連なる斬撃は衝撃波を伴い、敵を完膚無きまで切り刻んで行く。

《───瞬連刃》

 鞘に刀身を納める音が響くと同時、ネビリムの絶叫が上がった。

 全身を朱に染めるネビリムを見据え、ジェイドは決別の言葉を告げる。

「……せめて私の手で、消えなさい」

 塔の頂上を包み込むようにして、巨大な譜陣が展開された。

 立体的に構築され行く、途方もなく巨大な譜陣の中心点に、ネビリムは囚われ苦悶の声を上げる。そんなネビリムを見据えながら、ジェイドは無慈悲に詠唱の終焉を告げる。

《旋律の縛めよ、ネクロマンサーの名の下に具現せよ───》

 膨大な量の音素が、譜陣の中心点に向けて、圧倒的な勢いで押し寄せる。

《───ミスティック・ケージ》

 暴虐的なまでに荒れ狂う音素の奔流に、ネビリムは声もなく飲み込まれた。





「あーあ……負けちゃったぁ」

 ネビリムの瞳には、いつしか理性の光が戻っていた。

 ボロボロになった身体を横たえ、ネビリムは空を見上げる。

「私…………やっぱり、本物にはなれないのね」

 決して手の届かない何かを諦めるように、ネビリムは空に視線を向け続ける。

 そんなネビリムの姿は、俺にとって、どうしても見過ごせない類のものだった。

「違う! どうして、どうしてわからねぇんだよっ!」

 突然の叫びに、ネビリムはきょとんと驚いたように眼を瞬かせる。

「本物だとか、偽物だとか、そんなものはどうでもいいことだろっ! 創ったやつの意図がなんだろうが、生まれた以上……もう、俺たちは俺たちの世界を生きてるんだ!!」

 俺の一方的な訴えを最後まで聞き届けると、ネビリムは静かに微笑んだ。

「そうね……そんな生き方も……あったのかもしれないわね。でも私は……────」

 その先に、言葉が続くことはなかった。

 ネビリムの胸は、一本の剣に貫かれていた。

「え……?」

 不意に、日の光を湛えていた空に影が落ちる。見上げればそこに、塔の下から渦を巻き押し寄せる障気の波があった。

 一瞬の停滞の後、障気の波は動く。


「あ────────────…………」

 それが、ネビリムの残した最後の言葉になった。


 禍々しき障気の波は、ネビリムの胸に突き立つ剣を目掛け一瞬で押し寄せると、そのままネビリムの全身を飲み込んだ。

 止まることなく押し寄せる障気の波は、いつしか漆黒の球体を形作り、不気味な鼓動を刻みながら、次々と押し寄せる障気を吸収し、確実に膨張していく。

 あまりに唐突な展開に、俺たちはなにが起きているのか、何一つとして理解が追い付かない。

 誰もが呆然と立ち尽くすしかないその場に──靴音が響く。

 ───カツンッ───カツンッ───カツンッ───

 押し寄せる障気の渦に紛れ、塔に降り立った何者かの靴音が響く。

 ───カツンッ───カツンッ───カツンッ───カツン。

 靴音が、途絶えた。


「───御苦労だったな、ローレライ、、、、、


 押し寄せる障気の向こうに悠然と立ち、ヴァン・グランツが、姿を現した。


                   * * *


 ヴァンの姿を目にした瞬間、これまで戦闘に参加できず、後方で待機していたアッシュが発射的に身体を起こす。

「ヴァン、テメェは……ぐっ」
「アッシュ……まだ、動かないで」

 苦悶の声を上げ、為す術なく崩れ落ちるアッシュの身体を受け止め、ナタリアが治癒の譜術を掛ける。

「ふっ。アッシュか。随分と手ひどくやられたようだな?」
「くっ……」

 悔しげに呻くアッシュから、ヴァンはさして興味もなさそうに視線を離すと、ついで俺を見据えた。相手の口が開かれ、何事かを告げとするのを遮り、俺は叫んでいた。

「ヴァン……あんたは、ネビリムにっ、いったいっ、なにをしやがったぁっ!」

 今にも激発しそうな感情の憤りを押さえ、俺は詰問を発する。そんな俺の態度に、ヴァンは意外そうに眉を上げた。

「ほぅ。いまだ飲まれることなく、自らの意識を保っていたか、ルークよ。
 ふっ……面白い事態になったものだが、それはそれで好都合というものか」

「何を、言ってやがる……?」

「今のお前に、私の行動を妨げる術は存在しないということだ」

 そこで言葉を切ると、ヴァンは足を進める。

 ネビリムを包む漆黒の球体を前に、ヴァンは両手に握る二本の杖──光杖と闇杖を地面に突き刺す。展開された譜陣が立体的な格子を伸ばし、ネビリムを包む漆黒の球体の表面を覆い尽くして行く。

 漆黒の球体の頂点へ向け、尚も押し寄せる障気の渦が更に勢いを増した。

 光と闇の音素が譜陣を舞踊る中、天から注ぎ降る障気はただ一点を目指し、ネビリムの胸に突き立つ剣にむけて収束する。荒れ狂う大気の渦が轟々と音を立てる中、空間に刻まれた譜陣が最後に眩いばかりの光を放ち───


 すべてを喰らいつくした後に、一本の剣だけが、残された。


 ネビリムの身体は跡形もなく消え失せている。

 これまでオールドラント全土を覆い尽くしていた障気は、たった一本の剣によって、喰らい尽くされた。

 神々しいまでの威光を放ちながら、剣はあまりに禍々しい鼓動を刻む。

「ここに第八奏器──《刻針》エターナルは完成した」

 ヴァンが腕を伸ばすと、剣は当然のように其の掌に収まった。

「永劫回帰の楔を破り、停滞世界を穿つ創世の刻は、確実に近づきつつある。
 くくっ……ははははははははは─────!!」

 手にした剣を掲げ、ヴァンは哄笑を上げた。

 目の前の光景を呆然と見据えながら、俺はただ相手の口にした言葉を繰り返す。

「第八、奏器……?」

「そうだ。唯一にして最大の奏器。第七音素と対をなす終焉の音素、第八音素を司る奏器。
 あるいは、障気を司ると言った方が、お前たちにはわかりやすいか?」

「障気を司る、だと? 何を……?」

「天佑だな。第八奏器の開発は難航していたが、第八音素含有比率の高い存在──レプリカネビリムを喰らうことで、ここに第八奏器は完成した」

 相手の言葉に、これまで沈黙を保っていたジェイドが視線も鋭く問いかける。

「導師イオンの誘拐も、レプリカネビリムの復活も、すべてあなたがディストに指示を下し、行わせたことだったのですか?」

「いや、今回の騒動は私としてもイレギュラーなものだったよ、カーティス大佐。突如、この塔に第八音素の高まりを感じて来てみれば……まさかディストの目的としていたレプリカネビリムの発する気配だったとはな。この結果が最初からわかっていれば、私もそれ相応の支援を行ってやったのだが」

 無駄な手間を掛けたものだ。地面に倒れ伏すディストに視線を落し、ヴァンは傲然と言い放った。

 返答に無言のまま殺気を高めるジェイドを前に、ヴァンは気にした様子も見せず、背後に呼びかける。

「さて……リグレット、アリエッタ」
「──はっ」

 唐突な呼びかけに、ヴァンの背後から応えが返る。そこには金髪を結い上げた怜悧な美貌の持ち主と、胸元に人形を抱いた少女の姿があった。ロニール雪山で消えた六神将の二人──リグレットとアリエッタ。

「教官……」
「生きて、やがったのか」
「ふっ……アリエッタの魔物に救われた」

 ヴァンの私兵としての立場を露骨に現すように、二人は既にオラクルの僧服を脱ぎ捨てていた。いまはより戦闘的な、自身の戦闘方法に最適と思しき戦闘服をそれぞれ着込んでいる。

 自らの配下たる二人に向けて、ヴァンは告げる。

「これまでは因果を押さえつけるために必要だったが、もはや第八奏器が完成したことで、用済みとなった二つの奏器をお前たちに授けよう」

 光杖がリグレットに、闇杖がアリエッタに譲り渡される。

 恭しく奏器を譲り受けるリグレットとは対照的に、アリエッタは奏器を渡されるまま受け取り、ただ呆然と倒れ伏すイオンに視線を向けていた。

「イオン、さま……?」
「……導師イオンか」

 僅かに目を閉じると、ヴァンはアニスに視線を移す。それを受けて、リグレットが自らの主に推測の言葉を告げる。

「おそらくは導師を教団から離し、後を追う者達をレプリカネビリムと潰し合わせようとしたのでしょう」
「ふっ……なるほど、彼らしい受け身の策だな」

 ビクリと身体を震えさせるアニスに、ヴァンは瞳を細める。

「まあいい。彼に伝えておくがいい。私は第八奏器を手にした。あなたはそこで世界の終焉まで、もはや意味をなさなくなった役目に縋り付き、無為に佇んでいるがいいと」

 この場に居合わせぬ誰かに向けて、言伝てを残す。

 ついで、呆然と立ち尽くすアリエッタの耳に囁く。

「我等は戻るが……アリエッタ、後は好きにするがいい」

 ヴァンの手にした剣が禍々しい光を放つと同時、譜陣が展開され、二人の姿が消える。

 呆然とアニスの胸に抱かれるイオンを見据えていたアリエッタが、ヴァンの言葉に我に返り、アニスに問い詰める。

「どうして………どうして──アニスっ!! どうしてイオンさまを裏切ったのっ!!!」
「私は……」

 顔を俯けたまま、アニスは答えない。

「──もう……もういいっ!!」

 イオンの下に駆け寄ったアリエッタが、アニスを突き飛ばす。

 アニスの代りに、アリエッタはイオンを抱き寄せた。

「イオン様、イオン様……もう、大丈夫です」

 意識を失ったまま、全身から汗を流しながら、呼吸を荒らげるイオン。

 きっと顔を上げ、アリエッタはアニスに告げる。

「アニスは、イオン様を裏切ったっ! ライガママを殺したのも、イオンさまがこんなに苦しんでるのも、ぜんぶ、ぜんぶアニスのせいだっ! もうこれ以上、アリエッタの大切なヒトを、アニスには奪わせない!」

