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──A.L.M──

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泡沫の夢


【レプリカ──イレギュラー】


 時計が秒針を刻む。
 周囲を囲む壁の色はどこまでも白い。
 時計が秒針を刻む。
 壁にはおびただしい数の時計が並んでいる。
 時計が秒針を刻む。

「──また、来たのか……」

 背後から声が聞こえる。
 顔を向けると、そこには顔の無い誰かが佇んでいた。

 リンゴをかじる音が響く。

 久しぶりだな、と無貌の誰かは親しみの込もった言葉をかけてきた。

 俺も手を上げてそれに応えながら、自分の行動を訝しむ。

 ……なんで俺はこんな普通に対応してるんだ?

 その理由が理解できないまま、俺はそいつと言葉を交わす。

「ん? 今回はこの場が認識できているのか。ああ、なるほど……もう混線どころの話じゃなさそうだ。やれやれ、面倒臭いことになりそうだな」

 リンゴをかじる音が響く。

「それに……僅かではあるが、また一歩こちら側に近づいたようだな。まあ、折角の機会だ。あいつの掌で踊らされる世界を、本来なら主役であった者の視点で認識して来るといい」

 指を打ち鳴らす音が響くと同時に、顔の無いの誰かの姿が消える。
 常に響いていた秒針の刻まれる音が一瞬で途絶える。
 壁にかかったおびただしい数の時計の針は、全て停止していた。

 不意に、目の前に巨大な絵画が現れる。

 俺はそこに描かれた内容に目を奪われる。
 絵には見覚えのある人物達の姿が描かれていた。

 見つめる内に、絵に描かれた人物達が表情を変える。
 見つめる内に、絵に描かれた人物達が言葉を発する。
 見つめる内に、絵に描かれた人物達が身体を動かす。


 意識が、引きずり込まれる────────…………





【婚約者──幼馴染み】





 ユリアシティの一角に立ち尽くし、ナタリアは自らの思考の内に深く沈んでいた。

 彼が自分のレプリカだと、あの人は告げた。

 明かされた事実の意味するものが、最初は理解できなかった。しかし同時に、ある種の納得するものも感じていた。これまで時々抱いていた彼に対する違和感の数々が、次々と解決されていったからだ。

 彼……ルークは自分が約束を交わしたあの人ではなかったのだ。

 そしてあの人……アッシュは誰からも忘れ去られ、一人この七年間を過ごした。

 街の入り口で二人は激突し、今、ルークはティアの家で寝込んでいる。幸いなことに、彼の怪我は大したことないと聞いている。彼が倒れた理由も……精神的な衝撃が主な原因だろうという話だ。

 すべて人伝てに聞いた話だ。いまだ自分は、ルークと顔を合わせる勇気が無い。あの人に対する想いを彼に押しつけていた自分。彼に抱いた感情はすべて人違いであったという事実。彼と過ごした七年という月日は嘘偽りの無いものだとしても……それでも、感情の整理がつかなかった。

 結局これまでの自分は、彼の中にあの人を見ていただけなのだ。これは二人のルークにとって、とてつもない侮辱ではなかったろうか? そんな自分はあの人の瞳にはどう映っているのだろうか……。

 今、アッシュと大佐達は市長と会っている。セフィロトツリーを一時的に活性化させてタルタロスを打ち上げることで、外郭大地に戻るための打ち合わせをしている。おそらく、それに自分もついていくことになるだろう。

 誰からも顧みられることのなかったあの人から、ここで離れることはできなかった。

 しかし、倒れた彼をこのまま残していくことにも胸が痛む。

 ミュウとコライガ、そして……ティアは、ルークに付き添って、この街に残ると聞いている。

 彼女達のように、素直に彼の下に駆けつけられない自分はとても薄情だと思う。彼が自分の幼馴染みであり──家族のように大切な人であることに変わりは無い。それでも、あの人を優先しようとする自分の気持ちがどうしても抑えられない。

 自分は薄情な人間だ。それでも……今はあの人と共に居たい。

 自らの感情に整理がつけられないまま、彼女は地上に戻る。




【導師守護役──第三者】




 ユリアシティの街並みを、イオン様がどこか物哀しげな表情を浮かべ眺めている。イオン様の掲げるスコアに対する見解と正反対な生き方を選んだ街の人々に、なにか思うところがあるのだろうか? 

