全手動軽文量産機

──A.L.M──

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第1話 後編

 水城征治は一人廊下を歩いていた。

 先程の会議を反芻しながら、今後自分はどう動くべきか検証する。

 あの会話の流れから察するに、特級資格保持者たる件の新入生は、この水城征治が運営する万屋に関わりがある、もしくは関わろうとしてる存在なのだろう。件の新入生がどのような性格、嗜好、資格を持つかについては、いまだ判断する資料がないため、考察する術がない。

 考えるべきは、もしその新入生が万屋に所属したいと言ってきた場合に関する、こちらの対応だ。

 特級資格保持者は、それこそ引く手数多の注目株だ。その動向は注視され、もし件の生徒が既に所属したい代行屋に当たりをつけているなどという情報が知れ渡れば、大変な騒ぎになるだろう。それこそ、恫喝じみた勧誘や、志望先に受入拒否を迫る動きも起こり得る。これはかつての水城自身の経験から言っても、確かなことだ。

 言うなれば、件の生徒の志望先は、騒動の種を抱え込むことになるとも言える。特に拡大志向を抱いていない代行屋にとって、そんな生徒を受け入れることは、厄介な荷物を請け負うことにも等しい。

 なら、万屋はどうか?

 この水城征治には、そうした生徒を受け入れるだけの度量があるのか?

 問われたならば、彼はこう答えるだろう。


 万屋は、来るものは受け入れ去る者は追わず、という不文律を保っている。
 故に──いかなる外部からの干渉にも屈さず、ただ受け入れるまでだと。


 水城は件の生徒が万屋への所属を志望することに関して、なんら思うことはない。

 ただ、こうも考える。

 なにも必要以上に、話を大きくする必要などない、と。

 検証すべきは、生徒が万屋へ所属する際に起こり得るであろう騒動を、如何に最小限にとどめるか、である。

「やはり件の生徒へ私自身が直接接触し、その志望の是非を尋ねるのが急務か……」

 それさえ把握でききれば、あとはどうとでもなる。志望するというなら、その旨を公言しないよう諭せばいい。ある程度情報の流れを遅延できれば、その間にしかるべき手順を踏んで情報の隠蔽、各界への根回し、などといった政治的対処がスムーズにいく。

「……当面はこの方針で望むとしよう」 

 口元だけで呟き、何度か頷く。

 できるか否かについては、言うまでもないことだと水城は考える。

 それだけの影響力を保持することが、代行屋を束ねる職長たる自身の勤めである。

 そう理解しているからだ。

「件の生徒を把握するためにも、早急に工房へ赴くとしよう」

 納得の行く解答が出たと、水城は微笑を浮かべる。

 幾分軽い足どりになって、廊下を進む。途中、何人かの生徒とすれ違う。だが不可解なことに、その誰もが声を潜めながら、なにやら興奮気味に言葉を交わしていた。

 このとき既に、水城はなんとも言えない嫌な予感を感じていた。

 さらに言えば、予感が確信に変わるのにも、それほど時間はかからなかった。

「号外! 号外! なんと、真昼の学園に襲撃事件だ!」

 掲示板の前に集う人だかりの群れ。その中央、簡易的に作られた台座の上で、額に情報命と書かれたハチマキを巻いた生徒が熱弁を振るっていた。

「しかも襲撃されたのは職室が列なる東棟! 数少ない目撃情報によると、現場にいたのは毎度毎度騒動の渦中にあるあの万代行の三人組と、なにやら曰くあり気な新入生だって話だ! ん……なんと!? これはまだ裏付けとれてない情報だけど、なんとその生徒は特級資格保持者だって話しだ! いやぁ、でも、こりゃほんとかね。でもま、万屋ならどんなことがあっても当然かねぇ」

 のっけから、水城の構想はすべてが躓いた。

 あまりのことに、さすがの自分も空いた口が塞がらない。

 しかも、話はまだ続く。

「それと最後に、わりと重要そうな情報を一つ。驚くべきことに、なんと彼らは今もその襲撃グループと交戦中だって話だ。第七グラウンドの方に向けて移動しながら、現在進行形でドンパチやらかしてるそうだぞ。だからみんな、気になるからって、第七グラウンドには近づきすぎないようにしようね。詳細は情報が入り次第、うちらがどんどん伝えて行くんで、安心して下さいな。みんなの情報収集を代行するNESネットを、これからもよろしく~!」

 話が終わると同時に、拍手が廊下に巻き起こる。せっせと簡易式の台座を片づけ情報屋が去っていくと同時、停滞していた廊下の人の流れが、何事もなかったかのようにもとに戻る。

