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──A.L.M──

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第7話 「深淵の書」






 彼にとって、預言とは絶対だった。

 宗教自治区で育った彼の側には、常に教団の存在があった。周囲の者たちもほとんどが教団に属し、当然の流れとして、彼自身もまた教団に其の身を捧げ、司祭として精力的に活動する道を選んだ。家族は教団であり、教団こそが家族だった。

 しかし……いつの頃からだろうか。

 自身の想いと周囲の評価が乖離を始めたのは。

 ───預言も詠めぬ分際でエベノス様の付き人とはな……

 ───政治力のみが強みの俗物ごときが……

 ───導師を誑かす背信者め……

 囁かれる言葉は常に悪意に満ち、彼の心を抉った。

 それでも彼は歩むことを止めず、ひたすら教団のために動いた。

 そんな彼の行動に胸を打たれてか、少しずつ、しかし確実に、かつては侮蔑の言葉を吐いていた者たちもまた、彼の事を認め始めた。

 彼が順調に、教団における階梯を昇り続けて行った、そんなある日のことだ。

〝次の大詠師にお前を推挙する〝

 彼を呼び出した導師は、そう端的に告げた。

 あまりに突然の人事に戸惑う彼に対して、導師は続けて言った。

〝──世界の真実の姿を、お前に見せよう〝

 戸惑う彼を引き連れ、導師に導かれた先は教団の深淵に存在する広大な書庫。

 差し出されたのは、一冊の古びた書物──創世歴時代に記された世界の記録。

 そこには、預言が世界に存在する意味が記されていた。

 記されてしまっていた。

 誤魔化すことなど許されず、解釈の余地もない絶対の真理が、そこに在った。

 記された内容を簡単にまとめれば、次の一言で足りる。

 預言は、人々を安寧に導く為にあったものでは、無かった。

 彼は自身の信念に、ひびが穿たれるのを感じた。

〝何故、私にこのようなものを見せたのです……エベノスさま〝

 問い掛ける彼に、導師エベノスは応える。

〝間もなく私は死ぬ。次なる導師を擁立するのが、お前の役目だ〝

〝正史の流れを基準に、世界の監視者たる役目を果たせ〝

〝私は、ようやく死ぬことができる。満足だよ。ああ、本当に心の底から満足だ〝

〝今回も大過なく、この道化としての役割を果たし、何事もなく退場できるのだからな〝


〝次なる道化はお前と決まった──大詠師、モースよ〝


 世界の深淵を覗き込んだ今、もはや否定は許されず、彼──モースは大詠師となった。

 純粋な信仰心と野心を胸に、教団を上り詰めて行ったかつての日々は遥か遠く、もはや決して手の届かぬ領域に過ぎ去ってしまった。

 それでも、彼が抱いた信仰心は、最後の瞬間まで、ついに消えることはなかった。

 それ故に、彼は選択する。

 自らの信じる、次善の道を───……










                 【1】




 ホド諸島近海に位置する一つの島。

 東方、南東、南方の三方面から、その進攻は開始された。

 海上艦から放たれる艦砲射撃が上陸地点の防衛戦を薙ぎ払う。奇襲にようやく気付いた防衛隊がかろうじて譜術による障壁を展開するが、連続して放たれる砲弾によって、直ぐに沈黙する。

 怒号と悲鳴が飛び交う海岸線に向けて、陸戦隊が次々と上陸を開始して行く。

 砲撃が一時的に止んだためか、未だ残る一部のトーチカから、混乱から立ち直った防衛隊が攻勢譜術を放ち始めた。一瞬混乱に包まれる前線だったが、譜術の放たれた地点に向けて、艦隊から砲撃が集中して放たれ、それも直ぐに沈黙する。

 前線指揮官の声に従い上陸が再開され、緒戦はこちらが有利な展開に終わった。

「……ここまでは予定通りか」

 司令部で戦局の報告を受けながら、カンタビレは今後の展開を思い、思考を巡らせた。必要な準備を終えた今、よほど突発的な事態が発生でもしない限り、自分たちの出番はなかった。後は前線指揮官の奮闘に期待するしかない訳だが、開戦の直前、副官と交わした言葉が脳裏を過り、不安を覚える。

「どうしました、カンタビレ殿」

 同じ司令部に属する王国軍指揮官、ゴールドバーグ中将の言葉に、カンタビレは我に返った。

「いえ、少しばかり相手の動きが鈍いように感じたので」

「ふむ。……確かに、少し呆気ないようにも感じますが……。まあ正規軍ではないのです。所詮賊軍など、この程度ということではないでしょうか?」

 豪快に笑い飛ばすゴールドバーグに一瞬呆れ掛けるが、不安を顔に出すよりは、将官として正しい態度かもしれないと思い直す。

「あまり楽観的に考えるのもどうかと思いますよ、ゴールドバーグ中将。それにカンタビレ殿も、何か思い当たるものがあるならば、遠慮せずに仰って下さい」
「フリングス中将」

 続けて、帝国から派遣された指揮官、フリングス中将がこちらを気遣うような視線を向けてきた。

 普通なら、自分よりも上位に位置する相手に囲まれ、カンタビレは内心タジタジだった。

 一応、ダアトを出発する前、臨時的な措置として、主席総長と同等の権限と位階を渡されているので、そこまで怯む必要はないのだろうが、それでも実力に見合っていない人事であることを誰よりも自覚していたカンタビレは、彼らに敬語を使わずには居られなかった。

