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──A.L.M──

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第6話 「揺れる聖都」






                 【1】




「……しかし、どうにもややこしい事態になったもんだな」

 海上の軍艦。
 士官用の部屋で副官と顔を合わせながら、カンタビレは現状の難しさに唸り声を上げた。

「そうですね。まさかこの時期に、《導師》が改革派を離れるような事態が訪れるとは、さすがに思いもよりませんでしたよ」

 そう──導師が改革派から背を向けた。

 この衝撃的な報がもたらされてから、既に数日が経った。
 ヴァン達が教団を去ったといえども、大詠師派はいまだ潜在的に無視できない勢力を保っていた。
 外郭大地降下以前の国際会談で、教団の信仰の要たるスコアが制限された事実は大きい。
 言葉にこそしないものの、教団の大多数の者はこの取り決めに不満を募らせていたのだ。
 それが表に出なかったのも、一重に導師の言葉があればこそだ。

 しかし、今やその導師が、保守派とも称される大詠師派に合流してしまった。

 旗頭を奪われた形となる改革派に走った動揺は、筆舌に尽くしがたいものがあった。

「その上、導師詔勅の発動か……」

 導師詔勅の発動──帝国と王国に向けられた艦隊の派遣要請。
 これに付随して流された、ヴァンの潜伏地が判明したという情報。

 これまで何の情報も見出せていなかった両国は、確たる証拠と共に提出された情報と要請に、何らかの対応を見せざるを得なくなった。最終的に彼らは数隻の艦隊を当該海域に派遣することを受け入れた。

「ルーク達が教団で拘束されてるってのに、よく帝国や王国から反発が出なかったよな」
「いえ、現在もかなり猛烈な抗議が教団には寄せられているはずですよ」
「ん、そうなのか?」
「ええ。……対応自体は、保留されたようですがね」
「保留か」
「ええ、保留です」

 続けられた言葉に、眉根を寄せながら思考を巡らせる。

「……ヴァンの方が優先されたってことか」

 既に導師詔勅の要請に従い、帝国と王国から艦隊が派遣されている。導師詔勅は強制力を伴ったものではないが、権威ある要請であることは確かだ。それなりに正統な手順をもって発動されたなら、両国には従う義務が生じる。

 強制力を伴わないとは言っても、ローレライ教団が世界的に信仰されている宗教であるという事実は、やはりそう簡単に無視できるものではない。

「……やれやれだな。おかげで僕はこんな大規模な作戦の指揮官か。やってられねぇな」
「仕方ありません。王国、帝国ともに、たとえ便宜上のものであれ、相手の下座に立つことは認められないでしょうからね」
「まあなぁ……お飾りでも、まとめ役が上に必要ってのは理解できるんだが……」

 納得できるものでもないよなと、カンタビレは肩を竦めて見せた。

 外郭大地を崩落一歩手前まで導いたヴァンの危険性は言うまでもない。

 組めるべきときに手を組み、より危険性の高い相手を総力を上げて叩き潰しておきたい。
 両国がルーク達の件を後にしてまで、導師詔勅の要請を受け入れたのには、そんな思惑が働いた影響もあっただろう。

 こうして、史上初となる帝国と王国の共同作戦が幕を空けた。

 しかし、末端レベルでは、依然として帝国と王国はいまだ敵国同士でしかない。

 これでは作戦成功が覚束ないと見なされた結果、教団からも指揮官が派遣されることになった。
 
 現状教団の保有する師団の大半が機能して居ない以上、これに該当する者は唯一組織的な動きを保持している第六師団師団長──カンタビレ以外に居なかったという訳だ。

「また、両国が対応を保留にした理由としては、他にも真偽の程はどうあれ、例の《導師》自身が彼らを使節団の襲撃犯であると証言しているという事実も、影響しているようです」
「……まあ、やっぱりあの《導師》の証言はデカイか」

 ルーク達が拘束された事実を掴むと同時に、カンタビレ自身も教団内部において即座に抗議行動に移っていた。だが、かつての旗頭であった導師が大詠師派に鞍替えした事で、改革派は混乱に包まれていた。なんとか教団の幹部会の開催にまではこぎつけたが、ルーク達の解放までは至らず、導師の影響力の強さをまざまざと実感させられたものだ。

 その後は導師詔勅の要請により、カンタビレが共同作戦の指揮官に任命されたこともあって、それ以上ダアトで粘ることはできなかった。結局、ダアトに残るアッシュと他の改革派の面々に、ルーク達の警護を任せるぐらいのことしかできなかった。

 教団最高権力者の証言は、それだけ無視できない影響力をもっているということだ。

 帝国と王国の議会が、慎重な行動を選んだとしても何らおかしくない。

「それに、ルーク殿達はまがりなりにも両国の代表となって動いていた者たちです。あまり大きな声では言えませんが……拘束程度ならまだしも、教団が独断で彼らを処刑する事は、幾らなんでも不可能だろうという判断も働いたようです」
「ああ……なるほどな。拘束する程度が関の山と判断したってことか」

 たとえ教団といえども、帝国と王国の両国を敵に回すことはできない。今はヴァンの件があるため、そちらが優先されているが、本格的に両国が動き出せば、さすがの教団もルーク達を解放するしかなくなる。

 明確な証拠でも突き付けられたならば、話はもう少し厄介なものになるだろうが、教団はそれを行っていない。証言の正当性も示せていないような状況で、ルーク達の処刑などという蛮行に踏み切れば、それは教団にとって自殺の引き金を引くようなものだろう。