 この程度の騒動には慣れきった学園生徒ならではの反応だったが、水城はこのまま日常に埋没することは許されそうになかった。

 脳裏に、悪魔のように笑う生徒会長の顔が蘇る。

 特級資格保持者の新入生。

 あの会長が会議で話題に出し、わざわざ自分に忠告を飛ばしてまで、存在を明らかにしたような相手だ。

 件の生徒が、単なる特級刺客保持者であるはずがなかった。

 しかし、それでも水城は、信じたかったのだ。

 あるはずもない存在──平凡という名の一日が、確かに存在することを。

 脆く儚い、夢だった。

 水城征治は額を押さえ、これからすることになるであろう、自らの率いる代行屋職員の尻拭いのために、頭を悩ますのであった。



                 * * *



「だぁ、なんだありゃ!? 正直言うぞ、信じらんねぇ!!」

 黒河慎夜は全身全霊を持って、グラウンドをひた走っていた。

 背後から無数の爆音が轟く。数秒間隔で着弾する鋼鉄の雨がグラウンドを地獄の戦場に変える。空中で別たれた無誘導のロケット弾が、走り抜ける慎夜達の後を執拗に追い求める。

「黙れうるさい切り裂くぞ。集中乱れて死にたいか? いやむしろ死ね」
「シズルに賛成。いくら僕らでも、この状況はちょっとまずいんだよねぇ。ほんの少しのミスが命取りになる故、君らは大人しくしていたまえ」

 慎夜の僅か後ろを、一定距離を保って走るシズルとカイキが口を揃えて言い諭す。二人はそれぞれ武装を構え、飛来する弾頭を正確に叩き落としている。二人が一撃を放つ度に、迎撃された何かが地面に落ちて、冗談じみた爆音を上げる。

 げんなりと肩を落としながら、どこか彼方に遠のこうとしている常識に想いを馳せる。

「しかし、普通は思わんだろ。いくらなんでも、あんなもんが襲撃して来るなんてさ」

 硝煙と粉塵の漂うグラウンドの向こう側で、揺らめき動く不気味な影があった。無数の足をギチギチと動かし、地面に穴を空けながら凄まじい勢いで走り寄る。

 まるで、蜘蛛だ。

 全長八メートルに及ぶ巨大な機械の体躯。計八本におよび足が動くたびに、金属同士を擦り合わせたような耳障りな音が上がる。生き物なら顔にあたる部分で、不気味な赤い光を湛える集光レンズの複眼が、不気味な駆動音と共に蠢く。

「黒服着たギャング男とかさ、頬に縫い痕もってるヤクザ屋さんとかなら、まあ、まだわかるよ。でも何さ、あれ。あんな機械グモが学園に襲撃するとか、普通思わんだろ?」

 ありえねぇ、と慎夜は更に呻いた。

 すると、何が気になったのか、一ノ瀬結維が唐突に顔を慎夜に向ける。ちなみに、彼女は現在、慎夜に抱き抱えられた状態にある。ともかく、慎夜と一ノ瀬はそんな状態にあるため、それがわずかな動作であっても、慎夜にすぐに伝わるのだ。

 何かもの言いたげな瞳を見据え、慎夜はとりあえず相手の発言を促してみる。

「何だ?」
「正式には急襲制圧式多脚戦車。無人兵器で、密集領域の制圧能力に優れている。通称メカ蜘蛛君だ」

 一ノ瀬が冷静な口調で、間抜けな通称を言い切った。

「メカ蜘蛛君……か」
「ああ、メカ蜘蛛君だな」

 とてつもない疲労感が慎夜を襲うが、被りを振って払いのける。

「なんにしろ、お前はあれについて何か知ってるんだな?」
「知っている。それもかなり深く」

「なら当然聞くが、あれはお前を狙ってる、悪の組織とやらの送りこんだもんだな?」
「……そうだろうな。かなり執拗だが」

「────それで、言う気はあるのか?」

 そう尋ねることが、当然であるかのように擦り込まれた質問に、それまで澱み無く答えていた一ノ瀬の言葉が、初めてそこで停まる。浮かぶ表情に戸惑いと、わずかな敵意が入り交じる。

「何を……言いたい?」

 睨み付ける一ノ瀬結唯に、黒河慎夜はあっさりと口を開く。

「弟子にしてくれって言葉は聞いた。弟子入りしたい理由も聞いた。お前がどんな思惑あって、そんなこと言ってるのか、俺にわからんし、訊こうとも思わんさ。したいと思ったのなら、すればいい。すべてはお前の選択だからな」