 そんなイオン様の傍に控えながら、アニスはこれまで起こったことに考えを巡らしていた。

 アクゼリュスの崩落で、突然魔界という場所の存在を知らされた。
 崩落がルークの超振動によって起こされたと知らされた。
 そのルークがアッシュのレプリカであることを知らされた。

 続けて明かされた衝撃の事実に、正直なところ、自分は戸惑うことしかできなかった。

 だから、ある程度落ち着けた今になって、ようやくすべての事態の中心にあった彼のことを考える余裕ができた。

 ルークは自分にとって、最初さして気にかけるような相手ではなかった。キムラスカの貴族と聞いて、玉の輿に最適な相手とうそぶいていた時期もあったが、それもいつのまにか単なる冗談になっていた。

 お金持ちの貴族様という対象として見続けるには、彼はあまりにも……間抜けなやつだったのだ。

 下町に居るようなチンピラ染みた言葉づかいに、自分をまるで飾らないといえば聞こえはいいが……正直頭の悪そうな態度。そのどれもがあまりに型にはまりすぎていて、本当に貴族? と首を傾げたくなることもしばしばだった。

 そんな彼が本当の意味で自分の関心を引き始めたのは、イオン様のことがあったからだ。

 イオン様はなぜか、その頭悪そうなちんぴらと仲良くし始めてしまったのだ。正直、仰天ものでしたよ。なんでよりにもよって、あの気品があっておおらかなポヤポヤ坊ちゃんのイオン様が、あんな正反対の相手と友達になっちゃってるのよ! と慌てまくりましたよ。

 しかし、たとえどれだけ理解しがたい現象であっても、一旦なってしまった以上は仕方がない。

 護衛対象に従って、自分もしぶしぶ彼と付き合ううちに、なぜイオン様が彼に引かれたのか、理解できてしまった。

 彼はなんというか……熱血バカ?

 自分の考えてることをすぐに口に出して、周囲から突っ込みを喰らう。いろいろと一人で考え込んでいるかと思えば、周囲からは意味不明な突発的な行動に出る。自分にとってはどれも呆れるしかない行動だったけど、そんな彼の態度がイオン様にはどこか眩しく見えていたようだ。

 教団内の様々なシガラミに囚われ、真の意味で自分の考えというものを表に出せない『導師イオン』にとって、どれほど頭悪そうでチンピラ染みた態度であっても、しっかりと自分というものを表に出して他人と接している彼の姿は、憧憬の対象だったのだろう。

 彼の前では導師イオンであっても、一人の少年の顔が表に引き出されているのが他ならない自分にはわかった。

 おそらく、彼はイオン様に初めてできた──友達なのだ。

 教団の導師としてではなく、少年イオンの友達。

 ずるい。

 そんな少なくない嫉妬心が沸き上がるのを感じていた。自分では……決してそんな立ち位置に来られないことがわかりきっていたから。それでもイオン様にとって、彼という存在はとても有り難いことも、十分すぎるほどわかりきっていた。

 正直、複雑な心境だったわけですよ。

 そんなとき、自分の他愛もない嫉妬心など吹き飛ばす、あまりに壮絶な事態が彼に襲いかかった。

 ルークはアクゼリュスを自らの手で崩落させ、それから立ち直る間も置かれずに、自分がレプリカであったという事実を突き付けられた。

 どう受け止めたらいいのか、よくわからなかった。あまり付き合いの深くなかった自分でもそうなのだから、彼の幼馴染みや当の本人にしてみれば、世界が一変するほどの衝撃だったろう。

 今の彼はティアの家で寝込んでいる。彼の幼馴染み二人組は複雑な表情を浮かべ、街をうろついているみたいだ。

 自分とイオン様は、市長に地上へ戻る方法を聞いてくると告げたアッシュと大佐の帰りを待っている。

 あまり深い関わりがなかった自分は、彼の所に顔を見せる気にならなかった。

 しかし、さして深い関わりを持つ前だった自分だからこそ、見えてくるものもある。

 自分がこれまでの旅で接してきた相手はルークであって、レプリカかどうかは関係ない。イオン様の友達で、自分にとっては少し気に入らないチンピラである。そのことがわかっていれば十分だ。

 だから再び彼に会ったなら、自分はこれまでと同じような態度で、少しの本音も交えながら、彼と接していくことになるだろう。

 頭の悪いチンピラのような、少年イオンにできた初めての友達と──……





【世話係──親友】





 憮然とタルタロスの指揮席に構え立ち、矢継ぎ早に指示を下すアッシュを見据えながら、ガイは少し物思いに更けっていた。

 思えば……あいつとルークはなにもかも違っていたんだな。

 どこか使用人とは一線を引いていたあいつに対して、今のルークはどこまでもあけすけに自分に接してきた。

 かつて俺の知っていたあいつは、自らの地位にのしかかる重みを理解し、それに相応しい行動を取ろうと常に努めていた。キムラスカ王国の貴族として、王国の民のことを真剣に考え、それに相応しい自分であろうとしていた。その年齢にして立派な心掛けだとは思うが、そんなあいつの態度は自分にとって……ひどく冷めた感情を抱かせた。

 所詮、あいつは敵国の人間に過ぎないと。

 そんな認識が変わったのは、やはりあいつがすべての記憶を無くして──結局あいつとは別人だったことになるんだが──屋敷に返された姿を見たときだろう。

 俺と今のルークが初めて顔を合わせたのは、雲一つない昼下り、屋敷の中庭でのことだった。

 花壇の傍に置かれたベンチに腰掛け、ルークは空を見上げていた。

 弛緩しきった筋肉が重力に引かれるまま顔を上向かせ、なにも感情の宿らない瞳を空に向けていた。子供ながらに国の行く末を真剣に考えていた、かつての姿は見る影もない。どこか人間らしさを失ってしまったあいつの姿に、自分の復讐心は満たされることはなく、むしろ激しい動揺が自分を貫いた。

 ……俺がしたかったのは、こんなことだったのか?

