「だりぃ……」
寝起きでボサボサになった長髪を俺は乱暴にかきむしる。ぼりぼり。
欠伸をかみ殺しながらふらふらとした足どりで廊下を歩いていると、一人のメイドとすれ違う。
すれ違いざまに、メイドが目を見開いて俺を見るのがわかる。その反応から察するに、どうも屋敷に入りたての新人メイドのようだ。貴族のボンボンにしてはあまりにだらし無い俺の様子に、よっぽど驚いたと見える。普通ならここで自分の格好を恥じいるところなんだろうが、俺にはそんな感性なんかカケラ程も残っちゃいねぇ。
「ゴクローさん」
へらへら笑って、適当にねぎらいの言葉をかけながら、俺はメイドの視線も気にせずさらに頭を掻きむしる。ぼりぼり。
メイドは会釈だけ返すと、足早に去っていった。舐めた態度だとは思うが、呼び止めようとは思わない。強烈な寝癖のおかげで地獄の針山のようになった髪形の持ち主と、一緒の空間に居たくないっていう気持ちはよくわかる。ってか、俺ならいやだね。
正直、俺はこの髪がうざったらしくてしょうがない。オヤジに何度も「切らせろやハゲ」って訴えてるのに、奴は冷たい視線で俺を睨み付け「黙れバカ息子。その服装許してるだけでも感謝しろ」と俺様コーディネェィトの特服を貶すばかりで、一向に俺の意見を聞き入れようとしやがらない。
一度、木刀握ってオヤジの寝室に殴り込んだこともあったが、そんときゃまいったね。鼻血だらだら噴き出しながら木刀と拳で応酬しあう俺とオヤジのバイオレンス活劇に、その場に居合わせたおふくろは卒倒しちまった。
さすがの俺とくそオヤジも殴り合いを止めて「てめぇの強面のせいだハゲちゃびん」「お前の汗臭さが原因だ。腹筋ぐらい仕舞え、ろくでなし」「うっせえハゲ!」「この腹筋割れが!」などと、おふくろを介抱しながら、手は出さずに罵り合った。
その後、無事に意識を取り戻したおふくろは、涙ながらに暴力の虚しさを訴えると、なぜに俺が長髪でいなければならんのか、長々と説明してくれた。
おふくろの説明を要約すると、なんでも王族足るもの長髪たれ、とかわけわからん法律があるのが一番の理由らしい。そんなルールは正直知ったこっちゃなかったが、おふくろに泣かれたのはさすがに堪えた。俺は女子供の涙に弱いのだ。なし崩し的に、もう髪に関して文句は言わないと約束させられていた。
なんだか自分でもよくわからないものに対する敗北感に、うなだれる俺をオヤジは小憎らしい表情で嘲笑っていたが、やつも「息子に暴力を奮うとは何事です」とおふくろから三日間無視の刑に処せられていたりする。泣きながらおふくろに謝るオヤジを見て、我が家の最強が誰であるかを再認識させられた一件だった。
なにはともあれ、もはや俺が髪を切ることはできなくなった。どんなにうざったくてもこの髪型を維持せにゃならん。文句を言いたくても、おふくろとの約束の手前、愚痴でさえも言い難い。だから好きでもない長髪してる頭を掻きむしり、ふけを振りまくぐらいは許してほしい。
「ほんと……だりぃわ」
今日も今日とて、首都バチカルの代わり映えのしない一日の幕が開く。
窓から差し込む陽光をその身に受けながら、惚けっと突っ立ち、俺──ルーク・フォン・ファブレはうざい頭を掻きむしるのであった。ぼりぼり。
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- 2005/12/31(土) 17:21:27|
- 【家族ジャングル】 序章
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「かぁーあの髭! 毎度毎度マジでむかつくわぁ!!」
貴族の子弟にしてはこじんまりした部屋の中。開け放たれた窓に向かって、俺は雄叫びを上げていた。
何故にいきなり叫んでいるかと言えば、中庭での一悶着に、その原因がある。
中庭で花の世話をしていた庭師のペール相手に、いつものようにダベっていたら、突然執事長ラムダスの髭野郎が現れて、この俺相手にふざけた文句を言いやがる。曰く、
『おぼちゃま。もっと身分を自覚した行動をとって下さい。このような相手にそんな気安い言葉をお掛けになるのはお止めください。それと、お腹を冷やすといけませんので、私めが用意した服に着替えてください。さぁさぁ──』
怪しい光を瞳に宿らせ、これでもかと言わんばかりにグイグイと詰め寄ってくるラムダス相手に、さすがの俺も気押されて、その場から一目散に逃げ出した。しかし、相手もさる者、執事長。なかなか諦めようとしやがらねぇ。おかげで、俺は用もないのに屋敷中をさんざん逃げ回るはめに陥っちまったと言うわけだ。
というかキモイ! まずキモ過ぎるわ!