 万屋に集まる人間は、誰もが変わった奴ばかり。自分勝手で、傲岸不遜な、他人に迷惑かけることなく生きることなんかできはせず、もとより考えもしない者ばかり。

 そんな連中でも、誰もが共通して備えるものが一つだけ存在していた。

「けどな、この状況まで想定して申し出たんなら、それだけじゃ足りねぇよ。状況に流されるだけじゃ、俺は動こうと思わんの。求められもせずに動くなら、それはただの独善でしかないからな」

 それは揺り動かしようのない、一つの認識。

「ただ、覚えとけ。お前がそれを言うなら、その瞬間から、俺はお前の側に立つ。悪鬼羅刹の蠢く魔窟だろうが迷うことなく飛び込んで、その手をつかんで引きずり上げる。どんな状況にある奴だろうが、求めるもんには手を伸ばす。それが、俺の職業意識。ただ一つの動く理由だ」

 どこまでも強固に築き上げられた──職業意識。

 だからこそ、黒河慎夜は問いかける。抱き上げた彼女を見据え、視線を逸らすことなく問いかける。

「一ノ瀬結唯。お前が俺に求めているものは、なんだ?」

 爆音に満ちたグラウンドに、その問いかけはどこまでも澄んだ音と共に響き渡った。

「……あなたは、真っ直ぐだな」

 わずかに顔を俯かせ、一ノ瀬がつぶやく。

「それを言うことは、私の矜持を損なう。だからこそ、これだけ回りくどい手段を取ったと言うのに……それでも黒河先輩、あなたはその言葉を私に求めるのか?」

「これだけはしょうがない。俺にとっても譲れない一線だからな」

 肩を竦めて見せる慎夜に、一ノ瀬はため息を一つつく。

 俯かれていた顔が持ち上がり、慎夜を見据える。

「私が求めるものは、伸ばされる手、すくい上げる誰か、状況を納める者──《救い手》だ。
 だから、私はあなたにこの言葉を贈ろう。
 《救い手》黒河慎夜は、この私、一ノ瀬結唯を──助けなさい」

 告げられた宣言に、一瞬呆気にとられた慎夜は、次の瞬間には爆笑していた。

 一ノ瀬のあまりに明快な要請に、沸き上がる笑いの衝動は一向に収まる気配を見せない。 

「それで、どうかな? あなたの要望には添えたと思うが」

 すました顔で尋ねる相手に、にやりと笑いかける。

「オーケ、オーケ、完膚無きまで承知した。今このときをもって黒河慎夜は、一ノ瀬結唯の要請を、全身全霊をかけ達成することを誓おうじゃないか。
 俺の申請職種は、なんてったって、《救い手》だからな」

 力強く言い切ると、慎夜は足を止め、一ノ瀬をその場に降ろす。

 後ろを走っていた二人がすぐさま追いついて、慎夜にちらりと視線を向ける。

「それで、話はついたのかね?」
「もちろんついたさ」
「ふん。ヨルはいつも面倒臭い。そんな手順を一々踏むなんて、私ならかったるくってやってらんないね」

 面倒臭そうに刀を鞘に納める香坂に、慎夜は胸を張る。

「だろうな。だが、それこそが、俺の代行すべき職業だ」

 自負をもって答える。

 怪奇は苦笑し、静流が鼻をならす。

 前に出る慎夜に合わせて、二人が後ろに退く。

「では、後は任せるよ」
「さっさっと終わらせな」

 肩を叩いて送り出す二人に、慎夜は笑みを浮かべる。

「ああ、任せろ。すぐに終わらせるさ」

 そして、粉塵の向こうを見据える。

 粉塵の向こう、グラウンドの中央付近に佇む兵器の姿があった。突然動きを止めたこちらを警戒してか、それまで間断なく打ち込んでいた砲弾の雨が止んでいる。だが、たとえ相手の攻撃が停まっていなかったとしても、慎夜の行動は変わらなかっただろう。