 殺気を色濃く載せた言葉が、次々と叩きつけられる。しかし、アニスは何も言い返さない。そんなアニスの態度に、アリエッタは更に殺気を高めながら告げる。

「アリエッタは、アニスに決闘を申し込む!!」

「……わかった。受けて立ってあげるよ」

 アニスが堅い声で同意すると同時、イオンが僅かに身動ぎし、苦しそうに声を漏らした。

「イオンさま……。……でも、今はイオン様の身体が心配」

 イオンを優しく抱き寄せると、アリエッタはアニスに顔を戻す。

「明日の朝、西ルグニカのローテルロー橋まで来い! ……逃げたら、絶対に許さないっ!!」 

 最後に一際強い殺気を振りまくと、イオンを引き連れ、アリエッタもまたこの場を去った。

 誰もが去った後、残されたアニスに視線が集中する。

「アニス……」

 掛けるべき言葉が、見つからない。

 言いよどむ俺たちを前に、アニスが口を開く。

「……そうよ、私はイオン様を裏切った」

 一言一言を噛み締めるように、アニスは言葉を絞り出す。

「ディストがイオン様を連れ出すのを助けた、裏切り者よっ!」

「アニス……だがよ、なにか事情が……?」
「そうですわ。気をしっかり持って、アニス……」

「もう、もうみんなほっといてっ! わたしに優しい言葉を掛けないで!!」

 両耳を押さえ、何も聞きたくないと悲痛な声を上げると、アニスはこちらに背を向ける。

「……アリエッタとは、わたしが決着を着ける。イオン様も、わたしが、絶対に教団に連れ帰るから」

 数歩進んだところで、突然何かを思い出したように立ち止まると、アニスは振り返ることなく、小さく別れの言葉を告げる。

「……みんな、これまで、ありがと」

 そう最後につぶやくと、こちらが何か言葉を返すのも待たず、アニスは一人、この場から去っていった。

 俺達は後を追うことも思い付けず、彼女の小さな背中が消えて行くのを、ただ見送ることしかできなかった。

 それが告げられた決別の言葉に対し、無言の肯定を返す事と、同じ行為と知りながら。



  1. 2005/04/28(木) 18:02:30|
  2. 【家族ジャングル】  第八章
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

第4話 「帝都の夜」


 絶海の孤島で、少女は少年に語りかける。

「イオン様……」

 苦しげに呻く少年を前に、少女は拙い仕種ながらも懸命な看病を行っていた。

「……大丈夫です、イオンさま。もう、誰にもイオンさまを、傷つけさせたりしません」

 少女は自らの決意を語りかけると、少年の額に置かれた水布を換えに、部屋を去る。

 部屋には魔物が二匹、心配そうに少年に寄り添っていた。

 熱に浮かされた意識の中で、少年は必死に考え続ける。

 自らが何者か、彼女に告げるべきか否か。

 加速度的に悪化していく体調から、もはや自分に残された時があまり多くないことを、彼は理解していた。

 だから、もはやこれが最期に機会になるかもしれないことも、朧げにだが理解していた。

 誰に知られることもなく、少年は一人考え続ける。



                 【1】



「──そうか。そんなことがあったのか」

 譜術によって巻き上げられた水流が飛沫を上げながら流れ落ちる。
 俺たちの報告を聞き終えたピオニーは、ひどく堅い表情で目を閉じていた。

 アニスが立ち去った後、教団から派遣されたオラクルの部隊が追い付いてきたことで、俺たちは直ぐにでも動き出す必要が生じた。

 ジェイドは彼らに現在の状況を簡単に説明すると、導師イオンを追う必要性があることを説いて、その場の処理を強引に引き継がせ、行動の自由を得ることに成功した。

 ちなみに、このときの交渉で、アッシュの奴はオラクルと一足先にダアトに戻ることが決まった。この決定を受けた瞬間、不愉快そうに顔をしかめていたアッシュだったが、ジェイドのやつが続けて何事か言葉を掛けると、直ぐにどこか納得したような顔になったから不思議なもんだ。

 ともあれ、こうしてレムの塔を後にした俺たちは、そのままアルビオールで帝都に向かった。

 これはアリエッタの指定した決闘の場所にもっとも近い都市が帝都であり、また今回のレプリカ・ネビリムの件について、ジェイドがピオニーに報告しておきたいと申し出たからだ。

 すべての報告が終わった今、謁見の間には、水の流れ落ちる音だけが響いている。

「しかし、第八音素か。八番目の音素なんてものが本当に存在するのか、ジェイド?」

「そうですね、陛下。まだ判断するにも材料が少なすぎるので、難しい所はありますが、そもそも第一から第六までの音素は対となる属性が存在します。突然変異的に発生したと言われる第七音素にだけ、この法則が当てはまらないという道理もありませんからね」

「まあ、確かにな」

 相剋する属性が存在する。これは全ての音素に当てはまる法則でもある。そうした考えを踏まえた上で、第七音素と対となる属性を持った音素が存在する可能性を言われれば、確かに理論上は考えられないこともないかもしれない。

「それに、ヴァン謡将の残した障気を司るという言葉。障気はそれ自体があまりにも謎に満ちた存在です。仮にその性質が一つの属性として捉えられたとしても、何らおかしくないでしょうね」

 ピオニーの第八音素は存在するかという問い掛けに、ジェイドはあくまで可能性としては十分に考えられると肯定してみせた。

「やれやれ。障気が上空から消えたのは素直に歓迎したい所だが、そういう訳にも行かないか」

「ええ。ヴァン謡将の手にしていた剣。あれがオールドラント全土を覆っていた障気を取り込むことで、消し去ったのは事実です。しかし、それもすべて彼の予定の内に過ぎないとしたら、その上で何をするつもりなのか? 警戒心以外のものは、抱きようがありませんからね」

「ヴァンの手にした剣がねぇ。そいつも話しに聞く集合意識体を使役する響奏器とやらか? しかし、今回のはこれまで話しに聞いてたものと、また違う印象を受けるがな」

「そうですね。これまでヴァンの陣営が集めていた響奏器は、ローレライの力を削ぐことを第一の目的としていた為か、すべて惑星譜術の触媒を流用したものに過ぎませんでした。しかし、今回ヴァン謡将が手にした剣は、新たに精製されたものと見て間違いないでしょうね」

「……そう言えば、兄さんはこれで第八奏器が完成したと言っていたわ」
「ネビリムさんのレプリカをさして、第八音素含有比率が高い存在とも言っていましたわね」

 ティアとナタリアの言葉を受けて、ガイがふむと首を捻る。

「つまり、大佐、俺たちがベヒモスに対して鍵を修復するときにやったのと同じようなことを、ヴァンの奴はレプリカネビリムにしたって考えていいのか?」
「そうですね。おそらくはレプリカネビリムを核にして、大気に拡散した障気を限界まで凝縮することで、未完成な部分を補完したのでしょう」

 ジェイドの補足に、どこか納得したような空気が場に流れる。

 しかし、俺だけはどうにも話の流れがよく理解できなかった。

「あー……というか、ベヒモスとか、音素含有比率が高い存在とか、鍵の修復とかってのは、そもそも何の話しだ?」

 ちょっと気後れするものを感じながら発した問い掛けに、皆の視線が一斉に俺に集中する。集まる視線の圧力に、俺は思わずうっと唸って一歩後退していた。

「まあ。そう言えば、ルークはあのとき居りませんでしたわね」
「そういやそうだったな。あんまりにも居るのが当然だったから、本気で忘れてた」

 頭を掻くガイに、俺は結局どういうことだと皆に視線で問い掛ける。

「ルークとゲートで別れてから、ローレライの鍵が破損したことがあったの。この鍵の修復のために、かなり高い密度を持った第七音素が必要になった」
「その条件に当て嵌まりましたのが、ベヒモスという名の魔物です。先程話しに出た音素含有比率が高い存在のことでもありますわ」
「んで、そのベヒモスを狩って、鍵と間にコンタネーション現象を起こして、破損部分を修復した事があった訳だ」

 かなりの部分をはしょった説明だったが、なんとなくだが、何があったのかは理解できた。

「はぁ……なるほどね。つまり、それでネビリムに対して、ヴァンのやつが同じようなことをしたんじゃないかって話が出た訳か」

 思い出すのは、ネビリムの胸に突き立つ一本の剣。
 圧倒的な勢いで押し寄せる障気の波が次々と吸収されて行く光景が脳裏に蘇る。

「ええ。そしてヴァン謡将の手にしたものが、私たちの考える通りのものならば……ネビリムを核にして完成したあの剣が、何を目指して作成されたものかも、自然推測がつきます」

「……第八音素集合意識体の使役、でしょうか?」

 どこか戸惑ったようなティアの声が謁見の間に響いた。

 しかし、後に続く言葉はない。

 そもそも第七音素の集合意識体でさえ、明確に存在を確認されていないのだ。そこに存在するかすら定かではない第八音素、それも集合意識体を使役する可能性があると言われても、あまりに突拍子もなさすぎて、実感がわかなかった。

 場の煮詰まりを見て取ってか、一人議論に加わらず静観していたピオニーが口を開く。

「ま、とりあえずこれまで姿を隠してたヴァンが、ようやく動き出したんだ。こっちでも第八音素とやらの存在について王国と教団にも示唆して、研究所の連中に検証をさせておこう」
「助かります、陛下」