「いえ、そこまで気にする必要はないと思います。ただ……」

 少し逡巡した後で、自分が違和感を覚えた要素を打ち明ける。

「六神将がいまだ投入されないことが、少し不自然なように感じたので」

 六神将という単語が上がった瞬間、居並ぶ将官達の表情に緊張が走る。

 奏器行使者の危険性に関しては、事前の作戦会議で既に説明してあった。もし戦場で遭遇した場合は、その部隊はそれ以上の進撃を諦め、相手をその場に拘束することに専念、他方面の進撃を待つ事になっている。

 進行が開始されてから、既にそれなりの時間が経っている。奇襲が成立していたとしても、これ以上の進撃を阻止しようと思ったならば、彼らが前線に投入されてもおかしくない頃だ。

 しかし、いまだ六神将が現れたという報告はない。

 無視するには、あまりに不気味な要素だった。



                 【2】




 夜の帳が落ちた頃。

 人気のなくなった教団の通路を俺たちは進んでいた。

 漂う空気は、ひどく重苦しいものだ。

 誰も口を開かず、まるで葬列の行進のように、ただ黙々と歩を進める。

 夜を待って牢を抜け出した俺たちは、教団本部に存在する聖堂に向かっていた。モースと話がしたいと訴える俺の言葉に、最初は誰もが危険すぎると難色を示していたが、アニスが協力を申し出たことで、状況は一変した。

 今こうして教団内部を自由に動けているのも、アニスの手引きがあった事が大きい。

 しかし、ここにアニス自身の姿はない。


〝──手を貸せるのはここまで〝

 教団の警備状況を伝え、俺たちがモースの下に辿り着く為の手筈を整えると、アニスは唐突に別れを告げた。

〝戻ってこないか……アニス〝

 こちらに背を向けたアニスを目にした瞬間、俺は思わず声を上げていた。

 呼びかけに、アニスは答えない。

 痛いほどの沈黙が、両者の間に降りる。

〝……アクゼリュスを崩落させた俺が、こんな事を言うのは間違ってるのかもしれないが……〝

 脳裏を過るのはアクゼリュス崩落時の光景。揺れ動く大地。逃げまどう人々。そして広がる超振動の光に飲まれ、すべては消え失せる。──俺の犯した罪。

 どうやったって、取り返しのつかないものだ。

 それでも───

〝犯した罪は、ただ立ち止まっていても何も変わらない。俺はそう思うんだ〝

 罪の意識も贖罪の業も糾弾の声も……すべて受け止めた上で、俺は歩いて行くことを誓った。

 俺の考えすべてをアニスに押しつける気もないが、それでもただ罪の意識に怯え、顔を俯けているだけじゃ、何も変わらない。それを俺は知っている。

 だから、俺はアニスに向けて手を伸ばす。

〝戻ってこいよ、アニス!〝

 力強く、自らの抱く想いを込めて、呼びかけた。

 牢の中を静寂が包む。

 誰もがアニスの答えを待っていた。

〝……ルークは、強いね〝

 不意に開かれた唇が最初に紡いだのは、そんな言葉だった。

〝ルークの言葉は、もっともだと思うよ。でも……私はまだ、そこまで思い切れない〝

 アニスの小さな拳が震える。傍目にも痛いほど強い力で握りしめられているのがわかった。

〝それにね、今はあの子の側に居て上げたいんだ。あの子には、本当に誰もいないから〝

 突然、導師として祭り上げられた、イオンの兄弟──新たな導師のレプリカ。

 アニスが現在、ダアトで《導師》の世話を任されていることは、アッシュから聞いていた。彼女はそんな彼の側を、今は離れることができないと俺たちに告げた。

〝信用しろなんて、図々しいことは言わない。でも今はまだ、私の好きにさせて〝

 泣きそうな顔で、それでも強い意志の光を感じさせる瞳を向けながら、アニスはそっと俺たちに微笑んだ。

 結局、そんなアニスをそれ以上引き止めることは、俺達にはできなかった。


 回想に浸りながら、俺は天井を見上げる。

 ダアトで《導師》を見て以来、あれほどまでに高ぶっていた感情の波が、今ではすっかり静まり返っていた。

 ダアトに居る今の《導師》も、大まかに言ってしまえば、イオンの兄弟のようなものだろう。かつて聞いたシンクの言葉が確かなら、失敗作と見なされ、火口に投げ捨てられるはずだった者たちの内の一人──

「……ルーク、どうしたの?」

 気付けば、目の前に心配そうな表情でこちらの顔を覗き込むティアの姿があった。

 思考に更けるあまり、少し皆から遅れていたみたいだ。俺は少し躊躇いながら、どう答えたものかと逡巡する。

「いや……レプリカってのは、結局なんなんだろうなって、思っちまってさ」

 イオンの死がモースによって隠蔽された事で、俺は頭に血を昇らせ、モースと話がしたいと意地になって訴えていた。しかし、よくよく考えてみれば、それはオリジナルイオンにも言えることだ。

 俺は彼がどうして死んだかも、どんな人間だったかすらも知らない。

 オリジナルの代替品──複製体という言葉通りの意味で、イオンの兄弟達は用いられている。イオンも、イオンのオリジナルも、彼らがいなくなったことに、誰も気付かない。

「それに、死体すら残らないってのは……やっぱきついよな」

 レプリカは死体さえも残らない。

 これまで軽く考えていたが、これってけっこう大きい問題じゃないだろうか? レプリカが軽く扱われるのには、死体さえも残らないレプリカの特性が影響している部分もあるんじゃないだろうか?