かなりの時間が立ったはずの今でも、あのラムダスの髭面が迫ってくる光景が脳裏をよぎり、背筋にゾゾゾッと寒気が走りやがるから、もうたまらねぇ。
「うううっ! がぁぁーーあのくそ髭が! 髭抜くぞ! むしろあの髪形もなんだ! 針金でも入ってんのかよ!」
悪態混じりに突っ込み入れながら、ストレス発散に精を出す俺だったが、そこへ更なる苛立ちのもとが襲いかかる。
《ル……ルー…………ルーク》
「───ぐっ!」
急激に沸き起こる頭痛に、俺は額を抑え、片膝をつく。
痛い。頭がすげぇ痛い。マジで割れそうだ。しかも、電波染みたもんが飛んできて頭の中でなにやらわめいてやがる。
《ルーク……我がた…………れよ………………声に……応えよ》
うがぁ、こいつもウゼェ!! 脳髄を爪で直接掻きむしるような電波とばしといて、声に応えよとか聞こえるかってなんじゃそりゃ?!
好き勝手なことわめきやがる電波に、俺はふつふつと沸き出る怒りに任せ、喧嘩上等と錯乱気味に拳を振り上げた。
「大丈夫かル──ぶっ」
「あん?」
見事に顎を撃ち抜いた一撃に、金髪の爽やかげな兄ちゃんが吹っ飛ばされた。ふっとばしたのはもちろん、俺の拳だ。拳にこびりついた鼻血を壁にこすりつけ、俺は多少の気まずさを感じながら、吹き飛んだ相手に笑いかける。
「いやワリィワリィ。居ると思わなかったわ。マジごめんな、ガイ」
「ひでぇな、ルーク。普通心配して近づいた相手に、いきなり殴られるとは思わないぞ」
ぼたぼた垂れる鼻血を腕で抑えながら、ガイが多少くぐもった声で恨めしそうに応えた。
「まあ気にすんな。俺も気にしねぇから」
「そういう問題かねぇ?」
「男なら細かいことたぁ忘れろ。ほれ、ティッシュでも鼻に詰めとけ。ほれほれ」
「うわっ! 無理に押し込むなって! いや、そんなに入らんから! 押し込むなぁ~!!」
無理やりガイの鼻の穴にティッシュを押し込む。
ガイは役職だけ言うなら、使用人の一人で、俺の世話係だ。しかし人間的な間柄で言うなら、俺の幼なじみで、ダチでもある。昔なじみっていう贔屓目を抜かしても、かなり良い奴で、親友と言っても良い相手だ。その爽やかさと気安げな態度から、屋敷の中での評判も上々で、女受けも良い。かなりのもて野郎で、年がら年中女に言い寄られてやがる。
信じられんことだが、こいつが相手の気持ちに応えたことは今だかつて皆無だ。俺にはどうしても理解できんことだが、ガイはなんと、女性恐怖症でもあるのだ。
容姿端麗、物腰柔らか、話術だって悪くない。そんな女にモテル三大要素を兼ね備えたこいつが、女を引き寄せるだけ引き寄せといて、近づかれたら逃げやがるのだ。
……なんかムカツいてきたな。
「いて、いてて! ルーク、鼻の穴が広がりすぎだって! これ以上は無理! うぁ、突っ込むなぁ~!!」
「あ……ワリィワリィ。つい、考え事してた」
へらへら笑って、一瞬漏れ出た殺気を抑える。見るからに怪しい俺の誤魔化しに、ガイは呆れたように苦笑を浮かべた。
「まあ、その様子なら、頭痛の方はもう大丈夫そうだな。心配したんだぜ、妙に騒がしい声がして、気になって来てみれば、お前が部屋の中で頭抑えて呻いてると来たもんだ」
本当に心配したんだぞ、とガイの真剣な眼差しが俺を見据えていた。