 導師の証言があることを踏まえた上で、両国が容認でき、かつ教団がルーク達に対して行えるギリギリの線が、一時的な拘束である。ならば、今回は教団に対しては抗議するに留め、より危険性の高いヴァンに対処するのも一つの手には違いない。両国はそう判断したのだろう。

 ……もっとも、大詠師派の意向を受けて、議会で働きかけた者たちがいたのも確実だろうが。

「しかし、いったい何が目的なのでしょうね……?」
「モースのやつが裏で動いてるんだろうが……やつの意図が掴めんよなぁ」

 導師が大詠師派の支持を宣言した矢先に起こった、今回の拘束劇だ。両国もモースに対しては不信感を募らせている。

 ヴァンの潜伏地の判明と、王国と帝国の共同作戦となる導師詔勅の要請、そして導師の自身の証言。

 上記した要素が複雑に絡み合った結果として、ルーク達の拘束は未だ解かれていない訳だが、帝国と王国の両国を敵に回すことを考えれば、今回の作戦行動が終了次第、教団はいずれルーク達を解放する以外になくなる。

 今回の事態がどう収まるにしろ、最終的に大詠師モースの立場は微妙なものになり、最悪大詠師職からの罷免もあり得るだろう。

 だが、すべては事前に予測できる程度のことでしかない。

 それ故に、いずれ解放するしかないルーク達を、わざわざ自らの立場を悪くしてまで、大詠師が拘束した理由がわからなかった。

 今回の行動によって、モースが得られる利というものがまるで見当たらないのだ。

「大詠師モースが教団における支配力を磐石にしようと動き、《導師》の真実を知るルーク殿達の存在を邪魔に思い、短絡的に排除しようとした……というのはどうでしょうか?」
「……《導師》の真実か」
「ええ。確か、アッシュがルーク殿達から聞き出したフェレス島における顛末によれば、我々の知る導師イオンは…………」

 その先を続けることを躊躇うように、ライナーは弱々しく言葉を切った。続けて黙祷を捧げるように静かに両目を閉じ、胸の前で聖句を切る。

「……まあ、それも考えたよ。だが、そもそもイオンに関する情報を知っていた奴らはあまりに少ない」

 イオンに関する情報──オリジナル・イオンは既に故人であるという事実を知るものは、少ない。

 イオン自身から打ち明けられたルーク達、レプリカ作製を実行したモースやヴァン、そしてそんなヴァンとかつて協力関係にあったカンタビレやアッシュを抜かせば、もはや存在しないと言っても過言ではない。

「この情報を知らなければ、今教団に居るあの導師の様子を見て不信感を抱いた者が居たとしても、すぐさまレプリカと結びつけて考えるような奴はいないはずだ。実際、レプリカ技術自体、本来ならさして名の知れた技術って訳でもないからな」

 表の世界では、人体レプリカの生成は禁忌の業として封印されている。教団の暗部を知らない一般的な信者たちからすれば、レプリカ技術の名を知っているものがいたとしても、それが導師に使用されていたなどとは思いもしないだろう。

「その上、今の教団は派閥抗争でおおわらわだ。こんな状況で、ルーク達が多少騒いだところで、誰も問題にしないだろう。わざわざルーク達を拘束する意味は薄いと思うぜ?」

 モースが新たな《導師イオン》を傀儡として担ぎ出した行為には、カンタビレ自身も腸が煮えくり返っていたが、教団中が揺れ動いている状況でルーク達がそれを指摘したとしても、導師の突然の転向に対する、よくある流言蜚語の一つとして見なされる可能性が強かった。

「それに教団の掌握を狙ったなら、むしろ僕らに動きを見せないことの方が不自然なんだが……」

 実際、モースが教団の掌握を狙っており、導師の正体が暴かれることを畏れたならば、潰すべきはルーク達ではなく、残された改革派の幹部にあたる自分たちだろう。

 そこまで考えたところで、カンタビレは顔をしかめる。

「……まあ、仮に今のイオンがレプリカである事実を改革派が指摘したとしても、これまで僕らの目にしてきたイオンもまたレプリカだったんだ。他の日和見を決め込んでやがる教団幹部の連中なら、これまで黙認されてきたものなら何の問題もないと判断する可能性の方が高い」
「……そうですね」

 この判断には教団における導師の位置づけも影響している。

 導師とはダアト式譜術を扱う能力を備えた者が選ばれる。彼らは総じて生まれ落ちると同時、教団によって行われるスコアを読み上げる儀式によって導師としての資質を見出され、いまだ幼子の内から教団において教育を施される。

 出自としての問題は一切問われないのだ。

 また、導師は教団最高権力者と言われているが、実質的な教団の運営を行うのは、其の下に付く大詠師以下、教団の詠師達だ。ある程度の年齢を積む事で、指導者としての才能を開花させるものも居るが、それでも導師は象徴としての割合が大きい。

 もとより導師とは権威ある存在ではあっても、権力を行使する存在たりえないのだ。

 それ故に、仮に今教団に居るイオンが新たなレプリカである事実を指摘したとしても、導師としての能力を備えている以上、何の問題もないと判断される可能性が高かった。いや、むしろ既に主立った詠師達の間で合意が形成されている可能性すら考えられるだろう。

「……胸くそ悪い行為なのは確かだがな」

 顔をしかめ、カンタビレは吐き捨てた。

 さすがに、何も知らない一般的な信者すら巻き込んだ、大規模な情報戦を仕掛ければ、話は違ってくるだろうが、導師のレプリカが作製されていた事実がそこまで大々的に知られれば、それは教団そのものにとって致命傷になりかねない。そんな教団の根幹すら揺らがしかねない作戦を実行するのは、さすがのカンタビレも躊躇われた。