「イオンの最後が……どうしても頭から離れねぇんだ」

 実際目にしたレプリカの最後は、それだけ俺にとって壮絶なものだった。

 一度考え始めると、次々と浮かぶ思考の渦と、イオンの最後がどうしても頭から離れなくなっていた。

「……死体はいずれ土に帰る。それはオリジナルであっても変わらないわ」
「ああ……そうなんだろうな。それは俺もわかってるよ」

 オリジナルの場合も、生前身体の元素を結びつけていた音素が緩やかな乖離を始めることで、いつしか土に帰る。

「レプリカの死体が消えたように見えるのも、オリジナルの死体がいずれ土に帰るように、身体を構成する音素が空に帰っただけだってのはな」

 第七音素のみで構成されたレプリカの身体は、ただそれが一瞬で起きるというだけのことだ。遅いか早いかの違いに過ぎない。

「でもさ、俺達は死ぬことで、文字通り消滅する。イオンの最後を目にした瞬間さ。俺は哀しいとか悔しいとか思う前に、ただひたすら──怖かったんだよ」

 笑えるだろ、と引きつった顔で笑いかけながら、僅かに震える腕で、自らの肩を抑えつける。情け無い。それは自分でもわかっていたが、それでも、ここまで死に恐怖を感じたのは初めての経験だった。

「……死を畏れるのは、自然な反応よ。むしろ、怖がらない方がおかしい」
「それはわかってる。理屈ではわかってるんだ。それでも、俺は……」

 これまでの戦闘でも、死の恐怖を感じることはあった。それが自然な感情だってことはわかっていたし、受け止めて来れた。しかし、今の俺が味わっている恐怖は、どこかこれまで味わってきたものと、決定的に異質なものだった。

 顔を俯ける俺を静かに見据えながら、ティアは自らも言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開く。

「……もしかすると、今のあなたが畏れているのは死ぬことではなく、むしろ死んだ後に起きる変化かもしれない」
「死後に起きる変化……?」
「ええ。死の恐怖は、勿論あるかもしれない。でも、それ以上にあなたが畏れているのは死後に起きる変化──死体が消えることで、皆に忘れられること」

 意外な言葉に、一瞬虚をつかれた。

 死体さえも残らないレプリカの事実。

 『死』そのものよりも──ただ死後に何も残せないことが、忘れられてしまうことが、なによりも恐ろしい。

「そう……だな。そうかもしれない。イオンも……そう思ってたから、最後にあんな無茶をしたのか……?」

 ──最後に何かを残したかったのかもしれません

 何故あんな無茶をしたのか。問い掛ける俺に、イオンが応えた言葉だ。

 ダアト式譜術の乱用によって迫る死期に怯えながら、それでもイオンは最後に何かを残す道を選んだ。そこには今俺が感じているような恐怖があったのかもしれない。

「それでも……やっぱ勝手だよな。本当に、勝手だよ。残されたやつらがどう思うか、何も考えちゃいない……」

「──あなたがそれを言うの?」

 静かな怒りを湛えた瞳が、気付けば俺を見据えていた。

「へ……? な、何だよ急に?」

「アブソーブゲートで、あなたがしたことを忘れたとは言わせない」

 うっ……無茶に関しては俺も人のことは言えないってことか。鋭い視線に射抜かれながら、俺は身体を凍り付かせた。

 今こうしてられるのも、幾つもの奇跡的な偶然が重なり合った結果に過ぎない。ティアが怒るのも当然だろう。

「あー……その、俺が悪かったよ。ティア、本当にすまん!」

 言い訳は無駄だろうと観念して、俺は潔く頭を下げた。

 ティアはそんな謝罪する俺の顔をじっと見据えた後で、小さくつぶやく。

「……あんな無茶、二度としないで」
「あ……」

 言葉を掛ける間もなく、ティアは踵を返した。前の方へ、一人足早に去っていく彼女の背中を為す術もなく見送る。

 うぐっ……久しぶりにやっちまったな。やっぱ、俺って自分のことがいまだによく理解できてないんだなぁ……。

 ズーンと一人落ち込んでいると、怪訝そうな視線が俺の背中に注がれる。

「どうしましたの、ルーク? ティアの様子がおかしいようでしたけど?」
「なんだなんだ、またティアを怒らせたのか、ルーク?」
「うっ……まあ、そんなところだ」

 ティアを遠巻きに見据えながら、ナタリアとガイが俺に直球で問い掛けてきた。

 俺は罰の悪さを感じながら、先程の顛末を言葉にして説明する。

「……そんな訳で、無茶な行動に関しては、俺も人のことは言えないだろってさ」
「ははは、そいつは怒られて当然だな」
「そうですわね、ティアが怒るのも無理ありませんわ」

 やっぱそう思うか。がくりと肩を落とす俺に、ガイが苦笑を浮かべ、ナアリアは呆れますわとかぶりを振った。

 ……まあ、さすがの俺も、今になって改めて振り返ってみれば、当時の俺の行動がどんだけ無茶な行為だったかってのは理解できるけどね。

 それでも、ゲートでは残された連中がどう思うかまで考えるような余裕は、当時の俺にはなかった。そこまで考えた所で、不意にイオンのことが思い出された。

「……イオンのやつも、残された奴がどう思うかまで、考えるような余裕がなかったってことかな?」

 あれが、イオンの覚悟を決めて選んだ行動だったってことは、今更疑うまでもないだろう。だが、切迫した状況が、残された俺たちがどう思うかまで考える余裕を許さなかったっていう可能性は、十分に考えられるんじゃないだろうか?