 気にするなと軽い仕種で手を上げると、ピオニーは僅かに肩から力を抜いた。

「しかし、結果はどうあれ、ようやくネビリム先生の一件に決着がついたんだな」

 謁見の間に響いた声は、どこか安堵を感じさせるものだった。

 どこか肩の荷が降りたような表情からは、ジェイドを長く縛り続けていた問題が解決した事を純粋に喜ぶ色が見えた。

 ピオニーとジェイドは幼馴染みだと聞いたことがある。この表情も、かつてジェイド達が何を求めて、どう行動したのか、深く知っているが故のものなんだろうな。

 過去を懐かしむピオニーを前に、しばらく沈黙が続いた後で、不意にガイが口を開く。

「大佐、そろそろネビリムさんのことを説明してくれないか?」
「そうですね。……わかりました」

 集まる視線を前に、ジェイドは静かな表情で口を開く。

「始まりは、私の好奇心です。素養のない者が第七音素を使ってみたらどうなるか、自分自身で実験をしたのです。結果は、私の譜術が大暴走して、ネビリム先生の家を燃やすことになりました」

 どこか遠くを見据えながら、ジェイドは淡々と言葉を重ねていく。

「ネビリム先生も瀕死でした。私はディストに手伝わせて先生を街外れに運びました」

 しかし、瀕死のネビリム先生は、もはや手の施しようがなかった。
 街にいる治癒が可能なセブンスフォニマーも、当時はネビリム先生以外に存在しなかった。
 全ての条件を踏まえた上で、回転する思考が導き出したジェイドの答えは、常人からすれば、あまりにも異質もなものだった。

 ──怪我の治癒した状態のレプリカを作成すれば、それは先生を救ったに等しいはずだ。

「そして、私はネビリム先生のレプリカを作成した」

 譜術の光が倒れ伏すネビリムを包み、複製体が一瞬で作り上げられた。
 成功だと無邪気に喜ぶディストの横で、もう一人の子供は特に何の感慨も覚えることなく、自らの作品を見据えていた。

「しかし、創り出されたネビリム先生のレプリカは破壊衝動の塊でした」

 火事を見て駆けつけた帝国兵が為す術もなく、一瞬で殺される。
 血飛沫が舞う雪原に立ち、目の前の存在が失敗作であることを悟った。

「私は彼女を処分──いえ、殺そうとしました。しかし、その前に彼女は姿を消した。その後は、レプリカ研究を完成させることに目的意識は移り、彼女の存在は半ば忘れ去っていましたよ」

 過去の自身の浅慮を自嘲するように口端を歪めると、ジェイドは口を閉じた。

「それで、今回の一件に繋がるって訳か」
「大佐……辛い事件でしたのに、話して下さってありがとうございます」

「……いえ。責められて当然の過去ですから、逆に心苦しいですよ」

 真摯な気遣いを見せるナタリアに、ジェイドはどこか居心地悪そうに視線を背けた。

「大佐、一つ気になることがあります。レプリカは元素の結合を、第一から第六の音素に頼らず、全て第七音素でまかなっていた筈では?」

 ジェイドの心情を察してか、ティアが技術的な問題に話を移す。
 そうした相手の気遣いを悟ってか、ジェイドはどこか苦笑を浮かべながら、話題に応じた。

「ええ。そのため第七音素が乖離したレプリカは消滅します」
「うん? でもディストは第一と第六の音素を補充してたよな?」

 確かに、ディストがイオンのダアト式譜術を媒介にして、惑星譜陣に注ぎ込んでいたのは第一音素と第六音素だったような気がする。

 条件の違いに首を捻る俺たちに、当時の状況を聞き知るピオニーが助け船を出す。

「ネビリム先生は生物レプリカの第一号だ。当時は技術も違っていた。そうだったな?」
「ええ。当時は基礎を譜術の理論で構築していましたから。また、先生のレプリカは譜術で作りましたからね。この方法で生物レプリカを作ると、一部の音素が欠落してしまうのです。結果、精神の均衝が保てなくなって破壊衝動に襲われたり、ある種の能力だけが異常発達する……」

 脳裏に過るのは、あまりに特異な力を駆使するレプリカネビリムの戦闘能力。

「ネビリムさんのレプリカも、そうだったって事か」
「ええ。その結果を受けて、ディストと共にマルクト軍で改良を重ねて行き、第七音素だけで全てをまかなうようにしたのが、現在知られているレプリカ技術になります」

 レプリカに関する技術も、それなりに段階踏んで発展してるのか。何だか感慨深くなるね。

「俺に使われてる技術にも色々あったんだなぁ」
「……まあ、完全同位体の研究は未だ完成してない分野なので、素直に頷けない部分もありますけどね」

 ふと洩らした俺の感想に、ジェイドはどこか感情を抑えた声で、付け加えた。

 そう言えば、俺は完全同位体とか言う特殊なレプリカだったか。

「完全同位体の研究がまだ完成してないってのは、どういうことなんだ?」
「そのままの意味ですよ。完全同位体を意図的に作り出す技術が、まだ構築されていないということです。ルークがアッシュの完全同位体になったのも、偶発的な事故によって発生した結果でしょうね」

 ワイヨン鏡窟に残されていた断片的な資料からも、そうした事実が読み取れましたとジェイドは続けて見せた。

「偶発的な事故かぁ……なんか微妙に不安になってくるような言葉だよな」
「まあ、お前の不安もわかるがね。でも、特に問題がある訳でもないんだろ、大佐?」

「……ええ。複製体や被験体に異常が起こるのは、少なくともレプリカ作製から数日以内と言われています。これまで特に何も異常が起きてない以上、今はあまり気にする必要はないでしょうね」

 ジェイドの保証に俺は安堵の息をつく。あのディストが俺の生まれに関わってるってだけでも不安になるのに、これ以上厄介な要素は御免だった。

「しかし、サフィールも良くその状況で生き残ったもんだよな」

 ピオニーがどこか困ったような、呆れたような表情でつぶやいた。

 だがまあ、そう言われるのも仕方ないことだろう。

 俺も最期に見たディストの状態を思い出すだけで、乾いた笑みが漏れる。

 ネビリムの一撃で完全に死んだと思われたディストだったが、戦闘終了後にしぶとくも生き残ったことがわかっている。光の槍が直撃したはずなんだが、地面を流れた血は鼻血のみ、メガネが割れてタンコブ一つ作っただけで、他に外傷はなかったと言うから、呆れるしかない。

「あのバカは昔から、頑丈なことだけが取り柄でしたからねぇ」
「頑丈なだけが取り柄って……」
「……すげぇ言いぐさだよな」

 おいおいとガイと俺は顔を引きつらせるが、ディストの幼馴染み二人は特に気にした様子もない。

「ディストが喋れるまでに回復したら、兄に関する情報を聞き出す必要があるでしょうね」
「そうですわね。ディストがヴァン謡将達と接触があったのは確かですものね」

 ちなみに、そんな呆れるほどに頑丈なディストだが、塔に掛けつけたオラクルの部隊に連行されて行ってしまった。今頃はダアトの牢屋にでもぶち込まれていることだろう。

「尋問の際は私も立ち会いたいものですね。……少し、奴には聞きたいこともある」
「聞きたいことか。やっぱりレプリカ関連の事か、ジェイド?」
「ええ、そのようなものです」

 軽い調子で尋ねたピオニーに、ジェイドはどこか曖昧な言葉を返して、明言を避けた。

「まあ、今回はジェイドの事情に巻き込まれる形になって、お前らも災難だったな。まだ導師の救出が残ってる以上、そうそう落ち着いてもいられないだろうが、折角向こうが決闘とやらの場所と時間を指定してくれたんだ。今日の所はゆっくりしていけよ」

 そう笑いかけるピオニーの言葉で、その場は解散となった。



                 【2】



 帝都の夜。

 どうにも寝つけなかった俺は、一人夜の街を歩いていた。

 水の都と呼ばれるだけあって、常に何処からか水の流れる音が響く。
 バチカルの譜業の駆動音と違い、水のせせらぎはどこか俺の心を落ち着かせてくれた。

「……レプリカ、か」

 港から緩やかに流れる風を受けながら、俺は夜空を見上げた。

 俺が出会った三人目の同類。レプリカネビリムの最期が、どうしても頭から離れなかった。

 思えば、俺の出会ったレプリカは、誰もが違う道を選んでいる。

 イオンはオリジナルの代わりに、導師として自らが在ることを受け入れた。

 シンクは必要とされないレプリカをゴミと言い切り、自らを生み出した世界そのものを憎悪した。

 ネビリムはオリジナルそのものになることを望み、自らを生み出した相手の手によって……死んだ。

 俺たちに共通するものがあるとすれば、それは決して、オリジナルそのものに成り代わることはできないという厳然たる事実ぐらいのものだろうか。

「……大丈夫かな、イオンの奴は」

 今、イオンはかつてのオリジナルイオンを知る人と共に居る。そしてまだ、アリエッタはイオンが導師のレプリカである事実を知らない。それが意味する所を思うと、どうしても不安が沸き起こる。