 少しの間を空けた後で、何やら考え込んでいた様子のライナーが再度口を開く。

「では、やはり導師詔勅を発動するために、ルーク殿達が目障りだったのではないでしょうか?」
「導師詔勅の発動に……か」
「王国や帝国に彼らが掛け合い、導師詔勅の発動を阻止されるのを防ごうとしたのではないか? という推測です」
「一応要請自体に不審な点はないんだ。ルーク達が反対する理由はないはずなんだが……」

 少し引っかかるものを感じて、その可能性について考えてみる。

 導師の事情を鑑みれば、今回の導師詔勅を出したのはモース以外に考えられない。あまりに突然なこの要請には、当初から相当の胡散臭さがつきまとっていたが、ヴァンの潜伏地に対する情報そのものに嘘はなかった。

 王国と帝国に開示された情報には、これから向かう先で大量の音素が消費されているという不審な観測結果と共に、偵察時の映像が付されていた。そこには確かにヴァン自身の姿が確認できる映像が、幾つも添付されていた。

 今回の要請を受けて、帝国と王国も独自に調査を行っただろうが、彼らも情報の真偽に関しては異論を挟まなかった。それ故に、彼らも一時的にルーク達の拘束を黙認してまで、兵を出したのだ。

 実際、カンタビレ自身も手駒を使って情報の真偽を確かめてみたが、不審な点は見えなかった。

 ……もっとも、情報が明かされた時期を抜かせば、という条件が付く訳だが。

「やっぱり今回の派遣自体に、何か裏があるのか……?」

 今回の導師詔勅による派遣そのものに何らかの裏があるならば、たとえ短期的な拘束しか行えなくとも、ルーク達が解放される頃には、既にすべては終わっていることになる。

「……やっぱ、キナ臭いことになりそうだな。今回の派遣は」
「ですね」

 げんなりと顔を見合わせ、カンタビレとライナーは導かれた推測から、一つの厄介な懸念を共有する。

 仮に、今回の推測が一片でも真実に掠っていたとすれば、作戦に参加するカンタビレ達にとっても、何らかの厄介な事態が降りかかってくる可能性が高かった。

 今後の見通しに何とも言えぬ暗い雰囲気が漂い始めた所で、不意に扉の叩かれる音が響く。

『カンタビレ第六師団長、会議の御時間です』
「……わかった。直ぐ行く」

 扉の向こうに言葉を返しながら、思考を切り換える。

 ……とりあえず、今回の作戦行動は要注意ってことだな。

 大詠師の意図を読み切れたとは思わない。

 だが、裏にどんな理由があるにしろ、今は目の前に与えられた命令に集中するしかないだろう。

「行くぞ、ライナー」
「わかりました」

 カンタビレ達は一連の思考に見切りを付けて、まず目の前に差し迫った問題に意識を切り換えるのだった。





                 【2】



 アニス・タトリンにとって、彼は恩人だった。

 すぐに他人に騙されて借金まみれになる両親。アニスが物心がついた頃には、抱えた借金はとてつもない額に膨れ上がっていた。毎日のように押し寄せる取り立て人が怒号を上げ、金を返せと叫ぶ。両親は怯える自分を胸に抱きながら、何度も謝罪の言葉を口にしていた。

 そして、ついに最後の要求が来た。

 お前たちの子供を引き渡せという要求だった。そんなことができるはずないと、両親は何度も彼らにもう少しの猶予を訴えたが、そもそも返済のあてなどあるはずもなく、身の回りにある売り払えそうなものはすべて、既に取り押さえられていた。

 もはや、このまま首をくくるしかない。

 そんな限界まで追い詰められていた当時の自分たちの前に現れ、手をさしのべてくれたのが、彼──大詠師モースだった。

 教団の巡礼で村を訪れたモースは、思い詰めた表情で崖下を見据える両親に声を掛けた。そして自分たちの陥った状況を聞き出すと、即座に行動に移った。両親が抱えていた莫大な額に上る借金をすべて立て替え、教団自治区における新たな住居と、仕事までをも紹介してくれたのだ。

 感謝のあまり涙を流す両親に、モースは鷹揚に頷くと、すべてはスコアの導きのままに行動したに過ぎないと、お決まりの聖句を口にした。そんな彼に更なる感謝の言葉と、全幅の信頼を寄せる両親とは対照的に、一人アニスは冷めた視線を彼に向けていた。

 何の目的もなく、あれだけの額の借金を無償で肩代わりする者が、いるはずない。

 アニスは警戒心も露わに、自分たちに近づいた目的をモースに問い詰めた。そこにはお人好しな両親に代わって、自分が二人を守らなければならないという気負いも存在していた。

 この腹黒そうな中年オヤジから真意を探り出すまで、いったいどれほどの労力を要するのか。握りしめた拳を背に隠し、虚勢を前に出して対峙するアニスに対して、しかしモースはあまりにあっさりと自身の目的を語った。

「単純な話だ、アニス・タトリン。私は成り上がり者だ。政治力だけの俗物と言われたことも少なくない。大詠師という職に就きながら、心を許せるものはあまりにも少ない。それ故に、私は一人でも多くの味方を必要としている。借金を肩代わりする程度で、それが得られるというのならば、安いものだとは思わんか?」

 ニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべながら、教団でも最高位に当たる人物はそうぶちまけた。あまりと言えばあまりな台詞に、正直、空いた口が塞がらなかった。