「誰かの為に動くヒーローは、無敵だからな」

 身に纏う漆黒の外套を翻し、兵器と対峙する。

「──目に物見せてやるよ、メカ蜘蛛」



                 * * *



 ヒーロー、などという職種は本来存在し得ない。

 当然のことだろう。誰かの危機に颯爽と駆けつける救い手。そんな抽象的な概念像を職種として認定することができるはずがないのだ。

 しかし、黒河慎夜の代行職種は《救い手》──いわゆるヒーローと呼ばれる資格を有している。

 彼の保持する認定可能職種は多岐にわたる。軍の装甲騎兵操縦資格から始まり果ては生体工学研究資格に至るまで、ありとあらゆる分野に精通している。

 しかし、彼がなりたい職種は《救い手》に他ならなかった。

 この世界に絶望し、救いを求める人の為に駆けつけたい。

 それが黒河慎夜の行動理念。

 故に、彼はそうなるべく力を磨いた。貪欲に知識をつけた。

 しかし、個人の力では決して解決し得ない状況というものは、厳然と存在する。

 千差万別に存在する、危機的状況すべてに対応する事など、人の身では不可能なことだ。

 それでも、彼は認められなかった。認めようとしなかった。

 ひたすら自らの信じた道を進み、ありとあらゆる状況を打倒し得る力を追い求めた。

 どこまでも貪欲に、追い求めた。

 その果てに、彼は一つの答えに辿り着く。

 自身では、決して対応できない状況があるなら──

 状況に応じて、直面する危機を打倒し得る存在へと、自らの存在をすり替えればいいと。

 あまりに常軌を逸した考えだったが、最終的に、彼はそれを実現することになる。

 こうして、過去のある時点においては勇者とも、魔王とも、聖者とも、悪魔とも呼ばれた存在──世界真理執行者が、この現代において復活した。

 神にも悪魔にもなれる力を保持しながら、彼が望んだものはただ一つ。

 《救い手》になりたい。

 それが、どこまでもお節介な、人々に感謝される救世主にして、時に憎悪される人間災害が誕生した瞬間だった。



                 * * *



 視界を走る影──

 それを認識した瞬間、無人兵器が吹き飛ばされる。硬い金属を穿つ高音が響き渡り、一瞬遅れで校舎の壁面に激突した兵器が、崩れ落ちる瓦礫の中に埋没する。

 対面に位置する場所には、漆黒の外套を翻し、ただ素手の右腕を突き出す黒河慎夜の姿があった。

「……殴るって行為には、殴り飛ばされる対象が存在するのは当然だよな?」

 口元を吊り上げ、黒河慎夜は自らの殴り飛ばした存在を見据える。

 殴り飛ばされた無人兵器の装甲には、冗談染みた歪みが走っている。その起点となった位置には、制作者ですら見落としていたような、装甲の継目が脆くなった箇所が存在していた。

「人によって造られた存在ならば、欠陥が存在し得ないという事も、有り得ないよな?」

 ギチギチと耳障りな音を立てながら、無人兵器が瓦礫を強引にはね除け起き上がる。自らの敵対者に向けて駆ける。醜悪な足の一本が振りかざされる。炸裂火薬を仕込まれた射出機構による重い一撃が地を穿つ。

 グラウンドが、爆ぜ割れた。

 舞い上がる粉塵の中、機械蜘蛛はその複眼を蠢かし、周囲の様子を伺い探る。一瞬にして脅威認識度が跳ね上がった敵対者を警戒し、兵器は油断することなく、己が敵対者の在り処を探る。

 だが、それも無駄な行為に過ぎなかった。

「……また、さして動き回らずとも、攻撃が必ず当たるというような道理は無いよな?」

 振り降ろされた前足の僅か数センチ先の空間、まるで其処に攻撃が来るのが当然とわかっていたかのように、ただ一歩引いた位置に、己が身体を動かしていた黒河慎夜の姿があった。

 振り降ろされた前足をゆっくりと素手で撫で上げ、黒河慎夜は笑う。

「そして有り得ない事象など──それこそ存在しない。
 この世のありとあらゆる事象には、必ず起点となる行為と、終点たる結果が存在するのが道理だ」

 まるで世界そのものを従えるかのように、黒河慎夜は傲岸な仕種で両手を広げる。

「だから、俺は証明してやるよ。救いを求めたならば、そこに救われない者など決して存在し無い事を……」

 風にあおられた漆黒の外套が翼のように翻り、広げられた両手が天に突き上げられる。

「【救世代行ぐぜだいこう】の名の下に、この俺が体現する事でな」

 宣告と同時──再び黒河慎夜の姿がかき消える。

 戦車が冗談染みた轟音を上げながら、再び呆気なく吹き飛ばされる。視界の端に時折映る漆黒の影のみが、それを成した相手が確かにそこに存在する事を証明する。

 一ノ瀬結唯はそうした目の前で展開される光景を、ただ息を飲んで見据えていた。

「……ヨルの執行技能は、法理干渉系の亜種と言われているな」

 傍らに佇む春日井怪奇が、そんな一ノ瀬の胸中を見透かすようにして、小さく囁き語る。

 法理干渉とは、代行職制度において、其の資格有すると認められた者にのみ貸与される執行技能の一つ。無限に偏在する可能性に働きかけ、自らの望む有り得た可能性の一つを引き寄せ、この世界に体現する技能。