 ホウホウと梟の鳴く声が響く。

 しばらく、そうして空を見上げていると、不意に背後から近づく人の気配を感じる。

「眠れませんか、ルーク」

「……まあな。ジェイドこそ、どうしたんだこんな夜中に?」

 首だけで振り返った先に、静かに歩み寄るジェイドの姿があった。

「……私も少し、思うところがありましてね」

 あまり答えになっていないような言葉を返すと、ジェイドはそのまま俺の隣に並んで空を見上げた。

 しばらく沈黙が続いた後で、俺はとうとう抑えきれなくなった疑問を口に出す。

「ネビリムのレプリカは……どうして、引けなかったんだろうな?」
「……さて、どうしてでしょうね」

 自らを完璧な存在──本物になれたのだと、ジェイドに訴え掛けるネビリム。

「レプリカってのは、結局オリジナルとは別人だって俺は思うんだよ」

 アッシュと俺は全くの別人だ。性格だけじゃなく、記憶、歩んできた道そのものがまったくの別物だ。それだけは、絶対的に覆せない事実だった。

 本当はネビリムも、それをわかっていたんじゃないかって俺は思えてならない。

 しかし、彼女はジェイドに否定を返された後も、〝完全な存在〝になることに拘り続けていた。

「なんで、あいつは本物になることに固執したんだろうな」

 誰に問いかけるでもなく、自然と溢れた問い掛け。

 特に答えが返ることを期待しないそんな問い掛けに、僅かに遅れて応える声があった。

「……私の責任でしょうね」
「ジェイド……?」

 つぶやかれた言葉は、思いの外強い、苦みの籠もったものだった。

 見据える俺の瞳から僅かに顔を逸らし、夜空を見上げながら、ジェイドは続ける。

「生み出された当初の彼女は、破壊衝動の塊でした。
 かけつけた帝国兵が殺された瞬間、私は思いました、ああ、これは失敗作だと……」

 何も応える言葉が見つからない。

 ジェイドは自嘲の笑みを浮かべる。

「当時の私は、今にも増して人の死というものが実感できなかった。言葉は悪いですが、ましてや、いくらでも作りかえの効くレプリカともなれば、尚更です。直ぐに失敗作として〝処分〝しようとした」

 あくまで殺すという言葉ではなく、当時の思いそのままに、処分という言葉を使うジェイド。

 結局、逃げられてしまいましたけどね。おどけるように肩を竦めてみせるが、ジェイドの瞳はまったく笑っていない。

「その後はディストと愚かな誓いを立てました。いつか、先生を取り戻そうと。レプリカの研究を深めるのが何よりの優先事項となり、失敗作を気に掛けるような暇はなかった。
 ──しかし、彼女は私の言葉をずっと気に掛けていたのですね」

 かつてのジェイドの言動は告げていた。
 失敗作に、本物でないお前に存在する価値などありはしないと。

「そんなかつての言葉を今更翻したのです。私を殺しにかかるのも、当然というものでしょうね」

 ───お前が本物になることはなく、またそうなる必要もない。

 ───なら、私があなたを殺してあげる。そうすることで、私は初めて──〝私〝になれるのよ。

 戦闘の前に二人が交わした言葉が脳裏に蘇る。

 俺にとっても、ヴァンの存在は大きい。自分がレプリカだと知る前もそうだったが、自分がヴァンによって作られたレプリカだと知った後では、尚更だった。

 生まれたのではなく、作られた俺たちにとって、造り手の意図はどうしても意識せずにはいられないものだった。

 ましてや、生み出された瞬間、造り手に見限られたレプリカネビリムにとって、ジェイドの言葉はどれほど重いものだったんだろうな。

「……結局、偽物だとか、本物だとかどうでもよくて、ジェイドに自分の存在を認めて欲しかっただけなのかな」

 それは幼子が親に愛情を求めるように、自然な行動。

「……そう、なのでしょうかね」

 もはや、それも想像することしかできない。

 ただ水のせせらぐ音だけが、静かな夜の帝都に響く。



                 【3】



 翌朝、帝都を立った俺たちは、アリエッタの指定した場所──ローテルロー橋に向かった。

 漆黒の牙が仕掛けた爆弾によって破壊されたローテルロー橋は、その後に始まった帝国と王国の戦争や、障気の浸透などと言った世界的な事件の余波を受けて、いまだ修復されることなく打ち捨てられている。

 アルビオールから橋を見下ろした瞬間、俺たちはそこにあまりにも奇怪なものを目にした。

「あれは……島か?」

 薄霧に包まれた島が、ローテルロー橋の直ぐ横に接限していた。

「あの島……どうも見覚えがある気がするんだが……」
「おかしいですね。あのような島はこの近海に存在しないはずだが……?」

 アルビオールで島の上空を旋回しながら、しばらくの間様子を伺っていると、突然、島が動き出す。

「って、移動し始めた?!」
「浮島? 物理的にありえない……」

 怪訝そうにうめくジェイド。目の前の信じがたい光景に固まる俺たちに、ナタリアが首を巡らせる。

「とりあえず、島に降りてみませんこと? 橋にアニスの姿が見えない以上、アリエッタがローテルロー橋を指定したのも、あの島に何か意味があるからだと思いますわ」

「……そうですね。とりあえず、アルビオールで直接乗り込むことは可能ですか、ノエル」
「はい。大丈夫です」

 尋ねるジェイドに、ノエルが即座に任せて下さいと応える。

 それなりに警戒しながら島に近づくが、特に妨害が入るでもなく、アルビオールは島に着陸することができた。

 降り立った島は、どこまでも無人の街並みが連なる廃墟だった。

 周囲を伺うが、人の気配はない。

「やっぱり見覚えがある気がするんだが……」
「ここは……ひょっとして、フェレス島ではないでしょうか?」

 周囲の街並みを眺めていたジェイドが、島の名前をつぶやく。

「そうか! ホド対岸にあったあの島か!」
「フェレス島……?」

 どこか興奮した様子でつぶやくガイに、俺は初めて聞く地名に首を傾げる。それにティアが小さな声で補足する。

「……ホド崩落の際に、津波の余波を受けて消滅した島よ」

 ホド崩落の際、津波で消滅した島。

 あまりに閑散とした街並みに、俺はアクゼリュスの崩落時のことが思い起こされ、苦い気持ちが蘇る。

「でも、津波の影響を受けたにしても、陸が浮島になるのはおかしいですわ」
「ええ。とりあえず、奥に進んでみましょう」

 促すジェイドの言葉に従い、俺たちは廃墟を進んでいく。

 かつて海に沈んだ影響か、目に入る建物はどれも黒ずんでいた。
 整然と整えられた街並みが見事なだけに、現在の姿の生々しさが際立っている。

「しかし……どうも、なんだか似たような建物ばっか続くよな」
「ああ、当時の天才と湛えられた建築家が一括してデザインしたって話だ」
「はぁ……街一つをデザインしたのか。すげぇな」
「当時のグランコクマの建築様式にも影響を与えたってぐらいだからな」

 だが、かつての美しい街並みも、今は島を襲った津波によってボロボロになっている。
 あまりにも無残な光景を前に、自然と俺たちの口数も小さくなっていく。

 そして、街の中枢と思われる場所に辿り着くと同時、何者かが争う音が聞こえてきた。

「……どうやら、ここから近いようね」
「もう決闘が始まってるのかね?」
「ともかく、急ごうぜ」

 俺たちは幾分早足になって、先へと進む。

 街の区画そのものが整然とされているためか、さして迷うこともなく数度角を曲がった所で、音源と思しき区画へと俺たちは辿り着く。

 行き着いた先はかなりの空間が広がっていた。かつては街の広場に使われていたのかもしれない。

 そんな広場の中心で、アニスとアリエッタの二人は対峙していた。

 広場の端、何かの譜業設備と思しき機械の並べられた脇に、地面に横たえられたイオンの姿が見えた。イオンの傍らには、ライガとフレスベルクが彼を護衛するように、周囲を警戒しながら佇んでいる。

「アニス!」

 駆けつけた俺たちの存在に気付き、アリエッタが険しい顔になる。

「邪魔、しないで! これはアリエッタとアニスの問題!!」
「……そういうことだから、皆は下がってて!」

 殺気を高めながら対峙する二人の間に、俺は足を止めることなく割って入る。

「二人の言い分もわかるが、やっぱりこのまま見過ごす訳にはいかねぇんでな」

 強引に前に出る俺達に向けて、アニスが戸惑いに顔を伏せる。

「みんな……なんで、そこまでするの……? 私は……裏切りものなんだよ?」
「……まあ、そうなるんだろうな」

 返された言葉に、ならばどうしてと、アニスが更に困惑に瞳を揺らす。

「アニスにどんな事情があるのか、俺にはわからねぇよ。でもさ、どんな事情があっても、話してくれさえすれば、俺たちは絶対にそれを受け止めた上で、一緒に解決策を考える」
「一人で思い詰めいても、何も変わらない。私が公爵邸を襲撃したときも、そうだったから」

「…………ルーク、ティア」

 アニスと向き合う俺たちを、少し離れた場所から見据えながら、ジェイドが口を開く。

「まあ、私としては特に言うことはありませんよ。ただ一つ言わせて貰うなら、もう少しだけ上手く立ち回って欲しかったものですけどね」

「…………大佐?」

「あなたは確かにイオンさまを裏切った」

 端的に告げられたジェイドの言葉の強さに、アニスは顔を強張らせる。

「……それがあなたの背負うべき罪であり、誤魔化すことは決して許せないのでしょうね」

 しかし、そこにアニスを責める色はなく、ただ事実を指摘する響きだけがあった。

「ですが、裏切ったという事実を認めるならば、糾弾を畏れるよりも先に、今後どう動くかに目を向けて欲しいものです」
「相変わらずきっついこと言うなぁ、大佐」
「そうですか? 単に思った事を言ったまでですよ。まあ……それに対策を怠ったのはこちらも同じですからね。その上で、導かれた結果だ。その責任をすべて他人に転嫁する気もありませんよ」

 ひねくれた言葉を返すジェイドに、ガイが苦笑を浮かべながら話しに加わる。

「ま、俺の言いたいことも概ねそんな所だよ。詳しい事情は、この状況を打開した後にでも、話してくれればいいさ」
「ええ。まだ何も遅くはありませんわ。だって、アニス、あなたは私たちの仲間ですもの」