 そこまでぶっちゃけると、誰が思うだろう? ぽかんと口を空けて呆気に取られる当時の自分の反応に、彼は声を洩らして、愉快げに笑ったものだ。

 こうして莫大な借金はすべてモースに肩代わりされ、返済期限も利子も存在しない、もはやあってなきようなものに成り果てた。

 しかし、受けた恩義が消えるはずもなく、教団自治区に住居を移した後も、両親は積極的に教団内部において、大詠師の補佐に務めていた。

 それから数年が経過し、成長したアニスはオラクルに入団していた。

 ヴァン総長に統制されたオラクル騎士団において、アニスはモースの意向に沿って、動くことがままあった。動くとは言っても、どれも騎士団内にいれば誰もが知っているような簡単な内情を報告する程度で、自分の行為に罪悪感を抱きようもなく、モースとの関係はいつまでも断ち切れることなく続いていった。

 罪悪感を抱いたのは、アリエッタに代わって、導師守護役に就任した頃からだ。

 導師守護役とは名ばかりの、大詠師派から改革派筆頭に対して送られた監視役。

 それがアニスに与えられた役割だった。これまでの簡単な頼みごとと違って、常に顔を合わせる相手を騙しているという実感の伴った行為に、罪の意識は誤魔化すことを許されず、心の中で、淀んだ澱のように降り積もって行った。

 帝国に向かい和平の使者となったときも、アクゼリュスが崩落し世界中を渡り歩いたときも、障気に覆われた世界で対策を練ったときも……あらゆる場所で、アニスは折を見てモースに情報を流していた。

 それでも、モースと自分達の行動が直接的な対立関係に陥ることはなく、危ういところで、心の平静は保たれていた。

 すべてが崩れ始めたのは、セントビナーにルークが帰還した頃。瀕死の一歩手前まで行ったルークの様子をしばらく見る意味を込めて、少しの間、皆と別行動を取ることになったときからだ。

 久しぶりに帰った教団本部で、アニスはモースから一つの要請を受けた。命令ではない。あくまで、自由意志に任された選択だった。

 その後、アニスはイオンさまと、不安に包まれた各地を慰問に訪れて回った。ダアトを去る前に、モースから与えられた要請を胸に抱きながら……

 そして、ディストの襲撃が起きた。

 他の使節団の人間が動揺も露わに次々と倒れていく中で、アニスは一人底冷えした感覚を味わっていた。全ての人間が倒れるのを確認した後で、アニスはイオンさまの手を引いて、ディストの下に降った。

 事前にモースに言い含められていた通りの行動だった。

 ──たとえそれがどのような行動であろうと、ディストが目の前に現れたならば、彼に協力しろ。

 モースの要請に、アニスは従ったのだ。

 そして、すべてが終わった今、いったいこの手に何が残ったろう?

 かつて何度もイオンさまを挟み言い争ったアリエッタは──絶望の内にこの世を去った。

 アニスの裏切り行為を知りながら、しかし最後までそれを悟らせるようなことはしなかったイオンさまも──もういない。

 すべての元凶たる自分は、もはや皆の側から逃げ出すことしかできなかった。

 どうして、こんなことになったのだろう?