「しかし、それではヨルの技能を、正確に説明しきれない」

 いくら確率を操作できるとは言っても、有り得ない事象は決して起こせない。

 それが、絶対普遍の真理だ。

 しかし……

「ヨルは絶対普遍の世界法則をたやすく踏み越え、決して有り得ない世界をも従える」

 特殊な合金によって精製された複合装甲が、ただ拳の一撃でひしゃげ、破砕される。

「自らの直面する危機に応じて、状況を打破可能な存在に、自らの存在位階をすり替える。
 世界を欺き、あらゆる法則を踏み越え、絶対普遍の真理を、自らの望む真理にすり替え、執行する存在──【救世代行】真理執行者」

 無造作なだた一蹴りで、無人兵器が呆気なく、跳ね飛ばされる。

「何とも凄まじいものだとは思わないかい? あの化け物はさ」

 化け物と言いながら、春日井怪奇の瞳に浮かぶのはどこまでも楽しげな色だ。

「噂には聞いていたが……正直、アレ程の存在とは思わなかった」
「ふん。噂なんか所詮、話半分さ。……ま、噂の方がだけどな」

 香坂静流が刀を肩に担ぎながら、面倒臭そうに告げた。

「生身の人間が、クラスAの戦車に対抗できるとは……」
「はっ。あんた、何もわかってないね。あいつは《威海より這いずる者》を単独で殲滅して退けた事もある、正真正銘の化け物だ。日本みたいな平和ボケしてる国じゃなかったら、即刻国家専属の生体兵器認定を下されていただろうよ」

 香坂静流も乱暴に吐き捨ててはいるが、しかしその化け物に恐怖を抱いているようには見えない。

 一ノ瀬の抱く疑問を察してか、香坂があっさりと応える。

「結局、ヨルの奴は他者に求められないと動けない。そういう誓約を結んでいるからな。ったく、いったいなにを考えてんのやら、私には理解できんね」
「いやいや、何ともヨルらしいじゃないか。まさしく、あれこそ正真正銘のヒーローだ」

 二人の返事を聞いて、一ノ瀬は自分が間違っていなかったことを悟る。

「……《救い手》か」

 目の前には、ただ生身の拳を振るうだけで、特殊装甲を備える戦車を粉砕し、蹂躙する化け物がいる。

 だが、あの化け物は誰かに要請されなければ動かない。救いを求められなければ、動けない。

 ──なら、せいぜい利用させて貰うとしよう。

 一ノ瀬結唯は黒河慎夜を見据え、考える。

 この決断の先に待つのが、己が身の破滅か、それとも救済か、どちらかは未だわからない。だが、今はあの《救い手》から差し出された手を取ろう。自分を救って見せると断言した相手に、己が命を託そう。

 グラウンドに一際大きな爆発音が響きわたる。熱気に揺らめく空気の無こう側で、粉砕された戦車が、空に煙を立ち上らせている。

 完全に戦車が破壊されたのを確認すると、黒河慎夜は口元に笑みを浮かべながら、こちらに近づいて来るのが見えた。

「さて、とりあえずあの脅威は取り除いた。まあ、狙われているって言った以上、まだ終わりじゃないんだろうけどな。そうだろ?」
「ああ。これからもよろしく頼む、黒河先輩」

 素知らぬ顔で応じながら、内心で自分の行為の下劣さに吐き気を覚える。

 だが、この程度のことで、痛む良心など当に無くなった、

「こっちこそよろしくな、一ノ瀬」

 まるで含みも無く伸ばされる手を取り、一ノ瀬結唯は黒河慎夜と握手を交わす。

 何せ、この一ノ瀬結唯はかつて〝組織〟に所属していた、外道。

 この身はもはや地に堕ちた、悪の科学者に過ぎないのだから……。

「…………」

 かつて自らが作成を手がけた、無人兵器の哀れな末路を冷然と見据えながら、一ノ瀬結唯は今後自分がどう立ち回るべきかについて、冷徹に考えを巡らせるのだった。







 かくして、今回の襲撃事件には、一応の幕が降りる。

 しかし混乱に満ちた学園から、嵐の去る気配は依然として見え無い。

 錯綜する状況の行き着く先は、果たして如何なるものか?

 すべては────この瞬間に始まった。


  1. 2006/09/04(月) 16:16:50|
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