 迷いが生じのは、このときからだ。

 その後あいつの世話係として、かつてとはまったく異なる位置に立って、ルークに付き合ってきた。いろいろなことがあったが、それでも前へ進もうとするのを止めないルークの姿を見る内に、いつのまにか憎しみが自分の中心を占めることはなくなっていた。

 しかし、かつてのあいつ──アッシュの姿を再び目にしたことで、かつて自分が抱いていた感情がありありと蘇ってくるのが感じられた。なんとも複雑な気分だ。

 ……憎しみは完全に捨て去ったはずだったんだけどな。

 ままならない感情の動きに、俺は苦笑を浮かべていた。

「……残らなくてもよかったのですか?」

 突然、脇に立つ大佐が俺にだけ聞こえるような声音で問いかけてきた。

 なにやら考え込んでいる俺の様子に気付いて、心配になったってところだろうか?

「俺はアッシュのやつをまだ信用していないからな。なにを考えているのか見極める必要があると思ったまでだよ」

 肩を竦めて答えて見せると、大佐は無言のままその瞳をこちらに向けて来る。それだけじゃないでしょうと、彼の目は無言の内に語っていた。

 俺は頬をかきながら、言葉を付け足す。

「ま、それに……あいつが起きたときに、いつでも動けるようにしとかないとな。そのためには、情報集めとく必要があるだろ? 大佐の方こそ、よく六神将のアッシュについて行く気になったな。大佐も意外とうちのルークのやつを気にかけてると思ってたんだが、残ろうとか考えなかったのか?」

「さて、どうでしょうね。ただ、私は立ち止まってる人間に興味はありませんからね」

 辛辣な台詞を言い切る大佐に、俺は大げさに両腕を上げて見せた。

 わずかに眼鏡を押し上げ、大佐が表情を覆い隠す。

「彼は……立ち上がることができますかね? アクゼリュスの崩落から間を置かずに、自らの存在を揺るがすような事実を告げられたのです。あなたの言うように、彼が意識を取り戻してすぐに動き出せるとは……私には思えません。こういう時こそ、お友達の出番というものなのではないでしょうか?」

 冗談めかした言葉の裏に見え隠れする、大佐の真摯な忠告の言葉に、しかし俺は胸を張って言い返す。

「それに関しては心配するまでもないな。意識を取り戻したなら、すぐにでもルークは動き出そうとするはずさ。なにせあいつは底抜けの──」

 指を一本立てて、俺は重大な秘密を打ち明けるように小さく囁いた。

「バカ、だからな」





【燃え滓──オリジナル】





 一時的に活性化して記憶粒子が、莫大な奔流となってタルタロスを押し上げる。広げられた帆が膨らみ行き、一瞬の衝撃の後、俺達は地上に舞い戻っていた。

「……成功か」

 なんとかタルタロスの打ち上げには成功したようだ。知識としてはうまくいくものだとわかっていたが、それでも実際に実行するとなると僅かな緊張を抱くのを禁じ得ない。

「どうやらうまく上がれたようですね」

 厭味な口調の中にも安堵を感じさせる表情で、メガネがつぶやいた。

「ここが空中にあるだなんて信じられませんわね……」

 ナタリアが洩らした言葉には俺も同感だ。ヴァンに話としては聞いていたが、一度も訪れたことはなかったからな。

 魔界の連中についても、同じように知識としては知っていたが、あれほどまでに預言の絶対性を盲信しているとは予想外だった。あの分じゃ、他の大地が崩落する可能性を警告しても、聞く耳を持たんだろうな。

 ヴァンがなにを思ってアクゼリュスの崩落を考えついたのかはわからんが……預言を、引いてはスコア通りに動く外郭大地の人間を憎んでることは確かだ。

 ……魔界に残った女と能無しが、やつらに危機感を促すのを期待するしかないか。

 そう自然に思ってしまった直後に、俺は盛大に舌打ちを洩らす。

 ちっ……忌ま忌ましい。いまだあいつに俺と同じ働きを期待するのを止められないとはな。

「それで? タルタロスをどこへつけるんだ?」

 ガイの問い掛けに、俺はひとまず頭を切り換えて、顔を上げる。

「ヴァンが頻繁にベルケンドの第一音機関研究所へ行っている。そこで情報を収集する」
「主席総長が?」
「俺はヴァンの目的を誤解していた。奴の本当の目的を知るためには奴の行動を洗う必要がある」
「ん? お前もヴァンの目的がわからないのか?」
「……」

 ガイの意外そうな言葉に、俺は沈黙するしかない。

 そう、俺は奴の目的がわからない。奴の掲げていた目的は、スコアの無い世界へ向けた改革だったはずだ。それがどうして外郭大地の崩落なんて行動に結びつく? アクゼリュスの崩落が、事象が預言通りに進んでいると見せかけるために必要な措置だったとしても、他のセフィロトの扉まで一々導師に解呪させる必要がどこにある? やはりすべての大地を崩落させる前準備だとしか思えないが、その目的はなんだ?