 一人考え込む俺に向けて、ガイが僅かに視線を上向かせる。

「そうだな……そうかもしれないが、それよりも、俺はこんな風に思いたいね」
「ん? なんか思い当たるもんがあるのか、ガイ」

 まったく予想がつかないと顔を向ける俺に、ガイは小さく笑いかける。

「イオンは残された俺たちを信じていたってさ」
「──!」

 ──残された皆は悩むかもしれない。それでも、きっといつか立ち上がってくれるだろう。

 確かに、あのイオンのことだ。そんな風に考えていたとしても、何もおかしくないかもしれない。

「どうやら少しは調子を取り戻せたようだな!」
「って、イテェって! 背中急に叩くなよ!」

 バシバシ俺の背中を叩き始めたガイに言い返した後で、俺は改めてガイの言葉を考える。

「……でもまあ、そうだな。いつまでも落ち込んでなんか、居られないか」

 イオンの無茶はいまだに許せない。
 だがそこに俺たちに対する信頼があったなら、それに応えてみるのも悪くないかもしれない。そう思えた。

「アニスも……そう考えられればいいんだけどな」

 俺のつぶやいた言葉に、ガイとナタリアも表情を曇らせる。

 アニスが、いまだ自責の念に囚われていることは、牢で交わした会話からも明らかだった。

「……何やらまたややこしそうな話をしていますね」
「あ、ジェイド」

 いつのまにか俺達の側に近づいていたジェイドが、眼鏡を押し上げ表情を隠す。

「そもそも故人の意図がどうあれ、それをどう受け止めるかは、残った者たちの受け止め方次第と言えます。背負った罪に押しつぶされるも、それを乗り越えるも……結局は本人次第でしかないと言うことでしょうね。それはルーク、あなた自身が一番よくわかっているはずだ」

 アクゼリュス崩落後のタルタロス甲板での会話。
 自らがレプリカであると思い知らされたユリアシティでの決闘。
 セレニアの花に囲まれながら誓った決意。

「まあ……な」

 立ち直れるかどうかも、結局は本人次第でしかない。そんなことは、改めて言われるまでもなく、俺自身も自分の経験から思い知っていた。

 だが、そう簡単に割り切れるものでもない。

 こちらの表情に現れた不満の色を見て取ってか、ジェイドは苦笑を浮かべた。

「だからといって、何もこのまま永遠に放っておけとも言っていませんよ。今回、アニスが自ら動き、私たちに接触してくれたのは大きな進歩でしょうからね。ただ、ときには待つことも重要だということです」
「待つ……か。そんなもんなのかね……?」

 何だかまどろっこしいなと、不貞腐れる俺に向けて、ナタリアが微笑み掛ける。

「側に居なくとも、ただ信じてくれる人がいると想えるだけで、思いの他、心は満たされるものですわ」
「だな。離れてた訳じゃないが、俺自身も自分の過去をみんなに打ち明けたとき、お前が受け止めてくれたことは大きかったんだぜ?」

 ナタリアの出生の秘密。ガイがヴァンと同郷であり、かつては同志だったという事実。
 二人は自らの経験を踏まえた上で、ただ信じることが、ときには大きな支えになることもあると告げた。

「ああ──……そっか。そういうことか」

 考えてみれば、簡単なことだった。

 色々なことがあったが、それでも俺はこれまで、皆を信じてやってきたんだ。

 そして、俺たちの知っているアニスなら、きっといつか立ち上がってみせるはずだ。

 慰めの言葉はいらない。

 いずれアニス自身が立ち上がるときがきたら、俺たちはそれを受け止めてやればいい。

 アニスなら、いつか必ず前に進める。

 そう──信じられた。




                 【3】




「……ついに、この場所の存在が知れたか」

 突然の襲撃に浮足立つ部下たちを見据えながら、ヴァンは僅かに疑問を抱く。

 今回の進行が帝国、王国、教団の三者から構成された連合軍であるという報告は受けている。しかし帝国と王国は犬猿の中だ。進行が開始されるにしろ、ここまで迅速な展開が可能とは思っていなかったのだが……。

「ダアトにモースを放置していたツケが来たってことだろうね」

 シンクが皮肉げに洩らした言葉で、聖都にいまだ残る大詠師の存在を思い出す。

「……なるほど。確かに彼なら可能だろうな」

 導師のレプリカを管理していた彼なら、死んだ導師に代わり、新たな導師を擁立することで、両国の軍を動員することも可能だろう。

 予想外の動きを見せた相手に僅かな称賛を抱くが、いささか目障りだった。

 不穏な空気を発するヴァンに、リグレットが進言を申し出る。

「……我々が打って出れば、崩れた前線を立て直すことも可能と思われますが?」
「いや、かまわん。こうなった以上、秘匿性に拘るのも無意味だろう。栄光の大地を解き放て」

 栄光の大地。

 その言葉が放たれた瞬間、混乱していた場に静寂が降りる。

「……わかりました。では、そのように取り計らいます、閣下」

 今後の準備に向けて、部下を引き連れ去っていくリグレットの背中を見送った後で、一人残ったシンクが疑問を発する。

「モースに関してはどうするんだい、ヴァン?」
「ラルゴがちょうどゲートに向かっていた所だ。彼に任せるとしよう」
「そうかい。なら、僕もそろそろ行くとするよ」
「ああ。そちらは任せた」