「しかし、このところ頻繁だな。確かマルクト帝国に誘拐されて以来だから……。もう七年近いのか」
ガイの碧眼から伝わる真摯な気持ちに当てられて、ふざけた態度取ってた自分の馬鹿さ加減が、どうにも気恥ずかしくなってきたね。
「ほんと悪かったな。まったくマルクトの連中のせいで、俺って、頭おかしいやつみてぇだよな」
へらへら笑いながらおどけた口調で告げた俺の言葉に、ガイが少し眉を寄せる。
「ルーク……」
ガイが口を開き、なにかを言いかけたところで、部屋に扉をノックする音が響く。
『ルークさま、よろしいでしょうか』
俺は扉に視線を向け、ついで開け放たれた窓に視線を移し、ガイに部屋を出て行くよう促す。
ガイは一瞬ためらうように踏みとどまったが、再度メイドの呼び掛けが響いたことで、すぐさま決断した。小さくまたなと囁くと、窓枠に手を駆け部屋を出て言った。
『ルークさま?』
「おう、ちゃんと部屋に居るぜ、入ってくれ」
扉を開けたメイドが一礼してくる。なんだか微妙に気まずくなって、うざい長髪をかき混ぜながら、ぽりぽり頭を掻く。
「少し寝ぼけてたんでな、返事が遅れて悪かった」
「いえ、こちらこそ何度もお呼び立てして申し訳ございません。旦那様がお呼びですので、応接室にお願いします」
「わかった。わざわざすまねぇな。今度飯でも奢るぜ」
結構本気で言ったのだが、相手はくすりと笑うと、軽く小首を傾げて見せた。
「そうですか? 期待しないで待ってます。最近の旦那様はかなり時間に厳しいようですから、なるべく急いで向かって下さいね、ルークさま」
「おうよ」
軽くあしらわれたなぁと思いながら、俺は去っていくメイドに片手をふって応えた。
しかし、くそオヤジの呼び出しか。いったいなにがばれたのやらね。たまに屋敷抜け出してることは、ほんと今更だし、とやかく言わんだろう。まさか下町のチンピラ連中しめて、俺がアタマになったことか? いや、それが知れたなら向こうから怒鳴り込んでくるはずだ。わざわざ応接間に呼び出す理由はなんだ? はっ! よもやあそこに飾ってあった絵を勝手に売っ払ったのがばれたのか!? いや、だがそれも───……
犯した悪事の数々を思い返しながら、俺は親父の待つ応接間へ向かう。
* * *
「来てやったぜ、くそオヤジ」
「閉口一番にそれとは私も舐められたものだな、バカ息子」
「止めて下さい、二人とも。お客様の前で、恥ずかしい」
俺の相手の鼻っ柱を叩きおる一撃に、オヤジが不機嫌そうに応え、おふくろが気まずそうな視線を応接間の一角に向けた。
お客様って、なんじゃらほいとおふくろの視線を辿ると、俺にとっても予想外の相手がそこにいた。
「げげっ、ヴァン師匠! こっち来てたんすか!?」
「久しぶりだな、ルーク」
あまりの大物登場に、俺は眼を見開く。彫りの深い顔立ちに、オヤジとは違って、大人の包容力満載の、泰然とした物腰の男がこちらを見やる。
「今回は間が開いたが、もちろん剣の腕は鈍っていないだろうな?」
「いや、あー、当然、俺はきちんと修行してましたよ。だから、腕も鈍ってなんかないですよー?」
「ふむ。ならば、後でそれを確かめるとしよう。中庭で基礎確認ついでに、一つ揉んでやろう」
うげっ、もしかして墓穴を掘ったか?