「……ここ一年の間、奴は極力情報を閉ざしていた。おそらく、俺が奴に違和感を抱いたのを悟ったんだろう。シンクの奴が監視についたせいで、情報を探ろうにも俺は碌に身動きがとれなかった」
「なるほどな。……結局目新しい情報はなしか」

 どこか拍子抜けたように肩を竦めるガイに、俺は思わず反発を覚えて頭の中の情報を探る。

「ただ……ここ最近のあいつが、集合意識体の使役に用いられる響奏器を集めさせていたのは確かだ」

 俺は自分の腰に吊るされた、鍵に視線を落とす。奴曰く第七奏器と呼ばれる譜術武器の一つ。かつてはこれを握ると頭に届いていた声も、アクゼリュス崩落以降、まったく聞こえなくなった。

 やつの計画と関連があるのかはわからないが……響奏器についても、いずれより詳しく知る必要があるな。

「まあ、それはともかく。私も知りたいことがあります。ヴァンの情報を探るというのなら、少しの間協力しましょう」
「……俺はタルタロスを動かす人間が欲しいだけだ。お前らは操縦に手を貸せばそれでいい」

 協力するなどと、簡単に言ってくれる。あの能無しと馴れ合っていた連中に、そこまで期待はしていない。

 硬い声で拒絶を返した俺に、ガイが妙に不可解そうに首を傾げる。

「タルタロスを動かすだけなら、自分の部下を使えばいいだろう?」
「それは……できない。俺の行動がヴァンに筒抜けになる」

 俺の応えに、ガイはどこか不審そうな目を向けた。

 確かに、自分の部下の統制も満足にできないなんて言葉が、胡散臭いというのは理解できる。だが、これは事実だ。俺の下に配属される連中はすべて、奴の息がかかった人間しかいない。ある程度懐柔しようと会話を重ねても、数カ月と経たない内に配置換えがなされ、結局徒労に終わるのが常だった。

「騎士団はほぼヴァンの手中にあるものと考えろ。モースの奴が教団で派手に動けるのも、六神将が全て大詠師派に属すと公言し、軍が後ろ楯になっている点が大きい。なんの裏も無く導師派として知られる軍の人間が残っているのは……せいぜい第六師団ぐらいだろうな」

 教団内部でも異質な存在、異端の二つ名を持つ人間に率いられた、派閥としても一枚岩では無い第六師団の連中を思い出す。

「うう~……騎士団が総長の手中にあるって……そうすると教団に帰ったら、真っ先に総長に狙われるってことじゃん! どうしましょう、大佐~」

 涙ぐむガキの肩に手を置き、子供に優しいナタリアが慰めるように肩を撫でる。

「それなら、私達と一緒に行動したらいいじゃありませんか。和平がなれば、両国から正式な抗議を申しつけて、ヴァン謡将の責任を追求できるかもしれませんでしょう?」
「ナタリアの言う通りです。それに、僕もまだダアトに帰る気はありません」
「う~。イオン様がそう言うなら、わかりましたよ……」

 多少不満げながらも了解するガキと導師のやり取りに、思わず苛立ちを感じる。

「ふん。ベルケンドはここから東だ。さっさと手伝え!」

 乱暴に指示を下し、俺はそれ以上の思考を止める。

 導師と護衛という立場にありながら、確かな繋がりを感じさせる……そんな生ぬるい関係を持った二人に、この俺が嫉妬してるなんて考えは、到底認められるはずがなかった。




             * * *




 ベルケンドは音機関の研究所が軒を連ねる異質な街だ。街の各所に音機関の試作機が無造作に置かれていたりする。そして……かつて俺が超振動の実験を受けさせられた地でもある。

 少し顔をしかめながら、ベルケンドの街並みを見据える俺に、ナタリアが声をかけてくる。

「ベルケンドはあなたのお父様の領地でしたわね……覚えていますか? 昔二人でベルケンドを訪れたときのことを。あのとき、あなたは見知らぬ土地に気後れする私の手を引いて……」
「……研究所は奥だ。行くぞ」

 話を遮り歩き出す俺の背後で、小さく俺の名を呼ぶナタリアの声が響いた。

 ナタリアが俺の気を紛らわせようとしてくれたのは……わかっている。だが、ここは俺にとって、ただ懐かしいだけの場所ではない。過去の思い出に浸ることは……痛みを伴う行為でしかない。

 沈黙が続く中、俺達は第一音素研究所に入る。ここは公爵に取り入ったヴァンに全権が任されている。

 ヴァンがあれほど頻繁にここを訪れていた以上、なんらかの情報が残されている可能性は高い。研究員に話を聞き込みながら、さらに奥まった場所まで到達したところで、俺はそいつの存在に気付き、息をのむ。