 肩を竦め去っていくシンクの背中を見送った後で、ヴァンは腰に挿す剣に手を掛け、思念を飛ばす。

「……ああ。そうだ。彼を排除しろ。これ以上の干渉は、さすがに目障りだ。彼の存在そのものを──消せ」

 通信を終えた後、ヴァンは椅子にその身を預け、大詠師の存在を思う。

 目障りと言ったが、それでも彼の行動が大局に影響することはない。自らと同じものを知る相手だったが、彼に出来る最大の行為も、所詮この程度のものでしかないということだろう。

 道化は、所詮道化に過ぎないということだ。

 しかし、それは何もモースに限った話ではない。この世界に生きるものはすべて、舞台の上で喜劇を演じる人形のようなものだ。演出は演目に従い、筋書きを外れることなく決まりきった終幕を迎える。そして何事もなかったかのように、演目は何度でも繰り返される。

「あなたの信じるこの世界に、救いなどというものは存在しない」

 繰り手の糸を断ち切るまで、世界は腐り切ったまま、続いていくのだから。

「……哀れだな、大詠師」

 だが、はたして真に哀れまれるべき者は、いったい誰なのか?

 虚ろな呼びかけが、人気のなくなった室内に響く。





                 【4】




〝──ばかなっ! そんなことが……そんなことがあるかっ!!〝

 だが、それが世界の真実だ。
 ヴァン達が動いている理由も、この現状の打破を目指してのものだろう。

〝──……俺は……〝

 私の話はここまでだ。
 世界の真実を知った上で、どう動くも、後はお前の好きにするがいい。

〝……どうして、テメェはそこまで落ち着いてやがる?〝

 既に、私のやるべきことはすべて終わっているからな。
 後は道化としての役割を、最後まで全うするまでだ。

〝───…………〝


 脳裏を過る会話の断片。

「…………」

 深夜の聖堂に一人残り、モースは祈りを捧げ続けていた。

 祈りを捧げるという行為に対して、体力本願なものという感想を抱く者もいるだろう。しかし、人は最後まで追い詰められたとき、何者かに縋らずには居られない。そうモースは考えていた。

 たとえ祈りの先にあるものが、まやかしの偶像に過ぎないとしても───…………

 モースはひたすら祈りを捧げながら、いずれ訪れるその時を待つ。

 不意に、閉じられていた瞼が開かれ、背後を見やる。

「……お前たちか」

 軋んだ音を立てながら、開かれる聖堂の扉。

 開け放たれた扉の向こうに立つ、ルーク達の姿があった。

「牢の脱獄に成功したというのに、わざわざ私の前に姿をみせるとはな」
「……あんたに、どうしても聞きたいことが出来たからな」
「ふん……聞きたいことか」

 突然の訪問にも、まるで慌てた様子も見せず、モースはゆっくりと首を巡らせる。

「まあいい。最後にお前たちと話すのも一興か。それで、聞きたいこととは何だ?」

 僅かな間を空けた後で、一人前に出たルークが問い掛けを放つ。

「……モース、お前にとって、結局イオンは何だったんだ?」

 予期せぬ質問だった。モースは虚をつかれ、僅かに目を見開く。

 まさかこの後に及んで、そんなことを尋ねられるとは思ってもいなかったからだ。

 改めて、自らが彼らをどう考えていたか、思考を巡らせる。

 そして、やはり答えは一つしかないことを確認する。

「──導師というの名の、替わりの効く道具に過ぎん」

 答えた瞬間、衝撃が頬を打つ。

 肉を打つ衝撃とともに身体が弾き飛ばされた。それでも衝撃が止むことはなく、連続して放たれる衝撃に目の前に火花が散る。狭まった視界の先を、少しくすんだ色をした真紅の長髪が踊り狂う。

「ルークっ!」
「止めろっ! ルーク、止まれっ!」

 衝撃が止む。

 目の前に、両手を駆けつけた仲間に強引に押さえつけられながら、拳を震わせる赤毛の姿が在った。

 モースは血に濡れた口元を拭い、身体を起こす。

「……ふん。……やはり、野蛮な、ものだな」
「ルーク、少し下がっていて下さい」

 いまだ興奮のおさまらない様子のルークに替わって、前に出たジェイドがため息をつく。

「モース、あなたもわざわざ挑発するような物言いは慎んでください」
「……正直に、思うところを告げたまでだ」

 吐き捨てた言葉に、ルークがさらに激昂しかけるが、これもジェイドによって押しとどめられた。
 
「……ふぅ。もう必要なことに答えて頂くだけでけっこうです。モース、あなたが新しい導師のレプリカを担ぎ出してまで、導師詔勅を発動した目的はなんです?」
「ヴァンの討伐。それ以外に目的などあるはずもなかろう」

 失笑を浮かべるモースに、ジェイドは目を細める。

「建前はけっこうです。あなたの行動はあまりに不可解だ。導師詔勅を発動するだけなら、我々を拘束する必要はないはずだ。あなたの真意は、いったい何処にあるのです?」

 静かな口調ながら強い威圧感を感じさせる詰問に、モースは深く息をはいた。

 まるで生命そのものを吐き出すような、永い吐息だった。

「……不確定要素を排除したかった。ただそれだけのことだ」
「不確定要素……?」

 疑問には答えず、モースは顔を上向かせ、ステンドグラスを見上げた。

「スコアとは世界に刻まれた記憶……この星がこれまでに歩んだ、歴史そのものに他ならない。そしてプラネットスコアに読み上げられた内容とは、そこからもっとも歩む頻度の高い道筋を読み上げた、記憶のかけらから構成される」