 この問い掛けに答えがあるとすれば、それはたった一つ。

 自分はイオンさまや皆との絆よりも、両親やモースとの関係を優先した。

 ただ、それだけのことだった。

 結局、アニスは行き場をなくした子供のように、教団に逃げ帰って来ることしか出来なかった。

「………裏切り者は所詮、裏切り者でしかないってことかな?」

 ふと口に出た言葉は、正確に自分の現状を言い表していると言えるだろう。

 教団本部の通路で、アニスは一人自嘲の笑みを浮かべた。

 そこに、甲高い子供じみた声が届く。

「あー! なにあれー!」
「……って、落ち込んでる暇もない訳? あーもう! そっちじゃないよ、こっち!」
「うー……?」

 アニスの呼びかけに、通路の脇道を覗き込んで、今にも飛び込もうとしていた少年が首を傾げる。

「まったくもう……ほーら、付いて来る」
「うー……わかったー!」

 返事だけは元気のいい相手に、仕方ないなぁと思いながら、手を取って歩く。すると彼も今度は大人しく後を付いてきてくれた。

 アニスはふとした拍子に沸き上がりそうになる複雑な心境を押し殺しながら、少年──新たな導師の手を引いて歩く。


 フェレス島での決闘後、一人教団に戻ったアニスに対して、大詠師は何の前置きもなしに、新たな《導師》を紹介してきた。

 イオンさまやシンクと同じ──オリジナル・イオンのレプリカとして。

 続けて、導師の生命を狙った者として、ルーク達を拘束した事実を淡々と告げた。

 次々と明かされる衝撃の事実に、目に見えた動揺を露わにするアニスに、モースは何事もなかったかのように、引き続きこの《導師》の世話をするよう命じた。

 混乱のあまり、即座に動き出せず、ただ黙り込むしかなくなった自分に向けて、モースは黙したまま、ただアニスに視線を向け続けていた。

 彼の瞳は、静かに語っていた。

 一度堕ちた人間は、結局、堕ちるところまで堕ちる以外に道はないと───

 裏切り者である自分には、もはや彼の要請に抗う気力など残っているはずもなかった。

 アニスは、彼の要請を受け入れた。

 そしてルーク達の現状を知りながら、ただ《導師》の世話役として、教団で惰性の日々を送っていた。


「またねー! アニスー!」
「うん、じゃあね」

 ぶんぶんと力強く手を振ってくる彼に、ゆらゆらと手を振り返す。

 気付けば直ぐに何処かに居なくなろうとする《導師》を宥めすかして、ようやく執務室まで連れて行くことができた。

「…………はぁ」

 バタンと扉が閉まると同時、限界を突破した疲労感から、自然と溜め息が漏れてしまった。

 言葉は通じるし、こちらの言うことも素直に聞いてくれるのだが、あの子にはどこか目を離した拍子に、何をするかわからないヤンチャな部分が目についた。

 顔立ちから背格好まで、何もかもがイオンさまと同じものだが、それでも──やはりあの子はあの子でしかないということだろう。

 かつて裏切った少年と、まったく同じ顔をしたあの子と向き合うことは、自分の罪を突き付けられるようで、ひどく胸が軋んだ。

 しかし、この痛みは受けて当然のもの。

 自分はイオンさまと両親を比べ、既に後者を取ったのだ。

 ならば、この程度の痛みは耐えてしかるべきものにすぎない。お前はまだ生きているのだから、この程度の痛み、なにほどのものでもないだろう? 頭の中で乾いた声が告げる。

 宿舎へと続く通路を歩きながら、アニスは一人自虐的な考えに浸った。
 途中、数人と擦れ違うが、誰もがピリピリした空気を身にまとっていた。

 導師が大詠師派に付くことを宣言して以来、教団の空気は常に緊張感に満ちている。

 ヴァン総長の出奔により、軍事力のほぼ全権を握った形になる改革派。
 導師という御輿を奪い取ったことで、急速に其の権威を取り戻しつつある大詠師派。

 改革派と大詠師派の軋轢は、一度は大勢が決まりかけていただけに、より一層激しいものとして、教団内部を荒れ狂っていた。

 ……アニスにしてみれば、派閥争いなど勝手にしてくれというのが、正直なところだった。

 もはやここにいる自分に価値などなく、いまだ教団に居る理由とて、惰性に過ぎないのだから。

 鬱々とした考えに耽りながら、アニスは通路を進む。

 自身に与えられた部屋の前まで来たところで、不意に、人の気配を感じる。反射的に顔を上げた先で、目についたのは鮮やかな真紅の長髪。

「……随分と辛気臭い顔をしてやがるな、くそガキ」
「──……アッシュ」

「まあ、辛気臭い顔になるのも当然か。能無しから聞いたフェレス島の顛末が確かなら、俺たちの知っている導師イオンは……既にこの世にはいないことになるんだからな」
「…………」

 顔を歪めるアッシュに、アニスは顔を俯けることしかできなかった。


 教団に戻ってから、アッシュと顔を合わせるのは何もこれが初めてという訳ではない。

 レムの塔で起きた事件の後、一足先に教団に戻っていたアッシュは、あまりに突然起きた《導師》の豹変と、ルーク達の拘束に対して、カンタビレと共に真っ先に行動に移った。

 急遽開催された教団の幹部会議において、ルーク達の拘束を《導師》の証言だけに頼った、何の根拠もない不当性の高いものとして訴えた。

 また、奪還されて以後の《導師》をあまり表に出そうとしない大詠師派の方針から、現在の導師こそ大詠師派に拘束され、証言を強制されているのではないかと真っ向から切り込んだ。

 これに、教団中が上に下へと大騒ぎになった。

 現在は導師詔勅による艦隊の派遣によって、改革派の筆頭にあたるカンタビレが教団本部を留守にしているため、議論も表面上は下火になっているが、水面下においてはいまだ予断を許さぬ状況が続いているのは確実だろう。

 ルーク達が《導師》其の人の証言によって、使節団に対する襲撃の実行犯と目されながら、粗雑な扱いを受けていないのは、一重にこの改革派の働きかけがあったおかげだ。


「テメェはいったい、何をしてるんだ?」
「…………私は、裏切り者だから」

「モースのスパイだった、か」
「───っ……そうよっ! 私のせいで……アリエッタも、イオンさまも……」

「……下らねぇな」

 弱々しく言葉を返すアニスに、アッシュは下らないと吐き捨てる。

「それがわかっていながら、どうしてテメェは依然としてモースに従う? テメェに裏切りを強いたのは奴だろうが」

 その言葉に、感情が爆発する。

「だって──だって全部、私が裏切ったせいなんだよっ!? どんな命令があったにしろ、最終的に従ったのは私なんだっ!! 私なんかのせいで……二人とも死んじゃったんだっ!! 最悪の裏切りだよっ!!」

 レムの塔ですべてが終わっていれば、もしかしたら、まだ引き返せたかもしれない。

 でも、もはやイオンさまはこの世に居ない。

 他でもない──アニス自身の選択によって。

「もう……全部取り返しがつかない。だから……だから私は、皆のところにはもう、戻れない……っ……なら、ならもう私は、裏切り者としてモース様の命令に従い続ける以外に……それ以外に──どうすればいいって言うのよっ!!」

 感情の爆発に任せるまま、溢れ出す言葉を叩きつけるアニスに、アッシュは不意に顔を背けた。

「ちっ……泣くな」

 そう言って差し出された手がそっと頬をなでる。そこで初めて、アニスは自分が涙を洩らしていることに気付いた。


「ごめん……もう大丈夫」
「……そうかよ」

 しばらく時間を空けた後で、アニスはようやく自身の感情の手綱を握ることができた。

 アニスが落ち着くまで、アッシュもまた何を言うでもなく、側に居てくれた。

 どこかバツが悪そうに髪をかき上げながら、アッシュは一方的に告げる。

「……とりあえず、現状について言っておく。今はカンタビレの奴がいないせいで、改革派の動きも鈍い。能無しの拘束に、両国も抗議だけはしてるようだが、当分の間解放される見込みはないだろうな」
「え……どういうこと?」

 そもそも今回のルーク達の拘束に関しては、教団内部においても異論反論が沸き上がっている。アニス自身は、もし帝国と王国が本腰を入れて動き出せば、拘束を解かない訳にはいかなくなるだろうと思っていたのだが……?