 見据える俺の視線を察してか、顔を上げたそいつの視線が俺と交差する。

「おまえさんはルーク!? いや……アッシュ……か?」
「はっ。スピノザ、てめぇのようなキムラスカの裏切り者が、まだぬけぬけとこの街に居るとはな。笑わせてくれる」

 嘲笑する俺の言葉に、ナタリアが目を見開く。

「裏切り者とは……いったい、どういうことですの?」
「こいつは、俺の誘拐に一枚噛んでいやがったのさ。研究者って人種は、業が深いもんだ。目の前に格好の研究素材があったら手を出さずにはいられないらしい」

 こいつもヴァンの甘い言葉に乗せられた口だろうが、それでも俺という存在が奪われた理由の一端はこいつにある。自然と漏れ出した殺気に当てられ、スピノザがガタガタと震え出す。

「まさかフォミクリーの禁忌に手を出したのは……!」

 だが、俺の無意識の殺気を上回る鬼気を発しながら、メガネがスピノザを睨めつけた。

「ふん……ジェイド・カーティス。あんたの想像通りだ」

 興を削がれた俺は一歩下がり、メガネに道を譲ってやる。俺の言葉にスピノザが目を見開く。

「ジェイド! 死霊使いジェイドか!?」
「……フォミクリーを生物に転用することは禁じられた筈ですよ」
「フォミクリーの研究者なら一度は試したいと思うはずじゃ! あんただってそうじゃろう、ジェイド・カーティス! いや──ジェイド・バルフォア博士! あんたはフォミクリーの生みの親じゃ! 何十体ものレプリカを作ったじゃろう!」

 見苦しいスピノザの弾劾に、その場に居た連中の視線がメガネに集中する。俺と導師以外はその事実を知らなかったのか、どう反応したらいいかわからないといった表情だ。

 注がれる視線に、メガネは顔を背けるでも無く、静かにかぶりを振って見せた。

「……否定はしませんよ。フォミクリーの原理を考案したのは私ですし」
「ならあんたにわしを責めることはできまい!」

 口角から泡を跳ばし、責任を転化しようとするこいつの姿に……俺は既視感を覚える。いったいなにと似ていると思ったのか、記憶を探る内に──愕然とする。

 こいつの物言いは、なぜか、俺があの能無しに叩きつけた言葉を思い返させたのだ。

「すみませんねぇ。自分が同じ罪を犯したからといって相手をかばってやるような傷の舐めあいは趣味ではないんですよ。私はあの技術を、他の誰でも無い、自分が背負うべき罪として自覚しています。だから、禁忌としたのです……」

 メガネの告げる言葉を耳にしながら、俺は動揺を必死に抑える。

 俺が……いったいあいつになにを期待していたのか、もう一度考えろ……


 ダアトに誘拐され目覚めた俺に、ヴァンは既にお前が帰るべき場所はないと告げた。フォミクリーによる複写人間──レプリカが既にバチカルに帰されていると。

 あの日から、俺の帰るべき場所は無くなった。もはや存在を奪われた俺は名前を棄て、聖なる炎の燃え滓……アッシュと名乗るようになった。

 ヴァンはスコアに支配されぬ世界を目指し、暗躍を始めた。それに付き合わされる内に、俺は次第に奴の考えに共感していった。だが、ここ一年の間、奴の出す指示に不審なものが見られるようになってきた。意味を理解できないセフィロトの解錠、創世歴時代に作られたという響奏器の回収……。奴の真意を探り始めた俺に気付いて、シンクが俺の監視として振り分けられるようになった。

 もはや自由に動けなくなった俺が、自分の代わりとなって動く相手を探していたとき──ヴァンに渡された鍵を通して、俺に語りかける声があった。そいつの存在に関して話すと長くなるため今は省くが、ともあれ剣を介して語りかけてきたその声は──もう一人の俺の存在をほのめかした。

 俺はひとまずレプリカの様子を伺うべく、タルタロス襲撃の際、あいつを監視することにした。だが、そこで目にした相手は……決して俺ではありえなかった。なぜヴァンがレプリカの話をするとき、でき損ないと言うのか理解した。

 カイツールの国境で顔を合わせたときも、気付けば俺はそのでき損ない──劣化野郎に切りかかっていた。しかし不意打ちの斬撃を──そいつは躱してみせた。数度切り結んだ結果、それほど使えない相手でもないことに気付かされた。だが、そんな完全に別人でも無く、しかし決して自分ではありえない、俺という存在を食い潰した紛い物に対する殺意が、抑えようのない域にまで高まっていくのを感じた。

 そのときは反射的に殺しかけたところでヴァンが乱入し、最終的に俺が退く事になったわけだが……俺はその劣化レプリカがそれほど使えないやつでもなさそうだという結論に達した。