 突然始まった耳慣れぬスコアに関する説明に、戸惑う一同の顔を見回す。

「──結局のところ、スコアは絶対の真理ではないということだ」

 あれ程までにスコアに固執していたモースの言葉とは思えぬ告白に、誰もが困惑を表情を浮かべるのがわかった。だが、これは紛れもなくモース自身の口から吐き出された言葉だ。

「これまでこの世界がいかなる例外もなく、ただ一つの道筋を至り続けてきたように見えたのも、そんなプラネットスコア──正史の流れを基準とし、歴史の裏で監視者として動く、教団の存在があったが故の経過に過ぎない。
 すべては世界が続いていく為に……それ以外にスコアが、ローレライ教団が存在する意義など、ありはしないのだよ。どうしても私の真意が知りたいと言うならば……それが、私の真意と言えるだろうな」

 疲れ切った老人のように、言葉を洩らすモースを前に、静寂が聖堂を包む。

 僅かな間を空けた後で、ジェイドが眼鏡を押し上げながら口を開く。

「スコアとは世界の記憶のカケラである……まあ、そこまではいいでしょう。もとより記憶粒子には、この星が歩む過去と未来すべての記憶が含まれていると言われている。
 しかし、今のあなたの言葉はそれだけでは説明がつかない。思えば、ヴァンはアブソーブゲートで、前史という言葉を使っていた。そして今また、あなたは正史という言葉を用いた」

 まるで、それ以外にも歴史は存在するとでも言うかのように。

「──いったい、あなた達はこの世界について、何を知っているのです?」

 射抜くような鋭い視線を伴い放たれた問い掛けに、初めてモースの表情が陰る。

 気だるげにステンドグラスを見上げながら、モースは口を開く。

「……破滅に至る因子を内包したこの世界は、それでもなお続いてくために、一つの罪を犯した」

 口にすることで胸の内に沸き上がる悼みに耐えながら、静かに言葉を紡ぐ。

「それは因果の意志が世界に顕現せしとき、破滅の実現を回避すべく、観測者の意志により発動する、世界のすべてを原初に立ち返す永劫回帰の楔」

 誰もが紡がれる言葉に聞き入る中で、モースは最後の言葉を放つ。

「破滅の名を──……」


 ───紅蓮の焔が聖堂に降り注ぐ。


 熱波によって砕けたステンドグラスが虚空で溶解する。
 吹き上がる熱気に聖堂は一瞬で灼熱の坩堝と化した。
 次々と溶け落ちる変質したステンドグラスの雨の中、天より降り立つは逆巻く焔の具現。

「───まったく厄介なことをしてくれたものだな、大詠師モースよ!」

 漆黒の鎧を身にまとい、吹き上げる火炎の渦の中心で、黒獅子は咆哮を上げた。

「……ラルゴ、お前が来たか」
「ああ。あの目障りな動員は、貴様の仕業だな?」

 漆黒の兜の奥、強烈な眼光がこちらを射抜くが、それにモースは興味深げに眉を上げた。

「ほぅ。やはり私の行動はヴァンにとっても、目障りなものとなったか」

「ふん……貴様の策謀によって、すべてを水面下の内に終わらせることは不可能となった。それは認めるしかあるまい」

 愉快そうに尋ねるモースに、ラルゴは苦虫をかみつぶしたような顔で言葉を返す。

「だが、ローレライが同位体の器に捕らわれている以上、栄光の大地を浮上させ、絶対防御の中でことを押し進めるならば、すべては同じことよ」

「しかし、そこまで大規模な行動に出れば、この世界の誰もがお前たちの動きを知ることになろう。ならば、私の行動にも意味があったということだ」

「……あくまで停滞世界の維持に拘泥するか」

 淡々と返された言葉に、ラルゴの顔から一切の表情が抜け落ちた。

 手にした槍の切っ先をモースに突き付けると、ラルゴはこれが最後とばかりに告げる。

「誇るがいい、大詠師。貴様は総長に敵と認められた。だが、それ故に──ここで死ね」

 槍が振り上げられた。ラルゴを中心に生み出された焔の渦によって世界は一瞬で紅蓮に染まる。

「……ふん。こうなることは、最初からわかっていたよ」

 急速に迫り来る焔の切っ先を見据えながら、モースはさして面白くもなさそうに鼻を鳴らす。そして僅かに視線をずらし、聖堂の入り口で立ち尽くす一人の男に向けて、最後の言葉を残す。