明らかに表情が引きつるのを感じる俺に、ヴァン師匠はどこか不穏な笑みを浮かべる。
「い、いまさら基礎はもういいかなーとか思ったりなんかしなかったりすんですけど」
自分でもしどろもどろだなーと思いながら言葉を返すと、なぜか師匠の表情が引き締まる。
「ふむ。お前にはすまないとは思うが、しばらくの間、私は屋敷に来ることが出来なくなる。ダアトに帰らなければならないのでな。崩れた型があるようなら、今のうちに修正しておきたい」
「へっ? どういうことです? ダアトでなんかあったんですか?」
「私がオラクル騎士団に属していることは知っているな?」
「はぁ……まあ、一応は。主席総長だとかで、騎士団のアタマってことですよね」
「そうだ。そして、騎士には守るべき相手がいるものだ。今回の件も、それに深く関連している。肝心の騎士団が守護すべき相手である導師イオンが……行方知れずになってしまったのだ」
「はぁ……導師イオンですかぁ」
首都バチカルから出たことない俺からすると、あまり他の街のことはピンと来ないというのが正直なところだ。ホド戦争の調停後も、マルクトとキムラスカの平和を維持する功労者だとか言う話だが、そんなこと知らんでも飯には困らん。
「ようは迷子探しってことですか……勤め人はタイヘンッすね」
俺の思わず洩らした感想に、ヴァン師匠は苦笑を洩らし、オヤジが俺を睨み付ける。
「少しは口を弁えろ、ルーク。導師イオンは教団の象徴だぞ。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、もう少し考えてからものをしゃべれ! この馬鹿息子がっ!!」
オヤジの物言いにムカッと来て、俺はいつものごとく百倍返ししてやろうと口を開くが、それよりも先に、おふくろがオヤジに非難の声を上げる。
「止めて下さい! ルークは、この子はマルクトに誘拐されているのですよ。あまりの恐怖に、それ以前の記憶を失ったというのに……少しばかり、世間の事情に疎くても、そんな風に責めるのはこの子が可哀相です!」
「む……いや、だがな、そうは言ってもね、シュザンヌ」
「ああ、私のルーク。可哀相に」
「……」
さすがのオヤジも、トリップ状態のおふくろにはなんにも言い返せずに、黙り込む。かくいう俺も、あそこまで庇われるとちょっとばかし気が引ける。
いや、確かにあなたの息子はマルクトに誘拐されて、記憶なくして帰って来たよ。けど、物覚えが悪いのは、どっちかっていうと生来のアタマの性能のせいですし、むしろ俺のアタマが可哀相? うーむ、なんか言ってて自分で悲しくなってくるな。
「ともかく、師匠。そういうことなら、基礎確認、上等。むしろ俺の方からもお願いします。また間が空くとなると、さすがに俺も不安ですし」
「そうか。だが、お前が望むなら、騎士団の方から私のいない間の稽古相手を派遣させるが、どうする?」
「あ~。いえ、師匠のいない間は、ガイと稽古しようと思うんで、大丈夫だと思います」
「わかった。……では、公爵。それに奥方様。我々は稽古を始めますので」
「頼みましたぞ、グランツ謡将」
オヤジが偉そうに言った言葉に、師匠が頷きを返す。
「私は先に中庭に行く。支度がすんだらすぐに来るように」
去り際に完璧な動作で一礼をすると、師匠は応接室を去った。
しかし、師匠はダアトに帰って、導師を探すのか。教団の象徴、導師イオンね。そいつも閉じ込められんのに嫌気がさして、籠の外に飛び出したクチかねぇ。俺も屋敷程度からなら抜け出せるが、さすがにバチカルから逃げ出す程の気合はねぇよなぁ。いったいどんな奴なのかねぇ。
「──ク。ルーク!! 聞いているのか!?」
「へ? 呼んだか、オヤジ?」
眉間に皺を寄せたオヤジのいかつい顔に、不可解そうな感情が浮かぶ。
「急に上の空になって、どうかしたのか?」
いつも怒鳴り声しか上げないオヤジだが、今の声音にはどこか俺を気づかうような調子があった。
「いや、何でもねぇよ。大丈夫、大丈夫」
「なら、いいが」
ひらひら手を振って応える俺に、どこか納得いかなそうなものの、オヤジも一応の頷きを返した。
「しばらく間が開くのだ、どうせなら足腰立たなくなるぐらい、グランツ謡将に揉まれて来るがいい」
「修行を行うのはいいですが、無理をしてはいけませんよ、私のルーク」
対照的な両親の言葉に、俺は苦笑を浮かべる。
「だぁー、わかってるよ。そんじゃまたな、オヤジ、おふくろ」
形ばかりの一礼をすると、俺もその場から去った。
そのとき微かに耳に届く歌声を感じた。
だがこのときの俺はどうせ屋敷の誰かだろうと思い、特に気にするでもなく中庭へと向かうのだった。
- 2005/12/30(金) 17:24:10|
- 【家族ジャングル】 序章
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「なるほどねぇ…オラクルの騎士様も大変だな」
「だからしばらくは貴公に任せるしかない。公爵や国王、それにルークの……」
「! ルーク様!」
「よっ、ペール。ところで、そっちはなにしてんだ、ガイ?」
庭師のペールにひょいと片手を上げて応えながら、師匠とひそひとしゃべっていたガイに声を掛ける。
男共が密かに集まりやる話とは何じゃらほいと問われれば、即座に猥談と即答する。
だが、ガイはともかく師匠は硬派な人である。今回ばかりは、当てはまらん。
まあ順当な所で、盾使わん剣術使うもの同士、なにやら思うところがあるって所かね?