 コーラル城でディストに回線を開かせ、いつでも連絡が取れる状態にさせた後、あいつがヴァンの計画を妨害するよう動くのを狙って、折りを見て情報を流すようになった。ダオ遺跡に導師が連れて行かれたときも対応はあいつに任せて、俺はヴァンの狙いを探るべく一人動いていた。そして、俺はようやくアクゼリュスで計画されていた事態に気付いた。

 だが、既にすべては遅かった。辿り着いたセフィロトで、俺の目の前で、劣化野郎の超振動が発動する瞬間を目にした。崩落する大地を成す術もなく見据え、俺はヴァンから離れ、魔界の地に降りたった。

 鍵を介して時折聞こえていた声も、もはや俺の耳には届かなくなっていた。

 ユリアシティの入り口であいつを目にした瞬間──俺の理性は吹き飛んだ。

 俺に代わってアクゼリュスを崩落させたあいつに、殺意を解放した。俺がヴァンを止められなかったことに対する苛立ちも含めて、あいつを罵倒した。そう──俺の後悔までをも、叩きつけたのだ。

 自らの背負うべき責任から……一瞬とは言っても、確かに俺は目を逸らし、あいつになすり付けたのだ。


 俺が──この無様な老人と、同類か……

 自己に対する嫌悪の感情が沸き上がる俺を余所に、メガネに返された言葉に、スピノザが目に見えた狼狽を始める。

「わ、わしはただ……ヴァン様の求めに応じただけじゃ! それに……今やわしの行った事もすべて無意味なものとなった。なぜわしが未だキムラスカの研究所に居るか、その理由がわかるか? わしはすでに、ヴァン様にとって用済みの人間なのじゃよ……研究はすべてディストのやつが引き継ぎ、わしは……捨てられたのじゃ」

 自らを切り捨てられた人材と語るスピノザに対して、俺がかけるべき言葉はない。そんな愚痴を聞くよりも、今は少しでもヴァンに関する情報が欲しい。

「……だが、ヴァンのやつは今もこの施設を頻繁に訪れている。なにか知らないのか? 答えろっ!」
「……知らぬ。本当に知らなんだ。わしは……あの人が恐ろしい。ヴァン様は自らの定めた道を行く事に対して、微塵の躊躇いも覚えぬ。必要なものはすべからく手にし、使い終われば惜しげも無く打ち捨てる。今、ヴァン様がなにを考えているのか……わしなんぞに、わかるものではない。……お主とて、不安を感じて居たのではないか、アッシュよ? いつ切り捨てられるか、わからないと……」
「違うっ! てめぇは、ヴァンに盲目的に従うことを自らの意志で選んだのさ。俺は……奴の掌から抜け出して見せる。切り捨てられることなど恐れん。……てめぇはそこで、一生震えていろ」

 スピノザの呼び掛けを切り捨て、俺は背を向けて歩き出す。

 こいつの姿は、俺の末路の一つだ。ヴァンに利用された人間の行き着く先の一つだろう。だが、俺は奴に利用されたまま終わるつもりはない。俺の人生を、これ以上弄ばれてたまるものか……っ!

「待て……このファイルを持っていくといい」

 背中にかけられた声に、俺は少し意外さを感じながら振り返る。

「ヴァン様が地核の記憶粒子について、この研究所でまとめさせていた資料だ。まだわしが関わっていた時分の不完全なものだが、なにもないよりはましだろう。
 祈っているよ……お主が、ヴァン様に抗えることを……」

 それには応えず。俺は受け取った資料を手に取り、スピノザに背を向けた。

 研究所の外に出たところで、俺はスピノザに渡された資料にざっと目を通す。

「これは……パッセージリンクと記憶粒子についての研究か……なっ!? いったい……どういうことだ? ヴァンはいったいなにを……」

 俺は目にした資料がなにを意図しているのか理解できず、思わず言葉を洩らしていた。

「どうしたのですか?」
「見ろ。パッセージリンクを介して、地核から強制的に記憶粒子を引きずり出す方法がいろいろと考察されている。それだけなら別に不思議なことはないが……その量が尋常じゃない」
「これは……タルタロス級戦艦が数万台は楽に動かせるほどの量ですね。これほど大量のエネルギーを引き出して、いったいなにを……──っ!? これは……!」

「あー……いい加減俺らにもわかるように口に出して説明してくれないか? 大佐さんよ」

「……このファイルによると、すでにパッセージリンクの耐用年数は限界が近いと記されています。そのため、ここで述べられているように、パッセージリンクを介して記憶粒子が強引に引きずり出された場合、セフィロトツリーは暴走状態に達し、機能不全に陥ると……」

 説明の途中で、大地を振動が貫く。

「地震!?」
「きゃ……!」 

 ナタリアが短く悲鳴を上げて、地面に倒れそうになる。危ないっ! 俺が咄嗟に伸ばした腕の中に、ナタリアが倒れ込む。俺とナタリアの視線が至近距離で交わる。少しの沈黙を挟んだ後、頬を染めたナタリアが俺に礼を言う。