「破滅の名を因果、あるいは第八音素集合意識体──オブリガードと言うそうだ、聖なる焔の光」

 突き出された火焔の切っ先が、モースの右胸を貫いた。




                 【5】




 人の燃える嫌な臭いが、鼻につく。

 大詠師モースは塵すら残さず、それこそ一瞬の内に焼き尽くされた。

 紅蓮の焔に包まれた聖堂の中、俺達はモースの最後を為す術なく見届けた。

 最後に見えたモースの表情は これでようやく解放されるとでも言うように、ひどく穏やかなものだった。

「さて、これで俺の任務は終わった訳だが……」

 逆巻く焔に彩られた漆黒の甲冑の奥、鋭い光を放つラルゴの双眸が俺たちを射抜く。咄嗟に身構える俺たちに向けて、ラルゴは無造作に槍を振り上げながら吼える。

「──無駄だぁっ!」

 吹き上がる焔の渦が聖堂を一瞬で圧倒する。連続して押し寄せる熱波によって、俺たちはその場から一瞬で吹き飛ばされた。

「くっ……」

 壁に強かに打ちつけられ、床に倒れ伏す。立ち上がろうと四肢に力を込めるが、全身が引き付け起こしたような痛みを訴え、満足に動かない。

 苦悶の声を洩らす俺たちを前にしながら、しかしラルゴは止めを指すでもなく、こちらに背を向けた。

「無駄だと言ったはずだ。まあ、安心しろ。すべてを水面下の内に終えるという当初の計画がついえた今、貴様ら如き凡百の相手をする暇はなくなった。そこで寝ているがいい」

 敵にすら値しないと、ラルゴは告げた。

「──待てよ」

 不意に響いた言葉に、そのまま立ち去ろうとしていたラルゴの歩みが止まる。

 轟々と押し寄せる熱波に抗いながら、俺は剣を突き立て、無理やり身体を起こす。

「世界を破滅させる因果、第八音素、オブリガード……モースの残した、言葉だ。まだよく、理解できちゃいない部分もあるが……ヴァンがレムの塔で言っていた、第八音素がそれと同じものだって言うなら、ヴァンは……あいつは世界を破滅させようとしているとでも言うのか……?」

 剣の切っ先をラルゴに突き付ける。

「答えろっ───ラルゴッ!!」

 感情も露わに問い詰める俺とは対照的に、ラルゴの表情は一切動かない。

「ふん……無知そのものだな。貴様らは、もう何もするな。ただ指をくわえて、我等がすべてを終える時を待つがいい」

「……本気で、そんなことが出来ると思ってるのか?」

「愚問だな。こちらこそ貴様の質問に答える義理はない。そして、無理にでも聞き出そうと言うならば、それ相応の覚悟を決めろ」

 言葉と同時に槍が一閃された。

「立ちふさがるものはすべて──その魂まで、燃やし尽くしてくれるまでだぁっ!」

 膨大な熱量を伴う熱波の渦が、聖堂を荒れ狂う。

 聖堂を圧倒する灼熱の劫火を前に、俺は気付けば、一歩後ろに退っていた。

 頭の中を鳴り響く警鐘が、一向に止む気配をみせない。

 だが、それでも一度は打倒した相手だ。何故今更、これほど圧倒されなければならない? そんな俺の疑問を読み取ってか、ラルゴが誇るでもなく、淡々と答えを告げる。

「アリエッタは導師に拘るあまり貴様らの前に破れたようだが……ゲートで総長と対峙したならば理解できるだろう」

 ラルゴの身体そのものから焔が吹き上がり・・・・・・・・・・・・・・・ 、握られた槍が紅蓮の輝きに染まる。

「いまだ生き残りし六神将は、誰もが真の意味で奏器を使いこなす領域にまで達している。もはや貴様ら如きが、我等に対抗する術はないぞ」

 荒ぶる焔の化身を前に、このときの俺たちは完全に呑まれていた。

 一切の身動きが取れなくなった俺たちを睨み据えながら、ついにラルゴが一歩を前に踏み出し───

 ───突然、その動きを止めた。

「これは……」

 ラルゴの視線は、床の一画を捉えて離さない。

 そこには、一個のペンダントが落ちていた。

 ラルゴの反応を疑問に思いながら、ペンダントの由来を思い出す。確か、あれはかつてローニール雪山で俺が拾ったものだ。熱波によって吹き飛ばされた拍子に、荷物から転げ落ちたのだろう。