「……《導師》の証言があるせいで、どこの連中も慎重になっているんだよ」

 苦々しげに言い放ったアッシュに、アニスはようやく納得が行った。

 導師イオンがレプリカであるという事実はいまだ隠匿されている事実だ。この事実を知るものはイオンさまと旅をした自分たちを除けば、レプリカ作製に直接的に関与していたモース達や、アッシュ、カンタビレといったごく少数の者達に限られている。帝国や王国の者たちに関しては、言わずもがなといったところだろう。

「おまけにヴァンの潜伏地が判明したなんて情報を添えた上で、発動された導師詔勅だ。胡散臭いのは確かだが、ヴァンのこれまでの動きがもたらした被害を考えれば、帝国と王国もそっちを優先しない訳にはいかないだろうからな」

 あいつらの拘束なんていうどうとでもなる些細な問題に、時間を取られてるような事態じゃなくなったってことだ。アッシュは吐き捨てた。

「抗議だけは持続されるだろうが、いずれ解放されるとわかっている連中だ。これまではまだ対応を決めかねていたようだが、しばらくは圧力を加えるだけに留めて、直接的な行動には出ないという方針に、どうも本格的に決まっちまったようだ」

 これまでも、アッシュは改革派を通じてルーク達の便宜を図りながら、現状の動きをアニスに伝えてきていた。

 すべての事象から目を背け、ひたすら《導師》の世話に没頭しようとするアニスに対して、目を閉じるなと訴え続けてきた。

 それでもアニスが行動に出ることはなく、これまでのアッシュは一方的に現状を伝えると、最後に舌打ちを洩らし、こちらに背を向けていた。

 しかし、今回は違った。

「だから──俺はもう動く。大詠師に直接真意を尋ねるつもりだ」

 もはや我慢の限界だと、アッシュは直接的な行動に出ると告げる。

「平行して、漆黒の翼の連中に、能無し共をダアトから脱出させることになるだろうが」

 続けて洩らされた情報に、思わず息を飲む。

「……テメェはいったい、どうするつもりだ?」

 こちらを見据える瞳は誤魔化しを許さない。

 このまま傍観するのか、それとも手を貸すのか、はたまた妨害に動くのか。

 ここで決断しろと、アッシュは苛烈までの果断さをもって訴え掛ける。

「……私は───」

 燃え上がるような瞳から、魅入られたように目を離すことができず、アニスは口を開く。





                 【3】





「やれやれ、まさか彼がここまで強引な手に打って出るとはね」

 牢獄に響く声が、狭い室内に反響して消えた。

 少しの間を空けた後で、応じる言葉は対面から響く。

「……スコアの制限に、相当な数の教団員が反発を抱いていたのは確かな事実よ」

「ふむ……そいつらがモースの奴の強引な行動を黙認するのに、一足かってるってことか?」

 狭い通路を挟み、唯一外と繋がった窓枠の格子越しに、言葉の応酬は続く。

「まあ、導師自らが、これまでの方針を翻し、一転、大詠師派に就いた形になっていますからね。改革派自体に生じている混乱も、かなりのものがあるでしょう」

「アッシュが伝えて下さった情報からも、教団そのものが相当揺れ動いていることがわかりますわ」

 牢獄とは言っても、そこは士官用の牢だ。それぞれに個室が与えられ、内装もそれなりに整えられている。窓枠にはめられた格子だけが、唯一閉じ込められた者たちに牢を意識させた。

「確か教団には中立的な立場の者たちも多数存在したはずです。彼らはどう動くと思います、ティア?」

「……中立派は、おそらく積極的には動かないわ。《導師》がこれまでの方針を翻し、大詠師派についた意味は大きいから」

「大したもんだな。一人の人間の存在で、そこまでの影響が出るか」

「やはり……導師イオンの存在はそれだけ大きかったということですわね」

 僅かに沈んだ声に、言葉の応酬が止まった。

 フェレス島での決闘。

 俺たちの知るイオンは、あの場所で……息を引き取った。

 だが、教団が其の事実を認めることはない。

 なぜなら、教団にとってみれば、いまだ導師は何も変わることなく存在していていることになるからだ。

 レプリカなど、幾らでも代替が効くとでも告げるかのように──俺たちの知るイオンとはまた別の《イオン》が、導師の座につく事で。

「ルーク、いつまでそうして、いじけているつもりですか?」

 これまで一連の会話に加わることなく、一人黙り込んでいた俺を見かねてか、ジェイドが声をかけてきた。

 だが、俺が呼びかけに応えることはない。

 ただ両膝を抱え、身動ぎ一つせぬまま自らの内面に沈み込む。

 俺の無反応に、ジェイドがやれやれと肩を竦める気配が届く。ついで皆に聞こえるような声で、もう一度呼びかけが響く。

「ルーク、我々は理由を考えるべきだ。仮にモースの目的が教団を掌握することのみだったならば、我々を拘束する必要はなかったのですからね」

 この呼びかけにも、俺は沈黙を保つ。

「……んーと、そりゃどういう意味だ、ジェイド?」

 いつまで経っても応えようとしない俺を見かねてか、ガイの声が俺に代わりジェイドに問い掛ける。

「……まあ、いいでしょう。あのまま、あの《導師》を擁立されていたとしても、私たちがそれに反攻する術はなかったということです」

 導師がレプリカであったという事実を知っていた者達は少ない。それ故に、たとえこの状況で、今の導師がレプリカである事実を上げ、モースによって担ぎ上げられた傀儡に過ぎない可能性を指摘したとしても、誰も信じない可能性が高かった。