「あ、あの……ありがとう……」
「……前にもこんなことがあったな」
「そうでしたわね……。城から抜け出そうとして窓から飛び降りた私を……」

 少し過去の感傷に浸ってしまった俺は、その想いを振り切るように、かぶりを振ってナタリアから身体を離す。続いて、今起きた地震の原因を分析する。

「今の地震……南ルグニカ地方が崩落したのかも知れん」
「そんな! 何で!?」

 関連がわからないと叫ぶガキに、俺は律儀に説明を口にしてやる。

「南ルグニカを支えていたセフィロトツリーをあの脳無しが消滅させたからな。今まで他の地方のセフィロトでかろうじて浮いていたが、そろそろ限界の筈だ。
 それに……このファイルに記されているようなことが他のセフィロトで行われていると考えれば、話はもっと簡単だ。さっきそのメガネが説明したように、暴走状態に達したセフィロトツリーはうまく記憶粒子を噴出できない状態になる。この意味がわかるか?」

 俺が示した可能性に思い至ってか、ガイが表情を強張らせる。

「つまり……他の大地も崩落する危険性があるってことか?」
「そうだ。俺たちが導師をさらってセフィロトの扉を開かせていたのを覚えているか? 今思えば、あれはこのための準備だったということだろうな」

 あのときはなんのための指示だったのかわからなかったが、このファイルに示されているようなことを狙っていたのなら、すべてが繋がる。

「確かに、僕がダアト式封咒を解錠したセフィロトに入ることは可能です。その上、ホドとアクゼリュスのパッセージリンクが失われた現在、アルバート式封咒も無効化されました。
 しかし、それでも未だパッセージリンクの操作はユリア式封咒で封印されています。封咒によって一時的に存在そのものを凍結されたパッセージリンクには、誰も干渉できないはずなのですが……」

 あくまで信じたくないのはわかるが、そう何度も説明を求められると苛立ちが先立つ。

「だから、ヴァンの奴はそいつをどうにかして動かしたんだろうよっ!」

 吐き捨てる俺の苛立ちを抑えるように、メガネがその先の言葉を引き継ぐ。

「つまりヴァンはセフィロトを制御できるということですね。ならば彼が今後取るであろう行動は……この資料に記されているように、各セフィロトで地核から過剰なまでの量の記憶粒子を取り出すことでしょうか? しかし、その目的はいったい……」

 確かに目的に関しては、このファイルからは一切読み取ることができない。その上、そもそもこのファイルで検討されている記憶粒子を取り出す方法からして、どれも最終的には実行不可能と結論づけられている。いったいどうやって、奴はそれを可能にしているんだ? スピノザの研究を引き継いだ奴が、なにか新しい方法を発見したのだろうか? 現時点で手元にある材料で関連づけられそうなものは……

 俺は不意に、腰に吊るされた剣に視線を落とす。これを俺に渡すときに奴が口にした言葉を思い出す。

 ──すでに分析が終わり、しばらくの間、倉庫に死蔵されるはずだったものだ。なかなかの曰くのある品だが、お前にくれてやろう。ふっ……銘は《鍵》とだけ呼ばれている。集合意識体を使役すると言われし、響奏器の一種だ──

「──結局わかったことって、総長がセフィロトでなにかしようとしてるってことだけ?」

 ガキの言葉に、俺は意識を現実に戻す。

「……今はそれで十分だ。それにこの論文と俺が聞いた話から考えるに、次はセントビナーの周辺が落ちるだろうな」

 何気なく告げた俺の言葉に、一同に緊張が走る。

「セントビナーが崩落ですか……一度帝都に帰還する必要がありそうですね」
「僕も一緒について行ってもよろしいでしょうか?」
「もちろんかまいませんよ。最初の予定でも……アクゼリュスの救助が成功した後で、イオン様とはグランコクマに向かう予定だったことですしね」

 導師の問い掛けにメガネが律儀に応えるのを待って、俺は言葉を告げる。

「行くぞ」
「行くって、どちらへ……」
「ヴァンの動向に関しては、俺一人でどうにかなる。お前らを帝都まで送ってやる」

 すぐにでも動こうとした俺の背中に、その声は届いた。

「──俺はここで降りるぜ」

「……どうしてだ、ガイ」

 僅かに動揺を感じながらの問いかけに、ガイは頬をかきながら、照れたような表情で答えた。

「だいたいの情報は集まったんだ。そろそろルークを迎えに行ってやらないといけないからな」

 温かい目をして、あいつを引き合いに出すガイの言葉に、俺の胸に貫かれたような痛みが走る。

 ……理解していたはずだった。ガイにとって、俺がどういう存在か。それでも、こうして目の前で突き付けられた、俺とあいつに対する態度の違いに、動揺を禁じ得ない。

 なにも言葉が返せなくなった俺の横で、ナタリアもまたどこか苦しげな表情を浮かべていた。

「……ガイ、私は……」
「ナタリアにとって、約束を交わした相手がこいつだってのはわかっているさ。だけど……それと同じように、俺が親友になったのはあのバカの方なんだよ」