 かつては歪んだフレームによって、開くことが叶わなかったロケットの中身が、度重なる落下の衝撃によってか、今は開かれている。

 ペンダントに納められていたのは、一枚の肖像画。

 微笑む金髪の幼子と──メリル・オークランドの文字。

「……どこで落したものかと思っていたが、よもや小僧に拾われていたとはな」

 あれほどまでに猛り狂っていた焔が、一瞬で消え失せる。しばしペンダントを見つめた後で、ラルゴはそれを拾い上げ、そっと胸元におさめた。

「……興ざめした。任務は果たしたのだ。今回は、ここで退くとしよう」

「ラルゴ、お前……」

「誤解はするな。貴様らは敵となるにさえ値しない、総長の指す盤上の駒に過ぎない。もとより仕留めるまでもない。ただ、それだけの事だ」

 ラルゴが槍の穂先を納めると同時──激しい振動が、聖堂を貫く。

 断続的に揺れ動く大地に、動揺する俺たちの中で、一人ラルゴは落ち着いた声音でつぶやく。

「……始まったな。栄光の大地──エルドラントが、ついに世界の表舞台に立つ」

「エルドラント……?」

「全ての因果を焼き尽くし、我等はこの腐り切った停滞世界から、決別を告げるのだぁっ!」

 槍が地面を穿つ。地を走る焔がラルゴを包み、躍り狂う火焔が視界を染め上げた。

 吹きつける熱波に顔を庇い、視界が戻った頃には、既にラルゴの姿は、この場から完全に消え失せていた。





                 【6】




 時刻は既に深夜。

 緒戦の勝利によって確保した海岸線に沿って、連合軍による簡易的な陣地が構築されていた。

 最初に〝それ〝に気付いたのは、前線に立つ兵士たちだった。

 グラグラと揺れ動く大地。

 地震か……? 騒めきが場を占めるが、指揮官がそれを一括して引き締める。

 だが、連続して揺れ動く大地の振動は一向に引く様子を見せない。

 不安が沸き起こる。

 地震と言われ、最初に思い付くのは、外郭大地崩落に伴う振動だった。

 既に世界が降下したことはわかっていたが、この先に居るのは世界の崩落を画策していた相手だ。まさか、という思い込みから思考を止めることは許されない。

 改めて周囲を見回してみる。自分の考えを裏付けるように、あれ程執拗に上陸を阻止しようとしていた防衛隊の姿も、すっかり消え失せている。混乱を立て直すために、一時的に防衛戦を下げたとも考えられたが、それにしても彼らはあまりに呆気なく、この場を放棄していたように見えた。

 まるで、最初から命じられていた通りの行動をするかのように。

「……司令部に伝令、この不自然な振動と合わせて、今後の判断を仰げ」
「はっ! 伝令、司令部に走れ!」

 命令が下される間も、大地は不気味な振動を繰り返し続けていた。


                  * * *


 案の定と言うべきか、予想外の事態が発生した。

 突然振動し始めた上陸地点。

 当初は存在したヴァンの手の者による防衛隊の姿も既に消え、より内陸部に引き上げていることが予測されている。だが、帝国と王国、教団による共同作戦だ。少しばかり防衛戦を下げた所で、物量の差から、守りきれるものではない。

 何か策があるということだろうか? そんな疑問を抱いていた所に、発生した今回の異変だ。夜営をしていた上陸部隊から判断を仰がれた司令部は、このまま明日も進撃するか、一時的に様子をみるべきかの判断に迷っていた。

「やはり進撃するべきではないか? もとよりこの島の制圧とヴァンの捕縛が今回の目的だ。間をおくことで、相手にいたずらに時間を与えるのは愚策と判断するが」

「ですが、ヴァン謡将を甘くみるべきでもないでしょう。突然始まった大地の振動。これが何かの罠であるなら、このまま進撃した先で、引きずり込まれた上陸部隊が撤退もままならぬ状況で全滅する可能性もありえます」

 議論を続ける二人を見据えながら、カンタビレは沸き起こる嫌な予感を消せずにいた。

『──カンタビレ殿はどう思われますか?』

 ついに、意見を求められた。

 集中する視線を前に、慎重に自らの考えをまとめながら、カンタビレは口を開き───

 ───尋常ならざる振動が、会議室を貫いた。

『なっ───?!』

 これまでの揺れなど比較にならない凄まじい振動によって、戦艦そのものが激しく揺れ動く。

「こ、これは……っ!?」
「くっ……な、何ごとだっ!?」

 椅子から投げ出された幾人もの将官達の怒号が会議室を飛び交う。
 このとき、誰もが平静さを失っていた。
 そんな混乱に包まれた会議室に、蒼ざめた顔をした伝令が慌てて駆け込んできた。

「し、司令部、大変です!」
「今度はなんだっ!?」

 思わず怒鳴り返す将官の一人に、伝令は震える声で報告を告げる。

「上陸地点にあたる島が、ふ、浮上を開始しましたっ!!」

『な、なんだとっ!?』

 寄せられたあまりに奇怪な報告に、司令部の誰もが絶句した。

 いったい何が起こっているというのか? 状況が理解できず固まるしかない他の指揮官達を余所に、カンタビレは自らの本能が告げる警告に従い、即座に決断する。

「──全軍に伝令、艦に向けて撤収作業に入れっ! 部隊を回収した艦から、順次全速で外洋付近まで後退しろ!」

 くそっ、完全に出遅れたな。声を荒らげ、周囲に指示を下して回る。

 状況が把握できないとは言っても、一度指示を出されれば動き出すのが軍人というものだ。ある程度他の者たちが動き始めた後で、カンタビレは自らの頬を伝う生暖かい感触に気付く。手を触れると、赤いものがコビリついた。どうやら椅子から投げ出されたときの衝撃で、額を切っていたようだ。

 ……振動が始まると同時に、引き上げていれば良かったのかもしれない。

 ようやく艦隊が動き出した頃になって、唐突にそんな思いが沸き起こる。だが、それこそ今更の話しだろう。

 拳を握りしめ、カンタビレは険を含んだ視線を前方に向ける。

 艦首の向けられた先。激しく波打つ海上の合間から、不気味な振動と共に、浮上を開始した大地の威容がそこに在った。








 この日、導師詔勅によって、西ホド諸島近海に派遣されていた艦隊は壊滅した。

 海底より浮上した一つの大地。それは天空へ駆け昇ると、辛うじて脱出を果たした艦隊群に向けて、無数の砲火を叩きつけた。

 プラネットストームの流れの中心、天空に位置する大地に対して、海に浮かぶ艦隊に対抗する手段があるはずもなく、艦隊は壊滅的な打撃を受けながら、為す術なく敗走。

 天空の絶対要塞、栄光の大地──エルドラントが、世界の表舞台にその姿を現した瞬間だった。




 こうして、世界は加速する。

/第三部目次/
  1. 2005/04/24(日) 05:52:03|
  2. 【家族ジャングル】  第八章
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