「さらに言えば、どこまでが知っていたかは定かではありませんが、教団上層部はこれまでもイオンさまを導師として認めていたのです。今回のモースの行いも、導師不在の状況を考えれば、むしろやむを得ない措置と見なされる可能性すらあります。故に、我々を拘束する意義は薄い」

「ですがジェイド、それでもいたずらに騒がれることを嫌って、モースが私たちの口を強引に封じようとした可能性は、まだ十分に考えられるのではありませんか?」

「……まあ、その線も完全には否定できませんがね。少し弱い。我々は一応、帝国と王国、両国の代表に近い立場で動いていた者たちなのです」

 確たる証拠もなく拘留されたとなれば、両国の反発を受けることは確実。拘束程度なら、他に優先すべき事柄があれば、一時的に可能だろうが、さすがに処刑などといった行為に踏み切ることは、不可能に近いとジェイドは述べた。

「そして、この程度のことはすべて事前に予測できる範疇の事でしかない。仮にモースが本気で我々の口を封じようとしたなら、わざわざ我々を拘束して世間の目を集める必要はありません。秘密裏に情報部を動かして、誰も知らぬうちに暗殺でも図った方がよほど成功率は高い」

「あ、暗殺ですか……? ──はっ! なら、この牢獄で暗殺されることも十分に考えられる事態なのでは……?」

「……まあ、それも完全には否定できませんね。ですが、安心して下さい。こんな状況で我々が死ぬようなことがあれば、実行者はモース以外に考えられません。もしそうなっても、きっと我々の母国が仇をとってくれますよ」

「そ、そんな……!?」
「……おいおい大佐、さすがにそれはあんまりじゃないか?」

「冗談です。ダアトを離れるまでの間、カンタビレが各方面に働きかけてくれたおかげで、ここの警備も改革派の者達が行ってくれていますからね。アッシュもまだ教団に残っていることですし、可能性としては低いですが、仮に暗殺を試みられたとしても、それを達成することは難しいでしょう」

 ジェイドの保証に、ナタリアがほっと息をついた。

「でもそうすると、いったい何がモースの目的なのでしょう?」
「さて……その後の動きからみても、今回の行動は突発的なものではなく、それなりに事前から準備されていた行動だということが予測できますが……」

 しばらくの間、沈黙が続いた後、不意に一人真剣に考え込んでいたティアが声を上げる。

「……なら、私たちの動きそのものを、一時的にでも封じることが目的だった?」

「ふむ……そうですね。導師殺害という嫌疑をかけてまで、我々の動きを封じ込めた。だが我々の背景を考えれば、一時的な拘束が関の山だということは事前に予測できる。しかし、その一時的な拘束こそが目的だったと考えれば……そうですね。可能性としては十分考えられる。その場合はおそらく、導師詔勅による動員そのものか、それに関連した何処かで、モースが何がしかの動きを見せている可能性がありますが……」

 そこまで続けた所で、不意にジェイドが目を細め、視線を牢の入り口付近に向ける。

「私の考えはそんな所ですが、現在の状況はどうなっていますか?」
「……さすがに鋭いわねん、カーティス大佐」

 女の声が響くと同時、靴音一つなく、窓枠の格子の向こうに、一人の女の姿が現れた。

「ん、漆黒の翼か。今日も連絡役ご苦労さん」
「アッシュの旦那の人使いの荒さはいつものことでげすがね」
「金払いも良いが……実際の労力と合わせれば少し悪いくらいだろうな」

 ノワールに続いて、ウルシーとヨークが牢屋の通路に次々と姿を現す。

 これまでも何度となく、俺たちは漆黒の翼から、今外で何が起こっているかに関する情報を受け取っていた。これは別行動を取っていたことで拘束を免れたアッシュが、彼らを寄越したからだ。

「アッシュは今日は来ていないのですか?」

 格子越しに首を傾げるナタリアに、ノワールは頬に手を添えながらしなをつくる。

「残念ながらね。アッシュの坊やは大詠師の所に直接怒鳴り込むそうよ」
「旦那もとうとう我慢の限界が来たってことでげすね」
「……これまでのことを考えれば、今回は長くもったほうだろう」

 アッシュが行動に移ったという情報に、ジェイドが面白そうに眼鏡を上げる。

「なるほど。ではあなた方がここを訪れた理由も、今回は情報交換が目的ではないということですね」
「そういうことねん。アッシュの坊やが、あんたらをダアトから連れ出してくれってさ」

 指に引っかけた鍵をクルクルと回した後で、ノワールは掴んだ鍵を牢屋の鍵穴に差し込み回す。ガチリと音を立てて、あっさりと牢屋の鍵は解除された。

「これで良し。あの飛行機械を操縦してるお嬢ちゃんなら連れ出しちゃった後だから、あんたらなら後は私たちの手助けはいらないだろう? 私達はもう行くとするよ」

「──待ってくれ」

 もう役目は済んだと牢を後にしようとするノワールに、俺はこの日初めて声を上げた。

「何だい、ルークの坊や?」
「俺も、モースの奴と話がしたい」

「……本気かい? 坊や達は一応、導師襲撃犯ってことになってるのよ?」
「本気だよ。俺は、どうしてもモースの野郎に聞きたいことができた。今回の件が、どこまであいつの考えていたことなのか、他にも《導師》は存在するのか、あいつ自身はレプリカってものに対して、いったい何を考えているのか……それが、どうしても直接問い正したい」