「……ヴァン謡将は剣の達人ですからね、少しばかりご教授願おうかと思ってな」
「ホントかよ? そんな感じにも見えなかったぜ」
気取った様子で答えるガイに、俺も軽い調子で突っ込みを入れてみたが、相手は素知らぬ顔で肩を竦めて答えない。
「まあ、何でもいいだろ? お前の方こそ稽古がんばれよ。ヴァン謡将がいない間は、俺が相手してやるからさ」
「まぁ……いいけどな」
そもそも話の流れで何となく尋ねてみただけだ。
あんまり話したくないようなので、ガイのあからさまな話題転換に、今回は乗っておく。
それに、今は稽古の方が重要だしな。
我が相棒、硬くて黒いThe・木刀を抜き放ち、師匠の正面に立ちながら、最もなれ親しんだ構えを取る。
こちらが構えを取ったのを確認すると、師匠がうむと首を頷かせ、口を開く。
「ではルーク。まず型の復習から入るぞ。豚のようにあえげ」
「押す、師匠っ!」
軍人鍛練モードに切り替わった師匠に合わせて、俺も暑苦しい弟子モードに移行する。
なにげに熱血コーチの師匠に教わるうちに、気付けば俺も鍛練中は熱血上等、常に努力・友情・勝利を目指す、なんとも恥ずかしい思考モードに切り替わるようになっていた。
逆らえば死あるのみの長年の過酷な鍛練の末に身につけた、これも一つの処世術って奴だろう。
……いや、冗談じゃなくて、マジでな。
「──よし、そんなところだろう。糞虫から虫螻程度には進歩したな。喜べ、ルーク」
「押す、師匠!」
一通りの型を通したことで、荒くなった呼吸を整えるべく、俺は犬のように舌を出しながらぜぇぜぇと酸素を取り込む。
「では続いて、軽く打ち合うとするか。爺のように呻いていないで、来るがいい、ルーク」
師匠が構えるとともに、目に見えない威圧感が周囲に放射された。
この空気は、なんつぅか、あれだ。針でプスプス全身の肌を刺されまくってるような感じだ。
やっぱ格が違うね。
それでもこれは稽古なわけで、動かないことには始まらない。
「うぉぉぉおっ!」
俺は雄叫びを上げ、肌にまとわりつく威圧をふっとばしながら、相棒を振り上げた。
当然避けられるが、さらに追い打ちをかけるべく一歩を踏み込み、今度は相棒を振り降ろす。
手応えは、ない。空振った。
斜め後方に下がり、俺の振り降ろしをやり過ごした師匠が神速の抜き打ちを放つ。
うおっ、アブね! ぎりぎりで、相手の抜き打ちに合わせて相棒を振り抜くことができた。
武器が接触した瞬間巻き起こる衝撃に、一瞬手が痺れ相棒がはじき飛ばされそうになるが、辛うじて武器を維持する。
彼我の実力差に形勢不利を悟り、一瞬間合いを離そうかと弱気になったところで、師匠の声が届く。
「そんなものか?」
アタマに来た。俺は突撃を選択する。可能な限り姿勢を低く保ち、師匠との間合いを詰める。
カウンターで突き出される相手の一撃に、俺は自らの相棒を勢いよく撥ね上げることで応える。
師匠の一撃が弾かれた。
その瞬間、散々身体に教え込まれた動作が流れるように発動する。
──双破斬
気合のこもった振り降ろしの重い一撃に、師匠が体制を崩した。
この機を逃さすか! 間髪入れずに、全身のバネを感じながら跳躍とともに斬撃を放つ。
師匠の身体はわずかに後方に押し戻され、その口から軽いうめき声が漏れた。
技が命中した後も、構えを崩さぬまま、しばし残心。
「ふむ……どうやら、技として身についているようだな。きちんとタマがついている様で安心したぞ、ルーク」
「押す、師匠!」
「今の感覚を忘れるな。基本となる技の型は、すでに教えてある。後はお前の実力が上がるにつれ、自然に使いこなせるようになるだろう。今は爺並の体力しかないが、いずれは漢になれるはず。本日の鍛練は以上をもって、終了する」
「ありがとうございましたぁっ!」
師匠の総括を受け、俺も構えを解いて相棒を腰に納め、稽古終りの一礼を返す。
かくして、短いながらも濃密な鍛練の時間は終わりを告げた。
「ふぅ……だりぃ」
早速普段の態度に戻って、思うままを呟く俺の様子に、師匠が苦笑を浮かべながら、何事か告げようと口を開く。
────歌が聞こえた。
トゥエ──レィ──ズェ──クロァ──リョ──トゥエ──ズェ── うなじを直接撫で上げられるような、ゾクリとした感覚が走る。
全身は鉛のように重くなり思うように動かず、意図せず苦悶の声が口から漏れた。
「この声は……!」
「これは譜歌じゃ! お屋敷に第七音素術士が入り込んだか!?」
「第七音素術士……か。くそ……、眠気が襲ってくる。何をやっているんだ、警備兵たちは!」
ペールが聞いてもいないのに状況を解説し、それを受けたガイがふらつきながら、その場に倒れ伏すのを必死に堪えつつ、苦しげに呻き声を上げた。
この場に居る誰もが例外なく、歌声から届く力に囚われつつあった。
しかし、かく言う俺はというと、ぶっちゃけ既になんともなかったりする。歌が聞こえた当初は、だるさが増したような気がしたが、この程度ならあんま普段と変わらない。ついさっき寝たばっかだからかね?