「…………ガイ、ナタリア……。……みんな……後で、後悔してもしらないよ?」

「そうなったらそうなったで、それも一つの結果さ。全部受け止めた上で、後悔なんか跳ね返してやるよ」

 顔を俯け言葉をなくすアニスの横に並んで、俺は彼女の頭をポンポン撫でる。

「な……なによ! 止めてよ! ルークのくせに……生意気!」
「はいはい、そりゃすまねぇな」

 アニスは俺の手を強引に払いのけると、目元を拭きながら顔を上げる。

「みんなの気持ちはわかった。そんなにアニスちゃんが心配なら、仕方ないね」

 冗談めかした口調で、アニスは俺たちの顔を見返す。

「でも、これは私とアリエッタの勝負だから。みんなはそこで見てて。譲れるのは、そこまでだよ」

 なおも否定を返すアニスだったが、その言葉からは、これまでの悲痛さはなくなっていた。

 これ以上は、さすがに無理か。

 俺たちも一応納得して、アニスの決意を見守ろうとした───そのとき。

「───もう、いい」

 顔を俯けたアリエッタが、拳を震わせながら、小さく言葉を洩らす。

「もういい! そんなに、邪魔したいなら、お前たちも加われ! ルーク、ティア、カーティス大佐! アリエッタもお友達の力を借りる!!」

 アリエッタの指示に従い、イオンの脇に佇んでいたライガとフレスベルクの二匹が、アリエッタの脇に移動する。

「アリエッタ、それは俺達三人が手を出すのは、お前も認めるってことか?」

 少し戸惑いながら呼びかけた言葉に、返されたのは憎悪に染まった叫び。

「三人も──ライガママの仇! アニスと一緒に、ここでやっつけてやる!!」

 俺は思わず脇に立つ小動物に視線を向けていた。

 小首を傾げるコライガ。俺が犯した罪の象徴。

 アリエッタが恨む対象としては……俺はアニスよりも重い罪を背負っている。

「……わかった。受けて立つぜ」
「そうね、女王の件には私達にも責任がある」
「やれやれ……女王に止めを指したのが私である以上、断る訳にもいきませんか」

 前に出る俺たちに、ガイが後ろから声を掛ける。

「みんな気を付けろよ。一応決闘の形を取ってる以上、俺たちは加わらない方が良さそうだ」

 アリエッタの魔物使いとしての能力を考えた場合、二人が無理に加わる事で、呼び寄せる魔物に際限がなくなることを考えれば、万が一の場合も考えて、ここは待機していた方がいいという判断だった。

「ご主人様……ぼくも……ぼくもアリエッタの仇ですの……」

 ガイの隣で、ミュウが力なく耳を足らした。ライガが森を移ったのは、そもそもミュウがはいた炎から始まっていた。気にするなというほうが無理な話だろう。

 だが、森に来た俺たちが、ライガクィーンに手を下したのも確かな事実だった。

「ミュウ……お前はさがっててくれ。直接手を下したのは、結局の所、俺たちだからな」
「ご主人様……わかりましたですの……」

 力なく後ろに下るミュウに、俺は思わず声をかけていた。

「ミュウ、コライガ、お前はナタリア達と、イオンのやつを見ててくれないか?」
「イオンさまをですの?」

 きょとんと目を見開くミュウに、ナタリアが名案だと頷く。

「そうですわね。私たちは導師の様子を見ています。アリエッタ、それで宜しいですね?」

 ナタリアの提案に、アリエッタは一瞬迷った後で、黙って道を譲った。

 ガイとナタリアが小動物二匹を引き連れ、イオンの側に移動していく。アリエッタと擦れ違う瞬間、前へ進むコライガとアリエッタの視線が交わった。

 だが、それにコライガは何の反応も見せることはない。

 アリエッタの顔に浮かぶ泣きそうな表情に、俺は感情を押し殺して、正面を向き続けた。

 高まる戦場の気配を前に、アニスとアリエッタは互いにこれが最期とばかりに、激しい言葉を交わす。

「ライガママの仇、イオンさまへの裏切り……もう、アニスをイオンさまの側になんかいさせない!」
「アリエッタ……あんたの指摘は正しいよ。それでも、それでも私も負ける訳にはいかないんだ!」
「ぬけぬけとっ───アニスッ! 覚悟っ!!」

 その言葉を皮切りに、ライガが唸り声を上げ、フレスベルクが空に浮かぶ。

 一斉に身構える俺たちを前に、誰かが小さく掠れた声で、アニスとアリエッタの名を呼んだような気がした。

 しかし、もはやその声が届くことはなく、呼び声は空しく、虚空に消えた。



  1. 2005/04/27(水) 04:42:46|
  2. 【家族ジャングル】  第八章
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

第5話 「闇の慟哭」








───故郷で過ごした日々───








 彼女にとって、世界は完結していた。

 ものの半日で一巡り出来るくらい小さな島。かつて受けた津波の影響か、樹木の類はほとんどがダメになっている。生き残った動物も少なく、決して獲物に恵まれているとは言えない場所。それでも彼女にとって、この島は他のどんな場所とも換え難い、愛すべき『家族』の居る故郷だった。


 彼女の家族は、一般的な価値観からすれば忌避される存在──所謂魔物の一種だった。


 ライガと呼ばれるトラのような魔物で、特に子供は人を好むと言われている。彼女がライガを家族と呼ぶ事実に、後に教団で会った人々は誰もが信じられないと言葉を洩らしていた。

 しかし、この頃の彼女にそんな知識があるはずもなく、ただそうあるべき当然のものとして、家族を受け入れていた。仮に知っていたとしても、自分は何も変わらなかっただろうと彼女は思っている。

 意識がはっきりした頃には、彼女は既に、この小さな島の中でライガと共に暮らしていた。

 彼女の家族は誰もが自分よりも大きくて、自分の後に生まれた弟達や彼女の母が全身を毛皮に覆われているのに対して、自分の身体はひどく小さく、毛皮もろくに生えて来なかった。

 獲物を狩る力強い牙もなければ、鋭い爪もない、脆弱な身体。

 家族と比べて、彼女はひどく弱い存在だった。

 特に走るのが苦手で、素早く移動する皆になかなか追い付くことができず、弟達が自らの足で動けるようになった後も、母にひょいとくわえられて、その背中に揺られながら移動していた。

 当然、そんな彼女が狩りに参加できるはずもない。

 皆が軽々と獲物を仕留めるのを横目にしながら、彼女は一人悔しさをかみしめていた。皆の役に立てないと落ち込む彼女に、家族は気にするなと優しく鼻先を押しつけ、慰めてくれた。でも、彼女はこのまま家族の優しさに甘えていることなどできなかった。たとえ狩りに参加できなくても、みんなを助けることはできるはずだ。どうすれば、みんなの役に立てるだろう?

 悩みに悩んだ末に、彼女は一つの役割を見つけ出した。

 自ら獲物を刈り取ることを目指すのではなく、獲物を狩る皆の補助に徹する。それを自らの役割に決めたのだ。

 幸いなことに、彼女は家族の誰よりも、器用な前足を持っていた。自由に使える前足で、獲物が追い立てられる先に罠を張り巡らせる。この罠に追い立てられた獲物は、これまで狩りに掛かっていた時間が嘘のように、面白いほどあっさりと仕留めることができた。

 狩りのお荷物に過ぎないという負い目は、完全になくなった。

 道具を使い始めたのも、確かこの頃だ。

 皆が追い立てた獲物が、彼女の仕掛けた罠に掛かり、次々と仕留められていく。皆の狩りを補助する役目に徹しながら、いつの日か、家族の隣に並んで、狩りに出る日が来ることを夢見ていた。

 しかし、それから何年経っても、彼女には爪も牙も生えて来なかった。

 もはや、家族の中で、どこか変わっている自分の存在を意識せずにはいられなかった。

 いったい、自分はなんなんだろう? ぼんやりと海を見据えることが多くなった、そんなある日のことだ。


 海から、ひどく大きな〝何か〝が島にやってきた。


 この〝何か〝は島の海岸沿いを進むと、かつて港と呼ばれていた場所で動きを止めた。

 恐々と遠目に様子を伺っていると、〝何か〝の中から生き物がぞろぞろと出てきた。彼らの姿を目にした瞬間、彼女はあまりの驚きに呼吸が止まるかと思った。

 その生き物たちは、ひどく自分と似通った姿をしていたから。

 足が、自然と前へ進む。

 気がつけば、彼女は自分に似た生き物達の前に立っていた。彼らは彼女の姿を目にすると、ひどく驚いたように、口々に声を上げた。このざわめきを聞きつけて、彼女の後を心配そうに着いてきていた弟が、警戒の唸り声を上げた。

 彼女の脇に立って、唸り声を上げる弟を目にした瞬間、彼らの間に緊張が走る。彼らは一斉に身構えると、その手の先から伸びる、ギラギラと光る爪のようなものを向けてきた。これに弟もますます警戒心を高め、低く唸り声を上げ始めた。

 急激に高まる緊張感が限界に達しようとした、そのとき。


「武器を納めろ」


 この一声で、彼らは一斉に動きを止めた。
 声の先には、一人だけ最初から落ち着いた眼で、常に自分を見据えていた人の姿があった。

 強い人だ。

 本能的に、目の前に立つ相手が、とても強い力を持った人だとわかった。

「よもや、この島に生き残りが居ようとはな」

 彼はざわめく群れの中を一人前に進むと、こちらに手を伸ばす。

「我が手を取るがいい、魔物を従える少女よ」

 差し伸べられた手。
 初めて見る、自分の同族から掛けられた言葉。

 気付けば、彼女は差し出された手を取っていた。


 そして、彼女は人としての名前を取り戻す。


 いつも身につけていた、ボロボロに擦り切れた布切れ。
 そこに残されていた刺繍から判明した、一つの名前。


 彼女の名前は──アリエッタ。


 教団で過ごすようになってからも、アリエッタはふとした拍子に、島で暮らしていた日々の記憶を思い出すことがあった。

 あの頃の自分と比べて、今の自分が得た物はあまりにも多かったが、それでもかつて島で過ごした日々の記憶は色褪せることなく、いつまでも彼女の胸に刻まれていた。

 それは言葉では言い尽くせないほどに多くの、懐かしさと優しさを含んだ記憶。

 ひどく小さな島。常に耳に届く穏やかな波の音。自分を心配そうに見据える弟の瞳。母の大きな背中。家族と故郷で過ごした日々の記憶。


 ───彼女にとって、世界は完結していた。








【1】







 厄介な相手だ。

 空中から襲いかかる爪と牙。フレスベルクは常に三次元的な機動から攻撃を仕掛ける。あくまでこちらの動きに対して牽制を仕掛けるのみで、決して深追いはしようとしない。主の命令もあるだろうが、この魔物自体の知性も決して侮れないものがあった。