 ノワールは俺の本気を確かめるように、こちらの顔を覗き込む。

「そう……なら、嬢ちゃんの出番だね。
 さっさとこっちにおいで。今更恥ずかしがるような仲でもないんだろ?」

 嬢ちゃん? 突然口に出された単語に疑問符を浮かべる俺たちの前に、ノワールに促され、一人の少女が姿を見せる。

「……みんな、久しぶり」

 其処には、俺たちの下を去った少女──アニスの姿があった。





                 【4】





 モースは手にしていた書類を机に戻す。

 ……これで、すべての準備は終わった。

 執務室の椅子に深く身を沈め、ゆっくりと瞼を閉じる。

 未だ改革派の抵抗は残るが、今のモースは教団の全権を掌握したに等しかった。
 だが、その事実に沸き上がるべき感慨は存在しない。ただなすべきことをしただけだという当然の思いがあるだけだ。故に、彼はいずれ訪れるそのときを、ただ静かに待つ。

 不意に、扉が開け放たれる音が響く。

 次の瞬間、喉元に冷たい感触が突き付けられていた。

「テメェは何を考えていやがる、モース」
「……アッシュ、お前か」

 目の前に付け付けられた剣を見据えながら、しかしモースは平然と顔を上げた。

「こうして面と向かい話をするのは、互いに初めてのことかもしれんな、アッシュ。いや──オリジナル・ルークよ」
「……俺はアッシュだ」
「ふん。聖なる焔の燃えかす、か」

 返された言葉に、アッシュは忌ま忌ましげに舌打ちを洩らした。

「……いったい、テメェはどういうつもりだ? テメェの傀儡として新たに《導師》を据えるところまでは理解できる。だが、能無しのやつらを拘束する理由が何処にある?」

 突き付けられる問いかけに、モースはうっすらと笑った。

「不確定要素を排除したかった。ただそれだけのことだ。やつらを解放したいというのなら、もはや好きにするがいい」

「何……?」

「既に艦隊が派遣された時点で、私の目的は達せられたということだ」

 告げられた言葉の内容に思い至り、アッシュは表情を険しくする。

「ヴァンが派遣先にいない……つまり、今回の派兵事態が大規模な罠だったとでも言うつもりか?」

「それは違うな。ヴァンは確かにあの地に潜伏している。この情報に偽りはない。艦隊が派遣された今、奴は行動を迫られるだろう」

 あまりにあっさりと返された答えに困惑してか、アッシュが僅かに瞳を揺らす。

「……いったい、テメェは何がしたかったんだ?」

「あやつが全ての準備を整える前に、我等は迅速な行動に出る必要があったということだ」

 困惑するアッシュの顔を覗き込むように、モースは腰を僅かに上げて、静かに問い掛ける。

「アッシュ。お前は、スコアをどう考える?」
「スコアだと……?」

 正直、今更という感想を抱いた。だが、相手は大仰な仕種で肯定を返す。

「そう、スコアだ。この世界は定められた軌跡を辿る歯車のようなものだ。だがその軌跡はひどく脆く、ほんの少しのズレが、いつでも致命的なものとなり得る。そんな不安定な世界が続いていくためには、歩むべき方向性を示す標が必要となる」

「ふん……それがスコアだとでも言うつもりか?」

 いまだスコアに意味を見出そうとするモースに、アッシュは呆れと侮蔑の意志を込めて相手を見据えようとして──身体が凍り付く。

「まさしくその通り。世界の存続の為に必要とされる道標──それこそがスコアだ」

 モースは笑っていた。

「世界的にも知られている、もっとも歩む可能性の高い記憶──正史は外れた。だが、今だ世界はスコアに示された道筋を外れることなく辿り続けている。世界に刻まれた記憶は無数に存在するが、すべての記憶が行き着く先はもとより一つ。ただ一つの終幕に至るのだよ」

 浮かぶ笑みに感情はなく、仮面に穿たれた淵のように、その瞳には虚無が広がっていた。

「しかしそれは絶望ではない。世界の破滅を厭うならば、我等にそれ以外の進むべき道など存在せず、未来はないのだからな」

 突き付けられた剣など存在しないかのように、モースは自らの腕を目の前に掲げる。

「ローレライが同位体の器に捕らわれ、因果の現出が目前に迫った今、この世界においても、既に終幕へ至る道は開き始めている」

 そこまで一息に告げると、モースは沸き上がる興奮を抑えるように、掌で自らの額を覆い隠した。

「テメェは……いったい、何を知っている?」

 畏怖すら含んだ視線を向けるアッシュに、モースは僅かに首を落とす。

「……思えば皮肉なものだな。もとより誰かに種を蒔くつもりだったが、まさかその相手があの男の弟子となろうとは」

 自嘲するように笑うと、モースは不意に顔を上げ、突然椅子から身体を起こす。

「動くな!」
「……お前が尋ねたのだろう? 知りたいと言うならば、黙ってついて来るが良い」

 一瞬の躊躇いの後、アッシュは剣を引いた。

「……いったい、何処に向かう? そこに何がある?」

「向かう先は、教団の頂点に位置する、導師、大詠師、主席総長の任に就きし者のみが立ち居ることが許される禁断の書庫。そこに納められしは、ローレライ教団が、スコアがこの世界に存在する意味が記された書」

 アッシュに一切の視線を向けることなく、モースは言葉を終える。

「その名を───」



  1. 2005/04/25(月) 09:04:02|
  2. 【家族ジャングル】  第八章
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