それよりも、状況がまったく理解できん。
騒然となる中庭、何となく緊迫した状況に乗り遅れたまま周囲を伺う俺の耳に、その声は届いた。
「──ようやく見つけたわ。裏切り者のヴァンデスデルカ」
屋根の上に立つ、怜悧な美貌の持ち主が師匠の名を呼んだ。如何にも暗殺者ぜんとした黒服の女だ。しかし、顔は隠さなくていいのかね? 思わずそんな場違いな感想が頭に浮かぶ。
「覚悟──!」
女は屋上から軽やかに飛び立つと、ヴァン師匠に短剣で切りかかった。師匠は当然のように一撃を弾くも、譜歌とやらのせいで身体が重くなっているせいか、その顔はどこか苦渋に満ちている。
「やはりお前か、ティア!」
師匠と暗殺者らしき女の物騒なやり取りに、普段の俺なら真っ先に割って入り、女に食ってかかったろう。だがしかし、今の俺にそんな余裕はなかった。
俺の視線は一点にクギツケとなり、全身は凍りついたように動かない。
────な、なんだあのでかいチチはっ!? かつてない衝撃に打ち震え、俺は眼を見開く。というか、あれはマジで本物なのか。バチカルに閉じ込められて十年ちょい、いまだかつて出会ったことのない衝撃だぞ。デカイ、でかすぎるぞ、暗殺者(暫定)のチチ。
俺の射殺すような視線に、女がビクリと震え、わずかに身じろぎするのがわかる。
くっ、そうか。そうして与えた衝撃に標的が動きを停めるのもまた、相手の作戦の内ということか、やるな暗殺者(暫定)というかチチの姉ちゃん!
師匠もまた呪縛に囚われたのか、思うように動きがとれないようだ。ガイなんぞ声も上げられない。女性恐怖症の奴には、もはや問答無用で最終兵器クラスの威力なんだろう。
しかし、この俺とて、オラクル騎士団主席総長ヴァン謡将が一番弟子、ルーク・フォン・ファブレ! このままチチに囚われ、むざむざとやられるつもりもないわ!!
「やられて、たまるかよ!!」
「いかん……! やめろ!!」
まさに気合で呪縛を振り払い、俺は血走った眼のまま、無我夢中で暗殺者に切りかかった。
チチの姉ちゃんがいろんな意味で身の危険を感じてか、とっさにロッドを構えて、振り降ろされた俺の一撃を受け止める。
瞬間、奇妙な音と光が武器の接触点に生まれた。
──響け……ローレライの意思よ届け……開くのだ!
「うぉっ、また電波……!?」
「これは、セブンスフォニム!?」
チチの姉ちゃんがなにやらわけのわからんことを驚いたように叫ぶ。相手もこの現象は予想外のことなのか、その瞳に動揺が見えた。
もちろん、俺もびっくりですよ。しかも、なんでか身体が動かんし。うおっ、もしかして俺が切りかかったせいで、状況が悪化してやがるのか。
武器の接触点を中心に、全身を光が覆いはじめる。
やばい、なんかわからんが、ともかくやばいことだけはわかる。ど、どうするよ。やはり罠だったのか。チチぃ───
光が収束し、天に向け駆け昇る。
身体がブレルような感覚を最後に残し、俺の意識はプツリと途絶えた。
- 2005/12/29(木) 17:26:54|
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