「狂乱せし地霊の───くっ!」

 上空から襲いかかる爪牙。詠唱を中断、即座にその場から飛び退く。右手に握る槍をカウンターで投じようと構えるが、既に相手は間合いから離れていた。

 やはり厄介な相手だ。ジェイドは苦々しい想いを噛みしめる。

 こちらが譜術の詠唱に入る仕種を見せるや、これまで遠巻きにしていたのが嘘のように、即座に反応して急襲を仕掛ける。こちらも虚実を交えて、何とか一撃を加えようとするのだが、あくまでも牽制を心掛ける相手に攻撃は届かない。

 ここから僅かに離れた位置で、ルークがティアの援護を受けながらライガと戦り合っているのが見える。自分と同じように相手はあくまで牽制を意識しているようで、早々に決着がつくとは到底思えない状況だ。

 ………彼らの狙いは、アリエッタの勝負を邪魔をさせない、といった所でしょうかね。

 戦場の中心で、対峙する二人の少女に視線を送る。アリエッタの手にした杖から引き出される闇が、圧倒的な威圧感を放っていた。だが、彼女の瞳に浮かぶ強い意志の光が、安易な暴走を許さない。

「………やれやれ、仕方ない」

 手にした槍に第三音素を込める。逆巻く風に、フレスベルクが警戒したように翼を動かす。

「──あなたの狙いに付き合って上げましょう」

 ジェイドは強引な突破を諦め、目の前の相手に意識を切り換えた。


                   * * *


 紫電の雷光に、視界が白に染まる。

 全身に荒ぶる雷を纏った獣の突進。体重の差はそうそう覆せるものではない。俺は構えた剣の嶺で獣の突進を受け流しながら、突撃の軌道をずらして斜め後方に飛び退く。

 こちらが身をかわしたのを見るや獣が地に爪を立て、強引に動きを変えた。地を這う雷が床を削り、振るわれる前足に収束する。はね上げた剣先で爪を弾くが、突進の勢いまでは殺せない。剣を振った勢いを利用して身体を突進の軌道からずらす。

 相手の一撃は当らないが、それはこっちも同じことだった。

 瞬発力では、相手が上か。

 もはや何度も繰り返した相手の突進をやり過ごしながら、思考を巡らせる。

 常に先手を握るライガに対して、俺は攻め手を見出せないでいた。大技を出すにはある程度のタメが必要なのだが、相手はこちらがそんなタメを作るような時間を持たせない。

 こなくそと相手の攻撃に合わせてカウンターを叩き込もうとするが、これもダメ。こちらが切り込もうとする気配を見せるや、相手は即座に距離を取った。常に一撃離脱を心掛けているのか、なかなか隙を見せやがらない。

 厄介な相手だ。

 ライガの頭が良いのは、身近に居るあいつのおかげで良くわかってるつもりだったが、こいつは特に厄介な存在だった。

「……仇なす者よ、聖なる刻印を刻め───」

 詠唱の響きが届いた。睨み合うライガの立つ場所に、譜陣の光が走る。

「───エクレールラルム!」

 交錯する光の刃が展開された譜陣の上を貫いた。

 やったのか……? 警戒しながら僅かに剣先を下げると同時、視界の端に影が走る。

 反射的に構えた剣を前方に叩きつける。振り降ろされたライガの前足が剣と激突した。

 ちっ……譜術まで躱しやがるのかよ。

 これまでも時折、後方からティアのナイフや譜術が放たれていたが、相手にタイミングが読まれているのか、絶妙なところで間を外され、その悉くが空を切った。

 目の前で低く唸り声を上げるライガに意識を向けながら、俺は僅かに視線をずらす。

 高まる濃厚な闇の気配の中心、闇杖を構え立つアリエッタの姿があった。

 僅かに意識がズレた瞬間、ライガの前足から掛かる力が増す。慌てて受け流しながら、間合いを取るが、相手はこれまでと同じように懲りずに突進を仕掛けやがる。

 まったく、きりがねぇな!

 俺はあまりの戦り辛さに内心で舌打ちを洩らした。

 ライガの狙いがわからない訳じゃない。

 おそらく、全ての決着がつくまで、俺達を引きつけることに徹するつもりなんだろう。

 だが、それがわかっていても突破口が見つからなかった。

 ライガの咆哮が場を貫く。振り降ろされた爪を剣の嶺で受け流す。

 目の前で放電する爪が、ここを通すものかと俺をこの場に縫い付ける。

 ちっ、まったく、何ともこの状況は───

「──くそったれだなっ!」


                   * * *


 譜業人形の豪腕が唸りを上げながら振るわれるが、アリエッタはまるで気にした様子も見せず、詠唱を続けていた。何発か拳が直撃するが、相手を包む闇の衣が攻撃を通さない。

「アリエッタ! いい加減イオンさまを解放して!!」

「絶対に、イヤッ! アニスに……イオンさまを裏切ったアニスなんかに、絶対にイオンさまを渡さないっ!!」

 放たれる言葉はあまりに正しすぎて、反論することすら許さず、胸の内に突き刺さる。

 それでも、諦める訳にはいかなかった。こんな自分を信じてくれた皆のためにも、教団で待つ二人のためにも、アリエッタにどうにかして納得して貰わなければならなかった。

「そっちこそ! なんで、ヴァン総長なんかに協力するの! 世界を、壊そうとしてるんだよ!!」
「そんなの関係ない!! 総長はアリエッタの恩人! この島で一人だったアリエッタに居場所をくれた!!」

 振るわれる闇杖から走る闇の刃が頬を掠めた。

 アリエッタの言葉は、自分にも理解できるものだった。もしあの人が手を差し伸べてくれなければ、今頃自分たち親子は野垂れ死んでいただろう。

「イオンさまに合わせてくれたのもヴァン総長だった! あの頃はイオンさまも総長に協力してた!! すべてが、すべてがおかしくなったのは──アニスが導師守護役に就任してからだ!!」

 自分が導師守護役についた時期、それは──オリジナル・イオンが死んだ時期のことだ。

 一瞬、無意識の内に人形を繰る手から力が抜けた。

 それは本当に一瞬のことだったが、アリエッタは決して、この隙を見逃さない。

「許さない。絶対に……絶対に、許さない!!」

 アリエッタが手にした闇杖を掲げ上げた。

 周辺から膨大な量の音素が収束し、大気が揺れ動く。

《……始まりの時を再び刻め───》

 集束された音素は幾重にも編み上げられ行き、展開された譜陣から漆黒の闇が滲み出た。

《───倒れて!》

 顕現せし闇の中心で、アリエッタは勝利の確信と共に告げる。

《──────ビッグバンッッ!!》

 荒れ狂う闇の奔流が渦を巻きながら世界を犯す。うねりを上げるながら爆発的な勢いで迫る闇の浸食を前に、アニスの身体は凍り付いたように動かない。そのまま為す術なく、身体が闇に飲まれようとした、そのとき───

 トンと、背中を軽く押された。

 よろめく身体。視界の端に映る少年の姿。迫る闇の渦。自分の替わりに闇の前に立つ彼の姿。


 微笑む彼の瞳が、ひどく印象に残った。


 ───闇がすべてを食らいつくした。








───教団で過ごした日々───








 彼は教団の人間であり、ヴァンと名乗った。

 ヴァンは自分を島から連れ出すと同時に、これまで住んでいた島など比較にならないぐらい住みやすい森を、母に紹介してくれた。森に移り住む家族と別れ、一人だけ彼女の側を離れなかった弟と共に、アリエッタは教団へと向かった。

 教団で過ごす日々は、なれないことの繰り返しだった。

 言葉というものを教わる。人と意志を疎通する術を学ぶ。ゴワゴワとした服の動きにくさを我慢する。何もかもが、アリエッタにとって初めてのことばかりだったが、それでも彼女は周りに馴染もうと必死に頑張った。

 これまで家族の中に居て、ふとした拍子に感じることがあった、自分だけ違うという想いが、ここでなくなることを信じて───


 ある程度、人間の常識というものを理解した所で、アリエッタは教団から任務を受けるようになった。誰かに認められたいと想うなら、認められるだけの何かを示す必要があると思ったからだ。

 そうして、幾つかの任務をこなす内に、アリエッタが教団の中で接する人も増えて行った。あまり使い慣れぬ言葉を使って、必死に話しかけながら、彼女は教団の中で友達を作ろうと頑張った。ヴァンやラルゴはそんな自分を見据えながら、ひどく優しげに目を細めていた。

 しかし、教団の人々は、アリエッタが魔物を操ると知ると、誰もが距離を置いた。

 それとは対照的に、任務で外に出た先で知り合う魔物たちとは、あまりにもたやすく友達になることができた。絆を交わした魔物たちを連れ帰る自分に、ヴァンは苦笑を浮かべながら世話をする手配を整えてくれた。

 そうして、任務と教団を行き来する日々がしばらくの間続いた。

 ふと気付けば、アリエッタは教団の中で孤立していた。彼女の周りにいるのは、魔物の友達のみで、人間の友達は一人として出来ることはなかった。

 彼女を教団に誘った人々──ヴァン総長と、彼の周囲に居る人々だけは、決して自分を畏れることなく接してくれた。彼らと過ごす日々は確かに充実していたが、それでも周囲から注がれる目には、決して隠すことのできない畏怖が含まれていた。

 魔物を使役する彼女の力は、人の中において、あまりに異質なものだったから。

 魔物でも人でもない自分という存在は、どうやら魔物の中にも人の中にも、完全に溶け込むことが出来ないようだ。


 なら、いったい自分は何処で生きて行けばいいんだろう?