 優しい瞳で言葉を紡ぐガイの顔が、俺は見ていられなくなって顔を背けていた。

「それに、俺がいないと心配なんだ。なんせあいつ底抜けのバカだからな。立ち直ってるにしても、それで今度はどんなこと仕出かそうとするか、わかったもんじゃない」

 耳に届く言葉に、俺は胸に膨らみ行く考えを否定する。俺は、そんなことは考えない。決して、そんなことは考えない。仮に俺がダアトに誘拐されていなかったとしても、こいつは同じように俺のことを語っただろうかなんてことは……決して、考えない。

「迎えに行くのはいいですが、どうやってユリアシティへ戻るつもりですか?」
「あ……それは考えてなかったな。どうしたもんか」

 腕を組んで考え始めたガイに、俺は気付けばその情報を口にしていた。

「……ダアトの北西にアラミス湧水洞って場所がある。もしもレプリカがこの外殻大地へ戻ってくるなら、そこを通る筈だ」

 俺の言葉に一瞬呆気にとられたように目を見開くと、ガイは僅かに苦笑を浮かべた。

「悪いな、アッシュ」
「……フン。おまえがあいつを選ぶのは……わかっていたさ」

 負け惜しみのような言葉しか出て来なかったが、それにガイはさらに苦笑を深め、もう一度礼を言った。

「ガイ……私達はグランコクマに向かいます。もしあなた達も帝都に向かうようなことがあったなら、軍の受け付けでこれを出しなさい。すんなりと中に通して貰えるはずです」

 なにかの認識票のような譜陣が描かれた名刺大の紙片を渡すメガネに、ガイが感心したように口笛を吹き、受け取って懐にしまい込む。

「大佐もすまないな。ありがたく貰っておくよ」
「ガイ……彼を、頼みます。私は……まだ彼とどう向き合ったらいいのか、わかりません……」

 わかってるよとガイは頷くと、すぐに身を翻した。

「それじゃ、またな」

 颯爽と去っていくガイの背中を見送って、俺はわずかに握り込んでいた拳から力を抜き去る。

「ルーク……ガイを、引き止めないのですね」
「……その名前で呼ぶな。それはもう、俺の名前じゃない」

 そう、俺の名はアッシュ。

 聖なる炎の燃え滓に過ぎない俺に、もはや手にできる絆など、存在しない……──





【レプリカ──ルーク】





 気がつくと、俺はまたもその空間に立ち尽くしていた。
 目の前に掛けられていた絵画はその存在を消している。
 動き出した時計が、再び秒針を刻み始める。

 リンゴをかじる音が響く。

「さて、どうだった? 本来主役となるはずだった者の世界に対する認識は、さぞかし複雑な感情に支配されていたことだろう」

 振り返った先に、無貌の誰かが存在していた。無貌の誰かは漆黒のソファーに腰掛け、リンゴを片手に弄んでいる。時折なにもない顔に近づけられたリンゴから、確かにかじられる音が響く。

「完全同位体なんて存在は、そもそもその在り方からして異質なものだ。世界の要請により必然として生み出される存在……なんとも難儀な概念だ。お前もそう思わないか──レプリカルーク?」

 無貌の誰かの呼び掛けに、俺は意識が定まらぬままなにかを答えた。
 俺の答えを耳にした瞬間、そいつは盛大に噴き出した。

「くくっ……なるほど、な。やはりイレギュラーの登場もまた、世界の要請ってやつなのか。なんとも煩わしいことだが、お前も大分こちら側に足を踏み込んできたらしい。さすがは■■■■■■──っと、これはまだ閲覧外の事項か」

 理解できない言葉を一方的に語られているというのに、俺は一切感情を動かさないまま、無貌の誰かの言葉に聞き入る。

「ともあれ、どちらにせよ現実に目覚めたとき、ここで見聞きしたことは全て忘れているだろう。だが」

 わずかに間を開けた後で、無貌の誰かは再び言葉を続ける。

「それでも心に残るものはある」

 俺に言葉が浸透するのを待つように、再び少しの間沈黙が続く。

「お前が実際に味わったように、世界はどこまでも、顔をしかめたくなるような苦み走った残酷さに満ち溢れ──同時に胸が焼けるほどの甘ったるさを含んでいる。さっさと起き上がれ、そして動き出せ。少しでも落ち着いたら、またいつでも来るといい」

 リンゴが放り投げられる。床を転がるリンゴを視線で追うと、俺の足にぶつかって止まった。

「たとえお前の記憶に残らずとも、歓迎しよう──……」

 視線を上げると、目の前から無貌の誰かは姿を消していた。

 同時に、壁に掛けられたおびただしい数の時計が一斉に鐘を打ち鳴らす。

 あまりの騒がしさに、俺は耳をふさぐ。
 あまりの煩わしさに、俺は目を閉じる。
 あまりの耳障りさに、俺は声を上げる。


 ───────────目が、覚める。


/第二部目次/
  1. 2005/08/31(水) 01:11:27|
  2. 【家族ジャングル】 間章
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