 一人、空を見上げることが多くなった、そんなある日のことだ。

 思い悩むことの多くなった自分の様子を察してか、総長が次のようなことを提案してきた。
 しばらくの間、教団の対外任務から離れて、本部で護衛の長期任務に就いてみないかと。
 閉塞した状況に行き詰まりを感じていたアリエッタは、この申し出を一にも二もなく受け入れた。

 先を行く総長の後に続いて、普段なら決して足を踏み入れることのない区画を進む。

 数度のノックの後、部屋の中から思ったよりも幼い声が返る。
 扉が開かれ、総長の後に続いて、彼女は部屋に足を踏み入れる。

 案内された先は、導師の執務室。



 ───そして、彼女は彼と出会った。








【2】







 闇杖を握りしめながら、アリエッタが震えている。
 蒼ざめた顔の中で、見開かれた瞳は自らの放った一撃を受けた相手を捉えて離さない。

「……イオン、さま…………どうして……?」

 震える唇が、イオンの名を呼んだ。

 イオンの背後に庇われるようにして、床に座り込むアニスの姿が見えた。イオンのかざされた掌の先で、展開されていたダアト式譜術の光が消える。おそらく、アリエッタの放った術が発動する直前、駆けつけたイオンがアニスを庇ったんだろう。

 だが、ダアト式譜術をもっても、アリエッタの一撃を完全に抑え込む事はできなかったようだ。擦り切れた導師服が風に揺らぎ、イオンがその場に膝を着く。

『イオン様───!』

 その場に居る誰もがすべてを忘れ、イオンに駆け寄ろうとした。
 しかし、イオンはすべての動きを制止するように、手を前に差し出す。

「……アリエッタ、僕はあなたに、伝えなければいけないことがあります」

 誰もが動きを止めた空間。
 場の中心に立つ少年はゆっくりと口を開き、決定的な言葉を放つ。

「僕は、あなたの知るイオンではありません」

「……え?」

 アリエッタの顔に浮かぶのは強い困惑。彼女の顔を見据えながら、イオンは一息に告げる。


「僕は、オリジナル・イオンのレプリカです」


「イオン、さま……?」

 告げられた言葉が理解できないのか、アリエッタはひたすら呆然と立ち尽くす。

「僕はあなたの思い人だった導師ではありません。あなたには、たいへん申し訳ないことをしました……」

 事実を告げること自体に痛みを感じるように、イオンは僅かに視線を伏せた。しかし、直ぐに顔を上げ、再び言葉を紡ぐ。

「僕は怖かった。自分がレプリカであることを、誰よりもオリジナル・イオンと親しかったあなたに知られることが……だから、結局こうして最期のときまで、あなたにこの事実を明かすことができなかった」

「さい…ご……?」
「どうやら、これまで少し力を使い過ぎたようです」

 アリエッタをつらそうに見据えながら、イオンは微笑んだ。

「この告白も……僕のエゴに過ぎないのかもしれない。それでも、あなたには真実を知って欲しかった。ああ、本当に、僕はあなたに、ひどいことしか、できな、かった───」

 イオンの身体が、その場に崩れ落ちる。

「イオンさま!」
「イオン!!」

 慌てて掛け出した俺たちとは対照的に、アリエッタの身体は凍り付いたように動かない。
 最初に駆けつけたアニスの手によって、イオンの身体は抱き止められた。

「イオン、どうしてだよ! そんな状態で、なんであんな無茶を……っ!!」

 激しく問い掛ける俺の顔を見上げながら、イオンはどこか困ったような顔で微笑む。

「僕はもともと……身体の弱かった導師の、さらに体力が劣化したレプリカです。ダアト式譜術の使用に耐えられるように、この身体はできていません」

 まるで燃え尽きる寸前の灯火のように、イオンは言葉を紡いで行く。

「力を使う度に、自分の生命が磨り減っていくことが、他の誰でもない、僕にはわかっていました。そして、同時に理解していました。もう、自分は長くないことも……。だから、最期に何かを残したかったのかもしれません」

 アニスの手に抱かれながら、イオンは集まった俺たちの顔をゆっくりと見回す。

「でも、みんなに出会えて僕は幸せでした。だって、僕は───」

 精一杯、生きたから。

 微笑み掛けるイオンのあまりに勝手な言いぐさに、俺はやり切れなさを感じて拳を握りしめる。

「ごめんなさい……ごめんなさい、イオンさま……私……私……!」
「ああ……アニス、泣かないで。もう、僕を監視しなくていいんですよ」

 涙をこぼすアニスの頬を撫でながら、イオンは彼女に微笑み掛ける。
 浮かぶ微笑みとは対照的に、イオンの身体から急速に力が抜け落ちていくのが傍目にもわかった。

「今まで、ありがとう……僕の……一番……大切な……────」

 アニスの頬を撫でる手から、力が抜け落ちた。
 イオンが静かに目を閉じると同時──乖離した音素が一斉に舞い上がる。
 天に向けて駆け昇る光の粒子。煌く燐光が廃墟を照らし、幻想的な光景が目の前に広がった。
 だが、その光も一瞬で消え去り、後には何も残らない。

 死体を残すことすら許されないレプリカの死にざまに、俺は──恐怖した。

「……イオン、さま?」

 ただ一人、離れた場所で立ち尽くすアリエッタの口から漏れた呼びかけは、あまりにも虚ろに響く。

「なんで……イオン、さまがレプリカ?」

 何一つ理解できないと、アリエッタは視線を彷徨わせる。
 アリエッタの手に握られた闇杖が、チリチリと音を立てた。

 ───奏器の制御には強固な意志の力が必要だ。

「嘘……嘘……嘘、なんで? なら……アリエッタの知ってるイオンさまは、どこ?」

 手にした杖が、込められた力に震える。

 ───彼女にとってそれは導師イオンの存在に他ならない。

「アリエッタは……誰よりも大切な人が、居なくなっていたことにも、気付けなかった?」

 呟きに応える声はない。

 ───彼女が精神の支柱としていた少年は、もう居ない。

「あぁ、ぁぁあぁぁ。ぁあああああぁぁぁぁ───!!」

 絶叫に引き裂かれる世界。
 絶望に染まる担い手の指向に、闇杖はあまりにも忠実な反応を返し───


 ───闇が、暴走を始める。


「まずい……これは……」
「アリエッタ! アリエッタ!!」

 杖から絶えることなく溢れ出る闇。
 其の深淵を伺うことは何人にも許されず、膨れ上がる闇はひたすら世界を喰らい始める。

 魔物たちも自らの主の状態に困惑しているのか、戸惑うばかりで動けない。

 しかし、混乱する場とは対象的に、俺は一人ひどく冷静に闇を見据えていた。

 ───リィィイ───ン──────…………

 鈴の鳴るような音色が響く。

 手にした剣から伝わる力。研ぎ澄まされていく意識。
 俺の思考とは決定的にズレた場所で、身体が動き始める。

 ───この機を逃すな。

 俺の頭の中で、ひどく乾いた声が冷徹に告げた。
 ゆっくりと顔を上げて、どこか緩慢とした世界を見据える。

 闇に包まれた少女が目の前に居た。彼女に向け剣を構え、足を前へと踏み出す。
 すべてを拒絶する闇はあらゆるものを喰らいながら膨張を続けていた。

 だが、何も心配する必要はない。

 俺は闇に向けて駆ける。
 俺の接近を察した闇が、鋭利な触手のようなものを一斉に伸ばす。

 しかし、俺は慌てることなく、手にした鍵を無造作に前方へと薙ぎ払う。

 切り裂かれた触手が悲鳴のようなものを残しながら、鍵の刀身に吸収されるように虚空へと消えた。残された闇の触手が動揺するように蠢くが、もはやすべては遅い。

 暴走する闇の中枢、簒奪せし力を括る依代、全ての元凶たる闇杖に向け──剣を振り降ろす。

 アリエッタの手にする闇杖が、真っ二つに切り裂かれた。

 絶叫じみた高音が広場を貫き───


 ───何かが、俺の中に、流れ込む。








───彼と過ごした日々───








 総長に護衛対象として紹介された少年は、優しげな風貌と丁寧な物腰に似合わず、ひどく意地悪な人だった。

 何度泣かされたのか。それすらわからなくなる程、出会った当初は何度も何度も意地悪なことを言われた。アリエッタは目尻に涙を浮かべながら、それでもめげることなく彼と接して行った。

 すると、いつまで経っても彼の側を離れることのないアリエッタに影響されてか、彼の態度から徐々に刺は抜け落ちて行った。

 そしてあるとき、彼は根負けしたように一度だけ苦笑を浮かべると、アリエッタが護衛に就く事を受け入れた。

 驚くべきことに、刺の削げ落ちた彼の態度は、まるでどこに隠していたのかと疑いたくなるほど、優しさに満ちていた。ときに意地悪なことを言うこともあったが、もうそれが彼の本心からの言葉でないことはわかっていた。

 アリエッタにとって何よりも嬉しかったのは、彼が自分が魔物を操ると知っても、決して態度を変える事なく、自分と向き合ってくれたことだ。


 彼と過ごす日々は、ひどく楽しくて、まるで瞬くような早さで過ぎていった。


 彼と親しくなってから、アリエッタは彼に奇妙な癖があることに気付いた。

 彼は会話の最中などで、時折、ひどく遠くを見据えることがあった。

 どうかしたんですか、イオンさま? 尋ねる彼女にも、彼は微笑むだけで何も応えない。首を傾げるが、話すまでもないことなのだろうと自分を納得させて、この頃のアリエッタがこの癖を深く考える事はなかった。

 しかし、彼が遠くを見据える癖は、日を追うごとにその回数を増やして行った。
 さすがに何かあるのではないかと疑問に思い始めた、そんなある日のことだ。

 しばらくの間、病気の療養のため、アリエッタとは会えなくなる。

 いつものように他愛もない会話を重ねた後で、彼はそんなことを言ってきた。涙を浮かべる自分に、彼は何度も慰めの言葉を掛けながら、自身も辛そうに目を伏せた。そんな彼の態度に、アリエッタは自分のわがままで困らせるわけにはいかないと、哀しさをぐっと堪えて、この申し出を受け入れた。

 しばらくの別れに言葉を交わし、後ろ髪を惹かれながら、彼の部屋を後にしようとしたそのとき。彼は一度だけ、アリエッタの名前を呼び止めた。

 なんですか、イオンさま? 不思議に想いながら尋ねるアリエッタに、彼は口を閉じたまま、じっと彼女の顔を見据えていた。

 かなりの時間が経った後で、何でもないと、彼は笑ってアリエッタを送り出した。


 次の日、彼女は導師守護役を解任された。


 ごく自然な態度で、ただ親しい人にするように、わがままを言い、時にケンカをし合いながら、彼は家族のような態度で、自分と接してくれた。


 アリエッタは、そんなイオンさまのことが──大好きでした。








【3】







 切り裂かれた闇が完全に消え失せる。

 ……今のは、アリエッタの記憶、か?

 一瞬の白昼夢に、俺は抑え切れない動揺を感じて、額を抑えながらその場に立ち尽くす。

 ───ドクンッ───

 鍵が、鼓動を刻む

 二つに切り裂かれた杖の残骸が、音素の光を巻き上げながら虚空に溶ける。
 舞い上がる音素が鍵の刀身に絡みつくと同時、闇杖の残骸はこの世界から完全に消え失せた。

 いつになく、ギラついた光を放つ鍵の刀身が俺の手の中にあった。

「アリエッタ!」

 アニスの呼び声に、俺は我に返る。

 ……今は、それよりもアリエッタの状態か。

 俺は頭を振って思考を切り換えながら、闇の消えた前方に視線を移し──息を飲む。

 闇に蹂躙され尽くしたアリエッタの姿が、目の前に在った。
 ボロボロの身体を横たえたアリエッタの状態は、どう見ても瀕死としか言いようがないものだった。

「アリエッタ! アリエッタ!」

 駆け寄ったアニスが、アリエッタの隣に並ぶ。彼女の手を取りながら、必死に呼びかける。

「…………イオンさま、どこ?」

 焦点の合わぬ瞳。掠れた声は彼の名を呼ぶ。

「イタイよ……イオン…さま……イオ…───」

 言葉は半ばで途切れ、アリエッタの動きが停まる。

 彼女はもう動かない。

「……ごめんねぇ……ごめん…アリエッタ……ごめんねぇ……」

 向けるべき相手をなくした、アニスの謝罪の声が響く。
 何も言葉を掛けられない。言葉が見つからない。
 嗚咽を洩らす彼女の背中を前に、俺たちはただ立ち尽くすことしかできない。

 そのとき、背筋がゾクリと撫で上げられるような悪寒が走った。

 ライガとフレスベルクの二匹が、主の死を前に尋常ならざる殺気を放っていた。
 空間そのものが震え上がるような殺気を放ちながら、獣は一歩一歩、前へと進む。

 咆哮を上げながら、今にも俺たちに飛び掛かろうとしていた獣達の動きが──突然止まる。

 咆哮に応じるようにして放たれた低い鳴き声が、二匹を押しとどめていた。
 猛り狂う二匹と対峙するコライガが、まるで言葉を交わすように、低く唸り声を上げる。対峙するライガも自らの同族を見下ろしながら、低く唸り声を返した。

 そうして、しばらくの間、唸り声を交わし合うと、ライガとフレスベルクの二匹は突然俺たちから興味をなくしたように、殺気をおさめた。
 フレスベルクがアリエッタの亡骸を抱き上げ、ライガの背中にそっと乗せる。彼女の亡骸が背負われたのを確認すると、二匹は俺たちに背を向けた。

 もはや俺たちなど視界に留めるにすら値しないとでも言うかのように、二匹は一切振り返ることなく、戦場から去った。


「……私が、死ねば良かったんだ」

 つぶやかれた言葉は、あまりにも虚ろに、この場に響く。

「イオンさまもアリエッタも……死ぬ必要なかった。私のせい……ぜんぶ私のせいで、二人は死んだ……っ……」

 トクナガを胸に抱きながら、アニスは嗚咽を洩らす。

「アニス……俺たちは……」 

「ルーク、やっぱり、無理みたいだよ」

 顔を上げたアニスは、からっぽの笑みを浮かべていた。

「私は、もう、戻れない」

 よろよろと立ち上がり、彼女は一人、俺たちに背を向ける。

「アニス! アニス──俺たちは───」

 イオンを救えなかったのは俺たちも同じだ。

 仕方がなかったんだ。

 掛けるべき言葉はいくらでも思い付いた。

「くそっ!」

 アニスが悪いせいじゃない。

 だが、アリエッタのせいでもない。

「くそっくそっくそっ!」

 なら、いったい誰が悪いんだ? 誰のせいなんだよ?

 思い浮かぶ言葉はどれもひどく薄っぺらい気がして、どうしても口にすることができなかった。

「くそぉぉぉおぉぉぉ───っ!!」

 やり場のない憤りを含んだ叫びが、廃墟の中を響き渡った。


「……ダアトへ、報告に戻りましょう」

 真っ先に我に返ったジェイドが、感情の籠もらない声で、皆を促した。

 それに抵抗する気力は、もはや誰にもなかった。

 イオンはもう居ない。

 アリエッタもまた死んだ。

 そしてアニスは俺たちの下を去った。


 すべてがあまりにも、現実感が乏しかった───







【4】






 気がつくと、いつのまにかダアトについていた。
 目の前に広がる教団本部に、ふらふらと向かう。
 教団に入ると、そこにトリトハイムの姿があった。
 向こうもこちらに気付いてか、待ちかねていたかのように声を上げる。

「おお、みなさまも帰りましたか」

 今日はどんな御用ですかな? 朗らかに応じる彼を前に、俺は強く唇を噛む。
 だが、いつかは告げなければいけないんだ。先送りにしているような余裕はない。

「俺達は……イオンを……イオンを……」
「導師イオンがどうかしましたか?」
「俺達は……イオンを助けてやれなかった」

 告げられた言葉に、しかしトリトハイムは困惑したように瞳を揺らす。

「ええと、いったいどのような意味でしょうか?」
「イオンを……助けられなかったんだ」
「???」

 首を傾げながら、トリトハイムが口を開く。

「導師イオンに改めてお会いしたいということでしょうか? しかし、それならば、できればもう少し日を置いて頂きたいのですが……」
「…………何を、言ってるんだ?」

 会話が噛み合わない。どこか埋めることが出来ない、決定的な断絶が俺たちの間に存在していた。

「──詠師トリトハイム、そこを離れよ」

 冷徹な言葉が投げかけられると同時、俺たちをオラクルが取り囲む。

「これは、どういうことですか、大詠師モース!!」
「彼らは大罪人──咎人なのですよ」
「いったい何を……?」

 困惑するトリトハイムに向けて、モースは淡々と告げる。

「彼らこそが、導師の生命を狙っていた者たちに他ならない。導師、、 が打ち明けてくれました」
「──なっ、そんな、まさか……」

「その証拠に、彼らは導師が亡くなっていることを前提に話を進めている」
「……俺たちは、確かにイオンを助けられなかったが……殺そうとしたなんてまで言われる筋合いはねぇぞっ!!」

 俺の身体から吹き出る濃厚な殺気を前に、オラクル達が一斉に槍を構える。
 オラクル達の動きを制し、モースは言葉を続ける。

「助けられなかった……か。何を言うかと思えば、お前たちが亡き者にしようとした導師なら、私が危ういところで保護することに成功したぞ?」
「保護することに、成功した……?」

 混乱する俺たちを前に、モースは自らの背後を示す。

 そこに一人の少年がいた。中性的な容姿に、深みをもった緑色の長髪。彼は導師服を身にまとい、どこか虚ろな視線をこちらに向けていた。

 激しい動悸が停まらない。

 間違えるはずがない。間違えることなどありえない。なぜなら、彼の顔は───

「どうした? 亡き者にしたはずの導師の姿を前に、言葉もないか?」

 生前のイオンと、まったく変わぬ少年の姿が、そこにあった。

「そう、ここに導師は存在する、、、、、、、、、、 。もはや言い逃れは無用。──拘束しろ」

 モースの命を受けて、周囲を取り囲むオラクルが俺たちを拘束しようと迫る。

「……ネクロマンサー、お前も譜術の詠唱を止めろ。アルビオールの操縦士は確保済みだ」

 続けられた言葉に、ジェイドが譜術の詠唱を止める。
 周囲を取り囲むオラクル達が、俺たちを拘束する。

「どういう、ことだ……?」
「説明するまでもない。彼は導師イオン。それ以外に何を言う必要がある?
 もっとも、殺され掛けた衝撃のためか、少しばかり記憶が定まらぬようだがな……」

「───っ!!」

 囁かれた言葉に、俺は弾かれたように顔を上げて、少年を見やる。

 イオンはレプリカだった。

 何体も造られたレプリカ達の中で、もっとも導師に近い能力をもっていると選ばれた。

 なら、目の前に居る少年は……

「モース……」
「ひとまず牢に閉じ込めておけ。詳しい決定は追って沙汰する」

 オラクルに取り押さえられながら、俺は猛り狂う思いに任せるまま叫ぶ。

「大詠師モース───ッ!!」
「───連行しろ」

 さめきったモースの瞳が、何の感情も宿すことなく、俺達を見据えていた。



  1. 2005/04/26(火) 00:15:43|
  2. 【家族ジャングル】  第八章
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
 次のページ
書庫へ戻る |  日記過去ログ |  ジャンク作品目次 |  アビス一覧目次 |  お勧め一次創作 |  お勧め二次創作 |  掲示板 |

FC2Ad


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。